第96話 50-50

 七月に入り、二度目のサブウェイシリーズ。

 考えてみればこれほど盛り上がる場面は、メトロズには他になかったのかもしれない。

 この前の試合までに、大介はホームラン48本と盗塁50を決めていた。

 40-40という数字があるように、これはホームランの長打力と、盗塁の総力を表す数字だ。

 一般的に30-30をすればそのバッターは一流であり、打撃だけではない走力もある好選手と見られる。


 40-40をやった人間でさえ、史上にほんの数人。

 50-50をやった人間はいなかった。これまでは。


 五月が終わった時点で、大介は30-30を達成していた。

 シーズンを通じて達成すればすごいというものを、まだ三分の一しか終わっていないところで達成していたのだ。

 40-40を六月中に達成し、これはまさか50-50を記録するのではと思い、不意の怪我だけを心配されていた。


 ビーンボールを投げられても、最悪バットで弾き返す。

 そんな大介なので故障離脱の可能性は低かったが、ホームランも盗塁も、ややそのペースが落ちていたことは確かだ。

 単純に勝負を避けられまくって、ホームランを打つ機会が減っているのだが。


 さすがにこれはまずいのではないか。

 バリー・ボンズが敬遠をされまくったのとは、話が違う。

 相手は外国のリーグで経験こそあれ、MLBでは新人。

 体格を見ても普通に190cmほどの巨体が多いMLBの中で、170cmにも満たない小柄な体。

 打つだけで守れないのではなく、ショートを守ってさらに走る。

 こんな選手を相手に、いくら打たれるとは言っても、敬遠ばかりしていては、MLBの価値が根本からひっくり返る。


 ラッキーズはMLBでナンバーワンの人気球団として、白石大介と勝負しなければいけない。

 その結果記録が達成されたとしても、それは球界全体としては、喜ばしいことではないか。

「勝負だ」

 少なくとも、敬遠はしないとラッキーズは決めた。

 

 大介は一試合目に、ホームランを一本放った。

 これであと一本で、不滅の大記録が達成される。

 だが一試合目は、これ一本。

 だが二安打二打点で、試合はメトロズが勝利した。


 せっかく記録を生み出したとしても、それがホームでなければ、盛大に祝うことも出来ない。

 なので絶対に打てというプレッシャーがかかるわけだが、大介としては思考が違う。

「ここで打たずに引き伸ばしたら、お客さんもずっと増えるんじゃないか?」

 それも確かにそうで、この後も三試合、フィラデルフィアとはホームでの対戦があるのだ。


 ただ、それでも同じニューヨークの、ラッキーズを相手に記録を作るということが、大介には求められていた。

 別にそんなものは無視してもいいのだが、本人の意思とは関係なく、一番大事なところで打ってしまうのが大介だ。

 二連戦、第二打席。

 外角に入ったストレートを、思いっきり叩いた。

 同じニューヨークの球場でも、ラッキースタジアムとシティスタジアムではホームランの出やすさが違う。

 風向きの関係であるが、それでも打球はまっすぐに、ピッチャーの頭の上を越えていった。

 一度入ったボールが、跳ね返ってグラウンドの中に戻ってくる。

 なので大介はその記念のボールを、普通に自分の物にすることが出来たのであった。




 日本でも同じであったが、アメリカでも記録となるような場面になると、試合中でも一度試合が停止する。

 花束などを贈られても、どうせ家にまで持って帰ることはないのだが。

(そういやあいつら、指輪以外にほとんど何も買ってやったことねえな)

 欲しい物があれば、適当に使ってくれとは言ってある。

 実際のところは使う以上に増やしているし、欲しい物はなくても、特定の誰かから贈られることは嬉しかったりもする。

 そのあたり大介は、デリカシーが足りない。


 試合自体はメトロズが楽勝というわけでもなく、リリーフに入ってからのシーソーゲームとなった。

 大介はもう記録は達成したのだから勘弁してくれと、かなり逃げ気味の投球をされる。

 それでも塁に出てしまえば、前の塁を狙っていくのが大介だ。

 この日は二度の盗塁を決めて、さらに得点のチャンスを広げる。


 最終的なスコアは、6-5でメトロズの勝利。

 大介の大記録達成に、これまた華を添えることとなったのである。


 ちなみにこの報道は当初、日本ではそれほど大きくは取り扱われなかった。

 アメリカが騒いでいるのだから、こちらも少しは騒ごうか、という感じでタイムラグがあった。

 なぜならば大介は日本時代50-50などはほぼ毎年達成している。

 それどころか60-60を二回、60-70を一回、60-80を一回、60-90を一回、70-70を一回達成しているからだ。

 怪我で25試合欠場した年が一番悪く、その年でも50-40と、これが一番悪い成績はおかしいと、散々に言われたものだ。

 大介の常識=非常識と言われるゆえんである。


 なおこの記録はこの日だけでは終わらず、休みである翌日は、ニューヨークでパレードが開催された。

 よくもまあそんな急に準備が出来たなとも思うが、実際にやってしまっている。

 ニューヨーク市長から記録への言及があったり、大統領がコメントしたりと、すごい騒ぎになったものだ。

「日本時代って、ここまで騒がしくなかったよな?」

「日本人は慎ましいから」

「でも道頓堀川には飛び込んでたよね」

 なんというか、日本とは扱いが違うと言うか。

 スポーツの大記録達成を、こんな形で祝ってしまうのか。


 ちなみにパレードにおいては、イリヤが特別に作曲した曲が披露されたりもした。

 高校時代の白富東の応援歌をブラッシュアップすればいいではないか、とも大介は思ったが。

 プロに入ってからこっち、基本的には全てが球団の応援歌。

 あとはダースベイダーのテーマで通している大介だ。

 ちなみにイリヤは、オールスターは家で観戦する予定らしい。


 これに関してコメントを求められた大介であるが、今の時期にそう騒ぎ立てる必要はないと思う。

 まだ試合は、74試合も残っている。

 ここはあくまでも通過点なのだ。

 そんなことを言っても、もう誰もビッグマウスとは言わない。

 確かにまだ記録は、ここから続いていくものだろう。

 60-60が達成されてもおかしくないどころか、下手に敬遠をしすぎると、70-70にまで達するかもしれない。

 もしも五月や六月と同じような数字を、八月と九月で残したとする。

 すると最終的なホームランの数は、最低でも80本には到達するのだ。

 そしてホームランが増えれば、敬遠も増える。

 敬遠が増えれば盗塁の機会も増えるというものだ。


 ここで大介は少し注意された。

 注意してきたのはコーチなどではなく、ツインズであったが。

「六点以上差がついてたら、盗塁は禁止なんだよ」

「もし成功しても盗塁として記録されないし、報復死球があるからね」

 実はその通りで、バッテリーが警戒していないところでの盗塁は、カウントされないという謎ルールがある。

 これもアンリトンルールだ。

 もっとも大介に報復死球をすれば、報復打球が待っている。

 別に自分のためだけではなく、他のチームメイトにそれがされても、積極的に報復打球は行っていくつもりの大介だ。




 報復行為や乱闘行為。

 メンタルの一部はいまだに高校生の大介は、そんなことはあってはいけないと思う。

 と言うか、デッドボールへの罰則はもっと厳しくするべきだと、散々に言っている。

 頭部付近はもちろん、かするならともかく肉体に当たればそこで退場。

 そんなことをすれば、バッターに有利になりすぎるなどと言われるのだろうか。


 報復というのは、ピッチャーであればバッターを奪三振に取り、バッターであればホームランを打つ。

 そういったことで仕返しするのが、本当の勝負というものではないのか。

 乱闘行為など、高校野球ではありえない。

 つまり青少年にとってはありえないことが、プロでは許されているのだ。


 伝統だとか風習だとか、そんな言葉はいらないのである。

 普通に報復などがなくなれば、大介も遠慮なくホームランだけを狙っていける。

 そちらの方がよほど健全ではないか。


 点差がつきすぎた試合では盗塁をしないというのも、それが紳士的な行為ではなく、単純に試合をそれ以上長引かせないことが目的だろう。

 他にもフォアボールを二つ続け、さらにスリーボールになってしまったら、次のストライクは打たないだの。

 甘えているような気もするが、それならまだ分からなくもない。

 ただそんな試合をするぐらいなら、もうコールドを導入しろとは言いたい。


 頭部狙いは危険と言うが、下半身のふくらはぎだって、挫傷となれば走れなくなる。

 そこから変に力を入れて肉離れが常態化すれば、選手生命に関わるのだ。

 当たり前の話だが、スポーツは怪我をするようなプレイは、排除すべきだと大介は思う。

 もっともそんな危険なことを、あえて見たいという人間もいる。

 闘技場の殺し合いを楽しんでいたような、そんな野蛮な民族の末裔だろう。

 もっとも日本にしても近世まで、磔獄門の処刑などは、一種の見世物であったのだが。




 それはともあれ大介は記録を達成した。

 盗塁数は52にまで伸びている。

 ここからフィラデルフィア相手に三戦を行えば、次はオールスターだ。

 大介の場合はそのオールスターとは別に、ホームラン競争にも参加することになっている。


 そしてそのフィラデルフィア戦が終了した時点での、ホームラン競争なのだが。

 もちろん一位は大介で、さらに一本を打って51本となっている。

 そして二位の選手は27本を打っていて、ダブルスコアに近い。

 日本時代と比べても、なんだか自分のホームラン数は多すぎる気がするが、それは試合数と打席数が違うのだから当たり前である。


 詰め詰めのスケジュールで行われる試合は、かなりバッター有利の場合が多く、五打席目が回ってくることも珍しくはない。

 メトロズがピッチャーが弱くてバッターが強いという、典型的なチームだからである。

 ピッチャーのトレードによる補強については、色々と噂されている。

 まだ片言英語の大介よりも、ツインズがネットで拾ってくる話題の方が多い。


 大介はかれこれ三ヶ月をチームで過ごしてきたわけだが、仲良くなるのはむしろ英語圏の選手ではない。

 片言英語のスペイン語やポルトガル語、あるいはオランダ語がネイティブな選手と、下手糞な英語でコミュニケーションを取るのだ。

 杉村は可能な限りベンチにはいるし、試合の作戦はしっかりと翻訳してもらう。

 だが試合が終わったあとや、練習中ではポケットサイズの和英辞典が重宝する。

 そこで思うのは、英語というのはかなり簡単な言語なのだな、ということだ。


 高校時代から普通に赤点ぎりぎりだった大介だが、他の国の選手もそれなりに英語を話すというのは、それだけ普及に適していたからなのだろう。

 たとえばアラブ語などでは、ラクダの状態を示す言葉が、10数語あるのだとか。

 やはりアルファベットは素晴らしいと思う。

 それでも俗な言葉や表現は、色々と通常の使い方とはずれているのだが。




 さて、とりあえず前半戦は終わり、圧倒的な強さでメトロズは首位にいる。

 もっとも失点もかなり多いので、ここからどう補強をするかが、GMの腕の見せ所だろう。

 そして大介はホームラン競争に出ることになり、ルールを教わる。


 四分間の間に、どれだけのホームランを打てるか。

 これをトーナメントで対戦していき、最後まで勝った者に100万ドルが送られるという。

 大介の今年の年俸が600万ドル。

 メジャー契約の最低年俸が70万ドル程度と考えれば、年俸より多い額を稼ぐ選手もいる可能性がある。

 なおここで、同じホームランでも飛距離を出せば、さらに多くの時間が与えられることになる。

 打つだけだったら楽な気もするが、実際のところホームランになるフルスイングは、ダッシュ一本よりもつらい場合がある。

 下手に打ち続けると、あっという間に息切れしてしまうというのも、本当のことである。


 今年のオールスターはクリーブランドで行われるということで、大介もそれに合わせて移動する。

 なお今年のホームラン競争は、かなり注目されているらしい。

 主に大介のせいで。

 二位の選手の27本というのも、消化試合から換算すれば、普通の年なら立派な首位という数字である。

 しかしなにしろ大介が規格外すぎた。


 オールスターは日米変わらずお祭り騒ぎで、レギュラーシーズンとは感覚が違う。

 そろそろ安定期に入った桜も共に、これを観戦しに移動する。

 ちなみにこのオールスター、辞退すればペナルティなどを課される場合がある。

 正直な話、大介としては少し休みたい。

 もっともそれが許されないのが、暫定ホームラン王なのだが。

「ペナルティ払ってでも、来年からは出たくないなあ」

 そう言う大介であるが、さすがに今年は出ないわけにはいかないのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る