第102話 足踏み

 勝負されない。

 大介にとっての、今の一番の悩みである。

「なんでだ?」

「なんでと言われても……」

 問われたところで、杉村になんとも言えるわけでもない。


 ノーブルズとの第一戦でホームラン二本を打ち、その後も打点は稼いでいたのだが、次のクリーブランドではひどい歓迎を受けた。

 三試合で14打席が回ってきて、申告敬遠が八つにフォアボールが二つ。

 最終戦はものすごく勝っていたので、明らかにフォアボール目的の外角を、完全にど真ん中を振って三振をしてみせた。

「白石さん、あれはいけない」

 そうFMからの言葉を翻訳した杉村であるが、スタンドからはむしろ「ウェ~イ」の歓声が聞かれた。

「報復死球してきたら、それをスタンドに叩き込んでやるつもりだったんだけど」

「白石さんじゃなく、他のチームメイトにしてきたらどうする?」

「MLBってそこまで腐ってんの?」

 単純に、上澄みと底辺の間に、メジャーの中でさえとんでもない差があるだけである。


 ただ、クリーブランド・ネイティブズの試合は杉村も不思議には思った。

 現在クリーブランドは、ア・リーグ中地区のトップ争いをしている。

 試合に勝つために大介を敬遠するなら、それはまだ分かるのだ。

 だが実際には試合が決まったような点差になってからも、まだ勝負を避けていた。


 興行的なことを考えれば、たとえ負けてでも勝負をするべきだ。

 いや、もう逆転がほぼ不可能な点差になったなら、積極的に勝負をするべきだ。

 それなのにしなかったのは、なぜなのかという疑問が起こる。

 この試合はネットによって、アメリカ全土はおろか、世界中に中継されている。

 世界的なマイナースポーツの野球といっても、実際にはそれなりに行われている地域は多い。

 そんな中で、MLBの中でも最も小さいと言っていい大介を、巨漢のピッチャーたちが敬遠するのだ。

 そしてそれ以上に、監督の指示で歩かされる。

 これがいったいどう見えているだろうか。


 まともに勝負したらかなわない。

 たとえ一打席でも、勝負などしたくない。

 投げるとしたら、バットが届かない場所へ。

 チームが、FMが逃げ腰であると、ピッチャーも逃げ腰になってしまう。

 だが地区優勝を狙っているネイティブズにとってみれば、単に負けること以上に、大介に打たれることはピッチャーのショックが大きいはずだ。


 弱点はないのかと、色々と分析はされてきた。

 もちろん弱点とまではいかなくても、比較的苦手なボールというのは判別している。

 サウスポーの大きなスライダーで、背中から投げられると打ちにくい。

 いやそれは左打者であれば、誰だってそうだろうというものだ。

 ただ弱点ではないにしろ、傾向さえ見出せれば、そこから手は取れる。




 実際のところ今季のトレード・デッドラインにかけて、ワールドシリーズ優勝の可能性があるチームは、サウスポーでスライダーを使えるリリーフを、優先して集めていた。

 単なるスライダーなら無意味なのだが、MLBの世界までくると、使っているボールの関係から、投げたボールは変化しやすいのだ。

 クリーブランドの場合は、それが間に合わなかったということだ。

 地区優勝のために、それに優先して集めるべき選手が多かったのだ。


 対戦回数こそ多くなかったが、ラッキーズのハワードなどは、確かに大介からの被打率は低い。

 全体的に確かに、その傾向は日本時代から、高校時代から変わっていない。

 大介がこの弱点を直す必要を認めないのは、そもそもそれだけはっきりと打つのが難しいスライダーを投げるものが、絶対的に少ないこと。

 そしてそういったボールであっても、右打席に入ればヒットには出来るからだ。


 ホームランを、大介は求められている。

 だが冷静に頭の隅では、確実に打点を取っていく必要も分かっている。

 次の対戦相手は、アトランタ・ブレイバーズ。

 地区優勝はかなり厳しくなっているブレイバーズであるが、ワイルドカードの可能性がある。

 とにかくメトロズが強すぎるのも確かだが、それでも二位にまで入れば、ワイルドカードでポストシーズンに出られる可能性はある。

 ポストシーズンになれば観客の動員数も、かなりレギュラーシーズンとは変わってくる。

 それにチームの戦力を維持するためにも、勝つことは必要だ。

 また同じ地区ということもあり、なんとかして大介の弱点を見つけたい。


 ブレイバーズはややローテを調整して、まさに左のスライダー使いを第一戦に持ってきた。

 大介はこの試合も、二番バッターとして出場している。

 ここ三試合、ヒットすら打てていない。当然打点も入らない。

 ホームランは五試合も打てていない。


 フラストレーションをためている大介であるが、試合前の練習ではしっかりと打っていた。

 速い球ではなく、遅い球を確実にスタンドに。

 右に、左に、そして真ん中に。

 ホームランになりやすいように、どんなボールにも対応していく。


 そしていよいよ試合が開始される。 

 ホームであるのでまずはブレイバーズの攻撃なのだが、先発クルーガーはあまり安定感はない。

 時間はかかったがそろそろウィッツも復帰してくるということで、リリーフに戻されるだろう。

 初回から三失点し、その裏のメトロズの攻撃。

 先頭のカーペンターが凡退しても、次は大介の打席である。


 うなり声で揺れるシティ・スタジアム。

 ノリは既にポストシーズンだが、季節はまだ八月である。

 それでも大介が、このカードでホームランの記録を達成してしまう可能性はある。

 あとはいつ、その記録を達成するかだ。

 無茶なプレイか、デッドボールで故障でもしない限り、その記録は間違いないと思われている。

(デッドボールも、まあやり返してきたからなあ)

 そんな大介である。


 一度やられたデッドボールだが、その後は基本的に避けるか、バットではじき返している。

 そして明らかにビーンボールを判断できたものは、次の打席ではピッチャー返しを狙う。

 MLBでは報復死球は、それをやってしまった選手ではなく、チームとチームの関係性で、他の選手にされることが多い。

 大介も散々狙われて、こっちも報復しようか、と味方のピッチャーに言われたことはある。

 あまりにもひどい時期はあったのだ。


 ただ大介は、これも止めさせた。

 そしてピッチャーを狙うのも基本的に止めるようになった。

 大介が次に狙うようになったのは、相手側のベンチである。

 それも最終的な作戦を下す、FMだ。


 現役の選手たちは、さすがにそう間抜けに当たることはないだろう。

 そう判断した大介は、目に見えるところにいる、FMを狙ったのだ。

 さすがにピッチャー返しとは違うので、確実に当てることは難しい。

 だがベンチの中を狙うこと自体は成功して、その意図は正確に伝わった。

 なのでここのところ、大介を狙うビーンボールはほぼなくなっている。




 報復は俺がする。

 そしてする相手は俺が決める。

 もちろん狙うべきは、報復を指示する役割の者だ。

 実際は暗黙の了解でピッチャーがそう投げようと、大介はそれを止めようとしない上司を、最終的な責任者と見る。

 何度かのベンチ入り打球で、確かにそれは成功した。

 その気になればホームランに出来るボールで、あえてベンチの中を狙ったのである。


 この行為はひどいものなのか、それとも正当な報復なのか。

 そもそも大介は、報復などを認めていないが。

 MLBでやっている野球というのはベースボールであって、日本の野球ほどにはスマートなものではない。

 大介はこの報復には成功したものの、メディアを大きく沸かせる騒ぎになった。


 もちろん大介は故意であることは否定する。

 そんな打球のコントロールが可能であるなら、普通にホームランを狙った方がいいからな。

 大介自身はそれ以前の、報復という行為自体が嫌いである。

 不可避なものはともかく、間違いなく選手に怪我をさせるプレイは、悪質なものである。

 ビーンボールは間違いなくそんな悪質なものであり、下半身を狙えば大怪我にはならない、などという理屈は通じない。


 ピッチャー返しよりも大介がこれを好んだのには、理由がある。

 それはピッチャー返しなどをしてしまったら、そこから得られるのはせいぜいがピッチャー強襲のヒット。

 だがベンチに打球が入れば、それは単なるファールになり、引き続きバッティングが出来るのだ。

 なおこの報復から逃れる手段は簡単である。

 ベンチの陰に隠れていれば、普通に打球には当たらなくなるのだ。


 報復と言うか、相手を挑発する意味でのベンチ狙い打球。

 そんなことをやっていいのかと、話題にはなる。

 だが大介への明らかなビーンボールは、結論が出る前に減っていった。

 そもそもピッチャーにしてからが、報復打球を受ける可能性を避けるようになったからだ。




 こんな極めて野蛮なことが繰り返されたりもしたが、大介が勝負を避けられる問題は解決していない。

 ただ大介を敬遠しても、スタジアムの中が相手のファンまでブーイングするようになったので、試合では勝てるようになってきた。

 敬遠をしてなお敗北したりすると、そのチームの移動バスには生卵が投げられたりもする。

 ニューヨークであれば相手チームの泊まるホテルの前で、暴徒になりそうな集団が集まったりもした。

 なのでニューヨークにいる間に、出来れば打ってしまいたい。


 大介が記録を更新するというのに、否定的な要素は他にもある。

 それは大介が東洋人だということである。

 かつてMLBにおいては、強烈な人種差別があって、黒人選手が一度いなくなった時期があった。

 MLBの負の歴史の中の一つである。

 その後には少なくとも、黒人選手に対する差別はなくなっていった。

 だが今でも選手に対する人種の構成には、あからさまなものがあったりする。

 球団によってはシャワールームを別に使ったりもしている。


 馬鹿馬鹿しいことだが、かつて日本人は、名誉白人などと呼ばれたりもした。

 そして当の日本人が、それを喜んだりもした。

 MLBの中では、白人の割合が他のスポーツよりも多い。

 だがホームランの記録を持つのは、黒人選手である。


 強烈な反差別の動きは、黒人の人権をかなり高めた。

 だがメキシコ系だの東洋系だの、そういった差別はいくらでもあるのがアメリカだ。

 だからこそそのパワーが、色々なものを生み出すというのはある。

 そして暗黙の了解の中で、東洋人にホームラン王を取らせたくはない、というのもあるのだろう。


 大介は人種差別は受けたことはないし、その感覚も分からない。

 だが世の中の理不尽に対しては、どうすればいいかは知っている。

 怒るのだ。


 その体格だけで甘く見られて、そして起用においては差別されていた中学時代。

 高校に入学してからは、正当な評価を受けていたという自覚がある。

 だがもしも東洋系ということで、合理的でない勝負の回避が成されるのなら。

 大介はあえてボール球でもスイングして、空振り三振をしていくのかもしれない。




 ブレイバーズはカーペンターが塁にいる状態でありながら、大介との勝負を選択した。

 主に使われるのは、背中側から内角に入ってくる、フロントドアのスライダー。

 ボールの軌道はリリースの瞬間は、体に当たるように見える。

 それを避ける動きをすれば、このボールは打てないのだろう。


 大介は避けない。

 エルボーガードもあるし、なんならバットで弾き返してもいい。

 だがこのボールは見極めて、球筋を見る。


 内角のゾーンに決まったスライダー。

 一点豪華主義と言うか、MLBにはこういう優れた変化球を、中心にして組み立てるピッチャーがいる。

 大介はこれを、打てると思った。

 確かにこれまでに、打つのは難しいと思ったスライダーもある。

 だがこのスライダーの角度なら、大介は打てる。

 しかし狙うのは他のボールだ。


 このスライダーを打ってしまえば、大介にはスライダーで勝負しようというピッチャーがいなくなってしまう。

 それならばスライダー全般が苦手な振りをして、いざという時には打っていけばいい。

 なのでこの打席では、あえて他のボールを狙う。

(内角に厳しく攻めたなら、必ず外の球を使いたくなる)

 それは読みと言うよりは、常識である。

 分かっていても外角のボールを、腰の入ったスイングでは打ちにくいのだ。


 二球目、アウトローへのストレート。

 しっかりとコントロールされたボールは、日本のストライクゾーンならボールだ。

 だがMLBのゾーンは外に一つ広い。

 大介はしっかりと踏み込んで、ボールを強く叩いた。


 打球はレフト方向に飛んでいく。

 どうしてもライト方向と違い、レフト方向への打球は少し、フライ性の打球になることが多い。

 レフトのフィールドは、わずかながらライトよりもホームランが出にくい。

 だがそんな誤差は、大介には関係なかった。


 第70号ホームラン。

 片手を上げた大介は、ダイヤモンドを一周する。

 歴代二位タイ。

 まだ九月が丸々残っているのに、ここまでやってきた。


 スタジアムの爆発するような熱狂に、ベンチに戻ってきた大介は、手を振って応えた。

 それがさらに、スタジアムを熱狂させる。

(見たか!)

 いくら逃げても、単に逃げるだけなら駄目だ。

 全身全霊をかけて、勝負して来い。

 大介が求めるのは、更なる強者との対決。

 巨大なMLBの中では、まだ対戦していない好投手が、いくらでもあるのだ。

 意識的にもう、メトロズとは当たらないようなローテになっている気もするが。


 ポストシーズンにまで進出すれば、勝負をせざるをえない。

 大介が狙っているのはその舞台だ。

 このままメトロズが勝ち進めば、自然とポストシーズンにまでは進出出来るだろう。

(まだ終わらないぞ)

 記録よりもむしろ、勝負を重んじる。

 チームが勝たないと、ホームランを打っても面白くないのだ。


 一つの山を越えた大介。

 だがまさかその生涯において、自分の力だけではどうしようもなく、そして自分という存在自体を試される、最も巨大な壁が迫っているとは神ならぬ身では知る由もなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る