第103話 ワールド・ブレイク

 70ホームラン80盗塁。

 どちらかだけならまだしも、同時には達成出来ないであろう記録が誕生した。

 ブレイバーズはその後の試合も、わずかだが大介と勝負。

 ホームランの数は増えなかったが、打点は増えていた。


 ちなみにあまり誰も気にしない記録であったが、シーズン得点記録を、とっくに大介は更新している。

 自らのホームランによる得点も多かったが、明らかにシュレンプの加入後、出塁からホームに帰ってくる回数が増えている。

 それよりはメジャーな打点記録も、シーズン最多打点では歴代四位まで増やしている。

 なお大介が少し気にしているのは、安打記録である。


 MLBには最多安打というタイトルはない。

 ただし大介は、四月の時点で50本の安打を打っていた。

 そのままの勢いであれば、半年のシーズンで300本ほどが打てただろう。

 しかし実際は失速し、200本にも届かない可能性が出てきている。


 別に記録にもならない。

 イチローの262本のヒットは、大介のようなスラッガータイプは打てないのだ。

 だが結局日本でも不可能だった、200本安打を、MLBでは体験してみたい。

 その程度の軽い気持ちではあるが、大介の願いの一つである。


 ただし求められているのはホームランだ。

 ベースボールがかつては野原でやられていた時代から、プロの黎明期。

 ホームランと言えばランニングホームランが主流で、ホームラン王も10本程度でなれる時代があった。

 それを変えたのがベーブ・ルースで、彼はホームランを量産し、予告ホームランとも取れるような動作をしたという。

 その鮮烈な一撃が、観客を魅了したのは確かだろう。


 日本の場合は野球は、アメリカ以上に団体競技であった。

 塁に出てつなぐことが重視され、四番にさえ送りバントをさせることは、高校野球レベルであればよくあったことだ。

 それは現代でも同じことで、大介などはゴロを打てと言われたものだ。

 だが飛ばせる力はあるなら、基本的にはホームランを狙っていくべきなのだ。


 野手がスーパープレイをしようと、スタンド深くに入るホームランを防ぐ方法はない。

 フィールドの中でなら、アウトの可能性は常に付きまとう。

 転がせば何が起こるか分からないというのも、それはそれで一つの理屈ではある。

 だがその転がすゴロも、強い打球を打つ必要があるのだ。

 内野安打を狙うなら、単にゴロを打つのではなく、地面に叩きつける。

 そうすれば大介の足ならば、余裕でファーストを駆け抜けることが出来る。

 中には連携して、そんなバウンドを処理する三遊間もいたりしたが。




「随分と調子がいいじゃない」

「皮肉か?」

 お腹が大きくなってきたイリヤは、最近大介の部屋に入り浸っていることが多い。

 彼女はクラシックから離れた時、音楽家である両親たちからは、距離を置くようになっている。

 なので仕事仲間や信者は多いが、友人と呼べる者は少ない。


 彼女に言わせれば、魂で共感する人間はいるのだとか。

 ただそういった人間とは、同時に切磋琢磨するライバル関係ともなりやすい。

 音楽性の違いというやつだ。

 ケイティなどは友人であるが、他の50歳も年上のミュージシャンであっても、お互いの力は認めながら、それぞれが一つの芸術家であるという自負がある。

 

 個性が強すぎるのだ。

 そしてそれは大介にも同じことが言える。

 だが個性が強くても、上手くいく場合はある。

 ツインズとイリヤの関係は良好だ。

 人を人とも思わないツインズにとっては、ごくわずかな友人と言えよう。

 イリヤに加えて明日美あたりが、ツインズにとっての数少ない友人だ。

 こいつらこんなに友達少なくて大丈夫なのかとも思うが、下僕や信者はいっぱいいるので、どうにかなっているのだろう。

 古代ローマも奴隷の存在なくしては、その栄華を極めることは出来なかったのだろうし。


 リビングで寛いでいるイリヤだが、別に単純に面倒なので食事を作ってもらいにきただけというわけではない。

 ちゃんと今の大介にとって、必要な手土産を用意しているのだ。

「今日あたりから、色々と言われるようになるわよ」

 そのイリヤの言葉は、確かにすぐに大介の周囲へ影響を与えるようなものであった。




 メディアを制した者は世界を制す。

 インターネットの発達によって、既存の大手メディアはその影響力を減少していった。

 かといっていまだに、肩書きがその人間の発言を大きくする。

 何を言ったのかではなく、誰が言ったのかが問題なのだ。


 影響力を与える力の強いミュージシャンや芸能人関連が、最近のMLBの様子に対して発言するようになった。

 主に大介に対する、あまりにも多い敬遠について。

 MLBのプレイヤーともなれば、スーパースターである。

 スターにはそれに相応しいプレイが求められるし、観客やファンはピッチャーが一球も投げることなく、ただ監督が申告敬遠をする姿を見にきているわけではない。

 そうやって痛烈に、大介への対応を批判し始めたのだ。


 アメリカにおける芸能関連というのは、差別や多様性という言葉にひどく敏感である。

 妻を二人も持つという大介に対しても、寛容なのはそのためだ。

 あまりに多様性などといきすぎると、それはむしろ不寛容になるのだが、この場合はそれが上手く働いた。

 東洋系でここまでのスーパースターの記録を抹殺しようというのは、やはり人種に対する差別ではないのか。

 アメリカの社会というのは人種差別と言われると、途端に頭が悪くなる傾向にある。


 一人のバッターが勝負されないことに対して、ニューヨークでデモが起こった。

 これまでにも起こったことはあったが、その規模が違う。

 イリヤの関わる人間というのは、社会の上層も下層も、とにかく幅広い。

 その伝手を利用すれば、この程度のことは起こせるというわけか。


 ニューヨーク市長がデモに対する沈静化を呼びかけたが、それが影響することはない。

 もうどうしようもなくなって、大手メディアが大介の発言を必要としてくる。

 球団としても大介のコメントで、ある程度の事態を収めたい。

 熱狂と言うよりは狂気が、ベースボールというジャンルを越えて、社会問題になってきている。


 まさかこんなことにまでなるのか、と大介はテレビを見ながら思っていた。

 大介を敬遠しまくったクリーブランドの球団事務所などには、様々な媒体で抗議のメッセージが届いているらしい。

 あるいはその球団事務所やスタジアムに、生卵がぶつけられているという。

 ひどいものだとそのまま暴動に発展した場所まであった。

 なんだかもう、理由はどうでもいいから、とにかく暴れたいと考えているだけの気もする。

 そしてその大介の予想は正しい。




 球団が大々的に設置した会見で、大介はコメントすることになった。

 アメリカの三大ニュースなどは全てやってきているし、それ以外の媒体も色々とやってきている。

 これに対して大介は、スピーチ原稿を他の者に頼むわけにはいかなかった。

 英語でよければ私が、などとイリヤは言っていたが、それなら日本の瑞希に頼む。

 イリヤはだいたいこういう時、人類愛とあを持ち出したり、逆に挑発したりするのだ。


 大介の中身は、これだけ社会を動かす人間になってしまっても、やはり一人の野球少年のままである。

 なのでこの事態には、不本意であるのは間違いない。

 野球を理由に蛮行を正当化するな。

 これは別に差別でもなんでもないのだ。


 こちらに来てから改めてしつらえたスーツを着て、大介は会見することになる。

 多くのマイクを前に、そして多くのカメラを前に。

(俺、ただの野球選手のはずなんだけどな)

 おそらく今、アメリカにおいては大統領の名前より、大介の名前の方が有名になっているだろう。

「まず、人種差別であるとか、そういったものは一切ない。それを理由として抗議の声を上げたり、激しいデモを起こすことはやめてほしい」

 平和主義の日本人は、まずそう言い始めた。

「野球をずっとやってきて、これまでにも何度も、勝負を避けられることはあった。それは日本でもあったことで、レコードを更新するほど、たくさん勝負を避けられることはあった。だからアメリカで、差別だということではない」

 とにかく暴れたい人間は、どうにか止めなくてはいけない。


 日本にいたころも大きな影響力は持っていたが、それがここまでの騒ぎになってしまったのは、イリヤが煽ったせいでもある。

 大介としては確かに、今の全く勝負されない状況はなんとかしたいが、だからといって自分のせいで、暴動が起きるなどは困るのだ。

「日本とアメリカでは確かに野球において、ルールは同じでもマナーは違うことはある。だからそれは仕方のないことだと思う」

「勝負を避けられたり、あるいはぶつけられたことに対して、報復の打球を打っているとも言われてますが」

「え~、なんだって? あ、報復打球ね」

 通訳が入って時間が空くのは、大介が話すのには逆に都合が良かった。

「他のメジャーのバッターにも聞いてみたら分かると思うけど、報復でピッチャーを狙うとかベンチを狙うとか、そんなことは出来ない。ピッチャー返しは確かに一つの基本だけど、俺たちはベンチの中にボールを打ち込む練習なんかはしてないんだ」

 しなくても出来る人間はいるが。


 大介の言いたいことはそれではない。

 人種差別や、やたらと多いドーピング検査など、それは別にいいことなのだ。

 この記録はクリーンなものであると、誰もが認めてほしいから。

「俺がこの国にやってきたのは、挑戦とかでもない。ただ、まだ戦っていない相手と戦いたかったから。それにとてもタフなシーズンは、確かに疲れさせてくれるものだ」

 メジャー挑戦、という言葉だけは大介は使わなかった。

 ただ当たり前のように、たくさんの勝負が出来る場所を選んだのだ。

「全ての野球に関わる人に考えてほしいのは、自分たちが今、なんのためにプレイしているかってことだ。俺はもちろん、自分を支えてくれて、応援してくれる人のためにプレイしている。そういった人に恥ずかしいことだけは避けたい」

 実際に大介は、とてもフェアな人間ではある。

 フェアであるだけでどうにかなるほど、実力差があるとも言えるが。

「アメリカにおいて野球は、とても歴史の長いスポーツだ。これまでに多くのスーパースターが出て、たくさんの人を喜ばせてきた。もちろんその歴史の中では、悪いことも色々とあった。でも今、俺はそんなことは求めていない」

 求めるのは、お互いの力と力、技と技の勝負である。

 逃げまくる姿などは、誰も求めていないのだ。

「ただ日本には俺と勝負して、被打率二割というピッチャーや、ホームランはおろかヒット一本打つのがやっとのピッチャーもいたという事実は知っておいてほしい」

 最後にちくりと刺す大介であった。




 メディアの論調はおおよそ、この事態の収拾をするにはどうすればいいか、分かるようになってきた。

 要するに正々堂々と、ピッチャーが大介と対戦すればいいのだ。

 もちろん試合の要所において、敬遠をするのは悪いことではない。

 だが試合の最初、ランナーもいない状態から、大介を敬遠するのは許容できない。

 スポーツマスコミはおおよそ、そういった論調にまとめることにしたようだ。


 かつてハンク・アーロンが白人のベーブ・ルースの記録を抜こうとしたとき、黒人に対するアーロンに対しては嫌がらせや、脅迫が相次いだという。

 それを必死で隠していたアーロンだが、ふとしたときにそれがもれて、そこからはアメリカ中から逆に激励のメッセージが相次いだという。

 アーロンのような目に、大介を遭わせてはいけない。

 実際のところ大介は、それほど明白な差別も脅迫も受けていない。

 通算記録ではないというのもあるし、そもそもダーティ・レコードであるので、これはむしろ塗り替えてほしいと思う者も多かったのだ。

 たださすがに、大介のような小男に塗り替えられるのは、我慢ならんと必死で投げてくるピッチャーもいたが。

 だからこそ大介の打率は、五割には全く届かないわけである。


 またやはり、イリヤのまとめたインフルエンサーが、ほぼ完全に大介を支持したことも大きかった。

 MLBの中でも大半は、大介のホームラン量産ペースからして、シーズン記録を塗り替えるのはもう、止めることは出来ないと思っていた。

 そんな冷静な判断の中で、それでも何度となく敬遠をされてきたわけだが。


 八月の終盤、シカゴ・ベアーズやフィラデルフィア・フェアリーズとの試合では、大介に対する敬遠は完全に減った。

 そして大介もあまりにこれまで報復打球を繰り返していたせいで、スタンドにちゃんと打球を飛ばすのが、少し感覚が鈍っていた。

 それでも打点は積み重なり、とりあえず年間打点記録は問題なく塗り替えそうである。

 あとはホームランを打つ感覚を取り戻して、九月の間に四本のホームランを打てばいい。

 そしてそれはさすがに、大介にとっては簡単なことになるはずであった。




 人間の世界には、光と影がある。

 光のある場所で輝く人間に対して、どうしてもその恩恵を受けられない人間がいる。

 また光の中で笑う人間を、どうしても許せないと思う人間もいる。

 悲しいことだが人間とはそういうもので、その悲しささえも許容することが、人間が成長するための力になるのだろう。

 否定できない人間の暗黒面だ。


 イエローの、チビが、スーパーヒーローになる。

 既にその流れは、変えられないところまできている。

 なぜこんなことになったのか。

 いや、そんなことになるのは、間違っていると思い込む人間がいる。

 歪な思考を、そうと判断できない混沌さえ、ニューヨークは飲み込んでしまっている。


 ニューヨークは人種の坩堝。

 明るい面もあれば、例えようもなく荒んだ面もある。

 自由ではあるが、また貧困や暴力も存在する。

 それがこの世界最大の都市だ。


 そしてその中のいくつかの要素が絡まりあうと、時代を逆行させるような力になったりもする。

 もちろんそれに対して、カウンターとなる力もあるが。


 大介はこれまで、なんだかんだ言いながら、ずっと光のあるところを歩いてきた。

 それが彼の野球であり、ホームランのパワーはある意味、正義のような明るいものであったのだろう。

 しかしこの世の中には、想像を絶する悪意というものがある。

 その自分勝手で利己的で、それでいてどうにも人間的である魔手は、まだ人類世界から消えてはいない。

 悪意に対してどう挑むのか。

 大介のその人生において、最も悲しい戦いが迫ってきていた。

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