第61話 歪んだ価値観
白石大介の価値を日本ではなく、MLBの人間が判断するとき。
どれだけNPBでの成績を見て、また実際にプレイする姿を見ても、そして体格的に近いMLB選手がいたという事実を踏まえても、どうしてもその身長や体重に対して疑問が浮かぶらしい。
ピッチャーではなく野手である。
NPBとMLBではスケジュールのタフさが違う。
そう言ってどうにか、大介が通じない理由を見つけようとする。
それはあるいは、WBCやそれ以前のワールドカップにおいて、大介がMLBのスターに育ったピッチャーを、散々に打ち砕いた事実を消したかったからかもしれない。
本当の最強のバッターが、MLBを無視している。
既に本当の最強のピッチャーに加え、バッターでさえもが、世界最高のリーグであるはずのMLBを。
数字や確率で判断しなければいけないはずの人間でさえ、己の立っている基盤を揺るがす者には、正しい評価が出来ない。
雄大な体躯を持つ上杉が家庭の事情でMLBに来ないことを喜び、大介はそもそも興味がないのを自信がないからだと上書きする。
そういった人間の業は、どんな時代のどんな場所でも存在するらしい。
日本担当のMLB球団ニューヨークメトロズのスカウト、ウィリアム・杉村は日系三世である。
日系人同士の間の結婚から生まれているため、人種的には完全に日本人だ。
だがアメリカ生まれで思考などはアメリカナイズされているが、そのアイデンティティには日本人としてのものがある。
経済戦争時代には、日米摩擦があったとも聞くが、それも遠い昔になった時代に育った。
あえてルーツをたどるために学んだ日本語が、将来の道を切り開いたと言えるだろう。
スカウトもしているが、アメリカに戻って日本人選手のマネージャーをすることもある。
もしも大介を獲得したとしたら、おそらく通訳をかねて付かされることもあるかもしれない。
現在のメトロズに通訳の必要な日本人選手はいないが、大介は経歴を見ても英語をネイティブレベルでは喋れないと思ったからだ。
(ショートか……)
アメリカのベースボールでは、ピッチャー以上の花形とさえ言えるポジション。
およそ身体能力の一番優れた選手が、ショートを守ることは多い。
そして大介はあの打撃力を誇りながら、同時にショートとしても日本最高の守備力を持っている。
いや、ショートをこなせる身体能力が、そのまま打撃にも直結しているのか。
大介の守備は、球を捕ったらどんな体勢からでも投げられる、というものだ。
基本に忠実ではないと言われることはあるが、基本とはつまり、一番アウトに出来る選択をすることであり、実際には体勢を整えてから投げることも多い。
だが内野安打になりそうな場面では、素手で捕ってそのままジャンピングスローをするような、アクロバティックなプレイもする。
はっきり言うと、日本人らしくない。
そのルーツをたどると、小学校や中学校ではなく、高校時代に守備の形が出来たことが分かる。
当時の監督が集めた守備コーチは、MLB流を教えるアメリカ人であったのだ。
前にチャージして捕りやすいところか、あるいは膝を柔らかく使ってバウンドの直後を捕る。
イレギュラーするような打球であっても、着地の瞬間に捕れば問題はない。
逆シングルで普通に捕って、下手に回り込むこともない。
大きく右に傾いた上体から、体幹を使ってそのまま肩の力だけでファーストに投げることが出来る。
打撃力はともかくネックになりそうなのは守備かと思っていたら、実はむしろそちらの方が凄くて驚いたでござる。
さすがにルーキーイヤーからショートで毎年ゴールデングラブを取っているだけはある。
そして一番大事なことは、そのショートのポジションで故障していないことだ。
膝や腰など、ショートは関節の腱や靭帯に巨大な負担がかかるのにだ。
これまでに怪我などをしたものは、走塁でのクロスプレイ、デッドボールによるもの、主にバッティングによるものが多い。
一番目立つこのバッティングは、MLBレベルでも通用するのか。
(通用すると思いたい)
ルーツをたどり、自分の血の中にある日本人としてのアイデンティティ。
大介が活躍してくれることを、強く望む自分がいる。
過去の大介の発言などを見ても、MLB志向というものは見えない。
ルーキーの頃は将来MLBに挑戦したいかなどと、頭の悪そうな質問を受けていた。
それに対して答えるのは、日本に世界一のピッチャーがいるから、それに勝つのが先、というものであった。
ワールドカップで、既に160km/hのボールは簡単にホームランにしていたし、それはWBCの代表としても同じであった。
102マイルの球ならば、大介は簡単にホームランにする。
単純なスピードなら、既に大介の弱点ではない。
あくまでもスカウトとして、大介の弱点を考える。
粗探しというわけではなく、スカウトとしては必要なことなのだ。
だがどうしても弱点らしい弱点が見つからない。
体格が弱点に思えるが、残している数字がその憶測を無意味にする。
強いて言えばスタミナの上限が見えないことか。
MLBは移動による時間拘束が長く、NPBよりも休みが少ない。
大介の体重は、その間に減っていくのではないか。
あとはメンタルの問題だろう。
大介は甲子園優勝からドラフト一位指名と、エリートコースを歩いてきたように思える。
だが甲子園に出場したのは、大介が入学してからが初めてだ。
本を読んでも中学時代は、ほぼ無名の選手であったことが分かる。
ただこれまで日本で満足していた人間が、アメリカに適応出来るだろうか。
単純にハングリー精神がどうのこうのではなく、文化が全く違う場所に住むのだ。
ニューヨークは関西とは違う。甲子園のある地区とは違う。
単純な海外経験なら国際戦で豊富だろうが、シーズンを通してとなると別だろう。
日本で頂点を取っていたが、アメリカではまた一からスタートだ。
いやさすがに一からではないだろうが、多くの背中を追いかけていくことになる。
この環境の変化のギャップに、本人が耐えられるのだろうか。
また周囲に合わせていくことも必要だろう。
杉村クラスのスカウトであれば、日本の事情もよく調べていて当たり前であるが、アメリカのマイナー選手の中には、MLB以外のリーグは全く知らない者さえいる。
あれだけ活躍したNPB選手がいて、4Aとも評価されるNPBを、A程度と考えている。
盲目的な無関心が、それを生む。
そしてそれがGMであるビリーですら例外ではない。それがアメリカ人なのだ。
現在生粋の日本人選手でMLBにいるのは、どの選手もそれなりに活躍している。
NPBを経ずにMLBにやってきた、坂本のような例もある。
日本最強のバッターがどれだけの記録を残せるかで、見方はおおよそ変わるといっていいだろう。
これまでに何度か日本人プレイヤーは、MVPを取っているのに、まだ足りないのだ。
上杉が致命的な故障をして、その姿がMLBでは二度と見られないようになったのは残念だ。
パワーやスタミナなど、最もMLBに分かりやすい選手だったのに。
ただ大介の身辺調査をしていく中で、杉村は今年の日本シリーズに夢中になっていた。
厳密に投球制限がされているMLBにおいても、プレイオフでは話は別で、エースがガンガンと投げてくる。
だがそれに比べても、佐藤直史の起用は頭がおかしかった。
中四日というのは、MLBのレギュラーシーズンでもよくある話だ。
だが直史はそれを、投球制限内の球数で完投しながらやっているのだ。
中四日、中四日、中三日、中二日、連投。
これは絶対にMLBでもしない。クローザーなら話は別だが。
杉村は大介の成績を調べていく上で、直史のことも調べていくこととなった。
彼が日本の担当スカウトとなったとき、直史は野球からは半引退状態であった。
ただ大介だけではなく、他の選手を調べたときにも、その名前がちらつく。
NPBならばともかく、甲子園や大学リーグは、基本的に杉村は調べない。
MLBでも他の球団なら調べているところもあるが、メトロズの方針は、実績があって安く短く使える選手を取ること。
セットアッパーの務まりそうなリリーフ投手を取ることが今では多い。
直史の実績は、ある意味大介以上に異常すぎる。
ハイスクールとカレッジのリーグなので、NPBよりはレベルは低い。
だがそのアマチュア時代に、WBCでMVPに選ばれているのだ。
当時はアメリカでもインタビューを受けていたが、野球はあくまで趣味の一環で、将来的にはホワイトカラーの仕事に就くと言っていた。
それが26歳でドラフト指名され、27歳の今年にデビュー。
そしてMLBであれば間違いなくサイ・ヤング賞を取るような成績を収めている。
大介は分かるのだ。
だが直史は分からない。
コントロールと球種だけで、どうしてここまでノーヒットが記録できるのか。
ボール球でストライクカウントを奪い、そしてボール球を振らせることが出来る。
何か普通の人間とは、違う基準で野球を見ている気がする。
過去の投球を見ても、まるでバッターが何を狙っているのか、分かっているような――。
(いや、それはさすがにオカルトだ)
そんな中で杉村は、再びドン野中と会うことになる。
そして彼の背後にいる人間にも。
杉村はようやく、話の詳細が分かってきた。
大介のことはGMのビリーも、WBC以前から注目はしていたのだ。
そう、あの特別なワールドカップの時から。
予告ホームランに場外ホームラン。
骨折して逆の打席に入ってホームラン。
スタンドがステージになってしまったとして、有名にもなった。
杉村はまだ、大学生であったが、あれは話題になっていた。
ビリーにも情報は上げたが、MLB志望が全くないとなって、スカウティングの候補から完全に外していた。
それが日本国内の事情で、MLBへの移籍を考えるようになった。
確かにまあニューヨークは、性的な人間関係に寛容な街だ。
これがアメリカでも田舎なら、聖書を科学と思っているアホがいる州も普通にあるのだが。
ただ杉村としては、不思議であった。
彼女はアメリカにおいては、魔女と呼ばれることがある。
それがもう通り名のようなものだ。
ボストンやアナハイム、他にも幾つかの球団にコネクションがある。
そしてNPBにおいては、レックスのフロントの一人だ。
大介と彼女の間には、もちろん関係はある。
彼女が日本の高校でフィールドマネージャーとなり、弱小校を一変させたのだ。
ただ正確には、才能のある選手をたまたま見つけたため、とんでもない記録が達成されたとも言える。
レックスの人間としては、ライガースの主力を放出するのは、他チームの弱体化になるので分かる。
しかしその移籍に関して、何を狙っているのか。
だがその奥底までは、杉村の知るべきことではない。
彼はただ大介の情報を精査し、契約に至る道を作ればいい。
それがスカウトの仕事なのだ。
「600万ドルにオプションで翌年の1800万ドル、それとインセンティブですか」
杉村の隣に座る野中を、睨むように見つめるセイバーである。
高給焼肉店の個室で、秘書の早乙女と共に対面する。
MLBの契約は、メジャーにまで上がらなくても、普通に代理人がついてくる。
その契約内容があまりにも雑多なところにまで及び、把握しきれないことが多い。
アメリカは契約社会なのだ。
契約は単純に年俸や、プレイのことだけに及ぶわけではない。
生活や待遇、通訳をつけるか否か、また家族に対してチケットを渡すかどうか、家族との時間をとるためにどれだけ試合を離れてもいいか、それ以上休むには何%のカットが必要か。
ケアする医者の手配や、契約の破棄の詳細まで、とにかく日本の10倍や20倍では済まない。
セイバーはもちろん、それを分かっている。
インセンティブの種類にしても、タイトルだけではなく、それぞれのバッティングなどの成績の数字にかかってくる。
だが大介の場合は、もっと単純なものにしていく。
いくら日本で70本を打っていたと言っても、MLBの方が平均的な投手の力は高い。
だからホームラン王は無理だろうと、GMのビリーは言っていた。
杉村は可能だと思っている。
そこから話すのは、大介のことではなく、現在のメトロズの状況になった。
ベテランの高額年俸選手を放出し、今は再建の途中にある。
上手くそれが進めば、コンテンダーになるだろう。
コンテンダーとはつまり、優勝を狙えるチーム、というものだ。
NPBなら嘘であっても不可能と思っても、優勝を狙うのが原則であろう。
だがMLBの楽しみ方は、もちろんずっとファンではあっても、違うものになっているのだ。
定期的に選手は入れ替わり、新しいチームを構築して、数年から10数年ごとに優勝を狙う。
メトロズは解体してからまら、再建中ではあるが、、もしも大介の活躍次第では、いきなりそのコンテンダーになる可能性もある。
シーズン途中でチームの状況が良かったら、急遽トレードでベテラン選手を補強し、優勝を狙っていくこともある。
FAまでもう一年とか二年というピッチャーなどは、そのトレードになりやすい。
このチームの完全な有様の違いは、大介を混乱させるかもしれない。
だが21世紀以降、MLBでは一つのチームがワールドチャンピオンになり続けることは、ほとんどなくなっている。
貧乏球団でも工夫次第では、優勝を狙えるコンテンダーになれるのだ。
メトロズの場合は、オーナーが金持ちだ。
現在は再建中なのでペイロール、いわゆる年俸総額を抑えているが、その気になればその枠を一気に増やす資本力がある。
大介がニューヨークを志望していながら、なぜラッキーズを選ばないのかは、そのあたりも関係している。
ラッキーズは毎年のようにスター選手をそろえる、既に年俸総額の高いチームだ。
そこに大介をフィットさせるなら、払うぜいたく税の金額がまたどんどんと増えていく。
だから同じニューヨークでもメトロズなのだ。
日本人が、ショートで、ホームラン王になる。
それはアイデンティティに日本を持つ杉村にとっても、魅力的なことだ。
いや、日本人がというのは違うのかもしれない。
大介なら、まさかこの時代に、MLBでも四割を打てるのではないか。
さすがにそれはないはずなのだが、それでも期待してしまう。
打者有利の球場で、唯一ノーヒットノーランをしたピッチャー。
それが日本人である。
年間最多安打の記録更新。
それもまた日本人である。
大介ならやれそうなことは、単純な素晴らしい成績ではない。
他の誰もが出来ないような、そんなとんでもない数字を残してしまうのではないか。
ばくばくと肉を食べながら、セイバーは色々と話す。
とりあえず大介が望んでいるのは、ニューヨークの球団ということだった。
そこもまたメトロズに話を通した理由になるのだろう。
セイバーと大介の親密さを、杉村はもちろん野中さえ知らない。
だが高校時代の、恩師という意味では、確かにセイバー以上の人間はいない。
杉村が尋ねたいのは、もう一つあった。
それは直史もMLBに来ないのか、というものであった。
プロ入りを否定していた直史が、オールドルーキーとして活躍した今年。
空前絶後の大記録を残しているが、そのフィジカルには大介以上に疑問が残る。
日本のピッチャーがアメリカで通用しない場合があるのは、ボールへの適性というのもその一つだろうが、先発の運用方法にもよるだろう。
NPBの球団は現在、ほぼ全てが六人ローテを採用している。
それに対してMLBは、五人ローテか六人ローテ。かなりが五人ローテだ。
そして連戦が多く休みが少ないため、中四日で投げることも多い。
球数制限をして、疲労がたまらないようにはしている。
だが考え方によっては、短い間隔で投げる場合、肩を作るために投げる球数も増えるのだ。
ならば一度に投げる球数を増やしても、登板間隔を空けた方がいいのではないか。
イニングでピッチャーを管理するなら、そういう考え方もある。
ただ、直史は今年の新人だ。
FAまでは遠いし、ポスティングも早々すぐには認められないだろう。
だから杉村が尋ねたのは、本当に話の種としてだけであったのだ。
「佐藤君は国際戦、一度も負けてないですからね」
だからそう言葉を発したセイバーの目が、怪しい光を発していたのには驚いた。
まだ何か、この先にも動きがあるのだ。
センセーショナルな何かが、この魔女の脳の中で組み立てられているのか。
それはとても期待させられることで、同時に心臓に悪いことなのかもしれない。
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