第126話 帰国
大介にとってのストーブリーグは終わった。
とりあえず契約期間は延ばし、しかも条件は良くなった。
三年間。
直史と対決するための時間である。
MLBにおいてはNPBと違い、基本的に選手がその契約内容を隠すことはない。
金銭のやり取りを汚いものと考える、日本の価値観からは自由だからか。
もっとも本当に綺麗ならば、それこそ契約内容は全て明らかにするべきだろう。
このあたりセイバーの薫陶のある大介は、NPB時代から全て明朗にしている。
そしてようやく帰国の途に着いた。
空港で騒がれることは考えているため、プライベートジェットを有するセイバーの友人が、日本へ向かうのに同乗させてもらったりした。
椿の足はなんとか歩く程度のことは出来るが、やはり杖なしでは重い物は持てない。
嫁の車椅子を押すのは、トレーニング代わりの大介である。
桜は両手に赤ん坊を抱えているので仕方がない。と言うか出産から二ヶ月、母乳で育てながらそこまで回復しているのがすごい。
千葉にまでは戻ってきたが、母の実家には大介の部屋がもうない。
母の再婚先にも、大介の部屋はない。
よって嫁の実家に戻ってきた大介である。
ここは嫁の部屋が保存されている。広い田舎の家、万歳である。
こちらも戻ってきた直史が、正月もここで過ごすのか、と大介に問いかけてきた。
前日までは東京で、NPB AWARDSに出ていた直史である。
だが大介は、北海道に行く用事があった。
そのためツインズをここに残して、一人飛行機で北海道の牧場に向かうのだ。
「この寒いのに、さらに寒い北海道に行くのか」
直史は少し呆れていたが、大介としては重要な話があると言われては仕方がない。
本当はツインズも行きたがったのだが、孫を見せよと珍しく止める両親に、留守番役となってしまったのだ。
なんなら孫だけを置いて、昇馬だけは連れて一緒に向かうぐらいの勢いだったのだが。
しかし足場の悪い冬に、今の椿が外出するのは、その点でも確かに危険であった。
事前にある程度の話は聞いていた大介である。
飛行機で北海道に飛び、サンカンオーの繋養されているスタリオンセンターに招かれる。
「電話でも話しましたが」
サンカンオーの血統は、父方は日本では主流血統で飽和している。
しかし母系が非主流血統であるので、まだしも花嫁を集めるのはそこそこ出来ていた。
種牡馬成績はほどほどといったところ。
だがそこに今年の秋、アメリカで育成された馬が大きなレースを勝ったのである。それも二頭。
サンカンオーの血統は、アメリカでならばまだまだ非主流だ。
あちらにこの血統を入れたいという申し出が、アメリカの牧場からあったのだ。
つまりサンカンオーを移籍させる、というものだ。
サンカンオーの権利を、一部は持っている大介である。
そして事前に聞かされていたので、一応結論は出しているのだ。
生物にとっての幸福というのは、やはり己の血が広く残っていくこと。
それを思えば、今向こうでホットになっているサンカンオーを、アメリカに連れて行くというのはいいことなのかもしれない。
生まれ育った故郷から離されるのはどうなのか。
そうとも思うがそれを言うなら、ここはサンカンオーの生まれた牧場でもない。
サラブレッドというのは経済動物だ。
ならば長く生きられる、血を広げられる場所へ連れて行くのが、幸せなのだろうか。
アメリカなら、見に行くことが出来る。
自分はちょっと難しいが、ツインズであれば。
北海道と違って、温暖な地域でのんびりと過ごす。
寒さにはそれなりに強い馬にとっては、どちらがいいのか大介には分からないが。
「まあ、いいですよ」
サンカンオーの権利を持っている中で、大介はその権利の最大の所有者だった。
他の者も持っているが、そちらは説得できているのだ。
これでサンカンオーのアメリカ行きは決まった。
SANKANO
そのまま読めばサンカノというアルファベット圏の名前に見えなくもない。
この血統が世界のどこまでに広がっていくか、それはまだ誰も知らないことである。
既に雪に覆われた放牧地だが、サンカンオーは元気に動き回る。
さすがにこの天気で、足元が危ないと走り回ったりはしないらしい。
「おーい、元気か」
柵越しに大介は声をかけるが、じっと見るサンカンオーにはあまり歓迎の色が見えない。
なんだこいつ お前 ちゃんと女の子と一緒に来いよ
サンカンオーは人間の女の子が好きなので、そんなことを考えたりしているのだが、それは人間には分からないことである。
大介は寒い中、ぼんやりとそれを見ている。
種牡馬であるサンカンオーはその価値から、他の馬とは柵で分けられている。
万一にも喧嘩になって怪我でもされたら大変だからだ。
まあ久しぶりだし 撫でさせてやってもいいぞ
「おおう、相変わらず人懐っこいなあ」
大介はわしわしと首や顎を撫でるが、その強めのマッサージが気持ちいいサンカンオーである。
「来年からアメリカだってさ。暖かい場所だからそれはいいんだけどな。夏も日本に比べれば過ごしやすいし」
大介は語りかけ続ける。
「俺は忙しいからあんまり行けないけど、うちの嫁が行くからな。赤ん坊を食うなよ」
お前はいらん 嫁をよこせ
両者の間には、全く意思の疎通は見られない。
またお互いの機嫌が分かっているわけでもない。
それでもなんとなく認め合っているように見えるのは、やはり種の違いを超えて、認められた存在ということがあるのだろうか。
サンカンオーの四代前の父系先祖は、一時期はアメリカでもかなりの勢力を持った。
しかし北の踊り子の系譜と、探鉱者の系譜が今では強烈だ。
もっともアメリカは広大。
マイナー血統がしっかりと残っている。
日本はあの狭い北海道でしかほぼ馬産を行っていないところが、血統の飽和の原因となっているのだ。
ヨーロッパもまた、国によって伝統的な血統が残っていたりする。
アメリカ最大の競馬の祭典と言えば、ケンタッキーダービーを除けばやはりブリーダーズカップデーとなる。
時期的にポストシーズンを勝ち進んでいれば、それを見に行くことは出来ない。
だが向こうで10年ほどもやっていれば、中にはチーム力の低下でそこまで勝ち進めないこともあるだろう。
大介は40歳までは頑張って現役を続ける予定である。
実は野球と競馬には、ある似た現象がある。
それは日本においては青田買いが多く、アメリカでは実績を見るというものだ。
日本のサラブレッドは下手をすれば、まだ生まれる前から買い手が決まっている場合がある。
生まれてすぐに買い手が決まって、一歳になっても決まらないのは、落ちこぼれ打と見なされたりもしたものだ。
日本のプロ野球が、高卒からすぐに主力として使うのに似てはいないだろうか。
MLBではどんなトッププロスペクトでも、ルーキーリーグから始まることはほぼ間違いない。
10代のうちにメジャー昇格などというのは、例外中の例外なのだ。
アメリカのサラブレッドはある程度育成が済んでから、やっと売り物になっていく。
血統のいい牝馬であれば、もうレースに出すことなくそのまま、繁殖用に買われていったりもするが。
「またお前の子供でも買おうかなあ」
大介の言葉は実現する。
ただしその子供は、レースでたいした活躍もせずに終わるのだが。
大介の強運も、常に発動するというわけではない。
日本語が周囲に集まっていると落ち着く。
アメリカにいる間は気が付いていなかったが、周囲の言葉が理解出来ないというのは、大介にとってでさえストレスになることであったらしい。
北海道だろうが東京だろうが実家だろうが嫁の実家だろうが、日本は日本。
外国でしばらく過ごしたことによって、大介は改めて自分は日本人なのだなと認識する。
将来的なことも考える。
自分ひとりに関わることではない。自分にはもう妻が二人、息子が一人、娘が二人いる。
椿は少し苦しくなったが、桜はその分もどんどんまだまだ産むつもりらしい。
野球チームが作れるぐらい、と以前には言っていた。
昇馬は既に赤ちゃんパワーを発揮しているが、里紗はどうなることなのか。
伊里野については、初歩的な音楽についてなら、ツインズが教えられるが。
イリヤの遺言には、ケイティか恵美理に頼むと書いてあった。
ケイティはイリヤにとっては、特別な友人だった。
恵美理とはそこまでの関係ではなかったが、二人の付き合い自体は長い。
そしてどこか危なっかしいところのあるケイティよりは、恵美理に頼むと書いたのも無理はない。
考えてみれば大介は、恵美理とももう親戚なわけであるし。
引退したら、日本に戻ってくる。
大介は間違いなくそう決めている。
40歳までプレイしたとして、そこから日本に戻ってくれば、丁度昇馬は高校に上がる頃か。
おもちゃにゴムボールは渡してあるが、右で投げたり左で投げたりと、両利きの母親の真似をしている。
将来は両利きのピッチャー爆誕かな、などと大介は思わないでもないが、さすがにそれは無理だろう。
年が明けると、武史の一家がやってきた。
実は武史の方も、今年は二人目が生まれてきていたのだ。
こちらも一人目は男の子、二人目は女の子という順番である。
あえて佐藤一族と言ってしまうが、この中では四兄妹の母と、恵美理の関係が一番微妙である。
仲が悪いというわけではないが、何かあったら仲が悪くなりそうな感じと言えば分かるだろうか。
そもそも直史は主に祖母に育てられた。
それに比べると武史は、母に育てられた部分が多い。
母親としては家の総領である長男より、気軽に育てた次男の方に意識が向く。
なのでその妻たる恵美理とは、関係性に緊張感がある。
恵美理はもちろん悪人ではない。
だがヨーロッパの血が入っていて、その生活習慣や常識が、日本のそれとは違うことが多い。
あちらの家ではむしろ武史が、面白そうにあちらに合わせている。
それが日本の家であると、勝手が違うのだ。
そもそも恵美理は正座が出来ない。
もっともツインズも正座は出来なかったりする。
幼少期に足の形にクセをつけないようにと、バレエの教師に言われていたのだ。
不思議な感覚だが、母と一番関係性がいいのは、直史の妻の瑞希である。
むしろ実の母親と直史よりも、その関係性はいいかもしれない。
直史の閉鎖性、伝統観、保守性は母の目から見ても、かなり普通ではないものなのだ。
「そんで自主トレどうすんの?」
こんな会話が、正月明けの茶の間で交わされる。
「スプリングトレーニングだけじゃ足らないからなあ」
「SBCでやるのか? 俺と一緒にやるか?」
大介はキャンプ地の近くに家を買った。
いわゆるスプリングトレーニングや、その前の冬季の練習に使うための、別荘のようなものである。
さすがは3000万ドルの男。
そんなことしていいのか? と直史は視線で問いかける。
「ある程度は節税のために使ってるから」
ツインズはさらりと言うが、移籍したらまた家を買う必要が出てくるのか。
「色々運用してると増えてくばっかりだから、多少は無駄かなと思っても使わないといけないの」
「何か財団でも作って、そこで運用したいんだけど、そこはセイバーさんに相談かな」
やはりツインズ。恐ろしいことをいつの間にかやっている。
スプリングトレーニング自体は、メトロズとガーディアンズでは、行う場所が違う。
メトロズなどの主に東海岸のチームはフロリダ州で、ガーディアンズなどの主に西海岸のチームはアリゾナ州で、行うことになる。
ただし大介としてはスプリングトレーニングの開始までには、体を万全に仕上げておきたい。
直史もそれは同じである。
話に聞く限りでは、チームのトレーニングや練習自体では、量が足りないのだ。
効率重視の直史ですら、そう思うほどの量である。
そこまでを聞いていて、武史が口を挟む。
「あのさ、キャンプが始まるまで、俺もそっち行っていいかな?」
「そういやあこの時期はMBAはシーズンなんだよなあ」
直史の言葉に、ぎくりと身を縮まらせる武史である。
「まあ大介に聞くことだが、恵美理さんは構わないのかな?」
「武史さんはこういう人だから」
少し困ったような顔の恵美理に、直史は内心で頭を下げる。
「お前、もう少し奥さんのことを考えないと、そのうち離婚されるぞ」
「え゛」
くすくすと笑いが漏れる、佐藤家の日々であった。
実際のところ、暖かい場所でこの時期からしっかりと鍛えるのは、武史にとっても悪いことではない。
そう長い時間は無理だが、恵美理もこの時期には休みが取れる。
彼女の仕事にはバカンスという概念があるのだ。
それを夫との時間に回しても悪くはない。
「まあ俺が入るはずのマンションも、早めに手配してもらえるらしいし、ネズミの国に行くのもいいんじゃないかな」
直史は言う。親子四人で過ごすなら、カリフォルニアはいい場所であると。
何より大介にとっては、スピードボールを投げられる生きたピッチャーが必要なのだ。
ただこれまで武史は、ずっとSBCでオフに鍛えて結果を残していた。
それを変えることに抵抗はないのか。
「少しトレーナーとも相談するし、あとはセイバーさんにも話してみるかな」
「同じチームの人間は、一緒にトレーニングしたりしないのか?」
「俺にはついていけないってダウンするからな」
「別についていかなくてもいいだろうに」
大介の練習量には、それは確かについていけないだろう。
「するとあとはキャッチャーがほしいな」
「地元の大学生とかを雇うことは出来るけど」
「タケのボールをしっかり捕れるか? 樋口にも声をかけてみたらどうだ?」
「あそこは子供三人もいるから大変じゃないのか?」
「こちらも母親はいっぱいいるだろ」
「それは確かに」
樋口はこの時期、普通に新潟に戻っている。
だが実はアメリカにも行く予定があったりした。
連絡をすると、電話の向こうで頷く気配がある。
『選手と家族、あと二組ほど連れて行って大丈夫か?』
「いいか?」
「部屋は空いてる」
「いいらしいぞ。ちなみに誰を連れてくるんだ?」
『上杉兄弟』
さすがの直史も噴出しそうになった。
上杉正也は、普通に今年も自主トレをしてキャンプインする。
だが上杉勝也は、ようやく本格的にピッチングを戻してくるらしい。
「前みたいに投げられるようになったのか?」
『いや、さすがにそれはまだだ。だけどそろそろ、負荷を強くしていく段階だな』
上杉が復活するのか。
元より10km/h遅くても、それでも165km/h。
MLB全体で見ても、そうはいない数である。
「じゃあ明日美さんも来るの?」
ワクテカした表情で恵美理が問いかけ、そして電話の向こうから樋口が「行くぞ~」と返事をした。
フロリダにて行われる自主キャンプ。
日本の才能が海を渡って、集合することとなる。
あるいはそれは、ワールドシリーズよりも豪華な空間ではないのか。
電話が終わってから、大介はため息をつく。
「上杉さん、どれぐらい戻ってるんだかな」
大介は期待をしつつも、その期待が裏切られる可能性を考えている。
MLBに行った大介は、全てのピッチャーを打ち崩したというわけではない。
数字だけを見れば、抑えられたピッチャーもいる。
だがその中で、パワーだけで勝負したピッチャーはいたのか。
いない。一人もいない。
直史もそんな、パワーで勝負するピッチャーではないのだ。
普通に座を囲んでいた瑞希は、う~んと首を傾げている。
「これは後で記事にして出していいのかなあ」
「俺はいいぞ」
「俺も」
「上杉さんたちはどうなんだろうな」
これは、瑞希にしか残せない記録だ。
純粋にプレイヤーとしてだけではなく、人間としてのスーパースターたち。
監修は必要になるだろうが、記録しておくべきものとなるだろう。
シーズンの 始まる前から 本気出す
なぜか5・7・5で心の中で呟く瑞希であった。
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