第127話 アメリカン・マネー

 メジャーリーガーの中には、キャンプ地のフロリダやアリゾナに別荘を持っている人間は少なくない。

 もちろん全体の数からすれば、圧倒的少数のスタープレイヤーのみだが。

 とりあえず車が10台は入る車庫と、プールと練習設備つき。

 これで日本円では五億円程度なのだから、安いものである。

 ただしあちこちが痛んでいたため、修繕にもそこそこの費用がかかったが。


 まったくアメリカンドリームとはよく言ったものだ。

 もっともこれを買った金は、大介の日本時代の収入を、運用して得た金である。

「ある程度まで増えてしまうと、お金って使っても減らないの!」

 ツインズがおかしなことを言っているが、一日で20億を溶かしたこともあるのだとか。

 10分で2億を稼ぐこともあるため、専門家以外はなんとも言えない。


 今回の自主トレに参加するのは、もちろん家主である大介。

 それに佐藤直史、武史兄弟。樋口、上杉勝也の合計五人である。

 来る予定だった正也は「そんな恐ろしいところに行ってたまるか」と新婚であることも理由に断ったのだとか。

「結婚したのか」

「地元の見合いだと」

「今時見合いってなんだかすごいな」

「地元の企業の社長令嬢とか」

「え、新潟の?」

「そう、そんで若くて可愛い」

「いくつよ?」

「20歳なんだよ、これが」

「ロリコンなのか!?」

「いやまあ、勝也さんがどうも引退後は神奈川から自力で出馬出来そうだから、本来の地元の地盤は正也が継ぐことになるんだろうって」

「上級国民のことは分からねえなあ」

「いや、お前もその一員だからな?」


 心外だという顔をする大介であるが、たとえ政治権力や司法と結びついていなくても、大介はアメリカという巨大な地盤と結びついてしまっている。

 日本で叩かれたらアメリカに逃げればいい。

 この国でなら大介は、好き放題に暮らせるだろう。

「そう言えば里紗はアメリカ国籍も持ってるのか」

 基本的にアメリカ国内で生まれた人間は、アメリカの国籍を持つことになる。

 昇馬は当然ながら日本人なのだが、里紗はアメリカと日本の二重国籍を持っている。

 これが逆に旅行などのときは、面倒になったりもする。

「つーか就労ビザの手続きとかも面倒だったよな」

「俺は観光ビザだから関係ないけどそうなのか?」

「俺の場合はもう契約は済んでいたから関係ないけどな」

 この辺りは日本とアメリカでは法律が違うので、弁護士の直史でも面倒であったものだ。


 上杉の場合は医療目的の入国であったため、何度か延長をしているのだとか。

 ちなみに恵美理の場合、父親が仕事で長期間アメリカにいたことがあるため、実はアメリカの国籍も持っていたことがある。

 それとは別に芸術分野のビザなども持っているが。

 基本的に今回は、観光目的である。

「本場のネズミの国に行こうぜ!」

 未就学児の息子よりも、ノリノリの武史。

 まあ数日ならいいかな、と思う他の人間である。


 上杉が合流するのは少し遅れる。

 しかしそれを別にしても、キャッチャーが足りない。

「まあ捕るだけなら俺がするけどな」

 直史はプロテクターの準備はしっかりとしている。




 基本的に朝は早く、軽くジョギングをする。

 プロ野球選手らしく、それぞれのポジションによって、走る距離も速度も変わってくる。

 大介は、意外と長めに走る。

 年間を通じてのスタミナを、ここでつけるのだ。

 実際のところ長いジョギングは、体のキレを悪くするという。

 ただそれは人による個人差があるので、大介はあくまでも感覚的に調整する。


 嫁たちの中では、体力がようやく戻ってきた桜が、一緒に走ったりする。

 椿はリハビリで毎日歩き、恵美理はそれに付き合って散歩をする。

 瑞希はタブレットPCで仕事をしつつ、色々とこの情景を記録する。


 現在音大などで講師をすることがある恵美理は、演奏は体力だ、と述べる。

 実際のところ、イリヤにコテンパンにされてしばらくピアノからは離れていた恵美理だが、野球で体力をつけてからは、また弾くようになっていた。

 そして結局、人間にとって一番重要なものは体力だと悟った。

「お義姉様も一緒にどうです?」

 自分よりも大人っぽいというか、派手な恵美理にそう呼ばれるのは、嫌ではないのだが未だに違和感が残る瑞希である。

「私はまだ仕事をしてるから」

 瑞希の仕事は時間になれば終わりというわけではない。

 そしてこだわればこだわるほど、いくらでも工夫が出来てしまう。


 なんだかんだ言って、育児はしながらもバカンスをしている妻たち。

 その中では瑞希だけが例外であった。




 桜と恵美理はほぼ同時期に娘を出産しているが、共にほぼ体力は回復している。

 特に桜などは、双子を育てるのとほとんど同じで、椿が動けなかったのに、よくもそこまで体力があるものだ、と思えるぐらいに今は動いている。

 そんな中では瑞希は、実家の世話になりながらも真琴を育てていた。

 なんだか自分だけ楽をしているようで嫌になりそうになったが、これは育児欝の一種だと判断して、下手にストレスがかかるのを避けた。


 それにしても親戚が随分と多くなったものだ。

 瑞希は一人娘で、一応父の実家は埼玉にあり、従兄弟などはいた。

 だがあまり交渉が親密ではなかった。どうやら父の仕事が弁護士ということで、やたらと頼られることで嫌になったらしい。

 母方ともそこそこ交流はあったが、自分は一人なのだな、とずっと考えていた。

 だが今、周囲には親戚が溢れている。


 夫である直史、そして娘の真琴。

 その弟の武史に恵美理、子供が二人。

 妹たち二人にその夫の大介と、子供が三人。

 樋口が一人で来ているので、なんだか負担がかかっている。

 思えばピッチャーが今でも二人いるのに、キャッチャーは一人なのだ。

 そう思っていたら恵美理がキャッチャーをして、瑞希を驚かせたが。


 東大に進学しなかったため黄金バッテリーが神宮で再現されることはなかったが、恵美理は女子高校野球の全国制覇バッテリーのキャッチャーだったのだ。

 たださすがに直史はともかく、武史のボールを受けようとはしない。

 コントロールの信頼性では、夫よりも義兄が上であるらしい。


 恵美理もまた一人娘であり、そして正真正銘のお嬢様であるが、瑞希とはかなりその人生は違う。

 幼少期は外国を訪れることが多く、やっと日本に腰を落ち着けたのは中学生から。

 そこから明日美と出会ったわけだ。


 とりあえず瑞希は思った。

 ここに集まった人間は濃すぎると。

 そして自分が一番平凡だなと思う当たり、彼女と直史は似たもの夫婦なのである。


 もしもイリヤが生きていたら。

 バカンスがわりにケイティと一緒に、ここに来ていたのかもしれない。

 夜になれば恵美理がバイオリンを弾いて、イリヤを思い出させる。

 それに追随するかのごとく、桜はトランペットで唱和する。

 トランペットで小さな音を鳴らすのは、それなりに技術がいることなのだ。もっと小さく!

「真琴にもやっぱり、習い事はさせた方がいいかな?」

 直史はそんなことを、瑞希の隣で呟いた。

 確かにそれは、瑞希も考えていたことなのだ。


 親の経済環境が恵まれている場合、子供は文化的な素養を育成する余裕を与えられる。

 瑞希が見る限り真琴は、自分には似ずに運動神経が優れているような気がする。

 音楽的な素養と運動の素養は、幼少期からの環境によるところが多い。

 また親の贔屓目でなければ、真琴はそこそこ頭もいいのではないかと思う。


 とりあえず話し合ってはいるのだ。

「アナハイムだとやっぱり、水泳はやらせたいな」

「けっこう文化的なことはやってるみたいよね」

「音楽関連はどうだろう? ピアノなら簡単なところは教えられるし」

「ダンスもいいと思うけど」

「……今でもけっこう踊ってるよな」

 テレビの前に鎮座して、動きに合わせて踊っているのだ、真琴は。


 夫婦が心配していることの一つは、心臓がやや奇形で生まれた真琴が、その性質が遺伝しないかということ。

 ただそれは医者に言われたことによると、滅多にあることではないが誰にでも起こりうることなのだそうだ。

 遺伝子的な疾患ではない、と明言してくれた。

 それにしても今の真琴は、元気な子供ではあるのだが。


 この子供の集団の中に、さらに上杉の三人が加わるのだ。

 大介と相談して、ベビーシッターの数を増やしてもらう直史たちであった。




 賑やかになったな、と思っているのは別に瑞希や恵美理ばかりではない。

 大介もまた、一人息子であるのだ。

 正確に言うと、母親の違う弟がいるのだが。


 高校からは母の実家に戻ったため、むしろ祖父母がいてそれなりに家族のぬくもりは感じていた。

 母も再婚はしたものの、自分をないがしろにしているわけではない。

 だが今の家族は、自分で選んで作った家族だ。

 そして単にくっつくだけではなく、増えていっている。


 息子が生まれて、娘が生まれて、友人の忘れ形見を引き受けることになった。

 三人の子供の父親になったわけだが、なぜだかいまだに実感がない。

 プロ野球選手として、なかなか家にいないことが多いことも、理由の一つではあるだろう。

 だが大きいのは、昇馬の時に関しては、ツインズが二人で完全に育児をしてしまったからだ。


 里紗と伊里野に関しては、女の子の赤ん坊の扱いに、戸惑っているということはある。

 なので元気に駆け回る年頃の昇馬は、自分が引き受けて遊んでいるのだが。

 息子と遊ぶのではなく、息子で遊ぶ。

 なかなかに楽しいものだ。

(そのうちやっぱり、野球やらせたいとか思うのかな)

 ゴムボール自体は与えて、ツインズが両利きであるだけに、昇馬も左右両方の手を使っているが。

 一応フォークなどを使わせる限りでは、右利きではないかと思われる。

(野球やらすなら左の方が有利だから、投げるのは左にさせた方がいいな)

 実際にそういうピッチャーはいるし、それとは少し違うが武史は、守備の時は左にグラブをはめていた。


 右で投げても140km/hほどは出る。

 これは子供のころから仕込めば、左右両利き。

 打てるピッチャー以上に珍しい存在、どっちでも投げられるピッチャーが誕生するのではないか。

 まあマンガでは何人かいるが。

 一応MLBでも、過去に両利きで登録した選手はいるが。




 そんな中でぽつんと一人いるのが、樋口である。

 別に妻子を連れてきてもいいと言ったのだが、あちらの都合でやめたらしい。

 確かに樋口のところは、三人もいるので大変かもしれない。

「そんな羨ましそうに見てるなら、お前も連れてきたらよかったのに」

 大介は軽くそう声をかけたが、樋口の表情は苦かった。

「子供は苦手なんだ」

 珍しいその顔に、大介は少し和んだ。

 こいつでも苦手なものがあるのかと。

「何事も慣れだと思うけどなあ」

「いや、そういうものじゃなくてだな」

 樋口としても、単に子供が嫌いとか、そういうわけではないのだ。

「他人の子供は普通に可愛いと思えるが、自分の子供が嫁の時間を取っていくのが妬ましい」

 なんとも複雑な話である。


 樋口は七歳も年上の、幼馴染の近所のお姉さん、だった女性を妻とした。

 その独占欲が強いことは、それなりに大介は知っている。

 だが自分の子供に嫉妬して、自分の子供を愛せないとは。

 いやそれは、考えようによっては重大な問題ではないのか?


 大介の視線を受けて、樋口は表情を平坦なものに戻す。

「それならそんなに産ませるなって言われるかもしれんが、嫁が自分の子供を妊娠してると思うと、所有欲が満たされるんだよな」

「そういうもんなのか?」

「お前には絶対に分からん」

 嫁が二人もいる人間には、確かに絶対に分からないであろう。


 子沢山ということで言うなら、上杉のところも三人だ。

 しかもあちらは、さらにポンポンと産みそうである。

「そのあたり、上杉さんに聞いてみたらどうだ?」

「あの人には、そもそも意味が分からんと思うな。自分に絶対的な自信がある人だし」

 それはどうかな、と大介は思った。


 上杉は確かに超人で、再起不能と言われた中から、丸一年のリハビリをしてきた。

 だがそれを支える存在は、妻子ではなかったのか。

 単純に自分を励ましてくれるとかではない。

 この子達のために、自分が倒れるわけにはいかない。

 そう思えるのが家族ではないのか、と大介は思うのだ。


 樋口の女癖の悪さは、普通に有名であった。

 暴力を振るったりは絶対にしないが、妻に対する独占欲は強く、それを必死で抑えようとしている人間だと、直史などは分析していたらしい。

 弁護士として離婚調停などに関わった直史は、人間性に対して非情な観察力を持っている。

 それによると樋口は、現在の人間観からすると、社会不適合者一歩手前なのだそうな。

 妻の存在と、野球の存在と、愛人を作ることで、その人間性を保っている。

 詳しくは知らないが、過去にトラウマがあったらしい。


 大介にとって樋口は、そこまで親しい人間ではない。

 だが義兄の親友であるし、戦友であることは間違いない。

 共に世界の頂点を極めた仲だ。

「お前、そんなに独占欲が強かったりしたら、娘が彼氏とか作ったとき、すごいことになるんじゃないか?」

 大介の言葉に樋口は、泣きそうな顔になった。

「やめろ。そういうの本当にやめろ。せめて俺に似てたらいいのに、母親似なんだよな……」

 その発言からして明らかに、樋口の執着の全ては、妻に向けられたものだと思うのだが。


 大人になって稼ぐようになっても、そして親になっても、まだ成長の途中。

 子供を育てていって、それがようやく独り立ちすることで、人間は真に成長を終えるのではないか。

 哲学的思考とは縁遠い大介であるが、なんとなくそんなことは思った。

 彼は直感に関しては、とても優れているのだ。

「まあなんだ、子育てっていうのは大変だし、人生っていうのはまだまだ長いもんなんだよな」

 子供の頃は、甲子園に行けばそこが、到着地だと思っていた。

 実際はあそこで優勝したとしても、そこからまだ先が長い。

 まだ人生は始まってすらいなかったと、今ならば分かる。

「末っ子は男の子なんだろ? 野球教えて甲子園でバトらせようぜ」

「そうそう才能が都合よく伝わるとは思わないけどな」

 それでも大介の気楽な口調に、樋口は気分を変えられたらしい。


 明日には上杉もやってくる。

 上杉は太陽のような人間であるし、その妻である明日美も太陽のような人間だ。

 太陽が二人そろって、太陽パワーで明るい気分を充電すればいいだろう。


 そんなことを考える大介も、樋口からすれば充分に太陽だ。

 直史などは太陽と言うよりは、まさに大黒柱という印象を受けるのだが。

(まあ、親を殺されたっていうのは、一生残るトラウマだろうしな)

 樋口はそう思いながらも、だからこそ上杉には早く会いたいな、と思うのだ。


 上杉は人の上に立つ人間だ。

 その力でスターズを日本一にしてしまったが、本来はもっとさらに多くの人間を導いていくべきだろう。

 巨大な魂が、強く人間の社会を引っ張る。

 そういったことを求める樋口は、ある意味求めすぎの信者だ。

 ただそういった自分の心理を理解していることで、ある程度はマイナスの状態になるのを防げる。

 性欲が暴走して、愛人を作ることだけは止められないが。


 上杉のボールが、復活しているのか。

 あるいは上杉以上に、樋口はそれを望んでいた。



×××



 ※ 国籍、ビザに関してはこの内容では正しくありません。また日々修正されていくものでもありますので、ツッコミなどは無用に願います。

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