第128話 レンタル

 帰ってきた。

「おお、170km/h出てる」

 自分では絶対に不可能な球速に、直史が驚いている。

 スピードガンをわざわざ買ってきて、測定しているわけだ。

 あまり球速だけを見ても、仕方のないことなのであるが。


 帰ってきた。

「トラッキングで本格的に他の数値も測った方がいいな」

 直史は冷静にそう言っているのだが、大介の顔を見てため息をつく。

「なんで泣いてるんだよ。喜べよ」

「泣くだろこんなの」

 ぐしぐしと袖で涙を拭く大介である。


 上杉勝也が帰ってきたのだ。

 泣くだろう、それは。


 10球ほどを投げて、上杉はマウンドを降りる。

 お手製の庭のグラウンドであるが、とりあえず一人の状態を確認するには充分だ。

 上杉に対した樋口は、顔を歪めていた。

「他の誰より速いけど、上杉勝也にしてはまだ物足りない」

 まだ上を求めるのか。

 ただそんな樋口に、上杉は太い笑みを向ける。

「まだまだ、ここからだな」

 バッターたちが絶望するようなことを言うが、それを聞いた大介の顔は輝いていた。




 上杉は復活した。

 だが完全には復活していない。

 今ならまだ再度の封印が可能……いや、なんでそうなる。


 実際のところ一年を通じてどうなるか、それは投げてみないと分からない。

 ただその点については、驚きの事実が明かされた。

「移籍?」

 目を丸くする樋口に、上杉は頷いた。

「一年だけだが。レンタルみたいなものか。まあこちらでかかった医者に、最後まで確認してもらうためにな」

 ボストン・デッドソックスに、上杉はなんと一年間移籍するのだとか。


 上杉は確かに、FA権自体は持っていた。

 だがそれでMLBに移籍するなら、FA権を行使……。

「そういや変わってたか」

 かつては宣言しなければいけなかったFA権であるが、上杉のような条件であると、自由契約扱いになったはずだ。

 丸一年完全に試合に出ていない。

 なのでMLBとも交渉が可能、なのか?


「いや、あれは二軍の選手とかを韓国や台湾にレンタルするために出来た制度だが……別にMLBにレンタルしてもいいのか」

 ただ選手にメリットがあまりないため、一軍の選手がMLBでプレイするためには、普通にFAかポスティングだろう。

 上杉は怪我で完全に一年投げられなかった。

 それが変に条件を満たし、契約更改が出来ていなかったのだ。

 そしてボストンとスターズの間でレンタル契約が成立。

 確実に日本の元のチームに戻るつもりでない限りは、必要のない制度だ。

 本来なら怪我から復帰した二軍や、育成から支配下にするための選手に、海外で経験を積ませるためのものだったのだ。


 上杉としては治療の一環として、ボストンに所属するわけか。

 確かにMLBでリハビリ代わりのピッチングが出来れば、日本でも通用する。

「でもボストンって確か……」

 喜びかけた大介であるが、思い出して絶望する。

「今年はメトロズとの対戦予定はないな」

「なんでだ!?」

 直史に指摘されて切れる大介だが、そうなっているものは仕方がない。


 今年のメトロズの対戦カードは、実は去年よりもさらに前から決まっている。

 チームからの要望もあるが、やはり移動時間や距離を考えれば、無理なものは無理となるのだ。

 対戦するなら、ワールドシリーズとなる。

 だがデッドソックスは強豪ひしめくア・リーグ東地区。

 そしてポストシーズンに進出すると、同じくア・リーグの他のチームと先に対戦するわけだ。

 たとえば直史の所属するアナハイム・ガーディアンズなどと。


 なおオープン戦でなら、二試合だけ対決の予定はある。

 それに加えてオールスターあたりであるか。

 直史か上杉、どちらかとしか対戦は出来ない。

 しかも運が悪ければ、どちらとも対戦出来ないのだ。

 ちなみにナ・リーグ東地区のチームでは、アトランタとのカードは四試合ほどある。

「なんでだ!?」

 再び大介は叫んだが、メトロズはラッキーズとのサブウェイシリーズがあるから仕方がないのだろう。

「上杉さん今からでもブレイバーズとかに移ってよ!」

「無理だな」

 わはは、と上杉は笑った。




 このレンタル移籍に関しては、かなり謎の部分が多い。

 だが誰が動いているのかは、はっきりと分かっている。

 セイバー以外にいるはずもない。


 ただし彼女の策略にしては、随分と雑と言うか、狙いが見えないところもある。

「単純にそれが限界だったんだと思うけど」

 これは瑞希の意見である。


 大介と直史を、オーナーの権限が強いチームに入れる。

 これはある程度狙い通りだったのだろうが、それでもメトロズとアナハイムでは、レギュラーシーズンでの試合がない。

 それでも彼女が操作し、ワールドシリーズで二人の対決を実現させるには、これが一番のルートだったのだろう。

 上杉はどうなのか?

 これは古巣のボストンに話を通したのか。

 ただ一年だけのレンタル移籍というところがよく分からない。


 NPBにはレンタル移籍の制度は、つい数年前に作られたものがあるが、これはあくまで若手の出場機会などを増やすため。

 独立リーグや海外リーグを相手に行うためのものだったのだ。

 選手としてはFA資格を持っている上杉が大金を得るには、普通にFAで海外移籍すればいい。

 ただ故障して一年休んでいた選手を、取るような球団はまずないと思ったが。

 デッドソックスにしても、招待選手としてテストを受けてもらうという姿勢らしい。

 普通に日本に戻れば、間違いなくスターズが、普通に契約を続行する。

 ただ上杉としては肩を治療してもらった借りがある。


 ここにセイバーの意図が見えると思うのだが、果たしてどうなのか。

「セイバーさんの考え……」

「勝也さんのプレイを、全米に直接見せつけることが狙いだろうな」

 瑞希の推理に、樋口はそう声をかける。

「セイバーさんの最終目的が分からないからなあ」

 直史としても、セイバーは試行錯誤しながら、より自分の利益を大きくしているのだけは分かる。


 16球団構想や、MLBとのもっと密接な連携、またアジアカップの地位向上に自前の球団を持つなど、色々と聞いてはいる。

 だが直史に語ったことが全てではないにしても、その多くは実現していない。

 独立リーグに出資をしているとも聞くが、NPBには全く匹敵するはずもない。

 ただ日米決戦に関しては、エキシビションで実現したことはした。

「まあなんだかんだ言っていい人だよ」

「そうかな~」

「味方ではあるけどね~」

 ツインズはその辺り、懐疑的であるらしい。


 大介をアメリカに動かした騒動の裏に誰がいるのか、容疑者はかなり絞られる。

 ただセイバーは一方的に搾取などもしない。

 相応しいものに、相応しい報酬を。

 そういう点では経済人であり、社会の動きを経済的に考えているのは分かる。

 奪うのではなく、共に稼ぐ。

 そうしないと恨みばかり増えてしまうのだ。


 上杉を利用はするが、最新医療で絶望と言われた状態からここまで戻したのだ。

 実験体になったのかもしれないが、それでもあの怪我でここまで復帰したというのは大きい。

 レンタル移籍というのも、制度の要項を満たしたものではある。

 ただこれまではMLB側にメリットがなかっただけで。


 彼女が白富東の監督になって、おおよそ14年が経過する。

 それだけの時間をかけても、既存の野球秩序の変革は難しいものだった。

「彼女であればいっそのこと、自分のシステムでリーグを作りそうな気もするが」

 樋口はそんなことを言っているが、野球界というのはかなり面子で動くところがある。

 彼女の実績と財産をもってしても、動かないものは動かない。

 だからこそ動かそうとしているのが、単純に利益だけを考えない彼女のポイントだ。

 選ばずにただ利益を得るのではなく、選んだもので利益を出そうとする。

 そのあたりが単なる銭ゲバとは違うところだろう。




 自主トレは進んでいくが、その中で大介は色々と毎日気にしていることが多い。

 それはチームの編成である。

 オフシーズンはストーブリーグと言われ、チームの編成に力が入れられる。

 具体的にはトレードとFA選手の契約。

 あとはマイナーの選手の誰を上げるかということだ。


 メトロズは本来、今年ワールドチャンピオンを目指すはずだったのだ。

 それが大介の加入によって、一気に戦力が向上。

 トレードデッドラインまでにトレードもして、見事に栄冠を勝ち得た。


 だが優勝が狙えると思って、去年は少し無理をした。

 またトレードで獲得した中で特に戦力となったシュレンプとランドルフは、このオフでFA。

 どちらも高い選手であり、本当は若手の安い選手や、マイナーから上げた選手で、戦力は補強するつもりだったのだ。

 今年はその捩れが、元に戻ろうとする年だ。

 大介を三年契約で縛っているのだから、この期間内で優勝は狙っていくつもりなのだろう。


 契約の残っている選手も、トレードで放出。

 珍しくはない話である。

「打線の方はそう大きく変更してないんだな」

 大介が気にするのは、やはり自分の前後の選手だ。

 この層が厚ければ厚いほど、より大介には勝負の機会が回ってくる。

 シュミットは元々FAまであと一年あるし、カーペンターは契約のまま残し、ペレスもまだ契約が残っている。

 ただシュレンプと二年契約で合意したのはけっこう意外であった。

 もっとも契約内容としては、シュレンプの方が金額的に譲ったイメージがある。

 ただ今年37歳になるスラッガーを二年契約するのは冒険であろう。


 おそらくメトロズのフロントの考えとしては、打線は去年の攻撃力を維持出来ていれば充分すぎると思ったのだろう。確かにそれは事実だ。

 もし故障離脱が出たら、トレードで途中から補強したりはするかもしれない。

 改善すべきはピッチャーの方である。

 こちらはそれなりに大きく動いた。




 まず去年の勝ち頭で、20勝2敗であったモーニングをトレード。

 これで若手のピッチャーを取ってきた。

 モーニングは確かに、今年が一番高く売れると判断したのだろう。

 各種投手の指標では、その勝ち星と勝率ほどの、ピッチングをしているとは判定されていなかったモーニング。

 とはいえエースというイメージが強かったモーニングを、まさか放出するとは。

 そしてFAとなったランドルフはそのまま放出。

 早々に次の契約を決めてしまっていた。


 クローザーをどうするのか、というのは問題である。

 ライトマンは去年の終盤で、クローザーとしては不安定になっていた。

 オフの期間に修正できると考えているのか。それともまだこれから、クローザーを取りに行くのか。

 どのみちリリーフ陣はもう少し厚みがほしい。


 リリーフの中でそこそこ失敗していたグラハムは、若手とセットでトレードされた。

 経歴を知らない大介などからしたら、モーニングが抜けた以上、そこそこの防御率があるグラハムは、先発ローテで試してもいいのではないかと思った。

 マクガフ、オブライエンといったブルペン陣も、トレードに出されている。

 そこそこの力はあるのだが、それよりももっと確実なリリーフが一枚ほしいのか。

 ただそれだと、セットアッパーになれるピッチャーが少なすぎる。


 これらの動きに戸惑いと憤慨をしていた大介であるが、それも仕方のないことなのだ。

 大介の契約を更新したため、そこでかなりの金を使った。

 コールは気前のいいオーナーであるが、無制限にサラリーを上げられるわけではない。

 長期契約であったりベテランであったりすると、年俸は高くなるのが当然だ。

 なのでそこそこ投げられるのは分かっていても、高い選手はトレードに出して、若手のまだ実績のない選手に交換する。

 それが活躍出来なければ、またトレードデッドラインで大きく動くか、マイナーからの昇格となる。

 スプリングトレーニングの様子で調子を見てから、また動いていくこともあるのだろう。

 去年は自分のことでいっぱいいっぱいだったが、今年はそのあたりに思考を寄せることも出来る。




 今年もナ・リーグの東地区で強くなりそうなのは、メトロズとブレイバーズである。

 メトロズは調整しながらどうにか投手陣をそろえようとしている。

 だが高額年俸の実績ある先発やリリーフを獲得するのは難しい。

 他に積極的に動いているところもあれば、まだ再建の最中と、相変わらず放出の多いチームもある。


 かつては負ければ負けるほどドラフトに有利で、それを狙って戦力を低下させるということもあったものだ。

 しかし制度が変わってしまって、そういった形でのチーム再建は出来なくなっている。

 ただ少し強くなったところで、FAまで数年の使える選手を出す。

 それと交換のトレードでまだマイナーのプロスペクトを手に入れて、育成していく。


 選手を育成しては、それをトレードして利益にする。

 本当に勝つ気があるのか、とはよく言われるものだ。

 だがそれは資本の弱いチームであれば、仕方のないことであろう。

 メトロズもアナハイムも、金をかけることは出来るチームだ。

 なので普通に、チームを強くしてワールドチャンピオンを狙える。


 実のところその点では、上杉の入るボストン・デッドソックスは、今年は戦力補強が充分ではない。

 不良債権となってしまった高額年俸選手によって、サラリーが圧迫されているからだ。

 MLBにはサラリーキャップはないが、似たようなものでぜいたく税がある。

 ラグジュアリータックスと呼ばれるこれは、一定以上の年俸総額を出すチームから、税金のように徴収するものだ。

 これを他のチームで分ける。


 そんな税金のようなものを払ってでも、平気で補強をする金持ちチームはいる。

 メトロズも去年はシュレンプとランドルフで、その金額をオーバーした。

 出来れば今年も優勝が狙えると確信できるまでは、その域に至らないでおきたいのだろう。

 NPBとは全く違う、球団のシビアな財政事情。 

 ある程度は聞いていた直史も、戸惑うところがないわけではない。


 上杉がスターズを出て行けば、ファンはスターズを叩くだろう。

 大介がライガースを出て行くとしたら、どちらをも叩かれたはずなのだ。

 別にアメリカでもそんな、移籍を裏切りと思わないわけではない。

 だがファンはチームに付くもので、選手に付くものではないという認識が大きい。

 不人気球団はどうだか分からないが。


 近年のスーパースターを見ても、ほとんどは移籍を経験している。

 そもそもドラフトで好きな球団に行くことが、MLBではNPBよりはるかに難しい。

 指名されたチームで活躍してFA権を得る。

 そこからやっと、メジャーリーガーとしての満足な契約が待っているのだ。

 大介のような、海外からの移籍組は例外であるが。




 合同自主トレは終わる。

 大介一家以外は、一度は日本へ戻るのだという。

 もちろん武史と樋口は、そのままレックスのキャンプへ合流だ。

 直史は色々と手続きや挨拶などをして、アナハイムでわずかに過ごし、その後にキャンプへ合流する。

 バッテリーはバッターに比べると、キャンプの開始はわずかだが早いのだ。

 キャンプとは言え、家を買ってしまった大介は、ここにいることも出来る。

 そもそもネットさえつながっていればツインズとしても、今では普通に仕事が出来るのだ。

 彼女たちのやっているマネーゲームなどを、仕事というのは少しおかしな気がしないでもないが。


 スプリングトレーニング期間もこの屋敷で過ごし、大介はここからキャンプへ通う。

 自分でも「本当にこれでいいのか?」と思わないでもない。

 日本時代のキャンプを思うと、MLBのキャンプはぬるいのだ。

 あとはこの環境自体に、ハングリーさが足りないという気はする。

 もちろん自主トレをガチでやる人間も多いし、既に仕上げてきている人間もいる。

 だがピッチャーはともかく野手は、自分でやらなければどんどんと落ちていく気がする。

 大介もそれを気にして、トレーナーなどを雇ったのだ。


 MLBの二年目、一年目からその怪物振りを、全米で見せ付けた大介。

 徹底的にマークされることは分かっており、その他の注目も大きいだろう。

 ただし無我夢中でやってきた一年目とは違い、今年は明確に目標がある。

 ワールドシリーズに進めば、直史か上杉のどちらかと戦える。

 そう限ったものではないはずだが、大介には確信に似た予感がある。

 それぐらいのことをしてくれないと、MLBも楽しくはならないだろう。


 大介のこの予想は、ある意味においては当たる。

 ただそれが望ましい形であるかどうかは、神のみぞ知るというところだった。




   第五部 了   第六部 N・L編 へ続く


  https://kakuyomu.jp/works/16816927861785043539

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エースはまだ自分の限界を知らない[第五部B 飛翔編] 草野猫彦 @ringniring

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