第23話 片翼

 ※ 東方編50話が展開的に先になります



×××




 右打席の大介は、右手を添えるようにしてミートし、インパクトの次の瞬間にはもう、左手一本で振ってしまっている。

 左打席の大介は、技術を持った上で、それにパワーを加えていく。

 基本的に引き手のスピードで打つのが大介であるが、右打席でしかも押し手の力が足らないと、ホームランを打つのは難しい。

 ファーストでは守備での活躍があまりないが、そもそもファーストは本来、背が高い人間の方がいいのだ。

 理由としては単純で、悪送球でもベースに足を付けたまま、ボールをキャッチ出来るからだ。


 小指の骨折というのは、上手くすればどうにか送球も出来なくはない。

 それでも一瞬の送球ミスを考えれば、ショートなどを守るのは難しい。

 ファーストは送球回数は少ないポジションだが、それでもミスはありうる。

 大介の打力と、守備力のわずかな低下を考えて、首脳陣は右打席での起用を決定した。


 右打席でも、過去に大介はホームランを打っている。

 だが今は単なる右打席ではなく、右の押し手が使えない右打席だ。

 それでもホームランを打ってしまったことで、大介は打線に残ることになった。

 これは戦力としては、プラスとマイナスが微妙なのだが、大介の現在の成績に関係しているのだろう。


 現在のホームラン数は、62本。

 絶対不可能と思われていた70本越えが、充分に手に届くところにある。

 打率は四割五分を超えているため、少しは下がっても問題ない。

 フロントと首脳陣が考えた上で、他の成績を少し悪くしても、ホームランの大記録を任されたのだろう。


 


 初回の樋口の先制ホームランを見るに、大介からすると孝司は、背伸びをしているように思える。

 間違ったことをしているわけではない。ただ、相手を見て対処を変えることが出来ていない。

 樋口を抑えるのは基本的に、力任せの方がいいのだ。

 もちろん直史ぐらいに球種が抱負で、コントロールも精密であれば、読み合いで勝つことも出来る。

 だが真田の球種からならば、樋口は余裕で狙い球を絞ってくる。


 こんなことを考えはするが、大介がアドバイスをするわけではない。

 大介の考えからすれば、樋口にホームランは打たれなかったかもしれないが、それ以降のボールでやはり打たれていたかもしれない。

 バッテリーや首脳陣が考えているのだから、大介は己の役目に徹する。

 大介の役目といえば、それはもちろん点を取ることだ。


 同じチームで二年、正確には一年四ヶ月過ごしただけに、大介には分かる。

 今日の武史はいい。

 万全の調子の大介でも、ホームランを打つことは難しいだろう。

 実際に一打席目は、立ち上がりの悪い武史を攻めることが出来なかった。


 そして試合は進んでいく。

 二打席目も凡退した大介であるが、ここいらで気づく。

 今日の武史は、まだ一人のランナーも許していないな、と。


 武史はもちろん、日本で二番目に速い球を投げるピッチャーである。

 しかしながら配球に関する意識は、あまり自分では考えていない。

 そもそもレックスは樋口のインサイドワークが、おそらく日本一のレベルで優れているのだ。

 直史と武史はともかく、佐竹と金原などは、明らかに樋口の入団以降、成績が良化している。 

 いや、レックスの投手陣、全員が良化しているのである。


 キャッチャーは守備の要。

 セなら他にフェニックスが、竹中の台頭と共に投手陣の成績が劇的に改善した。

 ライガースも正直、投手陣は風間と滝沢の二人体制の時より、今の孝司が固定された状態の方が、いい感じで投げられている。

 真田にもそろそろ、タイトルの一つも取らせてやりたい。

 大介はそう思っているが、当の真田はフェニックスかパのチームへの移籍を、普通に考えていたりする。




 六回の表、ライガースの攻撃が終わったあたりで、そろそろライガースの選手たちは気づく。

 この試合、まだ一人のランナーも出せていないことに。

 つまりここまで、武史がパーフェクトピッチをしている。

 直史にパーフェクトをされたのは、本当についこの間だ。

 兄に抑えられて、また弟に抑えられる。

 さすがにそんなトラウマを植えつけられては、今後残っているレックスとの試合と、そしておそらく訪れるプレイオフの対決に、悪い影響が残るだろう。


 七回の表、大介は祈る。

 この試合に勝つためには、自分はホームランを狙っていかなければいけない。

 普段なら頼れる四番の西郷は、レックス相手には相性が悪い。

 大学時代に樋口と一緒のチームであったため、かなりのデータを取られているからだ。

 武史のパワーを考えれば、西郷が相手でも打ち取る配球を考えるのは難しくないだろう。

 だから打つなら、自分が打たなければいけない。


 ホームランを狙っても、右ではそこまで持っていくことは難しい。

 なので最低でもランナーが前にいなければ、ホームランを打というとしても、その確率が三振のリスクに合わない。

 最低でもヒットを打って、パーフェクトを阻止する。

 それはもちろん可能であるが、するともう試合を捨てたことになる。


 大介の前に、ランナーは出なかった。

 なので大介は、ヒットを打つしかなかった。




~~~




『あー!』

『アッー!』

『打たれた』

『やっぱり白石か』

『右打席でもあのコースを軽く打てるのか』

『166km/h、ごっつあんです』

『左だったらホームランだったな』

『怪我してるのにしゅごい』

『本当に怪我してるのか? わざと怪我しているふりとかしてねーか?』

『さすがと言うしかない』

『左で打てばホームラン。右で打てば高打率』

『左で四割打ってるんだが?』


 ネットは騒がしかったが、レックスの球団寮も騒がしかった。

 直史は静かに弟の投げる試合を見ていたのだが、周囲はかなりパーフェクトを意識していたらしい。

「惜しかった……」

 試合経験を積むべく、また二軍に落ちてきた小此木も、当然ながらこの試合を見ている。

「別に惜しくはない。単打なら普通に打てるのが大介だからな」

 直史としては、そうとしか言いようがない。


 つい先日、ライガース相手にパーフェクトを達成した男は、現在の大介の戦力を、ちゃんと計測していた。

 ホームランを捨てれば、おそらく大介は自分からも、単打までならかなりの確率で打てる。

 だが直史が相手であると、一人で点を取らなければ、後続に期待するのは難しい。

 だからホームランを狙っていて、そこに直史と樋口の付け入る隙がある。


 続く四番の西郷を打ち取って、スリーアウトチェンジ。

 そこで直史はもう立ち上がった。

「最後まで見ないんですか?」

「もう決まった」

「負けますか?」

「いや、勝つ」

 武史は気分屋な点があるが、基本的に平均より上回る気分が多くても、下回る気分の時はない。

 ある程度安定感があった上で、そこからどこまで積み上げるかが、武史のメンタルなのだ。

 今日の試合は恵美理が見に行くと言っていた。

 ならば樋口が上手く誘導し、最後まで完投させるだろう。


 西郷がホームランでも打てば話は別であったが、これで勝負は決まった。

 樋口が上手く誘導して、この一打だけに抑えるだろう。

 さらに二人出なければ、大介の第四打席が回ってこない。

 樋口なら、なんとかする。




 樋口のキャッチャーとしての優秀さを示す数字に、大学時代の武史の成績がある。

 直史ほどではないが、武史もまた、大学野球では無双していた。

 大学三年生まで、つまり樋口が正捕手であった時代は、六回のノーヒットノーランと、二回の完全試合を達成している。

 だがキャッチャーが変わった最終学年は、ほとんど全て完封はしていたものの、ノーヒットノーランも一度もしていない。

 樋口の後に正捕手となった上山は、気の毒ではあったと思う。

 それに星が八位指名とはいえドラフトにかかったのも、樋口がその使い方を知っているからと言えよう。


 キャッチャーが他の誰かであったら、直史もここまで無失点記録を伸ばせただろうか。

 体力的に直史は、もっと打たせて取ることを意識していただろう。

 その状態では打球が内野を抜けていく可能性はもっと高かったはずだ。

 いざという時に空振りが取れるリード。

 それを樋口はやってくれている。

 なのであのホームランを打たれた一打は、直史ではなく樋口のミスということは確かであるが、一度のミスでその選手を全否定などは出来ない。


 自室に戻った直史は色々と計算していたが、この三連戦であと一勝すれば、レックスにマジック18が点灯する、のだろうか。

 そのあたりの計算が、よく分かっていない直史である。

 どのみちペナントレースを制したところで、今はクライマックスシリーズがある。

 消化試合を楽しむためのこの制度で、プロ野球は人気を盛り返したという。

 それに気にするべきは、マジックではなく残りのライガースとの試合だ。


 明日と明後日の先発は、どちらかと言うとライガースの方が強い。

 大学時代には直史と武史のせいで、大幅に出場機会が削られた村上。

 だがライガースが下位指名で獲得し、二年目からほぼ先発ローテに定着。

 ことしもここまで四勝二敗と、一時期の離脱があったとはいえ、ちゃんと貯金を作っている。

 対するレックスは古沢で、この間の怪我からの復帰戦となる。

 今季は九勝五敗で、おそらく二桁勝利に乗せてくるだろう。

 どちらかというと古沢の方が上かなと直史は思うが、故障明けでライガースはキツい。


 ただそれは三戦目の対決で、二戦目はライガースが山田、そしてレックスが吉村である。

 勝敗だけを言うならば、山田は13勝3敗で、吉村は8勝1敗。

 単純に勝率ならば吉村の圧勝なのだが、吉村は今季一度も完投がない。

 八月の序盤に怪我で離脱した豊田は、一応もうベンチには復帰している。

 リリーフ陣がどう働くかが、吉村と山田の投げ合いでは重要になるだろう。




 翌日、直史は珍しい人物からの電話を受けた。

 いや、親戚であるから、かかってきてもおかしくはない。

 だがこれまではさほど、自分に直接ということはなかったのだ。


 電話の相手は恵美理である。

 昨日は武史の試合を見に、直接神宮へ行っていたはずだ。

 嫁の前でパーフェクト達成に失敗するとは、詰めが甘いなと思う直史であったが、電話の向こうの恵美理は怒っていた。

 自分は何も悪いことはしていないが、弟の不始末は自分の不始末。

 家長としては義理の妹の相談にも、ちゃんと乗ってやるべきなのだろう。

『イリヤです!』

 またあいつか、と直史は思わないでもない。


 高校時代からイリヤは、散々に事件を起こしてきた。

 いや、犯罪ではないから、騒動と言うべきなのだろうか。

 始まりは音楽室の卒倒事件であるが、後にはU-18ワールドカップでも、世界的なニュースになることをしでかしている。

 大学卒業以降はあまり接点がなくなっていたが、また日本に戻ってきていることは、ツインズからも聞いていた。

 あいつならば何をしでかしてもおかしくはない。

 直史にとってイリヤというのは、そういう人間である。

『武史さんの遺伝子を提供してくれって!』

 ん? と直史はその言葉の意味が、いまいち分からなかった。

 何かの医療的なことなのか、とは思った。大介などはあまりにその運動能力が常軌を逸しているため、研究機関から話があったりする。

「詳しく話してくれないか?」

 武史の遺伝子というのは、当然ながら佐藤家の遺伝子である。

 変な実験に関わりそうなら、それは止めなければいけない。


 恵美理はしばし沈黙した。

 自分の中で話すべきことを、整理しなおしているのだろう。

 彼女はかなり冷静で上品な性格だと思っていたので、直史としては意外であるし、少し失望もしていた。

『その……私たちに子供がいるのを見て、うらやましいから自分でもほしいから、武史さんのいで……精子をくれって』

「………………………………………………………………………………………………うわあ」

 想定外の話に、思わず絶句する直史である。


 イリヤという人間は、どこか人間離れしている。

 かつてはその歌声で人を惑わし、ドラッグ音楽などと呼ばれたこともあるのだ。

 今でもそれは言われていて、発表できない曲がけっこうあるとかも聞いた。

 そんなイリヤが、子供がほしい?

「それはその、不倫を許せとか、そういう意味かな?」

 もし妻にそんなことを先に許可を得ようと言うなら、イリヤはやはりおかしい。

『……いえ、遺伝子を提供してくれと、そういうことですが』

「ああ、人工授精用の精子ということかな。う~ん、日本だとそれ禁止……だったかな?」

 直史は弁護士としての相続案件で、妻と愛人の子供の相続などは、ある程度知っている。

 ただし日本とアメリカでは事情が違うし、関連する法律もそれなりに変わってきている。

 かなり特殊な事例であるため、少しは調べなければ分からない。


「それで、肝心の武史はなんて言ってるの?」

『私がいいならいいって!』

「うわあ」

 それは絶対に言ってはいけないやつなのでは。


 かつてアメリカの精子バンクには、医者や弁護士などのエリート層の精子が存在していた。

 だがあれは今では禁止になったはずだが、アメリカは州によって法律が違うため、はっきりとは分からない。

 ただ法律云々ではなく、これは夫婦の信頼関係の問題だろう。

「武史のことだから、別に不倫するわけじゃないから、恵美理さんの許可があるならいいとか、そんな安易な考えだと思うよ。とりあえず武史の方から電話をさせてくれないかな。いや、今から俺が武史に電話するから」

 直史としては、まあ自分が処理しなくてはいけない分類の話だな、とは思った。

 しかし恵美理の話は、それでは終わらなかったのだ。

『イリヤは武史さんに断られたら、お義兄さんの方に頼むって言っていました』

「………………………………………………………………………………………………………………………………………うわあ」

 またそれは、ひどい問題が起こりそうだ。

 直史は妻と娘を愛しているため、ちょっとそんな話を持ってこられるだけでも困る。

 頭を痛めながらも直史は武史と、そしてイリヤに連絡をすることを、恵美理に約束したのであった。

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