第27話 殴る

 レックスは既にプレイオフのことを考え、作戦や戦術を考えている。

 そしてそういったものを着実に、首脳陣の狙い通りにやってくれるのは、ベテランが多い。

 大原のボールを、先頭打者西片がセーフティバント。

 ファースト側へのバント処理に、大原のカバーが遅れる。

 39歳のお父さんは、一塁ベースを駆け抜けてセーフ。

 大原の弱点は、フィールディングにある。それでもひどいと言うほどではないのだが。


 二番の緒方がどういったバッティングをしてくるのか、ライガースは推測する。

 今の西片を見るに、足を使ってくることもあるか。

 だがライガース首脳陣は、自分たちが大介に言ったことを思い出すべきだったろう。

 プレイオフに備えて、無理な走塁は控えるように、というものだ。


 西片はもう、怪我をせずに長くプレイすることに、その比重を置いている。

 結果的にその安定感が、チームを強くする方向に作用しているのだ。

 レックス側は首脳陣がベテランなので、過去二年間ライガースに負けている原因を分かっている。

 逆に言えば、三年前は勝てた理由だ。

 それはプレイオフで、主力に故障者がいないこと。あるいは主力が万全であること。


 三年前はファーストステージで消耗していたところを、ファイナルステージで突かれた。

 その後の二年間は、そういったことがないので、下克上に成功している。

 ここまで圧倒的にシーズンを制覇しようとしているレックスの首脳陣の考えを、ライガースは分かっていない。

 もちろん色々な記録達成の期待がかかっているが、それを考慮に入れても、消耗していない状態でプレイオフに入れる。

 なのでここも、西片を無理には動かさない。

 緒方は内角を攻めてきたストレートを、普通に左中間に運んだだけであった。




 先制のツーベースヒット。

 ライガース打線であれば、いくら投げるのが武史であっても、リードは多ければ多いほどいい。

 三番の樋口は、ここはチャンスの拡大を狙う。

 初回にいきなり失点した大原には、キャッチャーもあまり緻密な要求は出来ない。

 甘く入ってきた球を素直に打ち返し、ライト前ヒット。

 三連打でノーアウト一三塁となる。


 ライガース側は、大原は立ち上がりがあまり良くないとは知っていても、この三連打は痛いと考える。

 レックスはここで、四番浅野に期待するのは、外野の定位置にまでは飛ばすこと。

 タッチアップで緒方なら、充分に帰って来れる。

 ライガースの外野には、そこまでの強烈な強肩はいない。


 レフトの奥に、外野フライを打つ。

 まさにこれこそ、理想的な点の取り方であろう。

(さて、ホームは間に合わないとして、中継はどうなる?)

 一塁ランナーの樋口は、二塁を狙うべきか。

(外野があらかじめ捕球体勢を整えていて、レフトからならショートを中継してバックホーム。緒方の足なら少し厳しいか?)

 その間に自分は、二塁を目指しておこう。


 ショートが間に合わないと判断して二塁で樋口を殺すなら、それは確実に緒方がホームに帰れるということ。

 ホームにまでボールが回ったら、そこからは二塁に投げても、樋口はセーフになるだろう。

 キャッチャー樋口にそこまでを求めないレックス首脳部なのだが、樋口は自分で判断してしまう。

 レフトがボールをキャッチし、そして中継のショート大介へ。

 大介は強肩なので、足の速さは突出していない緒方なら、アウトにすることも出来るのか。

 大介としては、かなりぎりぎりだなと思える。

(直接だと届かない)

 レフトはそこまで肩を要求されているわけではないグラントなのだ。

 大介が中継しなければ、ホームは間に合わない。

 だがその視界の端で、樋口の動きが見えた。

 グラントからの送球は、わずかに乱れている。


 大介はホームを諦めて二塁へ送球。

 そちらで樋口を殺すことに成功し、ホームを緒方が踏んで二点目。

 難しい判断であったが、大介としてはそちらしかない選択だった。




 初回で二点のリードを奪えたことは、樋口にとってはかなりピッチングの幅を広く出来ることを意味した。

 一点なら取られてもいいなら、大胆な組み立て方が出来る。

 リードすればリードするほど、コンビネーションの幅は増える。

 ただ武史の場合は、基本的にパワーで押すタイプのピッチャーだ。

 直史のようにコンビネーションの幅が広すぎるピッチャーの方が、リードすればリードするほど楽なのだ。


 武史が明らかに、直史よりも優れているところが一つある。

 球速ではない。確かに表示される球速では武史の方が速いが、緩急差を使えば直史でも、武史と同じようにストレートを効果的に使える。

 武史の方が優れているというか、直史が出来ないこと。

 それは危険な相手から、あっさりと逃げるということだ。


 直史の場合は選択肢がありすぎるため、やりようによってはどんなバッターも打ち取れる。

 その可能性があるため、あっさりと敬遠という選択が出来ない。

 武史は大介はもちろん、西郷レベルの打者を相手にしても、あっさりと対戦を回避することが出来る。

 ピッチャーとしての矜持の問題だろう。

 その点ではプロには興味のない直史だが、その魂はピッチャーなのだ。

 武史にとって野球は、普通に「ただの仕事」なのである。

 

 ベンチに戻ってきた樋口は、武史の隣に座る。

 木山は特に文句は言わない。樋口の選択は正解だったと判断したからだ。

「とりあえず二点取れたが、無理に抑えにはいかないぞ」

 樋口は正捕手として、首脳陣と一番近い思考を持っている。

 これはキャプテンなども同じで、あくまで采配は首脳陣が握るものの、その場で判断の基準は変えていかなければいけない。

 そしてキャプテンは連携の多い内野などが適しているが、レックスの場合はセンターの西片がキャプテンらしき役割をしていて、実際に誰とは決めていない。


 内野の要のショート緒方は若すぎるし、セカンドは守備のポジション指示などに特化している。

 その指示も樋口の方が基本的に優先して出すため、チーム状態を安定させるキャプテンは、やはり西片であると言えよう。

「大介さんとの勝負は?」

「二点だからまだ基本、回避はしない」

 ランナーがたまっていたら別だが、大介の前にはランナーをためないのが、ライガース打線攻略の前提である。

 大介を歩かせると、次は西郷がいる。

 二点差は、ランナーに一人を置いてホームランを打たれたら、追いつかれる点差だ。

 西郷を相手にするなら、これまたやはり大介をランナーにはしたくない。


 大介は今年も盗塁王のタイトルをほぼ確実にしているが、ここ最近は控えめにしている。

 下手に走っても、西郷まで歩かされるだけだからだ。

 西郷のほぼ唯一と言ってもいい弱点は、足が遅いこと。

 相撲取りなどと一緒で一歩目のスタートは早いのだが、長い距離は走れない。

 その長い距離は、一塁まででも充分に長いというものだ。

 よって西郷を一塁に置いておくと、ダブルプレイが取りやすい。


 二点差を詰めたい場合、大介は余裕があっても、あえて走らないことが多い。

 それは西郷に比べると、次のグラントは長打力はともかく、打率がいまいちであるからだ。一塁が空いているなら、西郷も歩かせてしまう。

 だが大介が一塁にとどまっているなら、それを二塁にまで進めるのはリスクが高い。

 どちらのリスクが高いかを考えて作戦を立てる。 

 野球は統計のスポーツである。




 ライガースの側から見ると、レックスの野球は防御力が高い。

 そして常に最善の配球をするわけでもなく、かなり意表を突いてくる。

 最善の配球だけでリードするなら、実は逆に打ちやすい。

 アマチュアレベルなら分かっていても打てないコンビネーションは、プロなら普通に攻略してくる。

 そこであえて配球を外してリードするのが、プロのキャッチャーというものである。


 樋口の場合はその読みと、ピッチャーに要求する精度などのバランスが、かなり優れている。

 ピッチャーによってコントロールは違い、球速や球筋なども違う。

 特に武史などは、単純にストレートが速いだけではなく、左で投げてきて、しかもホップ成分が大きいのだ。

 味方のバッターが、ぽんぽんと三振を奪われていく。

 さすが今年の、暫定奪三振王である。


 四回の表、大介に回ってきたのは、またツーアウトのランナーなしという状況であった。

 ここからは一点を狙うにしても、ホームランを打つ以外の可能性が低くなる。

 長打を打てば、次の西郷にヒットを打ってもらって、二塁からなら帰ってこられる。

 だが大介が長打を打って、そのあと西郷もヒットを打つという確率は、どれだけあるのだろうか。

 三割バッターの西郷であるが、それはピッチャー全般に対して。

 武史は平均して、一試合を投げても多くて一点までしか取られない。

 ストレートに強い西郷だが、武史はナックルカーブと、チェンジアップを持っている。


 この二打席目も、大介はホームランを狙っていく。

 その打ち損ないが、長打になるならそれでもいい。

 事実、打ち損なって、外野の頭を越えるところまでしか飛ばなかった。

 大介相手には外野は深く守るので、極端に三塁打が減る。

 それでも二塁にまでは進めて、ツーアウト二塁となる。


 そして四番の西郷。

 大介ほどではないが、完全に体格はMLB級の、年間40本を超えるホームランを打つ大砲。

 ストレートへの反発力ではなく、遅い球でもパワーで持っていける。

 だが、やはり武史のストレートの軌道を読み誤る。

 センターへの大きなフライで、大介は二塁で残塁となった。




 武史と樋口のバッテリーに、レックスの野手を含めた守備力が、ライガースの攻撃力を上回っている。

 そして大原と孝司のバッテリーに、ライガース野手を含めた守備力を、レックスの攻撃力が上回る。

 レックスの打線は普段、セカンド以外は打力もかなり期待されている。

 そして今日はそのセカンドに、高卒ルーキーの小此木が入っている。

 

 既に一軍で出場はしているが、多かった出番は代走が一番である。

 あとは終盤の守備固めで、本来は内野なのだが、外野も守らされた。

 チーム事情的にはその俊足を活かして、西片の後継者を目論んでいる。

 ただセカンドとしてもちゃんと、緒方との二遊間を構築している。


 小此木がセカンドを守れるなら、スタメンに入ることが出来るようになる。

 ショートは内野の中で、一番守備負担が大きいと言われるが、判断の多さはセカンドの方が上である。

 野球知能の高い小此木は、二軍で色々と試されながら、急激にそのユーティリティ性を高めていた。

 また打撃の方も、二軍では三割を超えて打っている。


 だが、一軍と二軍では、ピッチャーの質が違う。

 代打として使われたときも、なかなか結果を出すことは出来なかった。

 だがそれは当たり前のことなのだ。高校野球で160km/hを出すピッチャーなど、今でもそうそう出てくるものではない。

 プロはかなり、そういったピッチャーがいる。単純に球速や変化球など、慣れていないなら打てない。

 だが、才能にあふれて慢心もせずに努力する者は、一年目でもその力が備わってきてもおかしくない時期だ。

 二軍とはいえ、プロの世界でちゃんと数字がついてくる。

 この試合、二打席目にてプロ初打点を記録。

 さらに盗塁まで決めて、確かな才能の輝きを見せた。


 これに触発される単純なところが、武史にはある。

 そのあたり他のプロ野球選手とはまた違った方向の、プロ向きの性格ではあるのかもしれない。

 大原のストレートを、神宮のスタンドに叩き込む。

 先発ピッチャーの一撃で、点差は五点に広がった。




 勝ったな、と判断した者は多い。

 負けたな、と判断した者も多い。

 ライガース打線は普通に、平均で五点以上は取る打線だが、それはあくまで平均値。

 相手のピッチャーによって、そして守備によって、その数字は変化する。


 武史から五点というのは、現実的な数字ではない。

 だが大介としては、勝敗が決まったからといって、打てそうな球を打たない理由にはならないのだ。

 三打席目はチェンジアップを空振りして、珍しく三振してしまった。

 だが九回に回ってきた四打席目は、167km/hのストレートを、バックスクリーンに直撃させた。

 武史のストレートはスピン量が多いため、運動エネルギーが多い。

 なのでしっかりジャストミートすれば飛んでいくのだが、それは理論上の話。


 ほとんどのバッターは内野フライ、かなり軌道を見極めても外野フライ。

 そんなストレートをホームランにする大介は、やはり普通ではないのだ。

 一点だけのソロホームランで、武史は少しだけ悔しそうな顔をしている。

 完封がなくなったのでそれも当然だろうが、大介にならば打たれても当たり前という、前提となる認識があるのだ。


 打たれて当たり前、などと他のピッチャーが言っていたら、そいつはその程度なのだ、と思われる。

 だが防御率が1以下の武史がそう言って、打った相手が大介なら、それはもう仕方がないというものだ。

(やっぱり問題は、ピッチャーの組み合わせだな)

 ダイヤモンドを一周する大介を見ながら、樋口は考える。


 武史と真田であれば、双方の打線の差を含めて、おおよそ互角。

 過去二年はそこで勝ち星を拾われて、結果的には最終戦までもつれこんで負けている。

 プレイオフの大介の能力向上を、計算していなかった自分が悪いと、樋口は感じていた。

 だが今年は、武史以上のピッチャーが一枚加わった。

 直史と真田を当ててそこで勝ちをつければ、残りのピッチャーでライガースの打線をかなり封じることが出来る。

 そしてレックスの打線もライガースのピッチャーを打って、何点かは取ることが出来るだろう。

 攻撃力と防御力のバランス。

 それが過去二年間は、強い同士のピッチャーを当てていた結果、ライガースにわずかに勝ち運がもたらされたのだ。


 去年までは正直、わずかな運の差があれば、レックスが勝ってもおかしくはなかった。

 だがライガースは正捕手が変わり、レックスは直史を手に入れた。

 あちらもこちらも、攻撃力はさほど変わらず、防御力が増えた計算になる。

 レックスは絶対に勝てる切り札を一枚手に入れ、ライガースは持ち札の全てを少しずつ強くすることに成功した。

 実際にプレイオフで戦ってどうなるかは、現時点では分からない。

 ただ、ライガースが真田を出して、レックスが直史を出して、それでライガースが負けたら、おそらくレックスが日本シリーズに進むだろう。




 試合は結局武史が完投し、5-1でレックスが勝利した。

 ライガースとしては、武史から一点しか取れなかったことも大きいが、大原が五点も取られたことも大きい。

 シーズン中のローテの中では、しっかり完投もしてくれるイニングイーター。

 だが短期決戦においては、さほど有効なピッチャーではない。


 やはり真田、山田、阿部の三人あたりに加えて、短いイニングをリリーフ陣で投げさせて、どう抑えるかという試合になるだろう。

 レックスの投手起用を見て、直史や武史には、勝ちの計算できないピッチャーを当てて、負け試合だと考えるしかない。

 単に、日本シリーズに進むことだけを考えるなら。


 プロ野球というのは、確かに勝敗が大事である。

 ファンはチームが勝てば喜ぶし、優勝すれば大喜びだ。

 だがその中には、物語がないといけない。

 エース同士の対決や、エースと主砲の対決など、わくわくする対決がなければ、興行としては問題なのだ。


 かつて、優勝のために、エースを第三戦の先発に持ってくるという手段を使う監督がいた。

 実際にそのチームは、その年には優勝した。

 どうしても勝ちたかったら、そうする方が正しい。

 しかしファンならば、やはりエース同士の対決が見たいだろう。

 今でも開幕戦は、どのチームもエースか、二番手を持ってくることが多いのだ。


 そのあたりの理屈は、大介は考えない。

 作戦は首脳陣が立てるもので、選手はその作戦に従って動く。

 ただ首脳陣がどう考えていても、大介の記録の更新は、ファンが必ず期待しているものだ。

 今日の試合にて、66本。

 残された試合は、16試合である。

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