第26話 九月の勝者
九月の始まり。
甲子園でタイタンズ相手にエースの山田で勝ったライガースは、たいそう盛り上がったものである。
この数年ほど逆転してはいるが、タイタンズは元は球界の盟主と言っていいほど、全国的な人気と実力を備えていた。
球団としてはライガースと並んで最も古く、伝統の一戦とも言われていた。
だが20世紀の末ごろには、ライガースの暗黒期があって、伝統の一戦(笑)という状態であったのだ。
この数年は完全に立場が逆転し、ライガースは敗残者であるタイタンズの背中に、下品な野次を飛ばしたりする。
味方も野次るが、敵をそれ以上に野次る。
ライガースというのはそういうチームであるのだ。
そして神奈川の敵地で、スターズとの対戦。
ここで一日雨で潰れ、二試合目に上杉が登場する。
ただ先日の試合で肩を痛めた上杉は、調整程度の登板であった。
それでも大介以外のバッターをほとんど抑えて、勝ってしまうのだから規格外である。
スターズはここから、上杉をどう使っていくのか。
おそらく上杉なしでも、クライマックスシリーズには進める。
そこで確実に勝つために、上杉を休ませるかもしれない。
出来れば直史との対決に当ててほしいとも思うが、偏った今年の編成によると、もうレックスとスターズとの対戦は、一試合だけ。
もしも上杉が中六日で投げるとしたら、直史と対決することになるかもしれない。
今年の直史が勝てなかった、唯一の試合。
上杉との投げ合いの、あの真なるパーフェクトゲーム。
大介との対戦成績を基準にすれば、直史の方が上杉よりも優れたピッチャーとなる。
ただそれは球団の選手層の問題もあるため、いちがいには言えない。
もう一度、あの二人の投げ合いが見れたら。
それでも上杉が完全に復調していなければ、むしろもったいない試合になってしまうかもしれない。
スターズとの第三戦は、接戦となった。
だがこのところ、左の中継ぎとして存在感を増している品川が、終盤に好投してライガースの勝利。
そしてライガースは、レックスの本拠地神宮球場へ乗り込む。
先発は大原と武史の、千葉県出身者対決となった。
正確に言うと大原は中学までは海外にいたし、武史は大学は東京であったのだが。
大原はドラフト四位で指名され、三年目から先発ローテの一角を担うこととなった。
運もあったが最高勝率のタイトルも取って、毎年ずっと24試合前後に先発し、だいたい二桁以上の勝利をしている。
また、シーズン中の投球イニングか、完投数ではチームトップとなるのが続いている。
その選手としての一番の特徴は、耐久力にあるだろう。
今年も既に二桁勝利をして、通算80勝に到達した。
ただし、しっかりと負け星もついて、11勝9敗。
まさにイニングイーターであり、ローテを回すいいピッチャーである。
もっとも防御率は3点台後半と、それほどいいとは言えない。
打線の援護があってはじめて、しっかりと勝ち星が増えていくピッチャーなのだ。
大介と違って一年目と二年目は一軍で投げていなかった大原は、まだFA権が発生していない。
来年のオフに発生するのだが、本人はこれをどう考えているのか。
防御率にはやや不安が残るが、日本一になるようなチームで、最多イニングや最多完投をするピッチャー。
40過ぎまで地味にやれば、200勝に到達するかもしれない。
大介からすると、案外こういうのが、200勝投手になるのではないかとも思う。
高卒から10年で既に200勝に到達した上杉は、さすがに例外ではある。
真田は今年、八年目で110勝に到達したが、そこそこ故障がある。
30代半ばまでに先発を外されて、リリーフに回る可能性もあるか。
左のセットアッパーとしては、真田はとてつもない数字を残せるだろう。
だが耐久力が心配だ。
基本的に真田は、気性も合わせて先発向きなのだ。
そんな高卒ピッチャーに比較して、武史である。
大卒一年目から、開幕投手に選ばれてあわやパーフェクト。
結果的には22勝0敗で、上杉が故障したこともあり、投手五冠を達成して沢村賞。
二年目三年目は上杉にまた沢村賞を渡したが、それでも最終候補には毎回残っているという。
上杉が登板数を増やして勝ち星を重ねるために、やや打たせて取る傾向を強めてからは、防御率と奪三振、完封数で上杉を上回ることがあるのだ。
二年目も三年目も、20勝を達成。
このままなら10年で200勝には届くし、武史の体の頑丈さからいって、それは不可能ではないと思われる。
もしもそうなったら、大卒投手としては、21世紀では二人目の200勝投手になるかもしれない。
だがどれだけ勝って、通算成績で勝ち星を積み上げても、直史より上とは評価されないだろう。
大介と約束した、五年という期間。
その五年の間に何をしてしまうか、まだ今は一年目なのである。
神宮に迎えた三連戦、この時点でほぼ、レックスの優勝は決まっている。
それでもようやくマジックが点灯したあたり、今年の対戦の編成をした人間は、本当に盛り上げ方が分かっていると思われる。
直接対決が多いので、大逆転の可能性はわずかながら残っているのだ。
レックス側は新人や若手を起用していくが、大切なのは主力を温存すること。
試合勘が鈍らない程度には使っていくが、もうプレイオフを見据えて起用していかなければいけない。
もっとも一位通過がほぼ確定しているため、ファーストステージで休むことが出来る。
対してライガースも、優勝を諦めたのならば、ファーストステージでの対戦を考えて、ここいらで特にピッチャーの起用を控えめにしていく必要がある。
ただ、勢いというものもある。
シーズン終盤まで優勝が決まらず、最終戦かその前あたりでやっと優勝したチームが、選手に疲労がたまっているはずなのに、日本シリーズで優勝してしまう。
かつてクライマックスシリーズがなかった頃には、よくあったことだ。
逆に今もまた、ファーストステージで消耗しているはずなのに、ファイナルステージも勢いで勝ってしまう例がある。
そして日本シリーズで、ボロボロに負けてしまったり、逆に勢いをさらに強めて日本一になってしまうこともある。
団体戦のスポーツにおいて一番大事なのは、選手の消耗度や作戦などもあるが、一番はベンチの士気であると言われる。
勝つ気のないチームは、絶対に勝つことはない。
当たり前のように聞こえるかもしれないが、暗黒期を経験したことのあるチームは、この選手の士気の低下がどういうものか、ちゃんと理解している。
レックスもライガースも、かつては暗黒期を経験している。
選手はそうでなくとも、監督やコーチの年代だと、はっきりと記憶にあるのだ。
主力の故障を防ぎ、投手陣の消耗を減らす。
それ以前に、士気を保つ。
ライガースは暗黒時代を知っているだけに、そして投打の要の大介や真田が基本的にイケイケなだけに、首脳陣が上手く手綱を握らなければいけない。
レックスの強さは、間違いなく異常だ。
しかし大介ならば、直史以外のどのエース格であっても、打つことが出来る。
ファーストステージでスターズと当たるのはほぼこれも決まっているが、上杉が少し調子を落としている。
油断は禁物だが、レックスとの対決を見据えて、ここからのレギュラーシーズンはプレイオフの前哨戦と考えていけばいいだろう。
神宮球場での対決は、ライガースの先攻で始まる。
投球練習をしている間から、武史のストレートはうなりを上げている。
サウスポーの本格派ピッチャー。
上杉と並んで、日本の速球派としては三位以下を引き離した力を持っていると思う。
実際大介でさえ、確実に武史を捉えることは難しい。
今年はこの試合まで、三試合で武史とは対戦してきた。
チームとしては一勝三敗であるが、大介の打席では、12打数の6安打。
五割の確率で打てているのだが、武史はあからさまに、大介を避けるようなボールは投げてこない。
フォアボールで歩いたことはあるが、それは大介が、振ってもとても打てないと思ったボールであった。
そして武史からは、ホームランでの打点一しか上げていない。
大介は確かに、武史を相手にしても、むしろ武史を相手にしたときの方が、個人としての成績はいい。
だが大介の持ち味である長打は、なかなか打てていないのだ。
これはもちろん、樋口の配球の妙もあるのだろう。
しかし武史から長打は打てない、というのは大介も認識している。
これが相手が上杉になると、打率は下がる代わりに、むしろ長打が増えている。
キャッチャーの違いと言うには、かつてはスターズも尾田という球界屈指のインサイドワークを誇るキャッチャーがいたし、今の福沢もそれほど悪くはない。
武史と上杉は、他の追随を許さないストレートを持っていて、ムービングとチェンジアップを使う。ここまでは共通している。
右と左の違い、そして上杉に大きく変化する球がないということを考えると、両者も本格派とはいえ、違うものだとは思う。
一番の毛利、二番の大江と凡退して、三番の大介の打順が回ってくる。
武史からヒットを打つのは西郷でも大変に難しく、ヒットだけではそうそう点に結びつかない。
今年はフォアボールで塁に出ても、ホームを踏むことが出来なかった。
これまでの数年を通しても、武史からホームラン以外では、ほとんど点を取れていない。
前にランナーがいない場面でしか対決しておらず、そこからホームランを打つことが出来ない。
そして単に塁に出ただけでは、西郷でも大介を帰すことが出来ていない。
つまりこの打席も、狙っていくべきはホームランなのだ。
大原が先発であることを考えると、三点ぐらいは得点しておきたい。
だが武史の防御率は、0.50と、クローザーでもまずはいない数字である。
これでも直史に比べれば、かなりマシなのだが。
上杉の怪我もあったため、今年の奪三振王タイトルは、武史が取るであろう。
奪三振率は脅威の15.88と、こればかりは直史を軽く上回る。
もっとも過去を見れば、上杉が無理をしていなかった時代は、さらに上回る奪三振率を誇っていた。
上杉はライガースに覇権を奪われて以降、個人成績を極めることより、とにかく勝ち星を積み重ねることを重要視している。
直史ほどではないが、ある程度は打たせて取る。
そうでもしなければあれだけの豪腕も、いずれは壊れてしまうだろう。
そして終盤に点差が充分にあれば、リリーフ陣に任せる。
そのリリーフが打たれて、勝ち星を消してしまうことは珍しくない。
大介に対する第一球、武史が投げてきたのはカーブ。
直史が使うのとは違う、握りの違いと指で弾くことによって曲げる、ナックルカーブだ。
直史の場合はリリースの瞬間でさえ、どんなカーブがくるのかは分からない。
だが武史の場合、ナックルカーブはそこまで極端に制御されてはいない。
外角に決まって、まずはストライク。
大介はある程度、配球を読んでみる。
レックスの投手陣の強烈な成績は、樋口のおかげだとおおよその球界人は認識している。
三年連続のベスト9にゴールデングラブ賞と、それを疑う者はいない。
高校時代からその厄介さは、分かっている大介である。
今年の試合においても、追い詰められてからど真ん中にストレートを投げられ、振ることすら出来なかった。あれは直史との対決だが。
もっともその樋口にしても、大介の厄介さには手を焼いている。
プロ入り当初からその怪物的な活躍は、本当に同じ人間なのかと疑問に思うものだった。
何よりも人間離れしていたのは、その潜在能力。
シーズン中は基本的には、その能力を全力では発揮していない。
プレイオフにおいては、その化け物度が二段階ほど上がるのだ。
今年の大介はシーズン打率が四割を余裕で超えている。
だが高校野球最後の一年の甲子園の成績などは、八割を超えていた。
そしてプレイオフに限って言うなら、プロでも打率は五割を超えている。
ヒットの三分の一以上は、ホームランになっている。
本人が意識的にやっているかどうかは、樋口にも分からない。
だが大舞台になると、いつもよりも集中力が高まるのは確かだろう。
今年はモチベーションが上がっているため、それにつれて集中力も増している。
そんな調子で戦っていて、ガス欠ややりすぎにならないかとも思うのだが、九月に入っても全くそんな様子を見せない。
大介との交流の薄い樋口にとっては、故障でもしていてくれたら、レックスの優勝の確率が高まる。
基本的に思考停止の敬遠をしない樋口だが、それでも大介だけはかなり勝負を避けたくはなる。
他のチームと違って、かなり積極的に大介とは勝負をしている。
中でも直史が、完全に大介を抑えている。
それでも打率は四割と、さほど他のチームとは変わらない。
直史の持つストレートの質、球種とこのコントロール。
それらを他のピッチャーが持っていれば、大介を抑えられるのだろうか。
樋口の理論であれば、当然同じ結果が出る。
だが感情では、そうはならないと感じている。
直史がここまでの成績を残せるのは、もちろん前述の変化球やコントロール、そしてそれをリードする樋口がいて成立するものだ。
だが、それだけではない。
間違いなく他のピッチャーでは、失投が出てくる。
そしてそれを打たれて、得点となるはずなのだ。
他のピッチャーと比べて、何が違うのか。
それはおそらく理解力と、度胸である。
歩かせてもいいという場面でも、歩かせない。
失点はしたが、フォアボールを出さないという記録は続いている。
地味なところだが、被長打率は被打率と比べても、明らかに低い。
たとえ打たれてもそれを大きな傷口にはしない、回復能力があるのだ。
大学時代の前、ワールドカップからそうだ。
世界的な大会に出て、一番プレッシャーのかかるクローザーをやって、全くコントロールミスがなかった。
あれは技術ではない。技術もあるが、同時にメンタルも必要なのだ。
上杉もメンタルに優れたピッチャーであるが、おそらく直史はそれ以上。
でなければ明らかにフィジカルで優る上杉と、互角の投げ合いなど出来ないだろうから。
大介の脳裏には、直史のピッチングが残っている。
それが消えないままに打った第一打席は、打った瞬間にミスショットだと理解した。
センターへのフライで、まずはワンナウト。
ストレートのホップ成分では、直史よりも武史の方が上なのだ。
そして球速自体も、武史の方が上。
そのあたりを理解しているはずなのに、ミスショットであった。
今日の先発の大原は、クオリティスタートのピッチャーだ。
完投能力は高いが、それなりに失点をする。
だからこの一回の表に、先制点がほしかった。
(もうプレイオフを見据えて戦わないといけないんだろうけどな)
大介はバットをグラブに持ち替え、ショートのポジションへと走っていった。
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