第25話 雨上がりの甲子園

 甲子園も終わり、ようやくライガースは本拠地で試合を行うことが可能になった。

 そう思ったフェニックスとの三連戦、あいにくの雨で一試合目が順延。

 二戦目も小雨が降ったり止んだりと、微妙なコンディションだ。


 大介は雨が好きではない。

 ボールも足元も滑って、計算外の要素が多く出てくる。

 実力以外の部分で負けるというのは、競技者にとっては許容しがないものなのだ。

 だがそれでも、実際にこの雨の中で、試合をしなければいけない場合はある。


 先発のローテはずれていって、この第二戦は阿部。

「今日はともかく、また明日も流れそうっすね」

 そう言っている選手もいるが、大介としては試合が流れてくれるのはありがたい。

 なぜなら骨折が治るまでの、時間が稼げるからだ。


 今日でちょうど、骨折から一週間。

 指の腫れはもうないが、さすがにまだ痛みはある。

 ここで無理をして、骨が変形でもすれば困る。

 なので大介はまだ、右打席に入るのだ。




 小指の骨折以降も、大介は打って打点をつけている。

 さらに万全の状態と違って、ボール球を打ちに行かない。

 その分長打力も減っているのだ、と認識して、投げるピッチャー。

 大介はランナーがいる状況で、右打席でホームランを打ってのけた。


 試合自体は、先発の阿部がぽろぽろと点を取られ、ライガースの敗北。

 五月から七月にかけて、八連勝した阿部であったが、これで二連敗。

 前の試合で上杉と投げ合って、敗北したのが響いている。

 あの試合は珍しく上杉が失点、大介が骨折してまで得点してくれた試合であった。

 それでも負けてしまっているのは、投手陣が二点を取られたからだ。


 今年三年目の阿部は、既にエース格の扱いを受けているが、安定感はまだ微妙である。

 高卒から三年目なのだから、それでも無理はないと、首脳陣は考えている。

 統計的に見て、阿部はいい数字を残している。

 だがその数字を一気に悪化させるような、今日のような試合もあるのだ。


 真田が本当にエースだと言われるのは、この揺らぎがおおよそないからだ。

 防御率は1点台で、負けた試合はだいたい相手も怪物クラス。

 同じくエースの山田も、今年は三連敗した時期がある。

 だから阿部は、まだまだ成長の途中なのだ。


 大介としては、今年でプロ九年目。

 まだ20代の若手ではあるが、もう間違いなく新人ではない。

 ベテランの選手たちも、多くが引退していった。

 功成り名遂げて引退した者もいれば、戦力外通告を受けた者もいる。

 大介などは別に行使するつもりもないが、海外FA権を今年で取得する。

 ただ単純にメジャーでやりたいだけなら、もっと早くにポスティングという手段もあった。


 ライガースから海を渡った柳本も、あちらで既に引退した。

 メジャー球団が大介を調査しているのは、周知の事実である。

 九年目にして、まだまだ成長を続ける異次元の怪物。

 メジャーに来るならその選手としての価値は、より高いものになる。

 なぜかと言えば単純で、上杉や直史がいないからで、その代わりを務めるようなピッチャーもほぼいないからだ。


 日本に比べても、メジャーのピッチャーは不足している。

 チーム数が多いために、本当の一級品は少ないのだ。チーム数を増やすことを方針としているが、それに相応しい選手が合わせて増えるというわけでもない。

 当然ながら試合で超一流のピッチャーと当たる回数も少なくなる。

 世界中の才能を集めているはずのMLBでも、全く興味を示さない上杉や、大介がいるのだ。

 この二人が国際試合で他国を蹂躙するほど、MLBのレベルにまで疑問がついてきたりする。


 二試合目を落としたライガースは、三試合目の逆襲を図る。

 だがこの三試合目も、雨で順延。

 八月の甲子園で戦える試合は、タイタンズとの二試合だけになった。


 甲子園の熱気が残るうちに戦えば、ライガースは有利。

 例年ならばそう考える大介であるが、さすがに今年は雨での順延を感謝した。

 8月30日、タイタンズとの三連戦初戦。

 三番ショートとして、大介は試合に臨むのであった。




 利き手の指を骨折して、それでも試合に出る時点で、頭がおかしい。

 そしてそんな状態からでもホームランを打つあたり、存在の根底がおかしい。

 骨折から一週間ほどで、治ったとか言っているのもおかしい。

 そもそも今では当たり前のバッティンググローブを使わないところも、限りなくおかしい。


 ただ治癒速度が普通と違う体質の人間は、確かにいるのだ。

 なお代謝が活発だからといってテロメアの短くなるのが早く、寿命が短いとかいうわけでもない。

 傷がついたりしたら、全力で体がそこを治しにかかる。

 生物としては、あって当たり前の機能が、優れているというだけだ。

 もっとも大介は、肉体の性能自体が、体格以外は全ておかしいのだが。


 そんな大介が、久しぶりの公式戦で、左で打っている。

 試合前の練習では、右で打っていたはずなのに。

 それを見ていたマスコミなどは、確認もせずにいきなり左で大丈夫なのか、というごく自然の疑問を思い浮かべる。

 タイタンズ側も、むしろこれは好機なのでは、と思ったりする。


 今年もタイタンズは、成績は絶不調。

 ただ個人成績では、キャリアハイを達成しそうな選手もいる。

 その中の一人である井口は、今年で大介と同じ九年目。

 ルーキーイヤーから一軍出場が多かったため、海外FA権が発生する。

 果たして今の井口に、タイタンズがどういう条件を出すのか。

 それとも去年の国内FA権取得時に、移籍しなかったことで安心しているのか。

 現在のタイタンズの惨状を見れば、MLBに挑戦したいと思っていてもおかしくはない。




 一回の表のタイタンズは、四番の井口に回ることなく、三者凡退。

 今日の先発は大原なので、ある程度の点の取り合いが予想される。

 そしてタイタンズは一回の裏、ランナーを出さずに大介の打席を迎えることに成功した。

 バッテリーは外に二球外して、様子を見る。

 故障前の大介であれば、ボール球でも打ってしまっていた。


 一つ内に入れて、腕を畳んで打てるのか確認しよう。

 そういう意図の元で、投げられたのが内角ぎりぎりの球。

 大介は体を開きつつも、スイングの起動を遅くして、打球を打ち上げた。

 ライト方向への打球は、そのままスタンドに吸い込まれた。


 なんだかんだ言いながら大介は、まだ以前のような、完全な空間を走っていく打球は打てていない。

 だが右で本格的に打っている間に、もう一つの感覚を手に入れていた。

 ここまでの高みに上り詰めながら、まだまだ成長の気配がある。

 フィジカルではなく、テクニックの問題だ。


 ダイヤモンドを一周した大介だが、ハイタッチは左手だけ。

 右手は実のところ、まだそれなりに痛いのだ。

 それでもボールが来たら、打ってしまう。

 バッターの本能が、肉体の痛覚を凌駕しているのだ。

 かくしてホームランキングは復活を遂げた。


 骨折によって、期待されていたホームラン記録の更新は、さすがに無理かと思われたのだ。

 だがそれでも大介はその状態からホームランを打って、この試合でもホームランを打った。

 64号ホームラン。

 残された試合は、22試合。

 三試合に一本打っていたら、71号までは到達する。

 それはここまでの大介の成績を見ていれば、たやすいことにも思えたのであった。




 タイタンズは成績の低迷が著しいだけに、勝利だけを目指して作戦を考えるべきなのである。

 ライガースの先発の大原は、それなりに点を取られるピッチャーだ。

 それでもこの六年ほど、先発ローテを完全に守ってきている。

 ある程度の勝率に加え、耐久力が高いピッチャーだ。

 だがそれと同時に、防御率が低いわけでもないピッチャーでもある。

 

 大原から逆転することは、それほど難しいことではない。

 だがもちろん、追加点は取られたくない。

 大介はこの試合、二度の敬遠に会ってしまう。 

 試合も3-5でタイタンズの勝利となった。


 ただし殴り合いが通じるのはここまで。

 ライガースは第二戦を真田、第三戦を山田に任せている。

 ここに復活した大介の打撃力が加わると、敬遠をしまくってロースコアゲームになる。

 ただし誰にも言っていないが、大介はまだ右手の状態は万全ではない。

 だから歩かされて塁に出ることも積極的に選ぶし、盗塁もあまり積極的にはしかけない。

 他の球団にそれが気づかれるのには、少しかかったが。


 この第二戦、大介はヒット一本。

 だが二度も歩かされたことにより、打率も出塁率も上昇したのであった。

 そしてここで、八月も終わる。

 残暑も厳しい中、大介の八月の成績が確定した。


 打率0.333 出塁率0.56 OPS1.545

 打点23 ホームラン13 盗塁9


 大介にしては、かなりおとなしい数字である。

 ホームランに狙いを絞ったため、今年はいけるのではないかと思われていた最多安打のタイトルから、一歩遠ざかってしまった。

 過去誰一人として成し遂げていない、打者六冠。

 毎年及ばない最多安打のタイトルを、今年も取れないのだろうか。

 だが、今年の通算打率はまだ0.425

 自身の持つシーズン打率記録を、完全に塗り替えるペースである。


 大介の契約的には、ホームラン記録を更新するのと、最多安打のタイトルを取るのでは、どちらも同じインセンティブが発生する。

 しかしそれならホームランの方は来年以降にして、最多安打での六冠制覇を目指すべきではないだろうか。

 大介以外にも、打者五冠までなら達成した選手は五人いる。

 鬼門なのは盗塁王で、五人の中でこれを達成したのはイチローだけである。

 大介は打率が高すぎるし、長打率も高すぎるため、どうしても勝負を避けられることが多くなる。

 そのため最多安打を取れない。

 少ないヒット数で打点を多くしようと思うと、長打率が上がっていく。

 するとますます、勝負される絶対数が少なくなってくる。

 無理にボール球を打ちにいけば、それだけ打球の打ち損じも多くなる。

 なので打率は下がってしまうが、それでも四割前後を維持する。


 ピッチャーにとっての悪夢であり、タイトルを競う同リーグのバッターにとっても悪夢。

 キャリア八年で、三冠王七回、五冠王五回。

 ここまでやってくれるなら、六冠王という記録も見せてほしいものだ。

 この月はこれだけのOPSやホームランを打っておきながらも、大介だからという理由で、打率と決勝打で上回る、樋口が月間MVPに選出された。

 忖度を感じられるが、大介としては月間MVPは、インセンティブに入っていないのでどうでもいい。




 大介は自分の成績にも、もちろん興味はある。

 だがいくら空前絶後の成績を残しているからといって、ここからまだどんどん年俸を上げるのは、さすがにライガースも無理なのではないかと思ったりもする。

 大介の他にも、真田や山田、大原に西郷といったあたりは高額年俸だ。

 また若手とはいえ阿部も相当の結果を残しているので、今年も一億からの倍増があってもおかしくない。


 ライガースには、年俸を下げられるような働き方をしている選手は、少なくともスタメンの中にはいない。

 それに今年は孝司が入ってきたので、ここでも年俸を上げる必要はあるだろう。

 これまでが安かったので、いきなり一億とかにはならないと思うが、間違いなくライガースの投手陣の成績を上げた。

 ただしそのあたりの全員を合わせても、大介の年俸には届かない。


 こんなにもらっていいのかとも思うが、プロにおいてはすごい=高いのである。

 GGやベスト9など、大介を評価しない数値はどこにもない。

 毎年のように繰り返され、塗り替えられる記録。

 数字に囚われれば、おそらく成績は落ちる。

 常に目の前の対戦相手を見て、それに勝つことを考えないといけない。


 今年はレックスが、異常なほどに強い。

 ライガースも例年なら、圧倒的な勝率を残してはいる。

 だがおそらく今年のレックスは、記録を塗り替える。

 これまで大介は、自分の個人成績では、過去の数字をほとんど塗り替えてきた。

 だが直史の入ったレックスは、チーム自体が圧倒的に強くなっている。


 大介の経験は、高校野球のほかには、国際試合が主なものだ。

 その中でなら、直史の影響力が圧倒的なのは、理解できる。

 甲子園であそこまで、無失点で抑えきった支配力。

 国際試合ではクローザーとして、また先発としても球数制限の中で、実績を残してきた。


 だがプロにおいては、どれだけ頑張っても先発ローテの六人の中の一人。

 もちろん一人で20勝も貯金しているのだから、それはそれですごい。

 しかし直史の与えている影響は、自分の勝ち星だけではないのだ。


 直史は基本的に、完投してしまう。

 この継投が当たり前となった時代に、無理なく100球以内で、完投して完封してしまう試合が多い。

 これはつまり、リリーフ陣をあまり使わなくてもいいということだ。

 それだけリリーフ陣が休めるので、レックスはここまで、豊田が少し離脱した以外、リリーフ陣の不調がない。


 20勝するピッチャーだから、という理由だけですごいのではない。

 その中で完投するから、よりチームの戦力を休ませることが出来るのだ。

 そして完投能力は、武史も高い。

 この二人でおおよそ、30試合ほどはリリーフ陣を休ませることが出来る。

 ライガースにも山田と真田、そして阿部というエースクラスピッチャーはいるが、そこまで完投は多くない。

 むしろ完投数では、大原が毎年ナンバーワンなのである。

 壊れることもなくイニングイーターとして存在する大原。

 おそらくこいつの存在が、ライガースを地味に支えている。




 九月に入ってゲーム差は7.5と、普通ならマジックが点灯していてもおかしくはない。

 だが今年はレックスとライガースの対戦を重く見たのか、九月にこの両者のカードが偏っている。

 この間は直史にパーフェクトに封じられたライガースであるが、その後もレックス相手の対戦成績は悪くない。

 まるで、怖いのは直史だけだ、とでも言えそうな勝ちっぷりである。

 ペナントレースで優勝すれば、クライマックスシリーズでも優位に戦える。

 その優位の分を足しても、ライガースが日本シリーズに進める可能性は高いと思える。


 もっとも、それはクライマックスシリーズで、レックスが直史をどう使ってくるかにもよる。

 日程的に考えて、第一戦と最終戦というのが、常識的な範囲内であろう。

 だが直史は、球数を少なくして勝つことが出来るピッチャーだ。

 最近の試合を見れば、一試合の中でストレートの球速が、150km/hに達していない試合が少なくない。


 これはおそらく、終盤のペナントレースにおいて、無茶をするのを防ぐため。

 あるいはかなり確率は低いが、ライガースの逆転を防ぐため。

 ビッグマウスではない直史だが、マスコミのいないところでは、色々と有言実行なのだ。


 高校時代に、シーナから聞いた話を思い出す。

 打線が二点を取って、守備にエラーがないのなら、甲子園に連れていってやると。

 実際に直史は高校三年間、エラー絡み以外で三点を取られたことはない。

 そして大介の知る限り、この無茶苦茶な基準は、どの試合でも達成している。


 安定しすぎている、とでも言うか。

 だが実際には、味方が一点も取ってくれずに、あるいはエラー絡みなどで、負けた試合はあるのだ。

(正面から戦って、打ってみたいけどな)

 それも難しいのだと、大介には分かっているのだった。

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