第83話 歴史に並ぶ

 記録が迫っている。

 それも一度はタイ記録を記録した男の記録だ。

 6フィートどころか5フィート6インチもない小男。

 東洋の島国からやってきた男は、確実にMLBの記録を塗り替えている。


 ナ・リーグ中区のミルウォーキー・ビールズとの三連戦。

 ホームのシティ・スタジアムでの試合ということもあり、シーズン序盤としては珍しいことに、満員になっている。

 オーナーのコールとしても喜びに包まれており、大介は安い買い物であった、と日々思う次第である。

 二年契約で、その二年目は1800万ドルにインセンティブという高額だが、これだけの集客力に比べればやはり安い。

 早めに長期契約に切り替えるべきかな、とこの時期に既に思っている。


 GMのビーンズとしても、大介の活躍は予想外だった。

 いや、こんなものを予想できたはずもない。

 しょせんは島国の野球という偏見が、本能レベルで染み付いていたのか。

 ただ過去にステイツを襲った日本の嵐は、もう少し分かりやすいものであった。

 もっとも日本時代の成績を見れば、ある程度の活躍は期待できた。

 そのある程度というのが、600万ドルという数字だったのだが。


 二年目の1800万ドルは、あくまでも球団の行使しなければいけない上限。

 インセンティブを含めても、2500万ドルほどで一年間これだけプレイさせることが出来たら、それで充分ではないか。

 三年目以降はどういう契約を結ぶべきか。

 もちろんそれまでに大きな怪我をすれば別だが、大介とは契約を延長するべきだと思う。

 そもそも本人がニューヨークにいることを望んでいるので、あの悪の帝国にさえ気をつければ、どうにかなる。


 ただ、これが本当にずっと続くのか。

 別に大介の体格の問題だけではなく、故障によってパフォーマンスを落とす選手は多い。

 もっとも大介の場合、骨密度や筋肉量からいって、接触プレイ以外では、そうそう故障もしないようだとメディカルチェックは受けているが。

 あとは気になるというか、どうしても仕方がないのは、ドーピング疑惑だろう。

 既にこのシーズン、三度の検査を実施されている。

 もちろん全部シロであるが、疑われるのは仕方がない。

 本当に人間が、しかもあんな体格の人間が、こんなプレイが可能だとは思えないからだ。


 ただこのあたり、日本人選手は本当にクリーンだ。

 そもそも過去のMLBの薬物問題についても、禁止されていなかった頃にまで遡って罰則を適用するべきなのか、などと言われることもある。

 しかし薬物が確定された選手は、殿堂入りを拒否されている。

 そもそもマスコミによって決定される今のシステムが、絶対にいいとも思われていない。

 日本の沢村賞にしても、江川問題においては随分と選出委員であるマスコミが叩かれたものだ。


 ただ、殿堂入りはNPBにおいても、マスコミの野球報道に関わるものから、委員は決められている。

 いっそのことオールスターのように、人気投票枠を作ってもいいのではないかと思わないでもない。


 この日は忙しいオーナーのコールも、GMであるビーンズと共に試合を見ていた。

 そして大介の打球が、スタンドに突き刺さるのを見つめる。

「ペイロールは拡大する。なんならもう今年のオフにでも、長期契約をしても構わないぞ」

 ケチではないが道楽でもないオーナーの言葉に、ビーンズは頷くのであった。




 ファンにとっての一番は、やはりチームが勝つことである。

 しかしホームランさえ見られたら、それで満足というファンもいる。

 たとえば最近のオールスターなどでは、本番の試合よりもホームラン競争の方が、視聴率が高かったりとすることもある。

 あまりホームラン偏重になってしまうのも、長期的に見ればよくないのだろう。

 ただ最近は一人のピッチャーが、どんどんとバッターを打ち取っていっても、球数制限で途中で代わってしまう。

 戦術的に見ればおかしくないのだろうが、そのあたりピッチャーに対しては、魅せるピッチングが難しい時代とも言える。

 先発の数を増やして、ローテの間隔を空けた方がいいのではないかと、日本人選手だったら一度は思うことである。


 ビールズとの第一戦でまた一本のホームランを打っていた大介だが、MLBは本当にホームラン偏重だな、とスラッガーでありながら複雑な思いであった。

 高校時代にやっていた野球は、その試合を勝つことに最大限こだわる野球。

 統計がどうであろうと、とにかく勝たなければ意味がない。

 大介は純粋に、ホームランを狙った方が、その試合の流れを決めるから打っているだけだ。

 その気になればバットコントロールで、長打を捨てて安打を増やすことが出来る。

 ……嘘じゃないよ?


 四月は残り四試合。

 四本のホームランを打てば、月間の本塁打記録を更新することになる。

 だが大介が不思議なのは、三月と四月の合わさっている四月が、一番こういった記録は出やすいのではないかということだが、実際には六月に月間20ホームランは達成されている。

 試合のスケジュールを見れば分かるのだが、四月などはそれなりに休みが多い。

 だが五月は今年の場合、後半に18連戦というのがある。


 体力オバケの大介であるが、これは精神的にきつい。

 正確に言うとこの連戦は、六月にまで続いて20連戦となる。

 本当にきつい。肉体的にはともかく、精神的にきつい。

 プロになったと言っても、NPBでは基本週に一度は休みがあった。

 移動である程度その休みは潰れても、そこからさらに試合というのは少なめだ。

 ひょっとしたら比較的移動の多いパの選手の方が、MLBに適応するのは早いのでは、などとも思ったりした。


 ただ大介は今のところ、ほとんど敬遠ではないかというフォアボールは、あまり投げられていない。

 申告敬遠は四度されているが、日本時代に比べればはるかにマシだ。

 もっともこの成績がまだ続けば、それも増えてくるのだろう。

(あんまり記録には興味ないけど、それでファンが喜ぶならやってみるか)

 ミルウォーキーとの第二戦、大介はまたもホームランを打ったのだった。




 MLBは過去に何度か、危機的な人気の低落を経験している。

 サイン盗み疑惑などもあるし、それ以前にはステロイドのドーピングもあった。

 ロックアウトで試合がなくなり、その時が完全に見放される危機であったとも言われる。

 それがまだしも復活したのは、要因の一つに日本人投手の活躍があったりする。

 その後に行われたホームラン王競争は、後にステロイドの使用が発覚し、かえって全体への不審を招くことにもなった。

 このステロイドによるドーピング全盛期に作られた多くの記録のせいで、MLBの記録の多くを更新することが難しくなっている。

 それもまた野球人気の低下につながっていると言われるのだが、これはけっこう一方的な見方である。


 確かに観客動員数は例年、ほぼ横ばいかやや低下している。

 だが幾つかの要素、たとえば当日券のチケット販売はむしろ増していたり、マイナーの試合のチケット販売は増えていたりする。

 これを考慮するに、ある者はMLBのローカル化、ということを言った。

 フランチャイズとして、各球団が地域に根ざしているのだ。

 特に普段は弱くても、数年をかけて強くしたチームが順位を上げてきたときは、観客動員が一気に跳ね上がる。

 つまりおらが村のの英雄、という認識が強い。


 そう思えばワールドシリーズの視聴率が低くなるのも、ある程度は説明がつく。

 自分の応援するチームが出場でもしていない限りは、興味がなくなってしまうのだ。

 地上波放送などでも、全土において放送される試合は少ない。

 つまりチームの人気選手はいても、MLBを代表する選手が、アメリカ全土で人気になるわけではない。

 ただそれでも、本当に歴史的に突出した選手が現れれば、それも変わるということか。


 とりあえずそんなことを、GMのビーンズに招かれて、大介は聞かされたわけである。

「私自身は統計を使った現在のチーム作りを改める必要は感じないし、そもそも勝利を目指すためには統計を信じることが必要だ」

 ビーンズはその中でも特に、出塁率は重視する。

 ホームランバッターはどうしてもOPSが高くなる傾向があり、年俸がネックになるのだ。

「私の年代だと、ヒットや送りバント、盗塁を使って相手の作戦を読み合う、昔のベースボールが魅力的だということも分かる。だが現実で勝率を上げるためには、三振を多くしてでも全員がホームランを狙っていった方がいい」

 それに関しては大介も聞いていた。


 ホームランを狙って、そして三振も多くなる。

 打率よりもOPSが重視されるので、それが統計的には正しい。

 ただポストシーズンのプレイオフになると、かなり送りバントなども増えてくる。

 一試合の価値が高くなるため、統計で判断するには、試す数が少なくなるからだ。


 色々と話をしたが、ビーンズが言いたいことはまず一つ。

「連続試合ホームランのタイ記録を作ってくれたことはありがたい。抜かしてしまうとなんだかんだと言われるが、ナチュラルな肉体でもホームランの連発は可能だと示してくれた」

 大介が何度もドーピング検査を受けているのは、逆にそれによってクリーンであることを示している。

 月間20本のホームラン記録に並んだら、ボーナスを出すとオーナーも言っている。

「それで忠告と言うか注意してほしいんだが、食事や飲み物はどうしている?」

 ビーンズが言っていることの意味は、大介にも分かった。

 WBCでも散々に注意されていたことだ。


 大介がクリーンに記録を出すことを、望まない者がいる。

 誰か、とは特定しにくい。強いて言えば白人と、それに対抗する黒人で形成された、アメリカ社会とでも言おうか。

 敬遠などでのスマートな回避ならばまだいい。

 だが大介の食事や飲料に、故意にドーピングに引っかかる物質を混ぜる。

 そして検査に引っかからせて、大介の記録を意味のないものとする手段を、ビーンズは恐れているのだ。

 汚れた英雄は、もう二度と純白には戻らない。

 まあ大介は移籍の経緯からして、ちょっととんでもない人間だとは思われているのだが。


 ビーンズがGMとして、一人の選手にここまで注意するのは珍しい。

 だがそれだけ重要なことなのだ。

「君の妻たちにも、ちゃんと出所の分かる食材を使うように。また試合中の飲み物などは幸いにもウィルがいるから彼に常に注意していてもらうよう気をつけたまえ」

「了解!」

 また厄介なことになってきたなと思いつつも、大介は自分の身は自分で守ることの大切さを痛感する。


 この日、ミルウォーキーとの最終戦、大介はまたも一本のホームランを打つ。

 これで月間19本目のホームランとなり、最多タイ記録にまであと一本と迫るのであった。




 世界各地に、巨人信仰というものはある。

 巨木や巨石と同じように、人間は純粋に巨大なものに対して、畏怖することがあるのだ。

 そしてそれと同時に、巨人を倒す小柄な英雄の話もある。

 ダビデとゴリアテの話が有名だろうが、日本で言うなら一寸法師、あるいは歴史上の創作だが牛若丸と弁慶の話などもある。


 大介の使うバットは、もちろん規格内のものであるのだが、明らかに他の選手のものより長い。

 小さな男が巨大なバットを持って、大男の投げる物体と対決する。

 どこの英雄譚だろう?

 大介の体が小さいことは、なんだかんだ言いながらも、その骨格につく筋肉の制限があるので、限界がある。

 いや、ねえだろと思われるかもしれないが、あるはずなのだ。

 その体格のハンデを乗り越えて、巨人たちの跋扈するMLBで活躍する。

 特にパワーの象徴であるホームランを量産するのは、ただの大男のホームランよりも価値がある。


 この日、月間ホームラン記録のかかった試合の前に、多くのマスコミが取材に来ていた。

 ただ大介の場合は本当にマスコミが邪魔になれば、杉村をどこかにやって「アイキャントスピークイングリッシュ」が使える。

 もっとも大介番のマスコミは、日本からも何人も来ている。

 基本的に大介はビッグマウスではないので、なかなか記事を作るのは難しい。

 だが質問にはちゃんと丁寧に答えてくれるので、あえて無茶な記事を書きでもしない限りは、ちゃんとした記事が作れる。

 会社の老害どもは、昔はSNSもなくて良かった、などと言っているが、当時の無茶な世論誘導などの、被害を受けているのが今の第一線にいる記者たちだろう。


 大介は基本的に、油断しない人間だ。

 だから相手を甘く見て、下手な大言壮語をするということもない。

 だが同時に相手を、必要以上に大きくも見ない。

 

 四月の最後の二日間、対戦する相手はナ・リーグ中地区のシンシナティ・ストッキングス。

 実はアメリカ合衆国において最古のプロ野球球団は、ニューヨークでもロスアンゼルスでもなくこのシンシナティである。

 古いだけあってワールドシリーズの優勝の経験もあるが、21世紀に入ってからは最高でも地区優勝。

 この10年間ほども、地区最下位が半分近くある。


 弱いチームであるなら、大介もホームランを打ちやすいのではないか。

 その考えは単純すぎる。

 実際のところは大介を相手にできるだけの、力を持ったピッチャーがいないと、勝負すらされない。

 もっともさすがに全打席四球など、そういったことは出来ないだろうが。




 この試合における大介の打席は、また二番になっている。

 少しでも多くの打席を回したいのと、後ろに高打率バッターを置くことで、歩かされる可能性を少しでも低くする。

(しかし、さすがに記録を打たれるのは、だいたいのピッチャーが嫌だろうしなあ)

 およそ一ヶ月もレギュラーシーズンを戦ってきて分かったのは、MLBはNPBよりも割りと平気で、ボールをぶつけてくるということだ。

 さすがに大介も、あんな報復打球をしておいて、まだ投げてくる馬鹿がいるとは思わなかった。


 二人目は体にぶつけたため、入院するほどの騒ぎにはならなかった。

 だが大介のバットコントロールを見ていると、確実に報復は出来るのだと、ピッチャーも分かってくる。

 そんなわけで大介相手には、基本は外の球で勝負してくる。

 そして他のバッター以上に、大介の外角のストライクゾーンは広い。


 テレビ中継などを後から見れば、明らかにストライクゾーンから外れているのは分かる。

 そんな舐めたことをすれば、審判相手でも合法的に仕返しをするのが大介である。

 だがちょうどいいファールチップを打って、審判のマスクに当てるのは難しい。

 何より当たっても、深刻なダメージになることは少ない。

(ショートからのバックホーム送球を当てるのは、ちょっと違うしなあ)

 それをやったら自軍のキャッチャーが、普通にキャッチしようとしてしまう。

 味方の足を引っ張ってまで、報復はすることではないのだ。


 外角で勝負されて、しかもそれが広いのでは、なかなかホームランを打つのは難しい。

 だが外に極端にゾーンが寄っていると、簡単にカットはしてしまう。

 さすがにボール二つも外れていれば、どんなクソ審判でもストライクコールは出来ない。

 そしてたまに投げられる、内角の球を、腕を畳んでライトに運ぶ。


 開幕28試合目にて、20本目のホームラン。

 また一つ、MLBの歴史に大介は並んだ。



×××


 ※ 沢村賞における江川問題

 かつて日本のピッチャーにおける最高の栄誉である沢村賞に、明らかに成績において優れていた江川ではなくその同僚である西本が選ばれた問題。

 当時はとにかく入団の経緯で叩かれまくっていた江川を嫌った各マスコミの投票者が、自分ぐらいは江川に投票しないでおこう、という意識を持ったためか、一応は相応しい成績ではあったが、江川には劣る西本が受賞してしまった問題。

 ただこれによって入団からヒール扱いされていた江川も、プロ野球ファン全般からは逆に同情されるきっかけになった事件の一つである。

 現在では選考は沢村賞経験者によって成されており、微妙な結果にはなっても、明らかにおかしな選考になることはなくなった。

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