第120話 オーバーブースト
モーリスを打ち取ったが、六番の村岡はレベルスイングで強い打球を放つ。
三遊間を追いついた大介がキャッチして、切り返してファーストに送球してアウト。
あんな深いところから、やはり間に合うのか。
そんな思いの村岡である。
七番は長距離砲のパットン。
パットンのような選手がまさに、MLBでは稼げなくなってきたから日本に来た、というバッターの典型なのだろう。
本来なら外野だが、今日はファーストに入っている。
一応は内野と外野が出来るのが、彼の強みだ。
純粋なスラッガータイプの助っ人が、なかなか入ってこなくなった昨今は、パットンのようなプレイヤーも求められる。
ここで三振してしまうあたり、モーリスとは違った経歴と言える。
二回の裏は、メトロズの先頭は四番のシュレンプ。
だがアウトローの出しいれで手が出ずに、見逃し三振をしてしまう。
あれだけのコントロールを持つピッチャーはそういないと言ったが、まだ評価が不十分だなと思う。
続くペレスも三振し、凡退続きの事実がじわりと、メトロズの中に染み込んでいく。
二回の裏が終わって、まだノーヒット。
それに大介はちゃんと気づいているが、球数が極めて少ない。
(これは今日も完投するつもりで投げてるな)
あるいはそれ以上のことをか。
ふと大介の思考は、世俗の世界に戻ってきた。
直史は今年、この試合が終われば11月の末には、ポスティングの公示をするわけだ。
球団は既に決まっているが、その条件まではしっかりと決めてあるのか。
直史は金の亡者ではないが、金の大切さはよく知っている。
契約の金額を良くするため、あるいは雇用条件を良くするため、もしくはインセンティブ契約のために、この試合を試金石にすること。
彼の性格であれば、充分にありうるはずだ。
それを不純だとは思わない。
そもそもメジャーリーガーなどというのは、だいたいが一攫千金を夢見ている。
そして金持ちになって、引退してから破産するまでがパターンだ。
ひどいと現役中から既に借金まみれになっていることもある。
せっかくの身体能力を持っていても、資産運用はそれとは別の能力だ。
管理人を選んだとしても、騙される可能性がある。
そういう意味で大介は、財布の紐がしっかりとした嫁を選んだと言えるだろう。
三回の表、レックスは下位打線から始まる。
(とは言っても、油断できないやつをラストバッターに持ってきてるよな)
ショートから見守る大介はネクストバッターズサークルの小此木に注目する。
自分や、あと知り合いの選手が高卒からバリバリと活躍するから気にしなかったが、基本的に高卒の選手は即戦力にはならない。
特に野手は金属バットから木製バットへの変化、そして高校の甲子園トップレベルがプロの最低限ということで、プライドをズタボロされることも多い。
甲子園でさえおおよそ八割を打っていた大介は、ポストシーズンのプレイオフで集中力を増しても、さすがに六割は打てない。
五割は打ってしまうあたり、やはり怪物であるのだが。
ワンナウトから出てきた小此木は、粘った末に内野の頭を越えてヒット。
ショート方向であったなら、大介が飛びついてキャッチしていたかもしれないが。
そして上位に戻って西片の打席になる。
(西片さんか)
大介がプロ入りした時は、ライガースの先輩としてお世話になったものだ。
家族のために移籍をしたということで、ライガースファンからのヘイトもなかった。
そして選手としては、クレバーなバッターである。
おそらく対戦しているメトロズの守備陣は、かなり戸惑っているだろう。
あえてゴロを打つという選択を、日本ではプロでも行う。
ここも西片は上手くゴロを打ち、緒方へとつなぐ。
緒方も油断の出来ないバッターだ。
レックスはそもそも、一発屋というのがあまりいないチームというイメージだ。
助っ人外国人のモーリスでさえ、ある程度の打率を求めている。
あえて下位打線に置いているパットンあたりが、本当のロマン砲ではないだろうか。
ツーアウト二塁で二番の緒方。
大介とさほど変わらない体格だが、ホームランまではいかなくてもかなりの長打を打ってくる。
基本に忠実なそのスタイルから、レフト前にヒット。
浅い打球であったので、小此木は三塁で止まる。
さっきの三塁で刺されたシーンが、イメージとして残っていたのだろう。
ツーアウト一三塁。
そしてバッターは三番の樋口。
公式戦であれば間違いなく、敬遠を進言するところだ。
そうでなくてもこの場面なら、確実にアウトを取りやすくするために、ランナーにしてしまってもおかしくはない。
ただその後に四番が控えているので、確率的には樋口でアウトを取っていくのがいいのかもしれないが。
樋口はクラッチバッターだ。
あるいは自分よりも、と大介でさえ思う。
あの二年の夏、逆転サヨナラホームランを打たれたのは、白富東にとってはそれなりのトラウマだ。
おそらく岩崎などは、今でも夢に見るのではないか。
(しかしまあ、どうやって組み立てて投げていくのかね)
先ほどはデッドボールであったため、樋口相手にはまだ何も試していないに等しい。
ならば外角から入って、バッターの様子を見るか。
そんな大介の予想は正しかった。
初球はアウトローに少し外れるスライダー。
しかし予想外だったのは、読みでゾーンのボールをしっかりと打つ樋口が、この初球のボール球を振ってきたこと。
そして打球はライトの頭を越えて、フェンスにまで届いた。
初球はあそこに外すと、ヤマを張っていたのか。
確かに大介も、ボール球にヤマを張って打つことはある。
樋口らしくはないが、しかし読み合いには勝っている。
小此木はもちろんホームを踏み、一塁ランナーの緒方も三塁を蹴る。
ここは少し甘かった。
大介がMLBに入って驚いたのは、内野でも外野でも、守備の肩の強さが明らかにNPBを上回ることだ。
純粋なパワーによる送球。
それがホームにまで戻ってきて、緒方はタッチアウト。
先制点は取ったもののチャンスは持続しない。
逆襲すべくメトロズの攻撃が始まる。
三イニングを投げて、まだオットーの球数は41球。
消耗度合いを考えるなら、別に代えるほどのものではない。
だがここまで一つも三振を奪えていないのだ。
なのでFMのディバッツは、ブルペン陣に肩を作らせ始める。
正直なところ、ピッチャーを打てないのはまだしも、あちらのバッターがこれほど打ってくるとは思わなかった。
特にあの、樋口の完全なボール球を、フェンスまで運んだ打球。
あのあたりは大介に似ている。
日本時代の大介が三番であったこともあり、そこから影響を受けているのか、とも思ったりした。
ピッチャーはたくさん投げさせた方が、お祭り騒ぎの感覚が出ていいだろう。
それにオットーは最初から、かなり打たれてしまった。
本人の油断という部分は、なきにしもあらず。
立て直すよりも交代したほうがいい。
それに三イニングというのは、分かりやすいタイミングだ。
これからも三イニングずつで代えていこう。
ブルペンで肩を作るのは、モーニングにスタントンにウィッツ。
さすがにこの三人で、七回ぐらいまではいけるだろう。
そして最後はランドルフに投げさせる。
勝っていても負けていても、クローザーは使うのだ。
セットアッパー以降のピッチャーはとにかく奪三振能力が高い。
これによって先取点をいれていれば、余裕で逃げ切りを果たせたのだが。
まだ三イニングだけとは言え、一本もヒットが打てていない。
MLBでも下位打線は、基本的に打撃力には劣る守備特化の選手を置く。
その点で守備力重視のショートでゴールドグラブ級の守備を見せながら、打撃までおかしいぐらいに打つ大介は、やはり特別なのだ。
七番と八番は内野ゴロを打たせてアウト。
このまま一巡目は終わるかな、と思っていたところで、ラストバッターはボールを振ってこない。
カーブやチェンジアップの緩い球で、内野ゴロを打たせるのが楽だ。
だがやはり直史の、球速の上限値は、相手に対応する隙を与えてしまう。
速球のタイミングで待っていても、だいたいの変化球は打てるのだ。
それでもカットするのが精一杯で、前に強い打球は飛んでいかないが。
ボール球を振らせようとしたが失敗した。
まずはボールを投げさせて、出塁することを優先しているのか。
確かにここで塁に出られれば、次のバッターは大介だ。
ツーアウト一塁からでも、この1-0で負けている試合を逆転してしまうことが出来る。
(上手く選んでいくにしてもなあ)
ベンチの大介の角度からでは、はっきりとは見えない。
だがあの二人であれば、そういうところはどうにかしてしまうだろう。
ストライクとボールを判定するのは、しょせんは人間。
あの二人の悪魔的思考法からすると、これもまた欺く対象である。
(具体的にはどうする?)
投げたボールは、ストレートであった。
そして審判はストライクのコールをした。
そのコールに対して、ネクストからは釈然としないが見える。
おそらく今の球は、ボール球だったのだろうなと思う。
審判によって厳しいコースというのは決まっている。
だが逆にそれは、利用すればバッターが振らないコースになる。
樋口であればフレーミングの技術を使ったのだろう。
MLBのキャッチャーというのはキャッチしたとき、けっこうそのミットを流してしまう。
それでボール判定になるのだが、樋口の場合は動かさない。
動くにしてもミットではなく、体全体を動かす。
ならば審判からは、ストライクのコールを引き出すことが出来るのだ。
ベンチに戻ってきて、審判の判定に文句を言うわけではないが、アウトローは微妙だと報告する。
それに対して大介は、そこだけではないと言っておかないといけない。
「あいつは日本のキャッチャーの中でも一二を争うぐらい、キャッチングは上手いからな。ボール半個分ぐらいなら、普通にゾーンを広げる技術はあるぞ」
もっとも毎球そんなことをしていたら、逆に審判の心象を害する。
フレーミングは上手く使わないといけないものだ。
アウトローに厳しく決めるのは、特に日本のピッチャーは好きなコースだ。
審判がそこをストライクと判定するのが好きだからというのもある。
勝手にストライクゾーンを変えるなと言いたいが、実際のところは普通にあることなのだ。
野球に限らず世の中は、理不尽な判定がまかり通っている。
三イニングまでは、完全に封じられてしまった。
大介としては完全に予想通りである。
むしろここで一点取れていたら、何かの罠を警戒するぐらいだ。
そして四回の表、メトロズはモーニングがマウンドに立つ。
対するレックスは、先頭打者が四番の浅野となる。
さてどちらが勝つのかと、ショートのポジションから大介は見守る。
モーニングは今年の成績をNPB的に見るなら、間違いなくメトロズの大エースだ。
20勝2敗というのは、実は最高勝率ではある。
日本ならば投手タイトルの一つであるが、MLBにはこのタイトルはない。
もちろん数字的には、ちゃんと出てくるものだ。
しかし最多勝、奪三振、防御率のタイトルはあるのに、勝率のタイトルはない。
他にはバッティングの成績であるが、最多安打という部門もない。
もちろん数字の大好きなアメリカ人は、そういった記録を残してはいる。
だがタイトルとしては存在しないのだ。
日本時代には大介も、名球会入りの条件を変えてもいいのではないか、と思ったことがある。
かつては2000安打と200勝だけであったのが、今では250セーブも条件になっている。
どうせそこまで打てれば2000安打にはなるのだが、500本塁打とかも入れていいのではないか。
もちろん2000安打よりも、そちらの方が達成は難しい。
だが日本のシーズン通算1524安打の大介は、575本のホームランを打っている。
ヒットを打てばその三本に一本以上はホームランというのは、人間として何か間違っているような気がしないではないが。
モーニングは150km/h台後半のストレートに、ムービング系のボール、そしてチェンジアップを使う。
そのコントロールもいいのだが、今年の各種細かい数値は、オットーの方が良かった。
ただレックス相手には、どういうピッチングになるか。
四番の浅野は日本の、四番らしい四番だ。
ホームランを狙って打って、最低でも外野フライにはする。
樋口が器用なバッターなので、前にランナーがいた場合は三塁まで上手く進めたりする。
そこで外野フライを打って得点というのが、浅野はものすごく多い。
大介の両国のバッティングの違いを改めて見ると、浅野はスピードにさえついていけるなら、MLBのバッターに近いと言える。
ただしその浅野はもう31歳なので、ここからメジャーに来るというのは難しいだろう。
自分は全く苦労しなかったので実感は薄いが、NPBの野手がMLBで一番苦戦するのは、そのスピードとパワーの平均値の違いだ。
今日の試合であっても、レックスは走塁の判断ミスで二度もアウトになっている。
そのあたりの平均を見ると、やはりMLBはレベルが高いリーグであることは間違いないのだが。
(さっきはレフトフライだったけど、今度はごうかな? ピッチャーが代わっていることもあるし)
出来ればショートの守備範囲内に打って欲しい。
ならば自分がアウトにしてみせる。
交代したばかりのピッチャーに対して、浅野は慎重にいく。
だがそれをいいことに、モーニングは大雑把なピッチングになっている気がする。
ストレートのスピードばかりで、打ち取れるはずはないのだ。
それを本当に分かっているとはとても思えない。
外角の打球を、浅野は振っていった。
その打球はかなり深くにまで飛んだが、それでもセンターが追いついた。
フェンス直前のキャッチであり、あと少しバレルの角度が変わっていたら、ホームランになっていたかもしれない。
モーニングの表情が引き締まって、ようやく本気になってきたように思える。
ワールドシリーズの時を思い出してほしい。
もっと皆集中して、一つ一つのプレイに執念を燃やしていたではないか。
そもそもここまで直史に、ほとんど粘ることも出来ずに封じられていることを認識してほしい。
四回の裏は、大介からの打席だ。
そこで一点が取れれば別なのだが、大介であっても直史から点を取るのは、至難の業なのだ。
どのみち誰かに点を取ってもらうつもりはなかった。
残りの二打席のうちのどちらかを打てば、四打席目は回ってくる。
ただその確率を少しでもよくするためにも、他のバッターで直史の集中力を削って欲しい。
その程度のことは願っても、罰は当たらないだろう。
九回が終わって引き分けでも、それで試合は終了。
もっとも一点は既にリードされている。
直史との対決は、来年には準備されているはずだが、それでもこの機会を失いたくはない大介であった。
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