第121話 セカンドチャンス
四回の表、メトロズの二人目はモーニング。
今年は20勝2敗という成績を残した、つまるところ運命の力の強かったピッチャー。
現在のMLBは評価をセイバー・メトリクスで行うが、それとは別に妙に勝ち運のあるピッチャーはいる。
元はモーニングは、年間30試合以上に先発し、無難に勝利が敗北を上回るピッチャーだったのだ。
それが今年は援護が多く、チーム内では最多勝であった。
最速99マイルのストレートを持つが、それ以上に彼の持ち味は、大崩れしないようにするピッチングのコントロール。
それによってこの試合も、大きな当たりは打たれたものの、しっかりとスリーアウト。
この裏に追いついて、そして追い越したとしたら、勝ち星がつくかもしれない。
あくまでも「しれない」というレベルだ。
一気に逆転することは難しいだろうし、そもそも追いつくことすら出来るのか。
(俺が本気になって、それでも二打席凡退したら、少しは危機感が共有されるのかね)
大介は勘違いしている。
既にメトロズのメンバーは、直史の異常さを認めている。
だがこれはあくまでもエキシビション。
来年アメリカに渡ってくるわけでもあるまいし、具体的な脅威とはなりえない。
……いや、本当にそうか?
「スギムラ、あのピッチャーが来年メジャーに来る可能性はあるのか?」
「いや、ないね」
シュレンプの問いに、一応まだ細かい部分の通訳のためにベンチに入っている、杉村が答える。
「日本のプレーヤーがメジャーに来るには主に二つの方法があるんだ。一つはダイスケのようにFAで来ること。ただし彼はまだまだFAになるには時間がかかる」
元はスカウトであった杉村は、当然ながらこのあたりのシステムは知っている。
「もう一つはポスティングというシステムで、簡単に言うと球団が選手との交渉権をセリにかけるんだ。ただしこれはあくまで、球団が選手の言うことを聞いてくれたらになる」
「そのあたりが良く分からん。交渉権をどうしてセリにかけるんだ?」
「そうだね、MLBであればFA権まであと半年の選手を想像してくれればいいかな。次の年にはFAで出て行ってしまうことを考えたら、一年早くMLBに交渉権を売り渡して、その金で補強などをすればいい」
「金銭トレードに近いものか」
「そうだね」
このあたりまではアメリカのスポーツビジネスを知っていれば、誰でも理解できる。
だがそこで疑問にも思うのだ。
「サトーはFAになるまでまだ時間がかかるのか? 確か年齢は28歳で、シライシは同じ年でもうFAだったんだろう?」
「そこは彼の特殊なところでね。ダイスケは高校からルーキー一年目で一軍でプレイしていたから、もうFAになったんだ。サトーは大学に行って、そこからさらにロースクールに進み、弁護士になってからプロに入ってるからまだ今年で二年目なんだ」
シュレンプのみならず、それを聞いていた選手たちは、とても不思議そうな顔をした。
「……なんで弁護士からまたプロになったんだ?」
「娘の病気の手術のために借金をして、それを返すためになったという噂があったよ」
「ええ……」
それでは完全に、野球選手になりたくて、野球をやっているというわけではないのか。
もちろんあくまで噂話だと、杉村は強調したが。実際には確かに違う。
ともあれ、このピッチャーと対決する機会は、これが最初で最後になりそうだ。
「メジャーのレベルをもっと思い知ってもらわんとな」
シュレンプがそう言ったことで、ようやくメトロズ打線に火が入った気がする。
第二打席目。
第一打席は内角を攻められて、ストレートをしとめそこなった。
改めて感じたことだが、確かに直史のストレートの球速はそれほどでもない。
だが球質が優れていると言うか、標準からはずれている。
たとえば伸びのないストレートを、一般では悪いストレートと言う。
だがその伸びのなさが一定以下になってしまえば、むしろゴロを打たせるタイプのボールになってくる。
ピッチングというものは様々な要素が複雑に絡まりあう。
総合的に標準からどれだけ外れているかが、いいピッチャーの条件なのだ。
またも内角を攻めるかと思ったら、今度は外角。
打てるコースにバットが出てしまうが、ツーシームが去年よりも変化していく。
かろうじて当てはしたが、完全にファールグラウンドへ切れていく。
(ボールの違い、こっちの変化でも出たか)
さっきは逆方向の変化だけであった。
(カーブがまたゆっくり来そうなんだけどな)
直史のカーブは、NPBの中でもトップ5に入るものであった。
特に同じカーブを使い分けていたので、これがまた性質が悪い。
外角の後は内角、というのは一つのパターンだ。
一打席目の大介は内角を打ち損じているだけに、また内角を攻められる可能性は高い。
ツーストライクまでは、ある程度は球種なりコースなりを絞る。それが普通のピッチャーとの対戦だ。
だが直史が相手であると、選択肢が多すぎる。
反射で打つか、とも思う。
すると反射で打っては、凡打にしかならないようなところへ投げてくるのだ。
二球目は外角へ、スルーを投げてきた。
スルーは下に伸びながら沈むので、ゴロを打たせやすい球だ。
それをこうも見せ球にするのは、次は遅い球で変化をつけてくるか、それとも内角の球を投げるのか。
力まずに構える。
どこにでも対応出来るようにというのは、狙い球を絞れていないということ。
だが上手く力を抜いて、理想のスイングをすることが出来れば、振りこんできたスイングは裏切らないはずだ。
クイックの直史のフォームから、リリースされた次のボール。
内角のインハイストレート。伸びてくる。
打てると思った。
だがそれに強力に反対する、直感があった。
スイングを途中で修正しては、そのみち外野フライにまでしかならない。
自分の本能にそう説明がついたのは、実際に振った後のことである。
今のは危なかった。
無理に修正して打っていたら、外野フライで凡退だった。
スイングの途中での軌道修正など、大介でも出来るものではない。
いや出来たとしても、ジャストミートした時とは力の伝わり方が違う。
追い込まれてしまったが、内角への勝負球を潰すことが出来た。
いや今のも、ファールを打たせてカウントを稼ぐことが目的だったのか。
このレベルの勝負になると、1mmでの誤差が勝敗を決定付ける。
次は何を投げてくるのか、プレッシャーが心地よくて、大介は武者震いする。
いつものフォームから繰り出されるボール。
リリースした瞬間から、そのボールの種類の選別が進む。
これはスルーだと、一瞬で脳が判断する。
しかし次の一瞬には、伸びてこないと気づく。
体は動き始めている。
バットのトップは既に出来ている。
このままスイングしても、空振りするだけだとは分かっていた。
なので大介はスナップを固めて、バットが前に出ないようにする。
ためて、ためて、ためてから打つ。
バットの先で打ったボールはファールとなり、そのまま顔からグラウンドに突っ込む。
みっともないが、それでも三振は免れた。
立ち上がった大介は口の中の土を味わい、ぷっと吐き出す。
(危なかった。やっぱあのチェンジアップは最悪だ)
他の種類のチェンジアップと違い、ボールの握りの位置を変えるだけで、普通のスルーと同じように投げればいい。
スルーを使わないピッチャーならただのチェンジアップなのだが、伸びるボールであるスルーと一緒に使われると、完全に緩急差が分からなくなる。
おそらく次は速い球を投げてくるだろう。
そう思っていたらカーブを投げられて、見逃し三振という姿を多く見てきたが。
直史はサイン交換も素早く、セットポジションに入る。
このスピードの早さが、また打ちにくくなる原因でもあるのだ。
ピッチャーの中には足を上げてから、くいくいと動かして力をためるように投げてくる者がいる。
だが直史はそういうことはなく、足を上げるのも少なく、上手く体重移動だけをしてくるのだ。
そしてこの打席、直史はいつも通りに足を上げる。
しかし大介には分かった。
腕をいつもより大きく引いている。つまりトップの位置が違う。
(ストレートか!?)
加速させるためのフォームチェンジは間違いないが、そんなことが可能なのか。
ピッチャーのフォームは肘を5cm上げ下げするだけで、全くコントロールが変わってくる。
だが直史には可能なのだろう。
インコースのストレート。
そのまま打てば、スタンドに持っていける。
しかし予想通り、思った以上に伸びてくる。
大介のトップからの、修正以上に伸びてくる。
打った。
ボールはまた打ちあがり、そしてセカンドがわずかに位置を修正する。
そのグラブの中にボールが入って、呆気ない内野フライ。
第二打席も大介の完敗である。
ベンチに戻った大介は、静かに座って試合を見守る。
そしてその中で考え続ける。
(ホップ成分が多くなっていた……のか?)
直史のピッチングフォームは、高校時代に一度大きくなり、そこから徐々に小さいものにしていっていた。
まずは体を大きく作り、そこからどれだけ小さい動きで、同じボールを投げられるかを課題としていたのだ。
入学から夏の大会までに、一気に10km/hほども変化した。
大学時代にも一度、フォームを解体して球速の増加を目指した。
そして今は、もう限界の球速になっていたはずだ。
スピード表示では確かに、それまでと変わらないスピードのMAXであった。
しかし大介は明らかに、ホップが大きいと思った。
考えていても始まらない。
バットを持って、ベンチの裏に回る。
あのストレートの投げ方は、直史にとっての切り札の一つだったのだろうか。
第三打席には、確実に打てるとは思う。
だが直史の初見殺しの多さは、大介もよく知っている。
トルネード投法なども、高校時代には使っていた。
スイングが修正しきれない間に、メトロズの守備が回ってくる。
呼ばれた大介は、グラブを持って守備に就く。
(延長がないんだよなあ)
あくまでもエキシビションなので、引き分けでもいいのだ。
だがもし一点をどこかで取れたとしても、大介に回ってくるのは第四打席まで。
しかしここまで、パーフェクトに抑えられている。
レックスの打線は、ヒットにこそならないものの、それなりにモーニングのボールを打っている。
五回の表は三振を含む三者凡退に抑えて、その裏のメトロズの攻撃となる。
大介はベンチ裏に行こうかと思ったが、ここでシュレンプがどういうバッティングを見せるかには興味があった。
メジャーの世界で長く、クリーンナップを打ってきた男。
年齢が嵩んでくるとストレートが打てなくなるというが、直史の場合はストレートのMAXはなくてもそれなりに速いボールを投げられる。
純粋にまっすぐ速いボールよりも、そこから急に変化するボールの方が、打つのはおそらく難しい。
ストレートとスルーで、わずか二球でシュレンプを追い込む。
ホップ成分の高いストレートと、伸びるように沈むスルー。
ジャイロボールはスライダーの変化形だ、とシュレンプが言っていたことを思い出す。
そうなのかな、と大介は思ったが、重要なところはそこではない。
シュレンプが直史を、打てるかどうかだ。
そして上下の動きに目を奪われたシュレンプは、スライダーで三振した。
「三連続か……」
誰かが呟いたが、大介としてはそこは問題ではない。
ベンチに戻ってくるまでに、シュレンプはバットを叩きつけて折ってしまう。
これは大介も嫌いなアメリカの文化だが、これでヒートしている頭を冷やすため、必要なことなのだと言われる。
大介としてはそんなことをしていては、バットの神様に愛想を尽かされると思うのだが。
アメリカ人と日本人の、文化の大きな違いだ。
日本人でもやってるやつはいるが。
続くバッターも、また直史は打ち取っていく。
結局五イニングを投げて、誰も塁に出してはいない。
さすがだな、と大介は感心するが、感心してばかりでもいられない。
「おい! あのピッチャーには弱点はないのか!」
「あったらとっくに俺が打ってる」
凡退したクリーンナップたちも、あと一巡は必ず打席が回ってくる。
だが今のところ、攻略法が見出せていない。
今日の直史は、普段よりもストレートの割合が多い。
スピードボールに強いはずのMLBの打者が、それで打ち取られているのだ。
単なる球速ではなく、タイミングが取りづらい。
それをMLBのバッターたちは感じている。
「ただ、これ以上点差が開いたら、さらに自由に投げてくる。今のあいつはリスクを最低限にする投げ方をしてるはずだから」
「狙い球はないのか?」
「ストレートが今日は上手く使われてるから、ムービング系のボールを狙うしかないのかもしれない。
そのムービング系のボールを、上手くゾーンぎりぎりに決めているのだが。
攻略法が見えてこない。
二打席凡退してようやく、クリーンナップまでは危機感がはっきりしてきたらしい。
遅いとしか言いようがないが、それでもここから本気になってもらうしかない。
「スタミナは?」
「今年20試合以上完封してる。高校時代は15回まで投げた次の日に、九回まで完封してた」
「なんてこった」
この言葉は正確には、Fから始まる言葉であった。
勝算がどんどん減っているのを、大介は感じている。
だがそれは、同時に喜ばしいことであった。
大介は確かに、勝利のためにバットを振る。
しかしアメリカでも一年目から、バットを振る機会さえ奪われてしまっていた。
直史ならば絶対に、大介を相手にしても逃げたりはしない。
そう確信できるだけに、来年の対決が楽しみになる。
まだ試合の決着はついていない。
一点でも入れば同点であり、大介の第四打席が回ってくることにもなる。
少しでも高い確率のために、大介はこの打順を選んだのだ。
一番バッターとして直史と対決する。
これはあのWBCの壮行試合と同じ理屈だ。
直史ならば下手をすれば、日本代表を相手にしてもパーフェクトをするかもしれないとは思っていた。
だがそれは本気ではなく、とにかく一度でも多くの対戦があって、そして先制点を奪える打順がいいとは思っていたのだ。
あの時の直史は、わざわざランナーを出して、大介との四度目の対決を演出した。
その圧倒的なエースとしての自信は、代表を率いていた監督の心まで動かした。
今日の試合においても、直史は同じことをしてくるのではないか。
そんな都合のいい期待を、大介は持っている。
直史はある意味、自分の実力に対して傲慢だ。同時にひどく慎重でもあるが。
公式戦なら絶対にしないだろう。
直史はとにかく、勝利には執着する人間だったのだ。
だがこれはエキシビションなのだ。
ならば来年圧倒するために、今年のワールドシリーズを制したメトロズ打線に、負けのイメージを付けにくるのではないか。
直史は冷徹に計算する人間だが、そういった熱い冷徹さも持っている。
力と力の勝負というのは、それだけ相手に敗北感を与えるのだ。
「とりあえずここで追加点を取られるなよ」
この回までが担当のモーニングに、そんな声をかける。
言ってしまってから、今のはフラグだったかな、と思わないでもない大介であった。
×××
※ そういや群雄伝追加してます。悟の前編です。
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