第122話 恐怖
日本人というのは基本的に、世界的に見ても害意の少ない温和な民族だと思われている。
嘘はつかないし、犯罪は犯さないし、約束は守る。例外はあるが時間厳守の意識などには驚かされるらしい。
それゆえに逆に犯罪の対象ともなるが。
世の中には善意だけでは生きていけない場所があるのだ。
しかし今年アメリカにおいては、日本人を怒らせてはいけないという風潮が出来つつあった。
主に大介のおかげ(?)である。
今年の彼が、いったい何をしたのか。
少なくともダーティなプレイはしていないし、反則はしなかった。
だがその範囲内であれば、色々と問題行動をしていった。
デッドボールの次に報復打球をピッチャーに叩き込む。
そしてそんなものを指示した相手ベンチへも叩き込む。
少し気分がさっぱりしたところで、ホームランを打ってしまう。
気分をさっぱりさせるまえに、もっと簡単にホームランを打っておくべきだったかな、とも考える。
だが申告敬遠をされればされるほど、外に外れた球なら相手側ベンチに叩き込むのが上手くなっていた。
クラッシャーだのレコードブレイカーだのと言われる中で、アトミック・ボムなどと呼ばれたこともある。
そう呼んだ記者は不謹慎だと叩かれたものだが、大介は自分のバットをアトミック・バズーカなどとも呼んでみた。
日本人にしか許されない原爆ギャグであるが、大介も不謹慎なことはかなり好きだ。
直史の場合は分かった上でいくらでも不謹慎なことをするだろうが。
直史は報復死球などは絶対にしない。
ミスで当てるならばともかく、意図的に投げるならそれは、事故ではなく傷害だ。
そんな当たり前のことが通用しない世界など、壊れてしまえばいいのである。
直史は相手を潰すには三振か凡退を狙うが、野球が紳士的なスポーツだとは思っていない。
そもそも世界的に見れば、審判に見えないように反則をするのは、技術の一つだと思われるスポーツは大変に多い。
六回の表、西片が先頭打者としてヒットで出塁し、メトロズのモーニングは驚いている。
まさか西片が、選球眼だけの一番バッターだと思っていたのだろうか。
「ニシさん相変わらず隙がねえ」
ショートの大介を意識した、わずかにセカンドよりの打球。
それによってクリーンヒットでランナー一塁。
二番の緒方は、果たしてどう打ってくるか。
ノーアウトなので確実に進塁打、というのが緒方であるのだが。
日本の野球の特徴は、長年滅私の心にあった。
それを美徳としていたところもあるが、自己犠牲とフォア・ザ・チームとはまた別のものである。
緒方の考えるのは自己犠牲ではなく、効率である。
ただこれがアメリカの場合は、自分が楽しむことが重要になる。
精神的にはバッターが優位。
抑えて当然のはずのピッチャーに、バッターが時々勝つ。
打率を見ても当たり前のこの事実に、気づかない者は多い。
(たとえ次が樋口でも、うちのピッチャーが敬遠することは絶対にない)
いつの間にかメトロズを、自分のチームと考えている大介であった。
(樋口だとホームランはともかく、タイムリーぐらいなら普通に狙って打ってくるだろうしなあ)
モーニングとは初対決になるが、それだけに狙い打ちをしてくるだろう。
そういう時の樋口は侮れない。
なんだかんだ言ってMLBでも、キャッチャーはあまり打てないというイメージはあるのだ。
そもそも日本ではキャッチャーに鈍足強打が多いのは、ドカベンの影響が大きすぎると思う。
やはり野球マンガの歴史を変えた作品は違うというところか。
(樋口が敬遠されないと思ってるなら、送りバントを決めてくるよな)
その通りに、送りバントを決めてきた。
エキシビションマッチに、送りバントをしてまで勝ちにくるのか、という疑問がメトロズ側には湧くだろうが。
日本とアメリカのプレイボールの言葉には、明らかに違いがあるのだ。
アメリカの場合も犠打などがないわけではないが、それはあくまでも勝つために必要だから。
セイバーの発達した今では、ポストシーズンならともかくレギュラーシーズンでは、送りバントも盗塁もしないというチームは少なくない。
なので逆に、大介としては走り放題だったわけだが。
日本としては勝利を目指してプレイすることを、楽しむことが奨励されるのだ。
そのためには送りバントなどの自己犠牲で、強打者の前にランナーを進めることは悪いことではない。
ただし統計的にそれは間違っていると分かれば、さすがにバントばかりもさせない。
もっとも選択肢の一つとして、バントはありだと大介は思う。
緒方はとにかく、皆で勝つことを目指している選手だった。
送りバントをしっかり決めて、それに不満を言うこともない。
(それでこいつだよ)
狼のごとく女を食い散らかす、魔王の副官の登場である。
樋口のことを特別な選手だと、大介は信じている。
甲子園の決勝でサヨナラホームランを食らったこともあるが、樋口がプロ入りして二年目に、武史が入ったとはいえレックスは久しぶりの日本一に輝いた。
それ以降はプレイオフになればライガースが勝つが、ペナントレースはレックスが連続で制していた。
キャッチャーとしての貢献度は、同じセの竹中や、パの山下よりもはるかに高いだろう。
だが目立つのは、バッティングの能力だ。
大介がいた頃は、他のバッターがタイトルを取ることは極めて難しかった。
最多安打だけは取れなかったが、樋口もそれは取っていない。
あのタイトルはアベレージが高く、そしてヒットも打てるというバッターが取るものだ。
大介もだが樋口も、決定的な点を取ることが多い。
なので打率はともかく、安打数は増えにくいのだ。
ワンナウト二塁。
打ったからといってスタートが切れるという状態ではない。
最初は西片に二塁に盗塁させて、そこから送りバントをさせるべきではなかったろうか。
ただメトロズのキャッチャーは強肩だ。
とにかくここまで外野にしても、強肩が目立っていたため走りにくくなっている。
そのあたりはさすがに、メジャーリーグといったところか。
ただそのメジャーリーガーであっても、簡単には打ち取れないバッターが出てくる。
ここでもう一点入れば、おそらくはもう逆転は出来ない。
(いや、関係ないか)
大介はそう結論付ける。
試合の勝敗はどうでもいい。
確かに直史に封じられれば、一時の恥にはなるだろう。
このオフにFAのはずの選手は、その価値を少し減らしてしまうかもしれない。
だが大切なのは、これは間違いなく直史が、真剣に投げてきてくれる舞台であるということ。
自分もそれを理解して、ここに立っているのだ。
樋口はどう狙ってくるだろう。
おそらく日本時代と同じように、大介がショートにいるからには右方向に狙ってくるか。
ただし内角なら、内野の頭を越える程度の打球は打ってくる。
それで西片が三塁まで進めば、次は四番の浅野だ。
長打の狙える浅野であるが、おそらくここでは外野フライで充分と考えるだろう。
しかしここまで肩の強さを見せ付けているので、それも難しいと思うか?
バッターの選択肢は出来るだけ潰したい。
するとここで樋口には左に打ってもらって、大介が打球を処理したいのだが。
すこんと軽く打って、セカンドの頭を越える打球を打つ。
長打を捨てれば四割打てるんじゃないか、と長打も捨てずに四割を打っている大介は思った。
これでワンナウト一三塁。
外野フライを打って、そこから投げてタッチアップはアウトに出来るのか。
どれぐらいの飛距離を打つかにもよるが、クリーンヒットでも間違いなく一点は入るのだ。
(浅野って今年も犠飛の数一位だったっけ?)
ホームランを狙っては、結果的に犠牲フライとなる。
それである程度打点を稼いでいるのが、浅野というバッターだ。
樋口よりも長打力はある。
ただしOPSは樋口の方が高い。
モーニングはこれに対しても、真正面から投げていくのだろう。
そして打たれるのは見えている。レックスのバッターは打つべき時に打つのだから。
(あそこにストレートを投げるってことは)
わずかに膝に力をためて、大介はその瞬間を待つ。
浅野の打球は、鋭く三遊間を襲った。
だが明らかにレフト前になるはずのそのライナー性の打球に、大介が追いついてジャンピングキャッチ。
どうして捕れるんだ、という打球であったが、捕れるものは仕方がない。
さすがに体勢を崩したため、飛び出していたランナーも戻ってフォースアウトは取れない。
だが100%追加点と思われたチャンスを、大介は潰したのだ。
これにてツーアウト一三塁。
観客席は点が入らなかったことよりも、そのスーパープレイに大興奮。
大介はなんともないさとボールを戻す。
これで勢いが途切れればいいのだが。
流れが決まったはずが、その流れを止めたことにより、事態が転換することもある。
五番バッターはまたもホームランの打てるモーリス。
これまたホームランバッターのはずのモーリスは、へこっと音がしそうな打球を、右方向に打った。
それがセカンドの頭をこえて、ふらふらとライトの前に落ちる。
この間にランナーが帰ってに、二点目が入った。
眉間を押さえる大介であるが、さすがにこれ以上の点は入らなかった。
六回の裏となる。
ここを三人で抑えられれば、バッター二巡でパーフェクト。
さすがに洒落にならないが、下位打線ではある。
基本的に打線の強力なメトロズは、下位打線でもホームランを打てるバッターばかりだ。
だからフルスイングして当てれば、スタンドまで飛んでいくと考えているのか。
それは甘すぎる予測というものだ。
まだこの期に及んで、変なプライドがあるのか。
だが見ている限りは、混乱しているような気もする。
あれだけの変化球を自由自在に操り、質の高いストレートも投げてくる。
既に大介は二打席凡退。
大介以外にもシュミットやシュレンプなど、打撃に定評のあるバッターが凡退しているのだ。
究極の打たせて取るピッチャー。
だが三振も狙って取るあたり、至高の存在とも言える。
一人でも出てくれたら、ランナーがいる状態で自分に回る。
そう考えている大介だが、それが難しいとも思う。
ただそれでも一人でも出てくれれば、ダブルプレイにならない限りは、四打席目が回ってくる。
ネクストバッターズサークルにオンデッキの大介だが、それでも打席が回ってくることはないだろうな、と思っている。
今年の直史のピッチングを見ていたが、中四日で投げていた時も、ほとんど変化なく安定して投げていた。
さすがに崩れそうになったのは、イリヤの事件の後ぐらいだ。
ポストシーズンのプレイオフでも、去年のあの無茶振りは今年はなかった。
だからこそこの試合も、全力で投げてきているのだが。
(いや、まだ全力じゃないか)
そもそも直史の全力というのは、一般的な全力とは違う気がする。
普通のピッチャーの全力は、まずストレートの球速の全力が分かりやすい。
また変化球も全力だと変化が大きい。
だが直史にとっての全力とは、自分の思ったボールを完全に投げることだ。
大介を相手に投げた、あのわざとフォームを変えた球。
ああいう球をちゃんと制御するのを、直史の場合は全力と呼ぶ。
やはりと言うかこのイニングも、下位打線のメトロズを完封。
七回の裏には大介の、三打席目が先頭で回ってくる。
(どうする)
一点差であれば、ホームランを狙っていけばよかった。
だが二点差になるなら、とりあえずランナーとして塁に出た方がいいのか。
(いや、変なことは考えず、俺は自分に出来ることをするだけだ)
バットを戻して、グラブを手に取る大介。
残り三イニングが、勝負となる。
あるいは回ってくる打席は、一打席だけかもしれない。
七回からはメトロズはまたもピッチャーを交代。
勝利の方程式的に、バニング、ランドルフ、ライトマンを使うところか。
順番としては先にライトマンとなるか。
これ以上の失点を防ぐことは避けたとしても、得点が出来なければ意味がない。
しかしそのためには、しっかりとピッチャーに相手を抑えてもらう必要があるだろう。
大介の感覚としては、三打席目には打てるかもしれない。
だが四打席目が回ってきても、それも打てるとは限らない。
そして三打席目に打てなければ、四打席目が回ってくるか。
かつてのように大介との対決のため、わざと一人ランナーを出すことはあるだろうか。
この試合がエキシビションであるということ。
そしてあの時と違い、直史はこれからアメリカに渡るということ。
大介との対決がまだあると思えるなら、ここでわざわざ勝負はしないかもしれない。
(いや、俺が三打席目で打てばいいことだ)
七回のバニングは、レックス打線をちゃんと封じる。
それでもそれなりに粘られて、外野にまでは飛ばされたりしたが。
三者凡退で終わってくれた。
そして七回の裏がやってくる。
マウンドに登った直史は、まるでキャッチボールのようなピッチング練習を行う。
実際に微調整をするだけで、あとは充分なのだろう。
ここまでのピッチング内容を、大介は全て考えていく。
確実に打てると思うのは、チェンジアップの狙い打ち。
だがこれはチェンジアップでなかったら、ゾーンのボールでも当てるのが精一杯でカウントを悪くするだろう。
ミートに失敗したら内野ゴロか内野フライで終わる。
最悪でもどうにか出塁はしておきたい。
カットばかりで対応して、フォアボール出塁を狙うか?
だがそんなことをしたなら、今度は向こうも申告敬遠か、明らかに外にボールを外していくだろう。
不思議な話だが、ピッチャーとバッターの対決というのは、お互いに信頼がないと成り立たない。
信頼がなくて憎しみだけでも、三振に取ったる! ホームラン打ったる!で成立する場合もあるが。
これもまたお互いを憎しみあっているという、ある種の信じあいなのだろう。たぶんそうだ。
ベンチの方を見れば、鈴なりになってこちらの対決を見ている。
さすがに直史を攻略するのに、自分の打席だけでどうにかなるとは思っていないのだろう。
なんだかんだ言いながら、メトロズが本気を出していないというのは、本当のことである。
だがパーフェクトに抑えられていれば、本気を出しても結果は同じだったのではと思われるかもしれない。
直史と樋口、そしてレックスは間違いなく、この試合にも真剣に挑んできている。
エキシビションであっても、ちゃんと本気で戦うというのが日本の野球だ。
もちろん普段よりも怪我には気を使うし、どっちらけな敬遠などはないだろう。
だがそんな言い訳が、負けた後で通用するのだろうか。
強いて客観的な事実を一つ挙げるなら、メトロズはワールドシリーズからの間隔があまり空いていない。
それだけに疲労がまだ抜け切っていないという選手はいるだろう。
しかし少なくとも、大介は全力だ。
そして今年完全にMLBを征服した大介の、NPB時代の成績が紹介されるかもしれない。
直史には完全に負けているし、上杉相手でもほぼ負けという成績だ。
そんなピッチャーが二人もいるという事実は、WBCやワールドカップなどの過去とも重なって、MLB全体のレベルへの評価が落ちるのではないか。
今年デビューした日本人選手としては、本多と井口も立派な成績を残していた。
また織田も引き続きリードオフマンであったし、全般的に活躍している選手が多い。
ふと観客席を見てみると、ツインズと瑞希の視線はこちらに注がれている。
直史と自分との対決を、ひたすらに注目しているのだ。
瑞希はこの試合についても、また本にするのかもしれない。
ツインズは……おそらくイリヤの代わりに、この対決を見ている。
(本格的な対決は、シーズンが始まってからだけどな)
お遊びだからこそ、真剣になれるということもあるのだ。
(勝つぞ)
気合を入れる大介とは対照的に、やはりマウンドの上の直史の気配は希薄であった。
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