第119話 本気の度合い
人は必ず、先入観から完全に解き放たれることはない。
軽く体を痛めていた者を除いては、メトロズの選手はハワイへとやってきた。
主力がそろっているので、ピッチャーをどう使うかが問題になったりもした。
大介の持っている焦燥感を、ある程度共有出来ている者もいる。
しかし真にそれが分かっているのは、GMのビーンズだけであったかもしれない。
彼が重視するのは、ひたすらにデータである。
日本のピッチャーは優秀で、時折MLBのボールに適応できないことはあるが、それについては直史はWBCで問題ないと証明している。
NPBのボールとMLBのボールでは、変化の仕方は違う。
だが一番違うのは、肉体への負担だろうとビーンズは考えている。
わずかに重いボールを投げると、それだけ肩や肘に負荷がかかる。
それによってピッチャーにはより、壊れやすいボールになるのだ。
またMLBのボールは滑りやすいため、握力の方にも負担がかかる。
これまた力が入ると、故障しやすくなるのは本当のことだ。
ただ直史は、投げるのはこの一試合。
そしてもう一人、105マイルを投げるピッチャーまでいる。
(このスピードボーラーがクローザーで出てきたら、球速差があるから対応できないんじゃないか?)
武史の特徴を知らないと、そんな的外れの起用法も思い浮かんでくる。
既にポストシーズンも終わり、今はもう来年に向けてチーム補強を考えている。
大介を1800万ドルで残せるので、これをコアに戦力を組み立てていく。
今年の主力にはなっても、来年はもうカットの予定の選手もいる。
このあたりがMLBのビジネスライクな面である。
エキシビションマッチの結果など、ビーンズには関係のないことだ。
たとえどれだけとんでもないピッチャーに、今年のメトロズが負けようと、ワールドシリーズは制したのだ。
ポストシーズンを戦い抜いたチームが疲労してどこに負けても、それはビーンズの責任ではない。
FMのディバッツは叩かれるかもしれないが。
「しかし、サトーか」
兄の方は確かに天才なのだろう。
だがフィジカル的に見て、MLBに来たとしてシーズンを通じて投げられるものであろうか。
むしろビーンズの目には、武史の方が魅力的に見える。
九回まで完投して、130球以上を投げる。
最後のイニングでも、160km/h以上のストレートが投げられる。
今年は怪我でかなりを欠場しているが、去年は年間197イニングを投げて357奪三振。
とんでもない奪三振能力だ。
直史の場合は今年、235イニングも投げて、341奪三振。
こちらはこちらで投げているイニング数が、相当におかしくなっている。
「今の日本の野球はどうなっているんだ?」
頭を抱えたくなったビーンズが、本当に頭を抱えるまでは、もう少しの時間がかかるのであった。
数字のデータ以外にも、映像資料がすぐに集まるのが今の時代である。
メトロズ打線の主力は、大介のホテルの部屋に集まって、直史との対戦のダイジェストを見ていた。
完全に打たされているのもあれば、三振に取られているものもある。
レギュラーシーズンは全く歯が立たずに、ポストシーズンでツーベースが一つだけ。
歩かせてもいいという組み立てなどせず、完全に大介を打ち取っている。
「最速で94マイルってところか」
「ストレートを狙っていけば打てそうだが」
「ストレートの割合はかなり少なかったよな」
「それにそのストレートを三振している」
「カーブとの緩急差なのか?」
「それよりもあの速い落ちる球が問題じゃないのか?」
さすがにそれなりに、脅威は伝わっていったらしい。
また一試合、パーフェクトをした試合なども見せた。
今年の試合は、あの25奪三振を達成した試合も見せている。
確かにストレートの球速は、それほどでもない。
だが恐ろしく純度の高いまっすぐが、映像からは想像される。
伸びているのがはっきりと分かるのだ。
「ブレーキングボールがとんでもないな」
それはさすがに分かるらしい。
直史の魔球スルーは、ジャイロボールだと言えば理解された。
実のところジャイロ回転のストレートを投げるピッチャーは、MLBにもちゃんといるのだ。
ただしコントロールが難しいというのは確からしい。
そうそう直史のように、簡単に使えるものではない。
そしてやはりカーブが注目された。
速度や落差など、明らかに使い分けている。
もしも試合の後に会えたら、投げ方を聞きたいな、と言っている選手までいた。
いや、確かにDH制で戦うから、ピッチャーが直史のボールを、身近で見る機会はないのだが。
どうしても直史の脅威を理解しない者はいる。
だがそもそもそういったメンバーは、油断してもしなくても、直史を打てるとは思えない。
勝つつもりのある選手は、士気を高めている。
そのつもりで勝負するなら、偶然の一発に期待したい。
ハワイに到着してから疲労を抜いて、いよいよ試合が始まる。
マイナーのチームがあるハワイにおいて、現在では最大の球場であるカメハメハ・スタジアム。
ハワイはアメリカ領だということで、日本がビジターで先攻となる。
日本の試合前の練習を、大介はそこそこ見ていた。
試合の前にも、レックスの人間と接触する時間はあった。
だが大介は、あえてそれを避けた。
スタンドではツインズが瑞希と一緒に試合を観戦していたりするが、その横にはセイバーもいたりする。
この件の裏に誰がいたのか、大介はオーナーからの発表があって、ようやく分かったものである。
基本的にこの試合にかかった費用や、その後のバカンスのホテル代は、全部セイバーの負担らしい。
そのかわりにこの試合の、日本語での放映権を手に入れた。
オーナーとしては英語での放映権は、普通にシーズン期間中の通り、こちらでは持っている。
だがらまあいい、とワールドチャンピオンになったことで、かなり安易に考えていたのだろう。
セイバーの目的は、この試合での収入などではない。
この試合が確実に、どこでも見られて記録に残ることだ。
メトロズは今年のワールドチャンピオン。
その敗北の事実を、映像として誰もが見られるようにする。
そして直史の価値を高めるのだ。
(うちが負けると確信されてるのはむかつくけどな)
大介贔屓のツインズでも、直史と大介の勝負で、大介が勝つとは断言できない。
むしろルールの範囲内で確実に勝利を得ようとするなら、直史が必ず勝つだろうと思っている。
大介もそう思う。
ルールの範囲のさらに限定された状態で、ピッチャーと言うよりは己の人間としてのプライドを賭けて、勝負してくるだろうが。
一回の表、レックスの攻撃。
先頭打者の西片は、味方としても敵としても戦ったことがある。
あれぐらいの年齢まで、全力でプレイできたらいいな、と大介は思う。
ただショートというポジションをしていれば、さすがに難しいかもしれない。
いずれは外野に回ることもあるのか。
大介の足と肩を考えると、その適性も高いはずだ。
その西片が塁に出た。
続いて緒方は進塁打を打ち、ランナーを進める。
右打ち基本でランナーを進める。
いかにも日本らしい攻め方で、チャンスを拡大していく。
三番の樋口は、完全なクラッチヒッターだ。
普段から打ちすぎる大介と違い、本当に必要な時に打ってくることが多い。
なので一番危険なバッターだとは伝えておいた。
そんな樋口が、デッドボールでランナーに出る。
(何してんだか)
大介は一瞬そう思ったが、これは悪いばかりではない。
空いている一塁に高打率の樋口を出したなら、足でかき回されることも少ない。
普通に打たれて失点するよりは、よほどいいと思えるだろう。
四番の浅野は、外野にまで飛ばしていく。
なかなかいい打球であるが、もうあと一伸びが足りない。
そして不完全な体勢で取ったので、二塁ランナー西片は上手くタッチアップにかかる。
だがMLBのレフトは、とりあえずショートまで中継を返すのではなく、ホームまで投げられる強肩が多い。
それが三塁で西片を殺し、スリーアウト。
無失点ではあったが、それなりにいい当たりは出ていた。
そして一回の裏、先頭打者として大介がバッターボックスに立つ。
(一発だな)
基本的には、長打しか狙わない。
クリーンヒットの連打で一点というのは、かなり現実感が足りない。
ツーベースを打って、ワンナウトまでに三塁へ進む。
そしてアウトになったとしても、それが外野フライか内野ゴロなら、大介の足ならタッチアップでホームに帰れる。
ホームラン以外での実現性がある手順は、そういったところだろうか。
もっとも大介が塁に出ることと、そして後続が打ってくれること。
どちらも難しいものではある。
一発を狙う。
(本当に、狙えるか?)
狙えるかどうかではなく、打つしかないのだが。
初球はスローカーブから入ってきた。
あるいはありうるかなとは思っていたが、大介は手を出さない。
見送ってから気づく。
思っていた以上に、肩に力が入っていた。
(肩甲骨を上手く動かさないと、とても打てないぞ)
そして二球目を待つ。
二球目は、日米の野球においては、アメリカではボール球とされるところ。
だが日本ならばストライクだ。
ここを狙ってくるのは、予想の一つにはあった。
しかしここからさらに、内に変化してくるのは予想外だった。
NPB時代なら打てていたコース。
しかし打球は、ライトのポールを右側に切れていく。
(性格悪い組み立てだな)
大介なら打ってくるだろうという、信頼感があってこそ投げられるコースだ。
やはりこのバッテリーは対戦するのに面白い。
次は何を投げてくるのか。
外で攻めてくるのか、それとも内か。
見せ球は少ない直史だが、大介を安全に打ち取るためには、ボール球を投げてきてもおかしくない。
(外にツーシームあたりで、逃げる球を振らせてくるか?)
大介ならばヒットには出来る。
だがスタンドまで運ぶのには、さすがに厳しいかもしれない。
スムーズなサイン交換で、大介には思考する時間が足りない。
だがリリースの瞬間、球種もコースもおおよそ分かる。
(ここかよ!)
インハイストレート。
スイングの軌道が間に合わない。
かろうじて当てたボールは、そのまま内野フライへ。
スピンのせいでキャッチャーのファールゾーンにまで戻ってきたが、樋口が問題なくキャッチアウト。
(インハイストレートで、打ちそこなうか)
思ったよりも変化球に、注意が行き過ぎていたらしい。
大介が打てなかったということを、メトロズの他の選手はどう考えているのか。
三振の少ない大介は、ああいった形の内野フライも少ないのだ。
これで本気になってくれればいいのだが、やはりモチベーションは上がらないらしい。
ワールドシリーズの時に比べれば、いくら大介がその脅威を語っても、それがそのままの意味で伝わってくれない。
何よりこの試合に勝っても、名誉を手に入れるわけではない。
だが直史が大介の想像通りのピッチングをするならば、メジャーリーガーとしての尊厳は決定的に破壊される。
そんなことはありえないと、いまだに思っているのかもしれないが。
本気を出していないだけだ、というとんでもなく間抜けな敗因が発せられるかもしれない。
カーペンターは普段は一番を打つような打者だ。
それが今日は二番で、フルスイングで打ちにいっている。
ただワンナウトから出塁を狙っても、一点が取れる可能性は低いな、と大介は思っている。
カーペンターすらもホームランを狙っていくというのは、さすがに大味すぎる気もするのだが。
これがセカンドゴロで、問題なくツーアウト。
そして三番はバランスのいいバッティングが出来るシュミット。
厄介という意味では、メトロズ打線の中では大介に次ぐ。
もっとも大介の場合は厄介なのではなく、どうしようもないというレベルのものなのだが。
ストレートかな、と思えた球が打っても詰まってファールとなる。
そして二球目のスローカーブには、反応できていない。
速い球、遅い球ときて、通常ならここはまた速い球。
ムービング系の球だとは、およそ当たりをつけていた。
だが三球目の落ちる球は、むしろ沈みながら消えていくように変化した。
大介の注意していたスルーだ。
ジャイロボールだとは聞いていたが、つまるところはライフル回転。
それならば打てるだろうと思っていたのだが。
ジャイロ回転であっても、それが正確でスピードがあれば、まさに伸びながら沈む。
直史ほどの精度の、そしてスピードのボールが、しっかりと決まれば打てないのか。
ぎりぎりついていって、バットには当てる。
それでも内野ゴロ。今はこれが精一杯。
一回の攻防が終わって、レックスの方はランナーを出している。
それにフライアウトとはいえ外野にまでボールを運んでいる。
両者共に無失点であったが、その内容が違う。
大介としてはライガース時代のことを思い出す。
レックスの得点はどうにか防ぎながらも、ある程度はランナーが出てしまっていた。
それに対してライガースは、まともにランナーも出ない。
二回の表は、レックスの打順は五番のモーリスから。
つまりメジャーに上がることが難しく、NPBでプレイをしに行ったバッターだ。
メジャーリーガーはこれを、アメリカから逃げ出したと思ったりはしないだろうか。
もしオットーがそんな考えなら、それは勘違いだと思い知らされる。
最盛期を過ぎたメジャーリーガーが日本に行って、40本とかのホームランを打っていたのは、もう一昔以上は前の話だ。
今のNPBのスカウトはたいていが、ポジションなどの都合でなかなかメジャー契約できない選手を、日本のチームに連れて行っている。
MLBのメジャーデビュー年齢は、平均で24から25歳。
それだけメジャー昇格は難しいのかと思えば、実際のところはマイナーの環境が悪く、十全に能力を発揮していない選手もいる。
MLBの162試合というのがさすがに耐えられないが、NPBの日程ならどうにかなるという選手もいる。
そのあたりの区別が、ちゃんと分かっているのか。
試合前のミーティングでは、FMのディバッツもちゃんと話していた。
だが投手陣と大介は、そこまで多く会話をすることがない。
ビジネスライクと言うか、仲が悪いわけではないが、優勝に向かって一丸という意識は薄かった。
普通はこれを引っ張る強烈なキャラクターが必要なのだが、大介はそれが自分であったことに気づいていない。
五番モーリスの打球は、高く遠くへと飛んだ。
それでもぎりぎりでフェンス際でキャッチされて、ワンナウトとなる。
ピッチャーの力がぎりぎりで上回ったのか、それとも甘く見てあそこまで運ばれたのか。
(セイバーさんの考えたことなんだろうけど、本当に性質が悪いな)
自分よりも直史の方を信頼している。
過去の成績を見れば、それも仕方のないことなのだろうが。
序盤においてはまだ両チームが分かっていない。
このエキシビションマッチの、本当の意味を。
ただ大介だけは、分かっていてもそれとは全く別に、直史との対決を心の底から楽しんでいた。
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