四章 10年目 リメンバー
第118話 危機感不足
メトロズのオーナー、コールは騙されている。
いや騙されていると言うのとは違うか。
大介のFA移籍の話を持ってきたとき、ワールドシリーズに優勝すれば、エキシビションマッチをしてほしいと言ったのだ。
そしてそれにかかる費用も向こうで持つと。
だがかれこれ10年以上の長い付き合いである大介には分かる。
直史がプロ入りの選択をしたのは、さすがに偶然である。
いくらセイバーであっても、特定の疾患を発生させるなど、不可能であるからだ。
むしろ彼女に言わせれば、自分は世界を面白くするための、狂言回し程度の役割なのだ。
もっとも直史を自分の影響力がたかい、レックスに入れたこと。
そして直史をMLBに連れてくること。
セイバーの計画の全てが、彼女の思い通りにいっているわけではない。
むしろ考えたことの一割も、達成で来ていないと言っていい。
イリヤの死により、ミュージシャン界隈からも盛り上げていくという手段は使えなくなった。
そもそも直史には大学卒業後にプロの世界に来てほしかったのだ。
16球団構想も、完全に頓挫したわけではないが凍結されている。
自分ひとりでMLBの球団を持つには、まだ資金力が足りていない。
その中でようやく、一つだけ達成したこと。
それがNPBチャンピオンとMLBチャンピオンの試合である。
もちろんこれは完全なエキシビジョンだ。
コールが言ったように、参加の義務はない。
ただボーナス目当てで充分に集まるだろう。
なおこれらの金を出したのはセイバーであるが、試合の放映権を買ってある。
エキシビションマッチにどれぐらいの価値があるのか、とコールは思ったものだ。
価値とは単にそこにあるものではない。
自分で作り出すものだ。
誰かが生み出す、0から1への価値。
それを何億倍にもするのが、自分の役目だとセイバーは思っている。
悪くない仕事だな、と選手たちは乗り気である。
確かに試合自体は、大介も望むところだ。
だが本当に単なるエキシビジョンと思っていると、結果はひどいことになるだろう。
「お前ら、いやオーナーも含めて、分かってんのか?」
大介の言葉を杉村が通訳し、そしてさっぱり分からないが大介に注目が集まる。
「今年の日本一になったレックスのエースはナオなんだぞ。前々回のWBCの決勝で、アメリカ代表を二安打に抑えてマダックスかました、佐藤直史だ。お前らほんとにMLB以外のリーグ知らないよな」
これがまだ西海岸のチームであったら、と大介は思う。
しかし当時は西海岸にいたチームメイトもメトロズにはいるのだ。
それが全く分かっていない。
いや大介にしても移籍してくるまで、MLBの常識などの多くは知らなかったのだが。
何が言われるかより、誰が言うかが、その言葉の内容を重くも軽くもする。
「WBCは確かに他の国にとっては一大イベントかもしれないが、トップのメジャーリーガーは出場してない」
冷静に指摘したのは、この一年大介と、二番三番を交換することが多かったシュミットだ。
「マダックスは確かにすごいが、その一試合でとんでもないピッチャーだとは言えないだろう」
これまたカーペンターが告げる。
ああ、やはり伝わらない。
確かに直史は、球速のMAXなどを言っても、全くその凄さは分からないピッチャーだ。
MLBでは変化球の多彩さなどを言っても、ウイニングショット一つの力の方が重視される。
多くの球種を磨くのは効率が悪いのだ。
もっと単純に、ムービング系のボール一つを主体に、ブレーキングボールを使う。
そして統計的に数字を残していくのが、レギュラーシーズンのピッチングだ。
ただこのままでは、メトロズは一方的に蹂躙されて終わる。
しかし大介一人の力では、直史には勝てないだろう。
あれはキャッチャーと最低限の守備さえあれば、ピッチングという野球とは違う競技をしてしまう。
打線の重厚な対応が不可欠だ。
なんとか説明しなければいけない。
だがどうしたらこの焦燥感を上手く伝えられるのだろう。
「He is my brother」
大介のこの言葉で、メトロズのメンバーにはそれまでで一番大きな動揺が走った。
大介の兄弟。
これがパワーワードであると、大介はようやく気づいた。
日本のハイスクールの大会が、アメリカのカレッジの大会よりも人気があるということぐらいは、何人かは知っていた。
「夏の大会には100年以上の歴史があるが、その中で15回を延長まで投げて、パーフェクトだったのはこいつ一人だ」
今更であるが、大介は説明を始めていた。
その話を聞く中には、オーナーのコールまでいる。
ただGMのビーンズはいない。
スカウトからの情報を確認しに行っているのだ。
15イニングを投げてパーフェクトというのは、すごいという以前にクレイジーだと、アメリカの選手たちは思った。
いったい何球投げれば、そんな試合になるのか。
「え~とだな、154球だな」
Wikiにわざわざ、この試合についてはまとめた日本語の項目があったりする。
その後直史は、プロには進まずカレッジに進んだ。
アメリカのメジャーリーガーも、多くは奨学金を得て大学に進み、そこで頭角を表すというのが現在の主流になっている。
リーグ戦の結果もあるというか、佐藤直史の項目は、ものすごい量の文章と数字が並んでいるのだ。
リーグ戦は29勝0敗で、そのうちの15試合がノーヒッター。
8シーズンの全てでベストナインに選ばれている。
この時点で既におかしいのだが、カレッジの成績がそのままプロで通用するわけではない。
だが直史はここで一度野球の道から外れた後に、また戻ってきたのだ。
62登板60先発60勝0敗1セーブ。
今年は特に、27先発27勝というレギュラーシーズンの結果を残している。
「27勝!?」
MLBであっても、1990年まで遡らなければない勝ち星。
さらに前となると、1972年となる。
しかもこれを、無敗で達成しているのだ。
ピッチングには確率が関係している。
また守備力も当然関係している。
ある程度ヒットを打たれるのは仕方がないし、それで負けることもあるだろう。
だから無敗というのは、おかしいのだ。
野球は絶対に、点を取られるスポーツなのだから。
つまり無敗のこいつは、野球のルールの中で他のことをしているのか、人間でないかのどちらかだ。
危機感がようやく共有できたらしい。
そしてその中で大介に質問が飛ぶ。
「お前の対戦成績はどうなんだ?」
「プロでは13打席対戦して、一回ヒットが打てただけだ。ちなみに歩かされたことは一度もない」
この事実が、選手たちを引き締める。
今年のMLBにしても、他地区のピッチャーで大介と勝負し、結果的にヒットを打たれていないピッチャーというのはいる。
だが大介が、はっきりと意識していることが問題なのだ。
メトロズのみならず、全米が認めている。
大介はおそらく、数々の大記録を塗り替えていく。
海を渡ってきたのが少し遅かったため、更新できない通算記録はあるだろう。
だが多くのシーズン記録は、一年目の今年に更新してしまった。
大介が最大限に警戒するピッチャー。
甘く見られるもののはずがない。
「まあデータ自体は色々あるから、試合までには作戦も立てられるだろ」
二年目の直史は、一年目よりもさらに完璧な成績を残した。
今の自分の能力と、どちらが上であるのか。
敗北を知らないピッチャーに黒星を刻み付けたい。
それほど難しくもないはずの条件が、ものすごく難しいと思えてしまうのが、直史との対決となる。
久しぶり、と言っても九月に直史はアメリカを訪れているが、それでも間に色々あったので、久しぶりの対面となる。
ツインズは子供たちを連れた上で、ベビーシッターも雇ってハワイへと向かう。
大介はそれとは別の、MLBの移動用ジェットだ。
本土から見てもハワイは遠く、時差というものも発生する。
ただアメリカからハワイに移動するタイプでは、さほど時差を実感することがない。
逆に日本からハワイに行く場合は、時差を実感することが多い。
大介の必死の啓蒙により、簡単に勝てるような相手ではないと、その程度の意識はメトロズの中に浸透した。
だが厄介なことに試合の映像を見ると、直史のピッチングは球速をまず見られてしまう。
「ならこれはどうだ」
武史が105マイルを投げている映像には、さすがにチームメイトも驚いた。
確かに武史も、ムービング主体でフォーシームと高速チェンジアップ、そしてナックルカーブを使う。
肉体もタフであるため、むしろこちらの方が、MLB向きであるかもしれない。
だが、一試合に限れば別だ。
本当に直史の脅威を理解しているのかな、と大介は心配になる。
直史の恐ろしいのは確かに、一試合ごとのパフォーマンスである。
だがそれをずっと続けているところが、恐ろしいどころか異常である。
大介にしても普通に、調子が悪い時はある。
それでもスランプと言えるほど長い不調は、ほとんどなかった。
ただピッチャーが不調であると、一気に勝負は決まる。
直史は決戦の時には常に、ピークを持ってきた。
あるいは波が、最低限のところでも、どうにかしてしまえるぐらいのものなのか。
高校時代は日常生活からある程度一緒であったが、確かに直史には波がなかったと思う。
この間のアメリカに来た時も、そうであった。
レックスに勝つということは、直史を打つということ。
正直他のバッターには、偶然の一発しか期待していない。
それすらも直史は、単打までに抑えてしまう気がする。
日本でもアメリカ本土でもなく、太平洋のど真ん中のハワイ。
試合への調整が楽なことと、試合が終われば観光なりバカンスなり、どちらも出来る場所である。
ニューヨークでの決戦を制した大介には、熱いなと感じる場所であった。
それは単純な気温としての暑さだけではなく、心理的なものも働いているのだろう。
レックスの選手たちは先に到着していて、メトロズが三日ほど調整をしてから試合。
その放映権をまたネット配信に売却していたらしいが、大介にはさほどの興味はない。
アメリカにおいてワールドシリーズでもない、ただ一戦のエキシビションマッチがどう受け止められるのか、謎なところはある。
興味がないと思ってしまうか、それともアメリカが勝って当然と思うか。
大介のホームランを見るために、試合を視聴する者もいるかもしれない。
大介は冷静に自軍の戦力を分析する。
果たしてレックスの打線を、どれだけ封じてくれるものか。
レックスの打線の攻略に関しては、スピードのあるパワーピッチャーが重要になると思う。
ただそのスピードも、武史以上のピッチャーはいない。
だから投げるとしたら、高速の変化球が必要になる。
レックスの打線は右打者が多いため、普通に右のピッチャーを先発させるだろう。
ただ日本シリーズを見ていたが、レックスは完全に、守備のチームになっている。
メトロズはワールドシリーズ六戦で、33点を取った。
平均すれば一試合に5.5点だ。
一方のレックスは、四試合で11点。つまり平均で一試合に2.75点。
NPBの記録に残る、最少得点での王者となった。
失点においてもそれは当然で、四試合でわずかに三失点。
直史と武史が先発した二試合で、無失点であったことが大きい。
先発で投げてくるのは直史であろう。
完全にヤマを張っておけば、三打席に一度ぐらいは、バットでジャストミート出来るだろう。
そして一番バッターになっていれば、一人でもランナーが出れば、四打席目が回ってくる。
直史は本気を出してくるだろうか。
この試合には何も、金銭も名誉もかかっていない。
純粋に勝負のためだけに、投げるということ。
そういうことの方が、直史は得意であったはずだ。
ハワイの大学のグラウンドを借りて、メトロズは調整に入る。
マスコミも取材に来ているが、それ以外にも色々な人間がいる。
中にはこの試合でもアピールしようと、バッティングに精を出す選手もいる。
そして大介は、FMが資料を見ているのも知った。
レックスの今年のレギュラーシーズンの成績と、ポストシーズンの試合。
その中で大介は、色々と尋ねられることも多い。
レックスの中で一番攻守にわたって目立つのは、やはり樋口である。
ピッチャーの投球の組み立てから、読んで打つのは一流。
またキャッチャーとしてのインサイドワークが優れている。
日本ではバッターはキャッチャーと戦い、アメリカではバッターはピッチャーと戦う。
よくそのように揶揄されているが、組み立ての優先権が日本はキャッチャーにあることが多い。
大介としても当初、戸惑ったことはある。
だが基本的にMLBでは、いざとなればピッチャーは、己の一番得意な球で決めにくるのだ。
なのではっきり、狙って打つことが出来た。
そんなことをしているから、フォアボールで勝負を避けられまくることになったのだが。
樋口が考え、直史が対応する。
高校時代にはジンとのバッテリーを見ていたが、ジンは案外直史が投げる時は、他のキャッチャーに譲ることがあった。
直史の変化球を捕ることは練習になるし、自分のリードに完璧に応えてくれるピッチャーは直史だけであったからだ。
今の日本においては、直史の相棒は樋口なのだろう。
だが高校時代を知る大介は、それが少し寂しい。
「どうやって攻略する?」
首脳陣のミーティングに、大介は呼ばれた。
直史のピッチングを見て、これは尋常な手段では打てないことが分かったからだろう。
普通のピッチャーは決め球を軸に、ウイニングショットを考えて組み立てていく。
だが直史は、そして樋口は、バッターの特徴だけではなく、その日の試合の流れや、前の打席のことまでも含めて、その場その場で考えてくる。
でたとこ任せではなく、臨機応変なのだ。
そしてそのピッチングプランに対応出来るのは、直史しかいない。
質問されたからには、大介も答えるしかない。
「ヒットを積み重ねての一点は、あまり考えられないですね。全員がフルスイングをするべきかと」
ホームランを狙う。
バッターの最終的な目標は、結局それになるのだろう。
大介が日本時代から言っていたこと。
ただ直史を相手にしては、なかなかそれは難しい気もする。
全員がフルスイング。
ならば全てに内野ゴロを打たせようとするのが直史だ。
ただその精度を、メトロズのバッターは打てるのか。
(勝ち目があるとしたら、MLBのボールを使うってとこだよな)
NPBとMLBでは使っているボールが違い、実はMLBのピッチャーからも、NPBのボールの方がいいという声が多かったりする。
それでも今回は、MLBのボールを使っているのだ。
メトロズが負けたとき、どうにもいい訳ができない状態。
それを作るために、メトロズに有利になりやすいようにしている。
ただWBCを見る限り、直史にはあまり問題はない。
それでもほんのわずかには、MLBのボールの方が投げにくいとは思うが。
失投を見逃さず、確実に打つ。
失投しない直史から、それを期待する。
大介はとりあえず、自分が打って決めることしか考えない。
「一番を打つか?」
「そうですね」
オーライ、と大介は言って、そのミーティングは終了した。
ホームラン狙いこそが最も効率的。
そんなMLBのバッティングが、果たして直史に通用するのか。
いやそんなバッティングを、直史がどう攻略するのか。
敵愾心と共に、好奇心も湧き出てくる大介であった。
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