第2話 驚天動地
二月のキャンプに入る前から、プロ野球界ではずっと、同じ話題がかわされていた。
佐藤直史のプロ入り。
入団記者会見などから、それはもう間違いのないものだと、やっと全員が認識した。
「確かにとんでもない人でしたけどね」
キャンプで大介と絡んでいるのは、今年が三年目となる阿部である。
「もうブランクがあって、26歳でしょ? 開幕したらすぐに27歳で、そんな年齢からプロに通用するなんて、本気で信じてるんですかね」
大介は素振りをしながら、意識の表層だけで答える。
「お前はあいつを知らないから、そういうことが言える」
その返事に、ため息をつく阿部である。
阿部は高校で急成長し、それに合わせて急激に周囲から注目されるようになった。
中学時代までは無名だったということは、直史はもちろん大介とも共通するところである。
だが高校で伝説的な実績を残した二人に比べれば、阿部は完全に無名であった。
甲子園にも出なかった高校生に、四球団が群がった。
しかしその選択は正しかったと、二年目の去年には証明した。
一年目の阿部は主に二軍で投げて、一軍にも一度は上がってきた。
しかし長いイニングは打たれて、新人王の資格を有したまま、二軍に戻っていった。
そして二年目、真田と山田が同時離脱という非常時に一軍に上がり、ローテに入ることになる。
ここで実績を作り、新人王まで取ったのである。
阿部もまた関東の人間であるから、直史のことを知っている。
高校時代には白富東と対戦したこともあるのだ。負けたが。
佐藤直史のいた時代と、その余熱が残っていた武史いた頃、六大学リーグと大学の全国大会は、確実に視聴率が取れるネットのドル箱であった。
今もその時についたファンがそこそこ残っているが、毎年少しずつ落ちている。
ただ去年はまた大物が慶応に入ったので、少し人気が回復しているらしい。
阿部はテレビで見ていて、さっぱり訳が分からなかった。
直史のコントロールまた変化球のえげつなさ、それらは確かに分かる。
だがストレートをそれに混ぜて、見事に三振を奪っていった。
大学の年度が上がれば上がるほど、直史はその使う球種を制限していった。
一試合あたりに使う球種を少なくしながらも、それでも数字を残していく。
阿部では一度も不可能であったノーヒットノーランを、当たり前のように達成していく。
あるいは大学のリーグ戦がレベルが落ちたのかとも思ったが、六大卒のプロや、六大に新しく入った選手を見れば、そうでないことは分かる。
佐藤直史だけが、特別におかしいのだ。
オープン戦、三年目の阿部は、ようやく周りが見えてきている。
とにかく流されるままだった一年目、流れに逆らい続けて結果が出た二年目。
真価を問われるのは、今年であろう。
プロは一年調子が良かっただけでは、評価されない。
毎年実績を残すことによって、ようやく信用が出来てくる。
上杉や大介のような例外はあるが、安部は三年目で年俸五千万と、かなり成功した部類に入っている。
そんな阿部はオープン戦に合わせて、順調に仕上げてきていた。
二年目から球速のMAXは160km/hを超えてきていたが、かなり安定して出るようになってきている。
高校時代のカーブとストレートのコンビネーションは、スプリットとチェンジアップを使うことで、より複雑になってきている。
スプリットのわずかな変化で、右か左に偏って落ちるので、ジャストミートするのは難しい。
オープン戦でも着実に調整していく。
去年よりも精度は高くなっている。これで開幕ローテ入りを確実にする。
ライガースの投手陣は去年、山倉がFA権を行使して移籍したため、一人分の枠が空いていた。
二桁勝利こそ一度しかないものの、この五年は完全にローテを守り、勝ち星がやや先行しわずかだが貯金を作る。
そんな地味だが貴重な存在がいなくなったことで、ライガースは去年のドラフトでもピッチャーを多めに指名したのだ。
毎年どの球団も、ピッチャーは貴重であることは間違いないが。
そんなオープン戦を繰り返していると、他の球団の調子も聞こえてくる。
その中には直史が、けっこう打たれているという話もあるのだ。
レックスは吉村の調子が悪く、先発ローテ六人を選ぶのが微妙になっていると聞く。
ライガースは先発ローテを六人で回していくが、山田と真田が二本柱で、イニングイーターの大原は運がいいと二桁勝利する。
かなり運に助けられたこともあるが、上杉を上回って勝率のタイトルを取ったこともある。
だがキッドが引退してアメリカに帰り、山倉もいなくなって、また先発の改変期に入っているのだ。
サウスポーということで村上が、有力な先発候補にはなっている。
村上もまた、甲子園には出場したが、上位指名は受けられず、大学をはさんだピッチャーだ。
その大学では佐藤兄弟のせいで、リーグ戦で投げる機会をほとんど奪われた。
だがその実力はスカウトも認めていて、ライガースは三位で指名。
一年目からそれなりに試合に出ていて、三年目からはほぼ先発に定着。
この四人に加えて、おそらく阿部が五人目のローテーションピッチャーとなる。
あとは毎年、中継ぎや谷間のローテを埋めているピッチャーが、六人目の席を埋めることになるか、それとも若手を試していくのか。
阿部が頑張っている間に、大介は楽しんでいた。
去年のキャンプから序盤の不調はなんだったのかと言わんばかりの、ホームランマシーンである。
そのままの勢いで、シーズンに突入。
最初のカップスとのカードでは、敬遠されまくりながらも、毎試合ホームランを叩き込んだ。
阿部の今季シーズン戦初先発は、次のタイタンズ戦三連戦の初戦である。
タイタンズは開幕前から故障者続出という、何か呪われているのではないかという事態。
ここしばらくはBクラスであることが多かったが、二年連続最下位というのは、もはやチームの現場だけではなく、フロントまでも崩壊していることを示す。
ここでも大介は爆発した。
三打数三安打で一ホームランと、完全にピッチャーを援護してくれる。
先制して点差を広げたライガースは、阿部が八回までを一失点に抑え、そこからクローザーにつなぐ。
ここで一点は取られたものの、最後には6-2の点差でライガースが勝利。
これで開幕から四連勝であるが、それはライバルレックスも同じであったのだ。
開幕から五試合目で、ようやくライガースは負けた。
だがこの試合でも大介はホームランを打ち、開幕から五試合連続のホームランである。
また六試合目も、大介はホームランを打った。
一試合に一本ずつと、律儀に刻まれるホームランの数。
この調子なら143本になるな、と誰かは笑ったものであるが、大介はこのシーズン、ルーキーシーズン以上に猛っている。
連続試合本塁打記録は、七本である。
ここまでパカパカと打っていたら、普通はもっと警戒される。
だが大介のホームランは一試合に一本で、しかもソロホームランが多い。
ランナーがいなければ一点だと思われて勝負したら、それをポカリと打たれてしまう。
そして日本記録となる八試合連続のホームラン。
あっさりと達成してしまう大介であった。
今年のライガースはものすごく強い。
山倉のように抜けたメンバーもいたものの、先発陣は上手く若手を回している。
首位争いをするレックスとの直接対決では、二勝一敗で勝ち越しもした。
しかし圧倒的に、レックスの方が試合のバランスがいい。
なんとレックスは四月が終わった時点で、24勝4敗という成績を残していた。
もちろん歴代の勝率としては、別格のものである。
ただ連勝記録などはまだまだ長いものであり、レックスもそこまでは達していない。
ライガースの20勝8敗というのも、充分すぎるほどの数字である。
勝率七割というのは、普通に考えれば絶対的な差で、リーグ戦を優勝出来るほどのものだ。
だがそれ以上に、レックスがおかしいだけなのだ。
得点と失点を見れば、二つのチームの差が分かる。
得点ではライガースが、失点ではレックスが優れている。
簡単に言えばライガースは攻撃的なチームで、レックスは守備的なチーム。
ただし両者共に、得点と失点の一位二位を、この二チームで独占していたのである。
レックスでは直史が0行進を続けていて、ライガースでは大介が打ちまくる。
二つの巨星が引き合うような、そんなイメージさえ湧いてくる。
確かに大介にとっては、下がりかけていたモチベーションが、今では完全に急上昇している。
あるいはプロ入り以来の最高値であるかもしれない。
開幕28試合の間に、17本のホームラン。
またホームランではなくても、相手のピッチャーの心を折るような、長打の連発。
OPSが1.7を超えるというのは、異常値である。
本当に人間なのかと、またもや言われ始めている。
去年の開幕直後などは、あいつもさすがに人間であったかと、安心されたものであるが。
今ではやっぱり人間じゃないだろうと、呆れられている。
いや人間以外の何なのかと、大介としては言いたくなるところだが。
しかしまだ大介は満足してはいない。
四月のレックスとの試合では、直史との対決がなかった。
またスターズと戦った時には、上杉から二試合で二本しかヒットを打てなかった。
七打数の二安打で、ここまで四割を軽く打っている大介としては、ここでもまだ満足するわけにはいかない。
大介が確認するのは、対戦する相手と、その相手のピッチャーのローテーション。
五月に入れば、直史との対決になるか。
だが一試合ずらしてしまって、他のピッチャーを出してくるかもしれない。
レックスは今、完全に投手王国になっている。
武史が怪我から復帰し、吉村も調整が進んでいるという。
それでも大介が待っているのは、直史との対決である。
チリチリとした雰囲気を漂わせる大介であるが、家庭に戻ればその雰囲気は和らぐ。
生まれた子供はすくすくと育ち、同じ時期に生まれた他の赤ん坊より、一回りも大きかったりする。
「俺の子供なのにでけーな」
それは最初に子供を見たときの、大介の言葉であった。
そして名前を付けるのに、色々と苦心したものである。
大介は小さいのに大介、などと子供のころはからかわれたものだ。
今も身長は日本人男性の成人平均より、やや下回っている。
男性は二十歳を過ぎても伸びる者がいると言っても、さすがにこれ以上はないだろうな、と大介は思った。
名前には「しょう」をつけようかな、とは思った。
大に対して小である。ただ漢字でつけると変な感じもするので、字は違うものとした。
白石昇馬。それが大介の長男の名前である。
別にサンカンオーのことが頭に浮かんだわけではないが、てっぺんまで駆け上がる馬のような、勇壮な姿を意識したのだ。
生後半年以上を経過したが、まだまだ子供のままなのは当然である。
ツインズがようやく動けるようになったので、用事の時にはベビーシッターを準備したりもした。
また関東遠征が重なるときは、一緒に戻って佐藤家や白石家などに、顔を見せたものであるが。
ちなみに大介の母は、大介を産んだのが速かったので、40代でお祖母ちゃんになったりした。
それはまあ、そういうこともあるだろう、というぐらいである。
妻子といると大介は、自分の将来について少し、考えることもある。
将来的には、いや自分が引退でもしてからは、関東に帰ってくるようなイメージがある。
親戚も多いし、東京か千葉あたりが、やはり安心して暮らせる場所なのだ。
ただそんな遠い先のことは、試合が来れば忘れてしまう。
大介は戦士なのだ。
グラウンドはまさに闘技場。
己の身に付けた技術を使って、渾身のパフォーマンスを演出する。
それが大介の頭の中の、大半を占めている。
そして五月もゴールデンウィークが終わるころ。
ようやく大介と直史の対決が実現したのであった。
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