第3話 追いつけない背中

 阿部やその前後の世代にとってSS世代というのは、同時系列で存在する、現在進行形の伝説であった。

 大介が活躍するのはプロ野球のシーズン中にずっと報道されていたが、直史の大学野球はそれよりは、ずっと頻度が少ない。

 だからこそ逆に、リーグ戦や大きな二つの大会、また日米大学野球など、直史が活躍する機会は貴重であったのだ。

 WBCの決勝、上杉が怪我で投げられず、どのようにしてアメリカ打線を封じるのか。

 上杉ならば大丈夫と思っていた、日本国民全体が、あの奇跡に驚嘆した。

 阿部にしても高校野球やプロ入り後の経験で、それがどれだけ難しいことか分かる。

 そして同時に、あれがどれだけの修練によってなされたのかも。


 直史のプロ入り後、そしてオープン戦の成績から、どんな人間にも衰えというものはあるのだと思った。

 だが実際には、奇跡は開幕戦から始まった。

 自分のピッチングとは、何がどれだけ違うのか。

 いや、もちろん差がありすぎて、はっきりとは分からないのだが。


 上杉や武史、真田のように、完封を狙ったピッチングが出来るピッチャーは、現在のNPBにも少ないながら、そこそこ存在する。

 だが直史は平然とノーヒットノーランもどき、または100球以内の完封と、さらに極まったピッチングをする。

 バッターの待っている球が分かっていて、そこから一番遠い発想の場所へ投げる。

 あるいは読まれていてさえも、単打にすらならないように投げる。

 そんなことがプロのレベルで、本当に可能であるのか。


「志願します」

「却下だ」

 対レックスの三連戦、直史相手の登板を、阿部は志願して即座に却下された。

「お願いします」

「だ~め~だ。なんなら理由も教えてやろうか」

 金剛寺は阿部に対して、言い聞かせるように教えてやる。

「そもそもこの三年、ライガースはシーズン優勝をしていない。それがどうしてか分かるか? さらに言えば、それなのにどうしてこの二年、日本シリーズに進出して日本一になれたかも」

 阿部はまだ、自分の実力のことばかりを考えていて、チームとチームの力関係などは分かっていない。

「ライガースは短期決戦に強く、レックスはシーズンを平均的に長く勝つのに強い。それはなぜか」

 阿部としても高校野球からプロ入り、そして二軍での登板を何度も繰り返し、去年のプレイオフでも投げた阿部は分かる。


 エース級のピッチャーの枚数と、そのエースすらをも打ち砕く主砲。

 大介のいるライガースは、スーパーエース級以外のピッチャーなら、なんとか打ち崩せる。

 だからこそピッチャーの質では上回っているかもしれないレックスに、ライガースは勝てるわけだ。

 レックスも樋口が相当に勝負強いバッターであるが、普通に毎打席勝負強さを発揮する大介とは、その期待値が違いすぎる。


 ただし今年は、直史がレックスに加入した。

 武史が入ったレックスは、一気に貯金を増やせるようになったが、プレイオフではライガースに勝ちきれなかった。

 だが直史ならば、どうであるのか。

「それを確認するために、こちらは最大戦力のピッチャーを当てないといかん」

 今はまだ、シーズン序盤である。

 佐藤直史の力を見極め、それを攻略するにはどうすればいいか。

 阿部を使って楽な試合をさせてしまえば、その真の力までは測れないだろう。




 野球はやはりピッチャーだ、というのは毎年のドラフトにおいて、どれだけピッチャーが指名されるのかを見ていても明らかだろう。

 100年前なら一人のエースが、毎試合投げ続けていたという、狂った状態であったそうだが。

 50年前にしても、まだ一人のピッチャーの先発数が30を超えている。

 上杉並に投げるピッチャーがいたということだ。


 今ではピッチャーの負担が正しく理解され、中六日に分業制が、当たり前になっている。

 なおこの点ではMLBのピッチャーは、中四日や中五日が多く、先発に対しては過酷と言われる。

 その分は厳密な球数制限で、フォローしているとも言われるが。

 直史の場合はその球数の少なさが、他の超一流ピッチャーと比べても異常である。

 本人としては生まれつきのスペックがそれほどでない以上、少しでも負担を少なくするために確立したスタイルなのだが。


 投げすぎピッチャー上杉は、今年もすごい勢いで勝ち星を稼いでいる。

 だがライガースがレックスと対決する前の試合で、今年最初の負け星を記録してしまった。

 大介のバッティングと、リリーフ陣をつなげて作った継投完封。

 そうやって勢いをつけた状態から、ライガースはレックスとの三連戦に臨む。

 阿部は第一戦で、武史と投げ合うことに決まった。

 佐藤武史もまた、現在に伝説を残す怪物である。


 上杉が故障で離脱したとは言え、一年目で投手五冠と沢村賞を受賞。

 上杉のタイトル独占状態を打破したのは、真田ではなく武史であった。

 大学時代には一年目から、兄と共にダブルエースとして君臨。

 そして直史と違って完全先発型であったため、大量の奪三振を記録した。


 直史の奪三振はリーグ戦の歴代第三位であったが、武史は三年の終了時点でそれを抜いていた。

 そして四年生の一年間で、それまでの奪三振記録を一気に更新したのだ。

 平均して一試合あたりの奪三振は19個。

 プロに入ってからも、完投する試合では当たり前のように、15個ほどは三振を奪っていく。


 高校二年生の春から、白富東を春夏四連覇へ導いた立役者の一人。

 兄である直史よりも、その成績は優れている。

 甲子園に出場すること五回、そのうちの一回は準優勝で、その外は全て優勝。

 それから大学に進んで、兄の記録をも抜いたのだ。


 上杉が少しずつ打たせて取るピッチングを身に付けているのに対し、武史は完全にストレート主体の三振奪取型。

 これは両チームの戦力が違うから、スタイルも違うと言える。

 上杉は自分の力でチームを勝たせる。

 武史は戦力が整ったチームなら、その力を発揮する。

 上杉の方が万能に近いが、武史も相当の怪物であるのだ。




 阿部もまた間違いなくスーパーエースであるというのは、レックスとの対決でも分かった。

 武史は大介に対して、ヒット一本フォアボール一個と、確率的には敗北といっていい数字を残した。

 しかしながら点には結びつかず、この試合は1-0でレックスが勝利した。

 樋口が長打で出たあとにタッチアップを決めて、それが決勝点となった。

 こういう一点差で相手を完全に封じるという力は、まだまだ阿部は未熟である。


 第二戦はレックスの金原が、珍しく序盤に崩れた。

 ライガースもイニングイーターの大原が先発で、そこそこの点の取り合いとはなる。

 大介もホームランを一本打って、これで21本目。

 とんでもないスピードでホームランを量産している。


 そして第三戦。

 ライガースはここで、最強の手札である真田を切る。

 そしてレックスも、中五日ながら直史を先発させてきた。

 ライガース首脳陣は、あるいはここは直史ではなく、調子を戻してきている吉村を先発として持ってくるかとも思ったのだ。

 吉村もいいピッチャーではあるが、ライガース打線を抑えるのはかなり大変だ。

 ましてライガースが真田を投げさせるとなれば、運が良くて二点、そうでなければ一点も取れないところだったろう。


 佐藤直史VS白石大介。

 この試合を見るためだけに、ネットのチャンネルのお試し期間に加入した者は、50万世帯を超えたとも言われる。

 一応はちゃんと地上波でも見られるというのに。

 CMなしで見たいという者が、それほどいたのであろうか。




 伝説に残る試合になるのでは、と多くの者が思っていた。

 同じプロでありながら、この試合をリアルタイムで見たいと思った者も多かった。

 それは予感ではなく、確信。

 そして現実は伝説を紡いだ。


 阿部の次の登板は、フェニックス戦後のタイタンズ戦である。

 ローテーション投手の特権とばかりに、しっかりとその試合を目に焼き付けた。

 こういう時は案外、球場よりもテレビで見る方が、視点が分かりやすかったりする。

 画面の中で、直史と真田の投げ合いが始まった。


 阿部は入団以来、何度も紅白戦仕様で、大介とは対決している。

 だがまともに抑えられたことは一度もない。

 それを直史は第一打席から、完全にタイミングを狂わせて、大介を打ち取った。

 そしてそこから、一人もランナーを出さないピッチングが続いていく。


 対する真田も、この年一番とも言えるピッチングをしていた。

 だが直史はそれ以上なのである。

 二打席目の大介は、スイングがスムーズにいかず、平凡な外野フライ。

 ただしここで、阿部には確信があった。

 これならば次の打席では、大介が打てるであろうと。

 問題はそれがフェアになるグラウンドに落ちるかだと思ったが。




 阿部が本当の直史の恐ろしさを理解したのは、ライガースの七回の攻撃である。

 毛利と大江があっさりと片付けられ、三打席目の大介の打順が回ってくる。

 これまで機械のように同じリズムで投げていた直史が、ピッチングにおいてそのフォームに、タメを入れ始めたのだ。

 球威としては、テレビの球速表示では、さほど変わったようには見えない。

 だがピッチャーである阿部としては、この不思議さが分かる。


 直史は、ここまでの全ての打席を布石に使って、大介のタイミングを外してきた。

 各種球種が、これまでとは違うタイミングで、投げ込まれているはずだ。

 直史のピッチングフォームは、かなり球の出所が見にくいとも言われている。

 その球を打つならば、セットポジションからリリースするまでのタイミングを、体で感じておけばいい。

 だがここでその、タイミングを崩してきた。

 そんなことをすれば、自分でもコントロールが効かなくなるのではと、阿部などは思ったのだが。


 最後には、この試合で初めての、大介の空振りでスリーアウト。

 事実上ここで、この試合は終わったと阿部は思った。


 あんなことが可能なのか。

 阿部は高校で急成長し、素材のままでプロに入ってきた。

 そしてそこから一年かけて、プロ用にそのピッチングを磨き上げたのだ。

 直史は高校時代から活躍し、大学四年間も野球をしていた。

 その間に研磨した技術で、プロの恐ろしいバッターを封じ込めている。

 時間をかければ、あんなことが可能になるのか?

 他にはあんなピッチャーは、一人もいない。


 ライガースのもう一人の主砲である西郷も抑えて、これでアウトは22連続。

 プロ野球史上空前絶後の、二度のパーフェクトを成し遂げるピッチャーの誕生かと思われた。

 そこでレックスの木山監督が出てきた。

 マウンドの直史と少し会話し、そして直史がマウンドを降りる。

 ピッチャー交代である。


 なんでやねん。

「いや、なんでやねん!」

 身の回りにある関西弁が、思わず洩れた阿部である。

 あと五人なのだ。

 あと五人で、プロ野球史上に残る、最高の記録が生まれるはずだったのだ。

 球数は問題ないはずだ。時々出てくる数字から、まだ100球ちょっとというのは分かっていた。

 直史にしては多いのかもしれないが、別に直史はスタミナに欠けるピッチャーではないのだ。


 ならば故障か。

 そう思った瞬間、阿部は自分の血の気が引くのを感じた。

 もし故障なら。しかもここでどうしても代えなければいけない故障なら。

 今日のようなピッチングは、もう見れなくなってしまうのか。

 芸術的な、そして狡猾なピッチング。

 これはまさに、興行として後世に残すべきものだ。


 日本中と、世界でも一部から、佐藤直史の安否を求めるメッセージが、ネットの世界を沸騰させた。

 もしもあのピッチングが失われてしまうとしたら。

 それは野球というスポーツにおいて、一つの奇跡が失われるのと同義である。

 ただそれは試合後の、ヒーローインタビューで解消された。

 樋口が交代の理由を、単に寝ているだけ、と説明したからだ。


 昔からのファンは思い出す。

 直史は三年の夏の決勝でも、試合終了と共に卒倒した。

 だがあの後も国体には出ていたし、大学では大活躍した。

 過去の事例があてはまるなら、ここでもまた無事のはずなのだ。


 味方ばかりではなく、敵にすら心配されたその試合。

 レックスは三人のピッチャーで継投パーフェクトを達成し、また一つおかしな記録を生み出したのであった。




「タイミングか」

 試合の後、大介は憂さ晴らしのために街に出ることもなく、ホテルではなく東京での自宅マンションに戻ってきていた。

「たぶん、呼吸をよまれてたんだよ」

「呼吸?」

 あっさりとその謎を口にするツインズであるが、大介としてはその理屈がはっきりとしない。

「お兄ちゃんはそれまでずっと、一定のリズムで投げてた」

「だけどこのピッチングだけは、リズムじゃなくてタイミングで投げてた」

 ツインズからすると、至極分かりやすい原因である。

 だが大介としては、まだ納得しがたい。


 ツインズはその場で、ピッチャーとバッターの二手に分かれて、それを再現する。

 バッターの呼吸を見ながら、ピッチャーは投げる。

 すると下手をすれば息を吸いながら、バッターはボールを打つことになる。

 また大介の見た、わずかなフォームの違いも、そのタイミングを外すことの一つであった。

 最後のボールは、高校時代には使っていた球だ。

 わずかに低い位置でボールをリリースする、より地面と並行に近い軌道を走るストレート。

 それはホップするよりも見事に、大介のバットの上を通過したのだ。


 対処法は何か。

「リズムを無視して、タイミングだけで打つこと」

「リズムで投げている間に、そのリズムを攻略してしまう方法もあるけど、お兄ちゃんはそれは選ばないと思う」

「大介君相手なら」

 直史は相手を甘くは見ない。

 ましてそれが大介であるなら。


 結局のところはこのシーズンを通して、地道に攻略していくしかない。

 完全に手探りの、感嘆には成し遂げられないことだ。

「楽しくなってきたもんだ」

 大介は完敗をしながらも、笑みがこぼれることを我慢することは出来なかった。

 そしてそんな大介の様子を見て、ツインズも楽しそうに、微笑み合うのであった。

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