第4話 我欲
大介はこの数年、フォアザチームの意識で戦ってきた。
チームが優勝するためにはどうすればいいか、ずっと考えてきたのだ。
それは大介が、あまりに大きな実績を上げていたために、どうにかモチベーションを維持するためのようなものであった。
だが今年の大介は違う。
直史がプロに来ると分かってから数字を伸ばした去年も凄かったが、今年はまさに桁違いである。
今までの大介は、本当になんだったのかと思う数字だ。
四月の時点で打率は軽く四割を上回り、ホームランを17本も打っていた。
だが39試合が終わった時点で、ホームランの数は23本、打率は脅威の0.454と、人間をはるかに超越した数字を残している。
ちなみにこれは近代以降の野球の、世界記録以上の打率である。
五月、チームは負け越している。
だが大介は打っている。
大介は今、正しく飢えているのだ。
そして別に、大介一人が迸らせているわけではない。
主砲が一人だと、歩かせられるだけ。
だが西郷が後ろにいて、四番としての働きをしているのだ。
二人でホームランと打点を、どれだけ叩き出しているのか。
それだけ今年のライガースは、破壊力が大きい。
それに比べると投手陣は、まだまだ常識的である。
ダブルエースであったはずの山田は、開幕からは三連勝したが、その後の勝ちをリリーフで消されてから、三連敗。
真田は五連勝と圧倒していたが、直史にそれを止められた。
三番手と名前が上がってくる阿部は、いいピッチングをしているのだが、打線の巡り合わせが悪かったりする。
完全に打撃のチームだ。
大介の前にどうやってランナーを出すか、そして大介をどう抑えるか。
ツーアウトからならフォアボール覚悟で外の勝負をしてくるが、もしも塁に出たら確実に盗塁を狙ってくる。
セカンドまで進んでしまえば、ツーアウトからならスタートが切りやすく、大介の足なら一気にホームを狙える。
少なくとも六番までは、一発が期待できる打線だ。
そして守備職人の石井も出塁率は上げてきて、あとはキャッチャーの問題である。
島本は間違いなく、現場の采配を取る上では、バッテリーへの指示が上手い。
ただし自分が現役の終盤で鍛えた、風間と滝沢に執着しすぎているところはある。
この二人も島本の基本戦略に従えば、キャッチャーとしての役割は充分に果たせる。
ただし二人をほぼ均等に使っているこの状態。
競争を煽っているようで、どこかナアナアの雰囲気にもなっているのだ。
二人は一軍ベンチの、控えキャッチャーとしてなら充分なのだ。
だがこの強力打線の中で、打てるわけでもなく、平均程度のリードしかしないキャッチャーは、本来控えとして使うべきなのだ。
ここが島本の、甘い部分である。
戦略は立てられても、人事を決断することが出来ない。
最終的な選手起用は、確かに金剛寺に権利がある。
だがここまでは、島本のバッテリーへの影響があってこそ、金剛寺もどうにかやってこれたのだ。
ペナントレースで負けても、日本一になっているところが、逆にそのあたりの決断を鈍らせる。
かつて前世紀にライガースが優勝し、そこから間もなく暗黒時代になったのは、優勝メンバーの衰えを知りつつも、それを切れなかったからだ。
今はまだ打線とピッチャーでどうにかなっているが、キャッチャーは代えなくてはいけない。
金剛寺としては自分よりもはるかに、長い時間を一軍で過ごしてきたのが島本である。
現場の意見としては、島本に言うしかない。
「トレードの話が出ている」
監督質に首脳陣を呼んで、金剛寺は話し出した。
「相手はスターズで、あちらはキャッチャーを、こちらは野手に控えのキャッチャーを一枚と考えられている」
この金剛寺の話は、かなりの無理筋ではある。
まずスターズは同じリーグで、その弱点は比較的克服出来てきたとはいえ、バッティングの弱いスターズだ。
同じリーグのチームを、そこまではっきりと強化させるトレードというのは、ちょっと考えにくい。
「野手と言っても、誰を出すんです?」
「山本」
「そらあかん」
金剛寺も話を聞いた時は、即座にそう言ったものである。
山本は真田と同期の大卒外野手で、即戦力として期待されていた。
実際に一年目から一軍の試合も出ていたし、二軍では別格の強さを誇る。
ただ今のライガースの陣容を見ると、ライトの大江、センターの毛利、レフトのグラントと、メンバーが固定されているのだ。
実のところはもっと早くに、グランドが離脱すると思っていた。
それに既にグラントは年齢も高く、パワーこそまだあるが打率は下がってきている。
グラントがいなくなったら、そう言いながらもう八年目。
注目の若手だった山本は、30歳で塩漬けされているのだ。
これが完全に一軍固定の選手だったら、FA権が発生していた。
だが山本は二軍にいることも多く、あと一年は発生しない。
一軍の選手が離脱したときは一軍に上がり、サブの人員としても使える。
グラントがもっと早く他に移籍するか、あるいは衰える、もしくはMLBに戻ると思っていたのだ。
それが関西を気に入って、またここでなら自分の居場所があると思って、長く在籍してくれた。
そこが計算違いだったのだ。
山本は出せない。
代打として貴重であるし、外野のサブ要因である。
そもそも大江も32歳で、やや衰えが見えてきているのだ。
グラントは間違いなく先に、それこそ今年あたりで終わりそうなので、そこに入る選手がいる。
やはり山本は出したくない。
「もう一個、三角トレードの話も出ている」
そちらの方が本命であった。
「スターズとマリンズを重ねて、こちらはリリーフピッチャー一枚と、キャッチャーを一枚マリンズに出して、マリンズから外野手がスターズへ、そしてスターズからキャッチャーを」
「どちらにしろ、キャッチャー一枚を出すというわけですか」
ここでようやく島本が口を開いた。
キャッチャーを取るということは、それは正捕手候補となるはずだ。
つまり風間か滝沢、どちらか一枚はいらなくなる。控えは一枚でいいのだ。
島本は口にはしていないが、表情で反対だと分かる。
ただ、島本も分かっているはずなのだ。
風間も滝沢も、正捕手に何かがあったときの、控えのキャッチャーとしてならばいい。
だが一年を通じてこの二人で回すというのは、いかにも力不足なのだ。
入団から鍛えてきて、それによく付いてきていた。
だが、さすがに決断はしなければいけない。
「リリーフは誰を?」
「飛田ですね」
「しかし飛田は」
ロングリリーフや、谷間のローテなど、便利に使えるピッチャーである。
ただ先発のローテの一枚として考えるなら、不足ではある。
なんだかんだ塩漬けになっていることが多い山本よりも、さらに貴重なのではないか。
ホールドやセーブもつかない状況で、長いイニングを投げて安定している。
何より壊れない耐久力というのが貴重である。
「飛田を出してまで、誰をスターズからもらうんですか?」
「赤尾です」
「はあ!?」
島本が声を上げたのは、スターズの考えが分からないからである。
スターズは三年目の福沢が正捕手として、ほぼ確実に尾田の後継者として捉えられている。
だがそれまでは孝司が一軍でマスクを被ることが多く、かなり期待されていたのだ。
控えとしては絶対に入れておきたい選手のはずだ。
それを放出するというのは、何か確執でもあったのか。
確かに少ないチャンスで数字を出している割には、一軍スタメンがあまりなく、代打で出されていることが多かったが。
考えてみれば控えとはいえ、かなり一軍のベンチには入っている。
正確には数えてみないと分からないが、このままなら第二のキャッチャーとしても、FA権が二年ほどで発生するのか。
そうなった時、これまで冷遇していたスターズに、そのまま残るとは限らない。
トレード要員として出してやった方が、本人としても嬉しいのか。
「確か大介の後輩か。真田とも甲子園で対決しているのか?」
島本は一人呟いているが、ほしいキャッチャーではある。
ただしこれに対して、風間か滝沢のどちらかは放出するというわけか。
マリンズに出すのならば、武田の控えとなるわけか。
どのみち出場機会は減る。
だがここまでずっとチャンスを与えてきて、どちらかが相手を圧倒的に上回ることがなかったことも確かなのだ。
数日後、このトレードは成立した。
生え抜き選手の放出に、ファンの間からはブーイングが出たりもしたが、勝利を目指すのもプロの役割の一つである。
首脳陣も含めて、かなり疑問の残るトレードではあったのだが。
なぜかレックスのフロント陣の誰かさんが、少し動いた結果であった。
キャッチャーは大卒の方がいいな、というのが孝司の感想である。
白富東時代、ジンやコーチから散々にリードについては学んだ孝司だが、純粋にリードが優れていても、ピッチャーが納得せずに首を振れば、どうしようもない。
高卒のキャッチャーは、周囲のピッチャーがほとんど年上なので、舐められるのだ。
二軍の帝王からしばらくして一軍に呼ばれたが、控えとして悶々と過ごし、時折代打で出される日々。
それでも腐らずに済んだのは、間もなくキャッチャーの世代交代が起こるであろうと思っていたことと、上杉を筆頭にスターズで優れたピッチャーの球を受ける機会が多かったからである。
ただそれでも、福沢の入団と、正捕手へのほぼ定着はどうにも我慢出来なかった。
トレードを志願したが、控えのキャッチャーとしては、孝司は充分すぎる能力を持っている。
しかし切実な話、正捕手として活躍しないと、未来が見えてこない。
もちろん二軍での成績や、代打成績、たまの先発マスクなどで、それなりの年俸にはなる。
だが同期の選手の中には、既に一億に達している者もいるのだ。
スターズの選手ということで寄ってきた横浜の彼女は、ライガースに移籍と聞くと離れていった。
大阪なんてお洒落じゃないし、とのことであった。
いやライガースの甲子園球場は兵庫であるし、近くの神戸もお洒落都市では、とも思ったが引き止めなかった。
孝司自身ではなく、スターズの選手を恋人にしたいと悟ったからだ。
そんなわけで独身の孝司は、いったんライガース寮に入ることになった。
このシーズンで結果を残し、年俸をアップさせてさっさと出て行くつもりであったが。
以前からライガースは、キャッチャーが弱いと思っていたのだ。
それでいてバッターとしてもあまり成績を残しておらず、中途半端な存在だった。
だがバランスだけは良かったと思う。
そのバランスにしてもほぼ全ての面で、孝司の方が上だと思ったが。
「しっかし福沢がいい感じとはいえ、よくスターズはお前を出したよな」
一軍に合流して甲子園球場にやってきて、さっそく久しぶりの大介に言われた。
「ここだけの話、けっこう期待してるからな」
そう言ったのは高校時代、甲子園で対戦した真田である。
孝司としてはこの二人が一緒にいるだけでも、不思議な光景だと思わざるをえない。
甲子園球場で場外ホームランを打った者と、打たれた者。
それが今は同じチームで、優勝を目指して戦っている。
孝司もスターズの一員として、優勝は経験している。
だがそれは自分がまだ、主力となっていなかった時だ。
控え選手としての優勝を喜ぶようでは、それはプロではないと思っている。
自分の成績を残して一流と認められ、それからやっとチームの優勝を喜ぶべきなのだ。
チームの練習に参加してみて、孝司はやはりチームごとに雰囲気は違うのだなと感じる。
いや、ひょっとしたらスターズだけが特別なのかもしれない。
あそこはピッチャーで先発ローテに入っている上杉が、事実上のキャプテンとなっている。
とにかく上杉を中心としたチームで、上杉が沈めばチームは崩壊するだろう。
だがライガースは大介を中心とはしていない。
大介は自由に動いて、自由にプレイする。
首脳陣がちゃんと選手を制御しているのだ。
大介は好きなように動いているように見えるが、ちゃんとそれを首脳陣は把握している。
上杉一人に頼っているスターズが、勝ちにくくなっているのは、このあたりが原因なのかもしれない。
(どうせならレックスに行ってみたかったけど、あそこは樋口さんがいるからな)
ライガースもまた、いいピッチャーが多い。
そして移籍初戦、孝司がスタメンのマスクを被ったのは、阿部と組むタイタンズ戦であった。
阿部もまた苦労人というか、よくこんなのが急に出てきたな、というピッチャーである。
中学までは無名だったが、それは実力があっての無名ではなく、本当に実力もなかった。
しかし高校時代に急成長し、関東大会にまでは出場した。
結局甲子園の出場は果たせなかったものの、竜ヶ峰高校創立以来のプロ野球選手となり、しかも四球団競合であった。
山田と真田という二枚のエースがいる中で、三枚目のエースとなっている。
それでもまだプロ三年目の成長中で、完成形が見えてこない。
ただ阿部の方からも、移籍してきた孝司が簡単に自分の160km/hオーバーを捕るのは、衝撃ではあったのだ。
スターズ時代はブルペンで、上杉の170km/hを受けていたのだから、それはその程度は捕れても当たり前なのだが。
今のセ・リーグは完全に、レックスとライガースの二強状態となっている。
その隙を窺うのがスターズで、上杉相手にはさすがにライガースやレックスも、簡単に勝てたりはしない。
毎年20勝以上して、そして2~3回しか負けない。
そんなピッチャーがいても、スターズは日本一になれないのが、この数年である。
阿部と組んだタイタンズ戦、孝司は考え方を改めなければいけないのだと分かった。
スターズにおいてはキャッチャーは、とにかく上杉の邪魔をせず、他のピッチャーをリードする存在であった。
尾田が受ける場合はかなりバッターとしても打っていて、キャッチャーは同時にバッターであった。
そしてライガースでは、孝司もそれを求められる。
守備的なチームと攻撃的なチームに分けるなら、間違いなくライガースは攻撃的なチームだ。
守備でミスがあったとしても、その打撃で取り返そうと切り替える。
なるほどこれがトレードで移籍することなのか、と孝司は実感した。
実際にこの試合、孝司にはリードミスがあって、余計にヒットを打たれた。
しかし四打数で二本のヒットを打ち、打点も一点つける。
八番に入っていたキャッチャーとしては、充分すぎる打撃成績を残したのだ。
長くスターズで控えとしていて、腐りかけたこともある。
尾田はレジェンド級のキャッチャーだと分かってはいても、さっさとその席を空けろと思ったものだ。
ライガースにおいては、競うべきは暫定正捕手の滝沢。
自分よりも年上の滝沢に、孝司は必ず勝つつもりでいる。
解放された気分で、孝司は翌日の第二戦も、打点を上げた。
ライガースに、新たな獣がやってきたのであった。
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