第5話 甲子園にて
甲子園でのカップス戦を前に、タイタンズ相手に連勝したライガース選手団は、東京の食事処に繰り出す。
こういう時にはツインズから、騒げる店を教えてもらっている大介は、色々と便宜が利く。
二試合で見事に打撃でも結果を出した、孝司の歓迎会も兼ねている。
風間の移籍に関しては、急に決まったことだけに、その日に送別会をしただけであったが。
長くプロでやっていけば、選手の入れ替わりが激しいのは分かる。
大介は今年で九年目になるが、入団当初の一軍スタメン選手で現役なのは、石井とグラント、ピッチャーを入れても山田、琴山と四人ぐらいだ。
スタメンではないが一軍経験がある選手なら、黒田に大江あたりもそうであるが。
大介の同期も、もう大原ぐらいしかいない。
山倉はFAで移籍したし、他にトレードで出て行った者もいるが、山倉以外は移籍先で引退している。
10人取った新人で、まだ現役でいられるのは、三人だけなのである。
本当に厳しい世界だというのは、入って数年して、周りを見て気がついた。
故障をしてそのまま治療期間もなく退団という者もいれば、球団には残るものの職員として働くことになる者もいる。
直史がやりたがらなかったというのも、当たり前のことである。
ただし今の法曹資格を取った、引退後のキャリアを考えた直史は、かなり自由に挑戦しているようであるが。
野球しかないという者が、強くなれるのだと思っていた。
だが野球以外のものがあっても、強くなれる者もいる。
これだけのことをしたのだから、成果が上がってほしい。
それは人間として仕方のないことなのかもしれないが、結局はただの甘えである。
努力が誉められるのは高校生まで。
それ以降の大学などは、将来のための明確な準備期間と言えよう。
ただし結果が全てというのも間違っている。
大介などは結果を出しているが、それでもそれに驕ろうとは思わない。
「というわけで俺は、酒は祝い事の時にしか飲まないし、煙草も吸わないしギャンブルは……馬主資格は持ってるな」
「スケールが違う!」
賭ける側ではなく、賭けられる側に回っている。
大介の今年の年俸を聞いたら、ほとんどの選手は呆れつつも納得するだろう。
それでもMLBで同じような数字を出したら、三倍もらっていてもおかしくないのだ。
孝司はいきなり結果を出して、チームには認められつつある。
だが島本は複雑な気持ちだろう。
現役時代から、次の正捕手は二人のうちのどちらか。
そう思っていたところに、他球団から来た孝司が、かっちりとはまってしまったのだから。
あるいは長い時間、手をかけすぎたのが悪かったのかもしれない。
毎年一人ぐらいはキャッチャーを取っていても、モノになることがない。
それがこの数年のライガースだったのだから。
大介の奢りであるので、禁煙以外はハメを外して酒を飲んで酔っ払うチームメイトだが、大介に合わせて孝司も、ここでは飲まない。
移籍して二試合ばかりでポンポンと打ったところで、嬉しくはあっても満足していてはいけないのだ。
目指すべきものは、もっとずっと先にある。
そしてこの二人が素面でいると、自然と白富東の出身者の話になる。
幸いと言っていいのか、白富東出身でプロ入りした者で、まだ引退した者はいない。
ただアレクはMLBに行ってしまったが。
去年、関東に戻っていた大介などに、アメリカ行きの前に会いに来た。
プロ入りを決めた直史に対しては、複雑な顔をしていたが。
「大介さんはメジャー行かないの?」
「こっちの方が面白いピッチャーがいるしな」
「それはそうかもね」
最後まで飄々とした様子であった。
西海岸でシーズン序盤から40人ロースターに入り、それなりに打っている。
だがあのアレクでさえ、バッティングよりはどちらかというと、守備の方を評価されているのだ。
二番バッターでさえホームランバッターを持ってくるMLBでは、アレクはもっとボールを選ぶべきなのだろう。
同じく東海岸に行った織田は、完全に一番として通用しているのだから。
MLBでは、ヒットで出ても四球で出ても、出塁は出塁。
ただアレクの場合は、打てる球は打ってしまわないと、調子が出てこない。
ふてぶてしさからして、アレクの方が織田よりも、MLBには順応しやすいと思っていた。
だが織田の持つ冷徹さ、計算高さが、MLBではより重視されるらしい。
とは言っても二人とも、充分にバッターとして成功している。
日本人野手で成功しやすいのは俊足の選手で、出塁率がいいことが条件なのかもしれない。
(この人は別だろうけど)
孝司は大介の小さな体を、不思議そうに見つめる。
大介は見た目よりはパワーがある。
だが筋肉の塊というわけではなく、どうしても筋肉の量と飛距離が比例していないと思うのだ。
おそらく、本当の意味でのミート力を持っている。
それは動体視力に由来するものだろうが、100分の一秒以下の瞬間を捉える、驚異的な能力が必要だ。
「お前らの後もそこそこ、白富東からプロ入りしてるの多いよな」
「そうですね。水上に宇垣にまでは直接知ってますし」
「お前らが三年のとき、いいピッチャーがいただろ。あいつは結局アメリカに帰ってそれっきりなのか?」
「セイバーさんの手配らしいですからね」
「あの人は何を考えてるんだかなあ。そもそもお前を出したスターズの意味が分からん」
「前々からトレード志願はしてたんですけど、なんでこの時期に、って話ですね」
リーグが違うのであれば、キャッチャーのトレードは行われる。
しかし同じリーグのチームを相手にキャッチャーのトレードなどしてしまえば、それまで使っていたサインは全て筒抜けになる。
孝司は首を傾げたが、チームメイトやファンはそんな生易しい反応は示さなかった。
もちろん孝司にではなく、球団の方にその文句は飛んだ。
孝司としては出場機会が得られるのは嬉しいが、本当にそれでいいのかと思ったものである。
現場からはこんな動きが出るはずはない。
孝司はよりにもよって、キャッチャーなのだ。
それも二軍の帝王などではなく、一軍の二番手、あるいは三番手としての。
当然ながらキャッチャーは、その頭の中に自軍のチームのデータを含んでいる。
また情報活用のノウハウも多いであろうから、単純な個人の戦力が流出したという以上の意味を、キャッチャーのトレードは含んでいるのだ。
裏で何かが動いたのだろうな、とは思う。
まだしもオフにこの動きがあるのなら、分かりやすいのだが。
昔、スターズが暗黒時代であったころは、FAを取った選手がどんどんと移籍していたことはある。
だが今のスターズはそれなりに強く、チームはまとまっているのだ。
ただ、孝司は一つだけ心当たりはある。
白富東の空気に染まった孝司は、スターズの中ではどうしても異物にしかなれなかった。
「スターズって上杉さんをご神体にした、宗教団体みたいな感じなんですよね」
それは上杉の責任ではないが、カリスマがありすぎるというのも考えものだ。
上杉か。
上杉のことを考えると、次の試合のことも考える。
スターズの次の三連戦は、レックスとの試合である。
そして予告先発によると、上杉と投げ合うのは、直史である。
どちらの方が上であるのか。
それは属するチームの事情にもよるだろう、と大介は考える。
上杉は剛速球ピッチャーで、大介ですらも一試合を抑えられることはある。
以前にはライガース相手に、完全試合を達成しているのだ。
それに対して直史も、前回のライガースとの試合では、途中交代しながらもそれまではパーフェクト。
ピッチャー同士の性能では、正直比べるのは難しい。
直史は三振を大量に取ることも出来るが、それ以上に打たせて取るピッチャーだ。
開幕戦の事実上パーフェクトの試合では、19奪三振。そして次の本当のパーフェクトでは15奪三振。
しかし上杉はシーズンに一度か二度は、20奪三振を超えてくる。
守備に頼らないという点では、上杉の方が圧倒的かもしれない。
キャッチャーの大変さという点では、上杉の剛速球を捕るのと、直史の変化球を捕るのとでは、大変さの質が違う。
頭のいいキャッチャーでなければ、直史の能力を活かしきることは出来ないのだ。
どちらが勝つかは分からない。
だがどちらも失点を許さず、延長戦に突入することも予想できた。
その場合に直史も上杉も、リリーフに託して交代することが出来るのか。
特に直史の場合は、球数を少なくしてスタミナの消耗を防ぐことは出来ても、延長まで延々と投げ続けるのはやはり体に無理があるのではと思うのだ。
「ぶっちゃけ試合サボって生で見たい試合だよなあ」
「大介さん」
呆れたような顔ではなく、孝司も真剣な顔をする。
「俺もです」
二人は顔を見合わせて笑うのであった。
甲子園にカップスを迎えて行われる三連戦。
ライガースは真田を先発とし、万全の状態でカップスを迎えている。
試合はカップスが左殺しの細田を先発させたことにより、意外なほどの投手戦となった。
さらに言うなら真田は、この試合は出来のいい立ち上がりだ。
細田は右打者に対してはともかく、真田と同じく左打者キラーだ。
だがカップスのピッチャーの中では、一番成績が安定している。
カップスのエースは海野であるが、細田もまた左のエースと言われるぐらい、ローテをしっかりと回している。
二桁勝利を果たしたこともあるが、基本的には地道に貯金を作っていくタイプだ。
試合は中盤に入って、真田はノーヒットノーランの数字を残していた。
これで甲子園は、普通なら盛り上がるところである。
だがライガースの熱烈なファンですらも、他球場で行われている試合経過に、注意をせざるをえない。
神宮球場で行われている、レックスとスターズの七回戦。
直史と上杉の投げあいは、中盤までお互いがパーフェクトである。
両者無失点、あるいは無得点というのは普通に予想できていた。
だがパーフェクトまで、直史が狙っていったのか。
観客のざわめきは、六回に真田がヒットを打たれ、ノーヒットノーランが幻となったところで、そちらのほうにまた寄っていった。
球場の奇妙な雰囲気に、真田も集中力が乱れたというのもあったかもしれない。
あるいは細田を相手に、ライガースがなかなか援護出来ていないことも、その理由の一つではあったろう。
しかし、やるかもしれないと思っていたことを、本当にやってしまうとは。
ベンチの中ではどうにか目の前の試合に集中しようとするが、ベンチ裏やブルペンで、こっそりと神宮の様子を窺う者はいる。
レックスもスターズも、ライガースが上に行くためには、絶対に打ち崩さなければいけないピッチャーがいる。
特にレックスの方は、この10年ぐらいの間で、最も強力な投手陣を抱えているかもしれない。
佐藤兄弟に金原、佐竹、吉村あたりの先発は、他の球団と比べても間違いないエース級だ。
特に直史と武史は、どちらもノーヒットノーランを達成している。
上杉兄弟と佐藤兄弟、どちらの方が上なのか。
少なくともまとめて評価した場合は、佐藤兄弟の方が上になるだろう。
またレックスはリーグトップを走るチームなわけで、無視するほうが難しい。
ただそれでも、このホームの甲子園で、こんな雰囲気の中で試合をするとは思わなかった。
よそはよそ、うちはうち、と考えられるのなら良かった。
だが真田は直史に、強烈なライバル心を持っている。
この間も直史と投げ合って、敗戦投手になったばかりだ。
それが出てしまうあたり、まだ未熟と言えるのだろうか。
だがこの試合展開を聞いていれば、集中できなくなるのも無理はない。
それはまた、大介も同じことが言えた。
未熟だな、と自分でも感じるが、直史と上杉が投げ合っている試合を、本当に見たいのは確かだ。
それがバッティングにも現れて、今日の大介は一打席めこそヒットを打ったが、それからの打席では集中力が続かない。
プロであればあくまでも、自分の成績にこだわるべきだ。
優勝争いをしているリーグ戦終盤でもないのだから、優先順位は分かっているはずなのだ。
だがそれはあくまでも建前。
野球をやっている人間であれば、直史と上杉が投げ合っている中で、興味を引かれないはずがない。
ブルペンをひょっこり覗きにいけば、自軍の試合ではなく、神宮の試合を見ていたりする。
お前ら、それは別にいいんだけど、ちゃんと継投の準備はしているのか?
真田はかなり集中が乱れて、リリーフは絶対に必要な展開だぞ?
こちらの試合ではライガースが先制したが、真田が珍しくも崩れて逆転された。
終盤に入ってピッチャー交代であるが、神宮の方は延長に入ったという情報が入ってくる。
両チームが無失点で、延長に入る。
ライガースの試合よりも、はるかに早い展開だ。
それだけ両軍、バッターが凡退を続けているのか。
上杉が自分の持っている奪三振記録を、塗り替えようとしていた。
直史の方はそれに対して、淡々と球数を少なくした省エネピッチングをしている。
そんなことが耳に入ってくれば、大介であっても集中できない。
野球は一瞬の集中のスポーツだ。
特にバッティングや守備においては、その一瞬が結果を大きく分ける。
もちろんカップス側も、神宮の試合は聞いていたかもしれない。
だがライガースほどには、そちらを気にする余裕はなかったのだろう。
それが結果を出した。
真田が投げたのに、大介は打点をつけられなかった。
この間までスターズにいた孝司としては、かなり複雑だったろう。
だがこの日の試合は、甲子園であっても神宮の方をきにせざるをえなかった。
「参ったな……」
目の前の試合に集中することは、当たり前のことであるのに。
もしもまたあんな対決が実現すれば、また自分は集中力を乱すことになるのか。
試合には敗北したが、問題はそこではない。
大介は反省はするものの、後悔はしていない。
あの二人と対決するのが、今でも楽しみなのである。
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