第86話 勝利を稼げ

 NPBとMLBの決定的な違いの一つが、ようやく大介は分かってきた。

 NPBではシーズン前に戦力を準備し、ある程度はそれを育てながら戦う。

 それに対してMLBでは、優勝できそうなら途中から補強を行うのだ。

 そして優勝できそうだとフロントに思わせるためには、勝たなければいけない。

 また五月や六月の時点で圧倒的にトップであっても、全く油断が出来ないということもある。


 マイアミ・シャークスを本拠地で迎え撃つメトロズは、当然スウィープする勢いである。

 先発もモーニング、オットー、スタントンと強力な三枚をそろえている。

 対してシャークスもそれなりにピッチャーはそろえてきている。

 もっとも戦力的に、勝ててもどれか一つぐらいになりそうだが。


 初戦は以前にも対戦した、エース格のオースティン。

 100マイル近い速球を投げてくるサウスポー。

 前回の対戦では大介にしっかり打たれているが、あれから学習してきているのか。


 開幕序盤に比べると、大介はスタミナと集中力が落ちてきていると感じる。

 純粋な肉体的なスタミナではなく、休養が不十分なことによるストレスかもしれない。

 この試合のペースの違いが、日米で通用する野手の違いなのかとも思うが、ピッチャーなどは明らかに、NPBよりも登板間隔が短い。

 誤解を恐れず言ってしまえば、先発ピッチャーなどは週休六日の仕事だ。

 それがMLBの場合は、チームに帯同するためずっと一緒に移動する。

 

 大事なことは、自分のペースを守ることだ。

 そのマイペースを保つことこそ、メンタルの強靭さと言えるのかもしれない。

 大介にその強靭さはあるか。

 ある程度強靭ではあるが、常人の領域にもある。

 身内の死の気配を、無視できるほど強くはないし、鈍感でもない。

 だが最終的には、それを乗り越えていくことは出来る。


 選手としては、プロでは九年やってきたが、MLBとしては新人。

 だがそれでも大介は、勝つべきときに勝つ嗅覚を持っている。

(シャークス相手の試合だと、全部勝っておきたいよな)

 慢心するでもなく、それが可能だと思う大介であった。




 オープン戦で打ちまくった選手が、シリーズでは全く通用しないというのは、これまでにもよくあったことだ。

 そしてオープン戦の勢いでシーズン序盤を打ちまくるということも、それなりにあったことだ。

 だがその勢いが、一ヶ月以上も続くことはない。


 MLBが、アメリカが、大介という人間を理解しようとしていた。

 小さくてもそれは、間違いない核弾頭。

 日本人選手がいくらMLBに進出してきても、それはやはりMLBでの活躍の範囲にとどまる。

 だが大介はそのたった一人の動きで、MLBの歴史全体を動かそうとしている。


 36打席ぶりに、大介は三振した。

 ちなみにこの年には前に、35打席連続無三振というのもある。

 三振が多くなっても、ホームランを狙う。

 打率よりも重要なのは出塁率。

 盗塁はさほど有効ではない。

 近年言われている常識を、ことごとく逆境させるような大介の成績。

 それは単純に、野球選手としての身体能力と技術が、常人より傑出しすぎているということもある。

 だが単純化された近年のMLBにおいては、失われた魅力の一つである。


 第一戦は、大介は四打数二安打二ホームラン。

 まさにホームランこそ大正義という常識を、踏みつけるように越えていった。

 ホームランも打つし、打率も残すし、三振もしない。

 それが俺だと、MLBの中に刻み付けている。

 そして守備の指標でも素晴らしい数字を残し、チームの勝利に貢献している。

 元々ショートというのは、貢献度の高いポジションではある。

 だがその小柄な体格から、肩の強さだけでファーストに送球してしまう。

 俊足の打者でも簡単に見えるように、アウトにしていってしまうのだ。


 ある者がこう言った。

「シライシはもっとフォアボールを選ぶべきだ。ヒットの数を増やすよりも、確実な出塁が大事だ」

 いや、言っていることは正しいのだが、出塁率が軽く五割を超えている大介に、そんなことを言ってどうするのだ?

 SNSではこの識者を笑う意見が多数を占めた。


 またある者はこうも言った。

「シライシは三振を恐れすぎている。もっとホームランを狙ってもいい」

 何を言っているのだ?

 長打率が11割を超えて、ホームランダービーの圧倒的トップを走る選手が、三振を恐れすぎている?

 下手に振り回して三振かホームランかに分かれるバッティングが、今のMLBの人気低下につながったのではないか?


 MLBには、多くのスター選手が登場している。

 人気が低迷しそうなときにでも、スター選手が出てきたその凋落を防いできたのだ。

 今はそのスターが、島国からきた外国人で、ろくに英語もしゃべれないことが、無理やりの低評価に誘導しているのではないか?

 そんなことは不可能だ。

 スコアボードのビジョンを破壊するようなホームランを打つモンスターが、民衆に愛されないわけがない。


 大介は連続17試合連続打点などという記録も作っている。

 ヒットを打った試合では、ほとんどの場合点に結び付けているのだ。

 このマイアミとの三連戦でも、ホームラン二本を含む五打点。

 このイエローは止まらないのだ。




 超人的な力を発揮するものを、どう扱うか。

 大介は叩く余地のない完璧超人ではない。

 そもそもMLB移籍の経緯からして、キリスト教圏の国の保守層からは、お世辞にも褒められたようなものではなかった。

 ならば叩くのかと思うが、大介は失言が極端に少ない。

 自ら何かを軽率に発言するということがないし、通訳がついているため失言を誘うことも出来ない。


 日本からやってきているマスコミから、何かネタを拾えないかとも思うが、大介は基本的に、日本ではスーパースターだ。

 上杉ほどに完全にアンチのいない存在ではないが、それでもその天真爛漫な野球への姿勢は、おおむね好意的に見られている。

 スキャンダルについても変な弁解はなく、これが俺だと開き直ったのが良かった。

 出た杭は叩くのだが、出すぎた杭は叩けない。

 それが日本のマスコミである。


 メトロズはここから、また連戦が開始となる。

 それも今度は、20連戦だ。

 つまり五月は、二日しか休みがない。

 とんでもなくハードなスケジュールで、試合は行われていくのだ。


 まずはワシントンへ移動して、ネイチャーズと三連戦。

 そしてそこからまた移動して、今度は敵地でシャークス相手に三連戦。

 それからまた、ホームに戻ってきてネイチャーズとまた四連戦となる。


 アメリカが広大すぎるがゆえに仕方のないことなのだろうが、対戦する相手は圧倒的にナショナル・リーグの東地区が多い。

 ただこれでも、まだしも東地区は、それなりに移動時間は短いのだ。

 これがたとえば、コロラドやシアトルであったりすると、圧倒的に移動距離が多くなる。

 最短の他球団相手までの距離が、どれだけあることだろう。


 日本のマスコミが取材をしてくるたびに、大介はこれを強調した。

 今までの日本人選手で、想像していたほどに活躍できる選手が少なかったこと。

 それは間違いなく、この生活の過密スケジュールが関係している。

 NPBで成功して、ある程度の金銭的な余裕がなければ、アメリカでの生活を構築するのも難しい。

 野球の実力以外の部分で、日本人選手は通用しないようになっているのだ。

 たとえばNPBの二軍戦だと、イースタンとウエスタンで、移動にも時間がかからない同士で試合が組まれる。

 だがMLBのマイナーの移動となれば、バスで何時間も揺られていく。

 このタフな環境に慣れていることが、メジャーリーガーがまさにメジャーで活躍できる要因となっているのだ。




 大介は日本時代、ルーキーのキャンプから、一軍に帯同していた。

 そして二軍での試合になど、ほとんど出たことはない。

 それでも球場が寮の隣にあったため、何度かそこを利用している。

 だから日本の二軍の環境も分かっているが、そのために比較が出来る。


 NPBの二軍は恵まれている。

 育成選手ですらも、アメリカのマイナーと比べたら恵まれている。

 アメリカのマイナーでも、3Aぐらいになればまだマシだし、契約金をもらえるような順位でドラフトされた選手はまだいい。

 だが低い順位でろくに契約金ももらえなければ、野球だけをやっては食べていけない。

 NPBは育成の選手にも、ちゃんと寮がある。

 だがアメリカのマイナーは、選手数人で部屋を借りて、そこで住んでいる場合さえある。

 またその年俸はやや上げられているとはいえ、とても都会で食べていけるような金額ではない。

 つまりマイナーで試合や練習をしながら、アルバイトなどもして生活していく者もいるのだ。


 NPBの育成選手は、アルバイトなどをせずにひたすら野球をやる。

 集中できる環境だとも言えるが、精神的にハングリーであるのは、間違いなくアメリカのマイナーだ。

 ここでタフに鍛えられることによって、移動や連戦にも耐えられるようになる。

 考えてみれば大介は、食事にすら困る環境で野球をやっていたことなどはない。

 中学時代はあまり恵まれていなかったが、それは野球をやっている中での待遇だけだ。

 生活に困窮したことはない。


 日本においても高校野球や大学野球で、追い込まれることは練習にあったりする。

 甲子園を目指している私立校は、大なり小なりそういうものだ。

 今でもそれは変わらず、時代錯誤と言われるだろう。

 だがプロの世界では比較的恵まれた日本人選手が、MLBのタフな環境で耐えるには、そういった経験もあった方がいいのかもしれない。

 大介には必要なかったし、そもそもアマチュアでそんな経験をさせれば、アメリカなどでは大問題になるが。


 MLBで成功する日本人選手の条件は、おそらく最大のものは、パワーやフィジカルなどではない。

 それは野球バカであるということだ。

 野球しかしたいことがなく、野球をやっていれば幸せで、野球以外のことは全て二の次。

 それぐらいに全てを野球に費やしていないと、MLBのこの野球に拘束された環境は、耐えられないのではないだろうか。

 もちろん成功しなかった者が、野球に対して真剣ではなかったとか、そういうことではない。

 だが生活の全てのことにおいて、野球のことを忘れずにいる。

 そんなことが出来ないと、MLBでは耐えられないのだ。


 スプリングトレーニングからオープン戦まで、大介は割りと周囲がのんびりしているな、と思ったものだ。

 だがシーズンが始まると、ロースターの選手たちは、かなりコンディションを考えるようになる。

 NPB時代は試合の後に、夜の店で遊ぶという選手たちもいた。

 大介も遊ぶということはないが、食事には散々に誘ったりした。


 だがMLBでは、全ては自分のコンディションを保つことが大切になる。

 ここからの20連戦で、どれだけパフォーマンスを落とさずにいられるか。

 さすがの大介も、完全な自信などはない。

 たとえ空元気でも絶対的な自信があれば、ブレずにプレイすることが出来るのだが。




 ワシントンに到着しての第一戦。

 ここのカードは両軍共に、エース格のピッチャーを持って来ていない。 

 つまり乱打戦になる。

 大介としては願ったりかなったりなのだが、果たしてちゃんと勝負してくれるのだろうか。

 そう思ったのは杞憂であった。


 ネイチャーズは第一戦に、マイナーから上がってきたばかりのピッチャーを使ってくる。

 とは言っても22歳のルーキーだ。

 MLBは平均的なデビュー年齢は、NPBよりもはるかに高い。

 それだけマイナーで何度も試されるということなのだが。


 マイナーでの契約を嫌って、日本にやってきてしまう若手の問題は、環境がやや改善されたため、少しずつなくなってきている。

 だがメジャーリーガーは高給取りで、マイナーは貧乏という構造は、どうしてもなくすことは出来ない。

 MLBは裾野を広げることによって、その頂点も高くしている。

 それでもその裾野までを甘やかすつもりはないのだ。


 ネイチャーズのルーキー、左のスタントンは、基本的にストレートの球威で勝負する。

 最高で102マイルまで出るそのストレートは、確かに魅力的なものだろう。

「102マイルってーと、164km/hぐらいか」

 どうしてもいまだに、キロで換算してしまう大介である。


 3Aにいた期間も短いので、あまり情報が集まっていない。

 だが先頭のカーペンターが三振したあたり、とにかくストレートで押してくるようだ。

 またコントロールは、あまりよくないとも思える。

 ただほどほどに散らばっているため、球威で押していける。

 なるほど、とりあえずメジャーに上がってきたという選手か。


 今日も二番打者の大介は、三番が懐かしいなと思いながらも、バッターボックスに入る。

 マウンドの上のスタントンは、これまた2m近くもある巨人だ。

 大介にとってはMLBのピッチャーの投げる球というのは、どれもこれも角度がついているように思える。

 もちろんそんな角度があっても、慣れてしまえばたいしたことはないのだが。


 初球は101マイルの球が、甘めのコースに決まった。

 それだけでもう大介は、このピッチャーに対する興味を失った。

 二球目も甘めに入ったストレートを、渾身の力で振りぬく。

 ボールはあっさりとスタンドの最上段まで飛んでいった。


 102マイルの球を打たれて、愕然とするスタントン。

(MLBは甘くないぞ。もうちょっとマイナーで修行してろ)

 そう思う大介もまた、ルーキーであることを自分でも忘れていた。

 NPBで九年間プロでやっていたから、純粋なルーキーではないのだが。

 とにかくこのホームランで、またもメトロズは攻撃の主導権を奪っていくのである。



×××



※ スウィープ、あるいはスイープ。NPBにおける三タテと同じような意味だが、MLBの場合は四連戦もあるため、この全てに勝利することをこう称する。

  なおポストシーズンをあっさり連勝して一つも落とさずに勝ち上がったり、あるいは日本一になったりする場合も、この単語は普通に使われている。

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