第85話 波はある
ミルウォーキー・ビールズにもまた、スーパーエースと呼ぶべきピッチャーがいる。
サイ・ヤング賞を受賞したこともある、カッター使いのポール・モルダー。
とにかく投げる球の70%がカットボールかスライダーであり、フォーシームを投げない。
ただ残念なことに、このカードでの先発の予定はない。
三連戦の初戦から、大介は警戒されている。
打順は二番となっており、より攻撃的な二番打者となっている。
ランナーがいる状態では、かなりの割合でフォアボールで逃げられる。
いっそのこと申告敬遠をした方が、まだしもよかろうに。
敬遠ではなく四球で大介が塁に出ると、打撃での指標が上がっていく。
NPBと違ってWARなどを重視するMLBでは、どんどんと大介のMVPへの道が敷設されていく。
そして本当に打点を付けるチャンスなら、かなり外れた外角でも、平気でヒットを打ってしまう。
ここ三試合ホームランはない。
だが微妙に大記録である、連続試合安打という実績が、大介の前に迫ってきている。
開幕からここまで、32試合。
全ての試合で大介は、一本以上のヒットを打っている。
なお記録に迫りつつあるなどと言ったが、この記録は56試合連続が記録となっている。
ちなみに大介のNPB時代の連続記録は、二年間にまたがっての56試合連続なので、リーグの違いを考えなければ既に並んでいる。
一打席は勝負を避けられ、三打数一安打ということを三試合連続で行っている。
なので打率はどんどんと下がってきているのだが、それでもまだ余裕で四割は維持している。
日本でもやっていたことだが、大介の目的の一つには、記録の更新がある。
それもただの更新ではなく、三冠王を取った上での、三冠のどれかの記録の更新だ。
今のところ一番それが確実そうなのはどれだろう。
打率はあまりに戦前の記録が高いが、大介の打率は今のところ、それすらも上回っている。
そしてホームランにしても、月間で20本以上を打っていたら、シーズンでは120本ほどを打ってもおかしくはない。
また打点も既に50点を超えていて、MLB史上初の、200打点を超えるのか。
なお安打数も29試合が終了した時点で、ちょうど50本。
このままのペースでいくなら、まさかの262安打超えが見えてくる。
皮肉なことに最多安打というタイトルは、MLBには存在しない。
そして打者六冠の中で唯一、大介がNPB時代に取れなかったタイトルである。
MLBの舞台でそれがかなうのか、と考えたらおそらくかなわないだろう。
最初の一ヶ月はともかく、ここからはもっとピッチャーは、歩かせることも前提でのピッチングをしてくるだろうからだ。
高打率を維持しながらも、ホームランを連発する。
その異常さは今の、三振の数が増えてでもホームランを重視するMLBにおいては、二度と達成できないかもしれないと言われたものだ。
三冠王。
21世紀以降、アメリカでは一度しか達成されていない。
大介はここのところ、打点の方を稼ぐことを考えている。
あまりホームランを打ちすぎると、警戒されて逃げられるだけになるからだ。
ホームランは確かに派手で、一発で点が入る。
現在のMLBではホームランの打てないバッターはいらないとまで言われたりする。
ただランナーが得点圏にいるなら、ヒットで点を取ればいい。
しかしヒットを打ってランナーに出るというのが、あまり意味がないというのは、確かに感じてきている大介だ。
大介は選球眼もいい。
そして明らかなボール球ではない、際どいコースであれば、充分にヒットにしてしまえる。
塁に出たら盗塁で二塁まで進む。
相手のピッチャーはフォアボールまでに球数が増えるし、結局はツーベースを打たれたのと同じことになる。
なので野手の守備範囲に打つ可能性もある単打よりも、よりピッチャーのリズムを崩すフォアボールの方が、単純に塁に出るならいいだろうと思えるのだ。
ただ大介は日本時代、ルーキーの一年目を除けば、あとはずっと長打率が九割を超えていた。
最後の九年目は1.027もあったりする。
出塁率は五割を超えて、そこから隙あらば盗塁をしかける。
おかげで日本時代、打点だけではなく得点も、七度一位になっている。
ランナーを帰して、自分も帰ってくることが出来る。
鬼のようなバッターだと言っていいだろう。一チームに一人はほしいが、他のチームには絶対にいてほしくない。
ミルウォーキーとの三連戦、大介は9打数3安打であった。
ずいぶんと大介基準では低い打率であったが、出塁率はやはり五割を超えていた。
毎試合一度はフォアボールで勝負を避けられる。
連続安打記録が続いているが、また四球での出塁も11試合連続で続いている。
四月のホームラン連発を考えれば、もっと四球は多くなってもおかしくはない。
だが大介はランナーがいると、少しぐらい難しい球でも打ってしまう場合がある。
ここだけはチーム内でも、コーチ陣に注意されるところである。
ホームランを打たないのなら、無理にヒットを打たずにフォアボールで出塁しろというものだ。
ただここもまた、記録がかかっているのが問題になる。
三連戦を終えて、大介の連続試合安打は34試合連続となっている。
MLBの連続試合安打は56試合なので、わざわざこんなものを目指す必要はないとも言われる。
だが大介も、明らかに歩かせることを目的としてボールは、振っていないのだ。
ただ内角に来た球は、打てそうだから打ってしまう。
外角に外れた球は、流し打ちでサードの頭の上を越す。
こういったバットコントロールで、三振が少ないのも確かなのだ。
セイバーメトリクス的に言えば、ダブルプレイとなる可能性があるホームラン狙いの三振の方がいい。
ホームランは一つのプレイだけで一点が入るので、ヒットを積み重ねていくよりも、その選手一人の評価とするなら、確かにそちらの方がいいのだ。
ただ大介の場合は足があるだけに、ランナーとして出て相手をかき回すのもいい。
ピッチャーやキャッチャーの集中力を乱すための盗塁の意味。
盗塁ももちろん送りバントも、MLBでは近年は否定的だ。
だが逆にそれだからこそ、大介は盗塁をしかける。
塁に出したらうるさいと思われれば、フォアボールで歩かされることは少なくなり、それだけどうにか打ち取れないかと考えることになる。
そして勝負すると打たれてしまって、しっかりと打点をつけていくわけだ。
ちなみに大介は、得点圏打率がさほどよくない。
なぜなら得点圏で打順を迎えると、申告敬遠か普通にフォアボールで歩かされるからだ。
そういったMLBの認識が、他のチームに共有されるようになってきた。
開幕の一ヶ月でホームランを量産したのは、悪いことではなかったようである。
ミルウォーキーとの対戦を終えて、次はサンディエゴに移動する。
休養日はなしの、移動した当日に試合という、いつものパターンである。
面積がそれなりに広く、都市が多いこともあるが、カリフォルニア州は五つの球団本拠地が集中している。
もっとも地理的な広さからすれば、ニューヨーク近辺が一番チームは集中していると言えよう。
サンディエゴは海軍基地があり、そのためかミリタリーズという名前がついている。
普通にマーリンズでいいのではとも思うが、それは以前にMLBの他チームが使っていた名称なのだ。
スタジアムも海岸近くにある。
そしてMLBの中でも、その本拠地であるビーチパーク・スタジアムは、投手有利の球場として知られている。
レフト方向は海の向かい風によってホームランが出にくい。
ライト方向は広く作られており、これまたホームランは出にくい。
アメリカの球場のアンシンメトリにも慣れてきた大介であるが、試合前のフリーバッティングでは、大介も確かに風の影響は感じた。
もっともライト方向へは、普通にポンポンと策越えを連発したが。
甲子園で場外を打つことに比べれば、他の球場でホームランを打つことは難しくない。
ビーチパーク・スタジアムを本拠地としてから、30本以上のホームランを打ったフランチャイズの選手は数人しかいない。
そして大介はこの五試合、ホームランが出ていない。
(逆にこれはチャンスだな)
ホームランが少し出ていない。
ホームランが出にくい球場である。
そして今季初対決。
これらの条件から、大介と勝負してくる可能性は高い。
メトロズはここでピッチャーを休ませるために、中六日を入れてきた。
この間はリリーフ陣で継投する試合が発生する。
ミリタリーズもエース級のピッチャーを出してくるローテではない。
即ち、ホームランの出にくいスタジアムであるが、ハイスコアの試合が期待される。
南国っぽいな、と大介は思った。
その感想は間違いではない。シンシナティやミルウォーキーに比べると、カリフォルニア州ははるかに南方に位置する。
中でもサンディエゴは五チームの中でも最南端に存在し、五月に体を動かすにはちょうどいい感じの気温だ。
ミリタリーズはこの数年はチーム成績は低迷しており、補強なども積極的には行っていない。
この10年間ほどでチームを解体して、今は育成の段階と言えよう。
さほど強力なピッチャーもいないのだが、そのくせ大介と普通に勝負してくるのはなんなのか。
二番に置かれている大介は、この日の初打席で23号ホームランを打った。
初級のストレートを、深い右中間の最上段にまで届けたのだ。
そこそこ入っている観客は、それなりの感嘆の拍手をしてくれる。
のんびりとした感じだな、と大介もまたのんびりとした気分になる。
ホームランが出ないのは地形的な要因ではなく、気分的な問題ではないかと思ったものだ。
メトロズも先発は、先発五番手投手のマクレガーである。
初回からぽろぽろと失点していき、大介以外による得点もあるのだが、すぐに追いつかれそうになる。
だがここで大介は、追加点となるタイムリーヒットを打つ。
勝利投手の権利を持ったまま、リリーフへと交代。
点の取り合いは続いていく。
大味な野球だなと大介は思うが、MLBのピッチャーと言っても、先発全てが優れているわけではない。
まだ成長途中で、マイナーから上がってきてMLBに順応しようというピッチャーも存在する。
本日のサンディエゴのピッチャーは、そういう者がそろっていた。
それに比べるとメトロズのマクレガーは、ローテを守る選手ではある。
リリーフに交代してからも、徐々に点差は広がっていく。
これは今日は負けだとでも思ったのだろうが、ミリタリーズのピッチャーは、大介に迂闊なボールを投げてきた。
普通に勝負して、打ち取れるとでも思ったのだろうか。
これを打った大介は、ライト方向への本日二本目のホームランとなったのであった。
移動してその日に試合だと、体調を整えるために、あまり練習が出来ないこともある。
大介の場合は、時差の影響が大きかった。
日本のセ・リーグもまあ、東京から広島までは、それなりに移動することはある。
だがMLBの場合は、その距離の移動がほぼ最低限だ。
チャーターした飛行機で移動しなければ、とても次の試合に間に合わない。
天候不順で移動が出来ず、それが理由の延期となることさえある。
大介はこのサンディエゴでは、第一戦から調子は良かった。
おそらく気候的な問題なのだろう。
ただ純粋にピッチャーが弱いということもある。
第二戦も普通に、ホームランを一本打っていった。
しかし、ついに恐れていた事態がやってくる。
二連敗しているミリタリーズは、さすがに三連敗でスウィープされるのは避けたい。
そして大介を相手に、徹底した外角での勝負を始めたのであった。
正確には、あからさまな敬遠目的のフォアボールであったが。
この試合も、メトロズは一応勝利した。
しかしボールを打つ機会が一度しかなかった大介は、それをヒットにすることには失敗。
開幕37試合目にて、連続試合安打の記録は途切れたのであった。
試合に勝つためには、大介との勝負を避けるというのは仕方がない。
またランナーが一人もいない打席では、打てそうなボールも投げている。
しかし三打席も歩かされたことにより、安打は打てなくなる。
そして結局は試合にも負けているので、だったら勝負しろと思わないでもない。
大介はそのあたり、あっさりしていた。
日本時代には、四打席全てで歩いたこともある。
試合に勝つのが第一。
個人記録はあくまでも、それに付随するものだ。
もちろんホームランを打つのが、大介には一番求められているものだろうが。
だが五月に入ってからは、ヒットの数よりフォアボールの数のほうが多い。
日本でも九年目などは、同じようにヒットよりフォアボールが多かったのだが。
ともあれ、これで13連戦は終わった。
次はホームに戻って、マイアミとの試合が待っている。
やっと少しは休めるかな、と大介は思った。
だが時差のことを考えれば、あまりそんな時間もなかったのである。
熱狂という言葉が相応しいのだろうか。
ニューヨークに帰ってきたメトロズを、大量のマスコミとファンが迎えた。
大介は五試合ホームランが出ないというものもあったが、その後にはまた一試合二本のホームランを打ち、三連戦の最後には、三四球ということもあった。
37試合を消化したところで25本のホームランというのは、常軌を逸している。
なお敬遠やそれに近いフォアボールで出塁するとブチ切れて、盗塁を敢行することも多い。
21個の盗塁成功というのも、こちらはMLB記録ではないが、それに近いものであった。
まともに勝負すると、ホームランを打たれる。
そして歩かせると、得点圏まで進んでくる。
どうしろというのだ?
ただ攻略法というか、一つの選択は当然ながら上がってきた。
ランナーが二塁などにいて一塁が空いている時は、もう歩かせてしまった方がいい。
それによってガンガン出塁率は上がるのだが、長打率を考えれば、それでもマシなのだ。
大介の現在の長打率は、10割を超えている。
もちろん長いシーズン、これが落ちていくことはあるだろうが、それでももしシーズンを通してこれを維持できれば、MLBの記録を更新することになる。
大介が四度目のドーピング検査を受けたことは、メディアでも知られている。
そして結果がシロであることも。
アメリカのMLB人気が低下したことの理由の一つには、ドーピングが関連していることは間違いない。
それを完全にクリーンな選手が更新してくれるのを期待していたら、またも薬物使用をしていたということがある。
改めてドーピングによる記録の全てを、正常なものに戻してほしい。
そんな気持ちから、大介を応援する者もいる。
大介はSNSなどしていないので、世の中のそういった動きには気づいていないのだが。
久しぶりにマンションに帰宅してみれば、息子がものすごい勢いで突進してくる。
それを避けて抱き上げるのだが、日に日に重くなっていく。
「こいつ、平均よりもだいぶでかくないか?」
「そうだね、同年代の子よりもかなり大きいよ」
チビであった大介からすると、うらやましい限りである。
もっとも大介の両親はどちらかというと大きめであり、佐藤家も平均以上は普通にあるので、これもまた当たり前のことなのかもしれないが。
次は地元での三連戦。
そして一日休みがあって、またワシントンに移動して三連戦。
14日から五月の終わりまでは、一日も休みがなく連戦が続いていく。
それはまあ、これだけ休みがないなら、給料が高くないとやっていけないよな、と大介は思う。
NBAやNFLの選手の方が、よほど家族との時間は取れるだろうに。
MLBの開幕から一ヶ月。
大介はほんの少しだが、疲労らしきものを精神的に感じていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます