第87話 申告敬遠

 野球をつまらなくしたシステムの一つに、申告敬遠があると思う大介である。

 かつてはあからさまなボール球でも、申告敬遠をしなかった場合、抗議の空振りもやったものだ。

 なお日本のプロ野球においては、あまりに敬遠をされてしまうため、バットを持たずにバッターボックスに入った例がある。マジである。しかも一回ではない。

 だからといって勝負をするのでもなく、ちゃんと敬遠したあたり、昭和のプロ野球は面白かったのかもしれない。


 申告敬遠が作られたために、抗議のために空振りをするとか、バットを逆さに持つとか、バットを持たずに打席に入るとか、そういうことが出来なくなった。

 新聞の見出しに出来るネタが減ってしまったのだ。

 大介は明らかに逃げている外角を、まるで当たらない素振りをしたことはある。

 さすがに高校時代はしなかったが、プロではプロレスの感覚で、そんなこともやったのだ。


 せめて申告敬遠は、一試合に一度しか出来ないとか、そういうルールにはならないものか。

 またデッドボールに対するペナルティも、低すぎると思う大介である。

 デッドボールは一発退場、申告敬遠は一試合に一つだけ。

 それだけでもかなり、野球の楽しさは戻ってくるのではないだろうか。

 

 この23打席で9回もフォアボールになり、そのうちの五回は申告敬遠。

 大介がうんざりするのも当たり前だろう。

 ランナーが二三塁で、終盤一点を争っているとかならまだしも、ランナーが一塁に一人いるだけで歩かされるのは無茶苦茶だ。

 また同点の場面でランナーが一人もいないのに、明らかに敬遠としか見えないフォアボール。

 タイトル争いや地区優勝争いをしているならともかく、これはやりすぎとしか思えないのだ。


 さすがに鷹揚なダイスケ=サンもフォースの暗黒面にとらわれることはある。

「ピッチャーに対しては文句はない。だけど敬遠を指示するような監督は、自分たちがやっているこれは、観客を楽しませるものだということを忘れている。はっきり言って腰抜けの無能だ」

 ややマイルドにした通訳の杉村は有能である。

 これに対しては、ルールにのっとったものだと抗弁する監督やコーチに対して、世論が完全に炎上した。

 我々はピッチャーがスラッガーから逃げる姿を見るために野球場に行っているのではない、と。

 確かにこんなものが続けば、野球人気はさらに落ちるだろう。

 勝てばよかろうで終わらないのが、プロの興行なのだ。

 もちろん勝てばいいのだが、実際には負けているというのが、もっと問題なのだろう。

 

 MLBにはもっととんでもないピッチャーがたくさんいると思っていた大介で、その認識は確かに正しいのだが、チーム数が多いためなかなか当たりにくい。

 また100球ほどで交代してしまうので、一試合で二打席程度しか勝負しないこともある。

 そして敬遠があれば、さらにその数は減る。

 本当にこんなことでいいのかMLB、と思ってしまうのだ。


 なにせ29試合を消化したところで23個だった四球が、今では43試合で43個。

 そして四月には四回しかなかった申告敬遠が、五月は半分が終わった時点で既に9回。

 このペースならフォアボールは200近くとなり、そして申告敬遠も50を超えるだろう。

 ボンズのような大男相手ではなく、5フィート6インチの小男相手に。

 おそらくピッチャーのプライドはずたずたに傷ついているが、それでも申告敬遠さえなければ、もっと面白いことが起こりそうなのだ。


 


 舞台はワシントンから、またマイアミへ移る。

 大介の挑発的な発言に、マイアミ・シャークスはどういう反応を示すか。

 はっきり言って期待している大介であるが、せめてビーンボールを投げてきてほしい。

 後ろに倒れて避けながらも、スイングをしてヒットを打つ。

 そんな練習をしていたが、さすがに普通のスイングへの悪影響が出そうになった。


 大介の安打の内容を見ると、ホームラン>単打>二塁打>三塁打 というおかしな数字になっている。

 ただこういう数字は、MLBでは以前にもあったことだ。

 特にホームラン偏重の今の統計からすると、一割台の打率でホームランを30本以上打つバッターもいる。

 出塁率とOPSが高ければ、打率や安打数は全く問題はない。

 統計的には正しくても、そんな野球は楽しいのか、という問題だ。


 だがこれは皮肉なことに、以前に大介が言っていた、彼のバッティングの真髄に近づくものでもある。

 フェアグラウンドにヒットを打つよりも、野手の守りようがないスタンドに運ぶほうが、打率も上がっていいことばかり。

 それを実際にやってしまうと、ここまで敬遠の嵐にあう。

 日本時代のほうがまだしも、上杉や佐藤兄弟、細田といったあたりは、大介と積極的に勝負してきてくれたのに。


 このあたりになると、MLBの相手チームもようやく気づいてきた。

 大介の打つホームランは、ただのホームランではないと。

 もちろん無造作に打ってしまうものもあるのだが、ピッチャーのリズムがよくて好投しているとき、勝負にいったらそれを打つ。

 状況によってホームランの価値は変わる。

 流れとか勢いとかを、MLBだけではなくそれ以外のデータ野球も重視しない。

 大介の知っている限りでは、データが分かっていた上で、直感を重視するのは秦野であった。




 元々マイアミは、フロリダ州の中でも特に南にあり、ほぼ常夏の場所ではある。

 だが五月に入ってみると、前よりもさらに気温は上がったような気がする。

 平均して一試合あたりに一万人ほどしか入らない、不人気球団。

 だが今日は軽くその二倍は入っており、マイアミのフロント陣はホクホクであった。


 チームの勝利よりも、利益を優先する。

 MLBの弱小球団には、そういうところがある。

 サラリーの上限を超えて選手を取っている球団は、ぜいたく税としてペナルティの金を払う。

 そしてその金は、赤字を出している球団などに分配されるのだ。


 年間100敗していて、チケットもあまり売れない球団でも、選手のサラリーを抑えてこの分配金を得ることによって、利益を出すことが出来る。

 なおメトロズのオーナー、マイケル・コールは球団の権利のほぼ全てを持っていて、普段はそこそこの金しか出さないが、勝負どころでは大きく出してくれる、GMにとってはありがたいオーナーだ。

 それだけに毎年、地区優勝まではいかなくても、ワイルドカード争いはするように結果を求めるが。


 マイアミ・シャークスはフロントはもちろんその上のオーナーからでさえ、大介との勝負を指示されていた。

 試合に勝つかどうかは問題ではない。

 集客力のある現在のメトロズを相手に、どういう野球をするかが問題なのだ。

(昔のタイタンズ一強の時代って、ひょっとしてわざと負けるとかいう忖度は……いや、ないか)

 NPBにおいてもパは不人気で、セの中でも特にタイタンズの試合が、圧倒的な人気を誇っていた時代は長かった。

 ただ忖度をしようにも、試合数などは当然同じである。

 シャークスもそれは同じなのだが、大介と正面から勝負して、ホームランを打ってもらったほうが、次のメトロズ戦での集客力が上がる。

 そんなわけで明らかに作戦として敬遠すべき場合はともかく、あとは勝負というのがフィールドマネージャーに降りてきた命令である。


 大介はそんな事情は知らない。

 だがメトロズもピッチャーのローテが勝ちにいくパターンなので、ここは一試合も落としたくないのだろうな、ぐらいには思う。

 シャークスは今年、100敗する勢いで負けている。

 これに対してメトロズは、確実に勝っていかないといけないのだ。


 第一試合、最初の打席では既にカーペンターがランナーとして出ていた。

 この状況で大介に対して、普通に勝負しにきた。

 意外に思ってしまい、打ったボールは大きなセンターフライ。

 観客のため息が聞こえてきそうであった。




 難しいボールばかりを打っていると、簡単なボールを投げられたときに逆に躊躇してしまう。

 日本でもあったことだが、大介の悪癖が出てしまった。

 本来ならば難しい球は見逃すか、カットして失投を待つのが普通のバッターである。

 大介の場合は難しい球でも、打ってしまう技術がある。

 すると対応できる幅が広くなるのだが、全てに完璧に対応するのは難しくなる。


 内角にも外角にも厳しいところに対応できる大介。

 だが別に大介に限らず、ど真ん中にきたボールを見送ってしまうというのはあることなのだ。

 技術的な話としても、高めのストレートなどは、案外ジャストミートしにくかったりする。

 実戦でそこへ投げてくるピッチャーは、基本的に少ないのだ。

 実戦で打ったことの少ない球は、打つのが難しくなるのは当たり前である。


 今日は先発のモーニングの調子が悪く、フォアボールを多く出している。

 こういう時にMLBでは、立ち直るまで待つのではなく、あっさりと代えてしまうことが多い。

 球数を多く投げさせるよりは、悪いイメージがつかないうちに交代させて、メカニックの修正を行うのだ。

 特にモーニングはメトロズの中では勝ち頭だ。

 サイ・ヤング賞投票でもそこそこの票が集まる年もあるため、このモーニングの調子次第でメトロズの成績がある程度左右される。


 二回でマウンドを降り、スコアは4-1で負けている。

 ただ今年のメトロズは、ここから逆転できる爆発力を持っている。

 ランナー一二塁というところで、大介に回ってくる。

(ノーアウトだから塁を埋めてくるかな)

 これが二三塁なら確実に歩かせてくるのだが、そうでなくてもランナーが二人もいる状態では、最近の大介はなかなか勝負されない。


 だが、ピッチャーは渾身のスライダーを投げてきた。

 膝元に沈むボールは、一番処理が難しいと言われる。

 だが大介は、タイミングを微調整して掬いあげる。

 レフト方向に上がった打球を、観客が追いかける。

 ポール際に入る、同点のスリーランホームラン。

 この日の大介は、さらに一点を加えるタイムリーヒットも打ったのであった。




 あくまでも大介の感覚でしかないのだが、メトロズはロースコアゲームで勝つことも負けることも少ない。

 先発がしっかり五回か六回まで投げても、そこから上手くつなげていけない。

 ブルペンの中では、クローザーのライトマンと、セットアッパーのバニングは固定されているが、もう一枚ほどほしいセットアッパーが安定していない。

 それにライトマンもバニングも、逆転されたり追いつかれたりと、それなりにリリーフ失敗はしている。


 メトロズは投手陣があまり強くないのだ。

 かと言って打線も、まだまだ改善の余地はあるのだろう。

 大介が打って入れた打点は、全体の20%ほどになる。

 打線はだから、まだいいのだ。

 問題は投手陣の中でも、特にリリーフである。


 ここまで散々聞かされていた大介は、シーズン中の補強はそろそろしないのか、と杉村に尋ねてみる。

 それに対して杉村は、まだ早いと答える。

 五月に入ってメトロズの勝率はさらに上がり、現在は33勝11敗となっている。

 完全に一人がちのようにも思えるが、ここからどうなるかが問題なのだ。


 怪我人が出ることによって、大失速も考えられる。

 だからGMが本格的に動くのは、もっと後の話なのだ。

(経営シミュレーションとして考えると、けっこう面白いんだろうな)

 大介が考えるのは、そんな感じである。


 選手を駒のようにして動かし、戦力を整える。

 ただし選手の怪我によっては、その年はあきらめなければいけないこともある。

 大介が聞いている限りでは、メトロズが本格的に戦力をそろえるのは、来年のシーズンになるはずだったのだ。

 優勝を目指すというのは、大介にとっては当たり前のことだ。

 だがMLBでは21世紀に入ってからは、一つのチームの連覇はない。

 ワールドシリーズの出場まではあっても、連覇には至らないのだ。

 戦力均衡が上手くいって、毎年優勝するチームが変わるのは面白いのだろう。

 昔のNPBでは、タイタンズが強すぎて面白くない、とも言われた時代があったのだ。


 


 マイアミとの対戦は、三戦目の先発スタントンが序盤で崩れて、この試合だけは落としてしまった。

 しかしマイアミはこのペースだと、年間100敗はしてしまいそうだ。

 数年をかけてチーム状態を整え、一気に勝負にかける。

 そんなマイアミにとっては、今年のシーズンもまだ、我慢の年であるらしい。


 そして休日もなくまたニューヨークに戻って、ネイチャーズとの四連戦。

 ふとその先を見ていた大介は、その後が違うリーグのチームとの対戦なのだな、と思った。

 デトロイト・ライガース。

 日本では大阪ライガースにいた大介にとっては、なんだか親しみが持てる。

 

 チームの状態としては、少し前に地区優勝を連続で果たしている。

 だが現在では三位前後で、今年もまだ優勝を狙っていけるほどではないらしい。

 チーム力がここまではっきりしているのは珍しいな、と大介は思う。

 だがメトロズとて大介がこんな成績を残していなければ、開幕前にシュミットを取ることなどなく、もっと順位は下だったはずなのだ。

 もちろん現在は、ぶっちぎりのトップである。


 だがとりあえずは、ネイチャーズとの四連戦である。

「アメリカはチームは多いけど、なんだかんだ言って同じチームとばっかり対戦するなあ」

 大介がいうことは事実であるが、それは地理上の移動の限界があるからだ。

 それにNPBにおいても、地区がないだけで他のリーグのチームとは、それほど頻繁に対戦はしない。交流戦だけだ。

 ただしワールドシリーズで対戦するのは、その違うリーグの相手になる。

 それぞれの地区のチャンピオンと、ワイルドカードの一チームが相手になるため、NPBのクライマックスシリーズのような下克上は起こりにくい。


 MLBのシステムが分かり、大変さも大雑把さも分かってきた大介。

 だが慣れてきたかなと思える大介に対して、そろそろ他の球団の首脳部も、本格的に対処法を考え始めたのである。

 それは即ち、大介の考えていた、悪魔の発明である申告敬遠。

 それでなくとも大介は、日本時代のように、外角のボール球で逃げられるようになっているのだが。

 他のバッターよりは、ボール一つぐらいまでは外でも、ストライクと宣告されたりもする。

 振ってストライクならともかく、そこは明らかにボールだろうというものだ。

 これで大介が英語がしゃべれれば、少しは審判に文句を言ったかもしれない。

 だがそこは、喋れないことが幸いした。

 まあ日本時代も、判定に不服があっても、そう文句はつけないのが大介であったのだが。


 ただ、アメリカのボール判定は厳しい。

 ネットの海の中では、審判に対する批難が相次いで、かなりの大騒ぎになったりもするのであった。

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