第32話 息詰まる

 呼吸すら忘れるほどの、緊迫した対決。

 とりあえず第一ラウンドは直史の勝利である。

「よし」

 観客席でガッツポーズをする瑞希に対して、ツインズは「やっぱりな」という顔をしている。

 失望ではない。予測の範囲内だ。

 ネット配信のVTRを見るに、最後のボールがスライダーであることが分かった。

「ここでスライダーかあ」

「カットボールまでは予想できただろうけど」


 終わってみれば確かに、ここでスライダーは打てないかな、と思うのだ。

 だが左打者に対して、懐に飛び込むスライダーとは、打たれてもおかしくない。

「大介君は何を狙ってたのかな?」

「五球目はカーブだったよね?」

「普通ならシンカー? でも初球で使ってるし」

 そもそも大介は直史のスピードなら、反射で打てなくもないはずなのだ。

「チェンジアップが鍵だったか」

「これを待てなかったのがね」

 ツインズの中ではそういう結論になったらしい。


 瑞希は球数を数えている。

 初回でもう12球も投げているというのは、直史にとっては珍しい。

(ランナーを出した状態では、さすがに対決したくなかった)

 瑞希は直史の心理をそう判断したが、本当にそれが正しいかどうかは分からない。

 それに毛利にしても大江にしても、球数は少なくしとめている。


 瑞希は執筆の上で、出来るだけ自分の主観が入らないように、聞ける人間には当時のことを聞いている。

 大介は感覚派のようでいて、実はある程度の分析をしていたり、それでも最後には感覚に頼るところがあった。

 直史は打たせようと思えば、ほぼ100%大介がスタンドに放り込むような、コースと速度で投げることも出来る。

 それを逆手に取っているのか、そんなこととは全く関係ないのか、プレイヤーではない彼女には、どうしても分からない一線はある。


 


『ったー!』

『一打席目佐藤兄の勝利』

『これで七打席連続勝利』

『まだ慌てるような時間じゃない』

『被打率0! ライガース相手に!』


 レックスファンのネットコミュニティでは、実況中継を見ながら書き込む者もいる。

 完全にオープンな場所では、反応が大きすぎる。

 なので限られた人数で、チャットルームなどを作ったりしている者もいる。


『確認してみたけどナオフミ=サン、ライガース以外の対戦ではヒット打たれてるのな。むしろライガースにだけは一本もヒット打たれてない』

『マ? 確かこれが今年三戦目で、二戦目がパーフェクト。一戦目はどうだったっけ?』

『西郷の三打席目打ち取った時点で交代。そこまでパーフェクト』

『??? エラーは?』

『エラー出塁も0だった。つまりナオフミ=サンはここまで、ライガース相手に一人のランナーも許してない』

『貧打の広島とかはどうなん? どこのデータ?』

『俺が自分で記録した、プロ入り後佐藤直史全記録』

『www』

『ちな、一番たくさんヒット打たれてるのは?』

『聞いて驚け。その貧打の広島の12本だ』

『ファッ!?』

『調子悪くて下げられた広島戦があったから、あれかな?』

『そうそう、ホームラン打たれた広島戦。ここで七本打たれてるんだけど、他に五本打たれた日もあって、合計12本』

『それは……調子悪くでも、広島相手なら勝てるだろうという?』

『三戦しかしてなくて、最初の試合はノーノー達成してたけどな』

『広島相手には気を抜いちゃうのね。佐藤兄、人間らしいところもある』

『最下位の広島のみが、唯一得点してるの草生えるw』

『スターズとの対戦記録プリーズ』

『スターズとはそもそも六試合も対戦してるから、ヒット数も11本打たれてる。だけど対上杉が二試合もある』

『ああ……あれか……』

『パーフェクト・パーフェクトゲームね』

『真なるパーフェクトか』

『12回投げて両者ランナーなしって頭おかしくなる』

『定義上どっちもパーフェクトにならないの草生えるwww』

『残るフェニックスとタイタンズはどうよ? フェニックスはパーフェクトされてたけど』

『フェニックスはリリーフも合わせて四試合しか投げてないな。四試合でヒット二本。タイタンズは開幕のパーフェクトリリーフの他、四試合で七本。ただ危険球退場するまでパーフェクトだったのが一試合』

『あれ危険球って、先に投げたのはタイタンズなのにな』

『フェニックスがライガースの次にひどいとか。やっぱ普段は抜いて投げてるんだな』

『打たせて取るとか言ってるくせに、奪三振率10超えてるけどな』

『上杉とか弟と違って、何か名状しがたい存在だよな』

『明らかに技巧派の変則派だけど、本格派よりも本格派らしい数字を残していたりする』

『今季取るタイトルは何よ』

『この試合に負けたら分からないけど、最多勝、最高勝率、最優秀防御率、最多完封あたりか。最多完封はタイトルじゃないけど』

『奪三振は?』

『弟に70個ぐらい離されてたと思う。すまんな、弟には興味ないんだ』

『ナオ君細マッチョだからホモォの人からも人気だしな』

『ガチホモはむしろムキムキマッチョがモテだぞ』

『なんでそんなこと知ってるw』

『ちなみにNPBで一番ホモからモテてるのは上杉兄貴な』

『やめろw』

『そんな情報知りたくなかったwww』

『悲惨だな、上杉兄貴』

『でもあそこは嫁が可愛いから圧倒的勝ち組』

『確かに可愛い。明日美タンは子供産んでも可愛い』

『上杉兄貴になら俺の明日美タンを託せる』

『お前のじゃないけどな』

『今の日本で、男の中の男ってなったら兄貴っていうぐらいだしな』

『ちなみにBL界隈では今年から、上杉兄貴×ナオ君が最大派閥に躍進した』

『やめろwww』

『真剣にやめろw』

『腐ったやつら、どこにでも現れるよなw』

『ナオ君嫁も実はけっこう美人だけどなw』

『作家に美人などいねえ定期』

『いや、白い軌跡の執筆者で、普通に美人だぞ。スポーツ選手の嫁っぽくはないけど、弁護士資格持ったハイスペック女子。案外知られてないのか?』

『ナオフミ=サンのストーカーでもない限り、嫁まで知らないよw』

『白い軌跡の執筆者としてはそこそこ有名なはずだが』

『確認した限りだと、単純に美人と言うわけじゃなく、知性が表に出てる感じ? 色気むんむんタイプではない』

『顔出ししてるのか。明日美タンと仲良さそうな』

『映画原作者と主演女優だしな』

『元々のシーナちゃんもそれなりに可愛いんだよな』

『まああの年の甲子園がおかしかったのは、そのあたりも関係している』

『応援じゃね? ツインズのチアをしつこく追っていたカメラはいい仕事してた』

『ツインズ最近は歌の仕事してないよな』

『白富東の応援曲、Iriya.itが作曲してるんだよな』

『ワールドカップも盛り上がったからなあ。二度とないわ、あんな時代』

『脱線している間に二回の裏始まるぞ』

『西郷もやべーやつなのに、白石がやばすぎて感覚が麻痺する』

『陰険鬼畜メガネ、こういう時は本当に頼りになるな』

『ここで打ったらマンガだよ、っていう時に打つよなあ』

『樋口のホームランで一点か。これで決まってもおかしくないな』

『ナオフミ=サンの点を取られない理由ほんと謎』

『つってもその一点、ホームランだからな。つまりホームランバッターの多いライガースには、打たれてもおかしくない』




 無責任な視聴者の声が、試合中の選手たちに届くはずもない。

 直史はSNSもほとんどやらないし、試合が終わってもほとんど評価が届くことはない。

 勝利だけを目指す試合で、外野からの声は聞こえてこない。

 必要な時にだけ情報を得る。それが直史である。


 樋口の場合は少し違って、評判にはそこそこ興味がある。

 評価は球団の査定がするもので、無責任で無権利な観客などには興味はない。

 オールスターは実力が人気を上回る。

 ベスト9やゴールデングラブは、実績が全てを凌駕する。


 勝利という一つの目的のために、他の雑音はシャットアウト。

 大介は応援の声を無視しながら、淡々と進んでいくように見える試合の、もっと深い流れを感じようとする。


 二回の表、レックスは高卒ルーキーの小此木がヒットを打った。

 バランスのいいフォームだな、と大介は思う。線は細いが、筋肉さえあればいいというわけではない。

 その後の打者をしっかりと抑えて、追加点は許さない。

 今日の山田は、調子が悪いわけではないな、と大介の目からも見える。


 二回の裏は四番の西郷から始まるライガース打線であるが、相手が直史であるとあまり関係がない。

 今季唯一得点を取られたホームランを打った初柴は、長打力が全くないわけではないが、基本的にはアベレージヒッター。

 ホームランバッターにとって直史は、相性が悪い。

 ムービング系の球をパワーで持っていくために発生したフライボール革命。

 それに対して有効なのは、直史の大きな変化球と、そして高めのストレートなのだ。


 ホームラン一本だけの1-0であるが、流れというか主導権は、絶対的にレックス側にある。

 先制点を取った上で、直史が投げているのだ。

 得点の流れは停滞するが、それはレックス有利となる。

 ライガースの得意とする試合展開は、投手は好投しながらも、ライガースの打線で点差をつけていくというもの。

 その打線を、完全に封じられているのだ。


(タカでもダメだったか)

 少しは期待していたのだが、直史はともかく樋口は油断していなかっただろう。

 三回の裏のライガースの攻撃も封じられ、一巡目はパーフェクトピッチ。

 直史にとっての通常運転である。




 何かきっかけがないと、直史を打つことは出来ない。

 単なるヒットなどであると、ある程度は打たせるピッチングをしているので、それは許容範囲内であろう。

 ただこのままずっと、パーフェクトをされるのはまずい。

(前にもこんなこと思ったような)

 あれは直史が相手ではなかったと思うが。


 四回の表は、レックスも俊足の樋口が先頭打者という、追加点のチャンスである。

 山田は際どいところを突いていくのだが、結局樋口は一度もバットを振らず、カウントを悪くしてから歩かせる。

 勝負強さと言うか、抑えたい時に打ってくるというか、嫌な時に打ってくる。

 当たり前のように打ってくれる大介とは違うが、これもまたバッターとしては一つの型であろう。


 足もある樋口であるのだが、一塁からは動かず。

 シーズン終盤なので、怪我になりそうなプレイは慎んでいるのだろうか。

 大介も同じく、最近は効果的なところでしか走らないので、その気持ちは分かる。

 一塁が空くと西郷までも歩かされてしまうという理由もあるが。


 その後のバッターにヒットは許さなかったものの、山田の球数はかなり増えているのではないか。

 そう考えて大介は、三回までの直史の球数を尋ねてみる。

「29球だ」

 応えてくれた側も、眉間に皺を寄せる数字である。


 直史は体力お化けなわけではなくて、省エネの達人なのだ。

 このペースで投げていくなら、また九回の裏が終わったところに、100球未満というマダックスが達成されかねない。

 いやそもそも、まだ一人のランナーも出ていないので、そんなことを意識する段階ではないのだが。

(俺に回ってくるし、いっそのこと単打に専念……してもツーアウトか)

 毛利か大江が出てくれればいいのだが、直史は大介だけではなく、大介の前のバッターもしっかりと抑えてくる。


 大介と勝負してくる、数少ないチーム。

 ただし樋口は、ランナーのいない状態で、大介と勝負してくる。

 漫然と勝負を避けるのではなく、致命傷にならないところで勝負してくる。

 それでも世間的には、大介と勝負して、それなりに抑えているのだ。

(シーズン中はともかく、プレイオフでどうするべきか)

 大介はそう考えながら、ベンチの前でバットを振る。




 毛利は左打者ということもあって、まさに予想通りにセーフティバントをしていった。

 それを処理するのはピッチャーの直史で、しっかりとファーストでアウトを取る。

 出塁には失敗したが、ピッチャーにバント処理をさせることには成功した。

 そして続く大江も、指一本余らせて、バットを持っている。


 攻撃的な二番である大江は、長打力も高いのだ。

 それがまずは塁に出ようと、バットコントロールに主軸を置いている。

 何がなんでも塁に出て、大介に回そうという意識だ。

 だがスルーをバットに当てて、またこれもピッチャーゴロ。

 無表情のまま淡々とそれを処理して、直史はマウンドに戻る。


 二打席目の対決だ。

 いやそもそも、まだ一人もランナーが出ていない。

 圧倒するような支配力は感じられないが、それでもまだノーヒットという事実。

 エラーはともかくとして、フォアボールさえ出していない。

(はっきり分かるボール球さえ、めったに投げないんだよな)

 大介はバッターボックスを前に、いっそ右で打ってみようかなどとも思う。


 もちろん思っただけで、実際には左で打つ。

 右利きで、利き目も右。なので左打席。

 大介はスピードを乗せて、バットを振るのだ。


 マウンド上の直史からは、なんの表情も窺えない。

 これは読みで打つのではなく、反射で打つしかないだろう。

 だがピッチトンネルを抜けてくるボールを、それで打てるのだろうか。

(打つしかないんだけどな)

 打てなかったとしても、なんらかの布石は打たなければいけないな、と考える大介であった。

 実際のところ、それに対するレックスバッテリーも、どうしようかとは思っていたのだが。


 大介は意識していないのかもしれないが、ボール球を使ってまで配球を考えるのは、相手が大介だからである。

 いっそのことベンチが申告敬遠をしてくれた方が、失点を防ぐという点では間違いない。

 もっともここまでパーフェクトピッチングできてしまったため、ベンチがそんなことを出来ようはずもない。

 ホームランを打たれてもまだ同点なのだが、逆に言うともう、さらに一点を追加しなければ勝てなくなるのだ。


 色々と考えはしたものの、樋口は最終的にサインを出す。

 それに頷いた直史は、すぐさま投球動作に入る。

 とにかく早く、というタイミングの取り方。

 レックスバッテリーにとっても、目の前の相手は最難関の敵であるのだ。

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