第70話 クラッシャー
MLBのオープン戦が進んでいく。
日本のオープン戦と同じく、アメリカにおいてもオープン戦は、リーグの垣根はあまり関係なく、キャンプ地の近いもの同士で行われることが多い。
事実、この年のオープン戦の初戦は、リーグは違うが地区としては同じ東地区の、アトランタ・ブレイバーズ。
大介はこの日、二番ショートとして他球団との初対決に臨む。
アトランタはMLBの球団の中では、比較的中堅の位置を占めることが多い球団だ。
資金力はそこそこで、近年は主力が高年齢化、あるいは劣化してきて、優勝を目指すには再建期に突入しようかという球団だ。
アトランタにとっても緒戦となるこのオープン戦、日本から来たスラッガーの話は有名になっている。
ショートの強打者。
アレックス・ロドリゲスが真っ先に思い浮かぶだろうが、大介の体格で飛ばすというのは、映像を見ても信じがたい。
現実は常に、実戦によって知らされる。
最初の打席、メトロズの巧打者ルー・キャメロンがフォアボールを選んで一塁に出塁する。
かつては高いアベレージを誇っていた打者だが、現在では出塁をメインに考えるユーティリティプレイヤー。
そのベテランの後ろを、とりあえず大介が打つ。
大介に今足りていないのは、データの蓄積だ。
そしてマイナーも含めて多くのピッチャーを見ていて気づくのだが、フォームに特徴のある選手が多い。
もちろん故障をしにくいように、前提となるピッチングの基礎部分は共通している。
だがそこさえ守れば、上半身だけで投げていたり、その上半身もフォームが固かったりと、大介から見るとパワーロスの投げ方が多い。
これは近いうちに故障するのではないか、と大介の常識から見ると思える。
ピッチングコーチに通訳を通じて話してみると、その柔軟性が分かる。
確かに故障しやすい投げ方というのは存在する。
なのでポイントだけは修正して、あとは好きなようにやらせる。
そして故障してからが、改めてコーチやトレーナーの出番である。
MLBは選手の故障にことさら敏感だと思っていたが、実際にはやってみないと分からないという考えもあるらしい。
もちろんドラフト上位で獲得した選手などには、最初からフォローが入る。
だがテスト生上がりやいまいち伸び悩んでいるものは、壊れてでも上に行こうと思うだろう。
大介はプロ入り後は完全エリートコースだが、同期のライガースドラフト組でまだプロの世界にいるのは、他に二人だけだ。
特に育成の二人は、故障もあって一軍では一度も投げなかった。
自分も去ったことを考えれば、大原一人しかライガースには残っていないことになる。
(タフと言うかシビアな世界だな)
それでもまだ日本は、支配下登録されたらそれなりにマシである。
アメリカのマイナー選手は、普通に副業を持って働いているのも多いのだ。
ツーストライクまで見逃していった大介は、とりあえずピッチャーの球種を全部投げさせる。
カットして甘い球を狙うつもりだったのだが、怒りのあまりか明らかにビーンボールを投げてきた。
(う~んl日本より気が短い)
特に動揺することもなく、あっさりとそれを避ける。
別に打っても良かったのだが、ホームランにはしにくいなと思ったのだ。
余裕で避けた大介に対して、むしろ相手ピッチャーはヒートアップした。
二球連続はまずいだろうと思っていたのに、またも当たるボールを投げてくる。
これも大介は避けたが、審判が警告してくる。
(で、これでどうせ外だろ?)
外角のアウトローに、しっかりとコントロールした球を投げてくる。
甘く見すぎである。
顎を動かさないように、足を踏ん張って腰を回転させる。
わずかに体は傾きながらも体軸はしっかりと伸ばす。
そしてバットのヘッドを走らせると、外の球でも引っ張ることが出来る。
大切なのは引っ張り過ぎないように、そして角度を付けすぎないようにすること。
打ったボールはそのまま、ピッチャーの顔面を襲う。
頭部の中でも一番強固な額。
激突したボールが転々としている間に、大介は一塁に達していた。
タイムがかかった状態で、担架が運ばれてくる。
もぞもぞと動いているので生きてはいるが、脳震盪ぐらいは起こしているだろう。
やりすぎたかな、とも思うが先に挑発したのはあちらである。
大介は単に、ルールでも問題にならない範囲でやり返しただけである。
そしてこのピッチャーは後にちゃんと復帰も出来たのだが、それでも「白石大介に最初に破壊されたピッチャー」という正しい意味での称号を手にすることになる。
この日の大介は他に一本ホームランを打ったが、少し変わったフォームなどで投げるピッチャーには、その変化球を見逃し三振。
余裕を持った状態で、他のチームとの初戦を終えた。
ロッカールームで着替えた大介だが、まだいまいち周りには溶け込めていない。
日本での実績も周知され、また紅白戦での打撃や守備も見れば、さすがにその実力を認めるしかない。
「白石さん、コーチが呼んでますよ」
「おっす」
着替えた大介が出て行くと、ロッカールームの中が騒がしくなる。
「なあ、今日のあれ、わざとだと思うか?」
「どうかな。シートバッティングだとだいたい同じ場所に放り込むことは出来てたけど」
「狙っても当てられるもんじゃないだろ。もし狙うにしても頭は危険すぎる」
「いや、アウトローに試合の中で投げられたんだ。コントロールして打つことは出来ないだろう」
「センターを狙うこと自体は普通におかしいことじゃないしな」
「でも俺、あいつの無茶苦茶なバッティング練習見たことあるぞ」
それはまだ早朝。
偶然に早く起きた日に、ホテルの周辺を散歩していた。
グラウンドが大量にあるこの地域は、早朝から使われていたりもする。
そこに嫁二人と一緒にいる大介の姿があった。
「いや嫁二人っていうのはそもそもな」
「それは確かにそうだが、今はそこじゃない」
ティーバッティングで高く打ち上げたボールに、次にトスされたボールをぶつけていた。
何度か同じことをしようとして、結局は二回しか成功していなかったが、動いているものに打ったボールを当てることが出来る。
それは野球のバットコントロールとは、もはや別のものではないかと思うのだ。
いくらなんでもそれは無理だろう、という空気の中で、だがそれはあったのだ、と彼は主張した。
単純に飛距離でも、それほどスタンドの深くない、この練習用グラウンドにおいては、平気で場外弾を連発する。
確かにバットのスイングスピードは速いが、それだけであそこまでどうやって飛ぶのか。
コンタクトの瞬間に、完全にボールを捉えてはいるのだろう。
もっともそれでも、野手の正面に打ってしまうことはちゃんとある。
ゾーンの中でも打ち損じはあるのだ。
かつて日本からは、様々な突出したプレイヤーがやってきていた。
だがその中でも大介のパフォーマンスは、常軌を逸していると思う。
ただ、あれで三割30本ほどしか打てていないなら、日本のリーグはどれだけのレベルなのかという話である。
四割70本という数字で、それならやってもおかしくないのかな、とは思えなくはない。
既に現実が怪奇現象だ。
「そもそも嫁二人に殺害予告とかが来たとか、いったいどういうことなんだか」
「日本は場所によっては二人嫁が持てるのか?」
「キリスト教圏じゃないから、ムスリムならそういうことも可能なんじゃないか?」
「いや宗教とは関係なく、先進国で一夫多妻を認めている国はないと思うが」
「ただ中東の産油国も豊かな国ではあるだろ」
「……今度ちょっと誘ってみるか」
メジャーリーガーは割りと、チーム内でも人間関係があっさりしていることが多い。
いつトレードで敵同士になるか分からないし、ポジションがかぶっていれば競争相手だからだ。
それでも大介に対する興味を抑えきれず、どこかに誘うかと思うチームメイトたちであった。
クラブハウスの監督室に呼び出された大介は、杉村の後に部屋に入る。
メトロズのフィールドマネージャー、つまり監督の名前はジョー・ディバッツ。
MLBの監督としては珍しくないが、選手としての成績はさほど残せていない監督だ。
NPBの監督ともなれば、そのチームの顔ともなる。
選手時代の実績もあって、ようやく監督として必要な重さが出てくる。
アメリカでは選手としての実績と、コーチとしての能力は、比例しているなどとは考えられていない。
もちろん巧打者や強打者であれば、そのままコーチの声がかかることもある。
また作戦は他のコーチに任せ、お飾りの監督がいないわけではない。
だが少なくともディバッツはそういったタイプの監督ではない。
他に誰もいないところで、ディバッツは大介に椅子を勧めもしない。
難しい顔のディバッツは、杉村の方を見たが、ここで通訳なしでニュアンスの微妙な会話をする気にはなれなかったのだろう。
ディバッツの言葉を聞いた杉村は、やはり困ったような顔をして、言葉を選びながら大介に伝えた。
「監督は今日の試合、あの相手のピッチャーを狙ったのかどうかを問題にしているらしい」
「ん? ピッチャー返しはバッティングの基本の一つだと思うけど」
「いや、そういうことじゃなく……君が意図的に打球を当てにいったのかということだ」
「それが何か問題があるのか?」
「ルール上はもちろん問題じゃないが、意図的にああいうことが出来るなら、人格面を疑わなければいけないということだろう」
「ああ、そういうことか」
大介は納得するが、しかしすぐに首を傾げる。
「確かに当たるコースに投げられてムッときたのは確かだし、ピッチャー返しはある程度意識していたさ。でもアウトローのボールを確実に、ピッチャーの頭部に当てる技術はないよ」
「分かった。じゃあその線で説明する」
杉村とディバッツの間に、少し会話がなされた。
そしてまた、杉村は大介に話しかける。
「ピッチャーに当てないようにすることは可能か、って聞いてる」
「いや、そもそもピッチャーに当てるように打つのは難しいしもったいないだろ」
大介は頭の中で考えた言い訳を口にした。
大介が狙うのは、ホームランである。
あの時はアウトローを打ちにいったが、あのままだと左の方に飛ぶとは分かっていた。
大介はまた、バックスクリーンを破壊するつもりで打ったのだ。
それが弾道が低くて、ピッチャーに当たってしまった。
事故である。故意ではない。
今度同じ球を投げられても、再現などは出来ないだろう。
大介がそう言うのなら、それを信じるしかない。
そもそもピッチャー返しはバッティングのテクニックの一つで、それがピッチャーを直撃しても、バッターの責任ではない。
だが狙って打つことが出来て、しかもそれをなんとも思わないというなら、それは問題であった。
「もし狙って打つことが出来たとしたら、さすがに首から下を狙うさ。頭は危ないからな」
まっとうな言葉に、ディバッツは納得するしかなかった。
大介が退室した後、ディバッツは顔を洗うように手を動かした。
「白石の日本時代、問題行動はなかったのか?」
「少なくとも乱闘や、悪質なスライディングなどはしていませんね。目だったところと言うと、ボールゾーンにも手を出してヒットにしてしまうことが多かったことです」
そういえば、と杉村は思い出す。
「あれだけの強打者ですが、あちらではデッドボールを当てられたことは九年で二回しかありません」
「軽く回避していたのか」
「いえ、体に当たるボールはバットも当てられる距離ですから、普通にヒットを打つことが多かったですね」
日本では常識となっている大介のボール球処理であるが、MLBでもすんなり受け入れられるわけではなかった。
そんなところにまた、ノックがある。
「杉村さん、なんかチームメイトが誘ってくれてるみたいなんで通訳頼む!」
「分かった。すぐ行く」
ディバッツは、少し小さく囁いた。
「まあ、しばらくは配慮していてくれ」
「分かりました」
色々な意味で頭の痛い問題を、発生させる大介であった。
嫁が二人いる人間というのは、多国籍な人種の多いアメリカでも、それほど多くはない。
そもそもアメリカにおいては、同姓婚は認めていても、重婚は認めていない。それは日本も同じだ。
だが本国で二人以上の妻を持っている人間が、アメリカを訪れることはある。
特に中東の王族などは、普通に妻の数が複数は認められている。
実は東南アジアでも、宗教によっては二人以上の妻を持つことが出来る国もある。
大介はそれについて問われて、普通に説明をしていた。
実際には妻は一人で、もう一人は愛人の関係にある。
だが見分けがつかない双子であり、大介の子供を産んだ方を、今は便宜的に妻として結婚しているだけである。
アメリカにおいては、特にニューヨークにおいては、性的なマイノリティやリベラルであることは受け入れられやすい。
実際のところメトロズの選手の中には、何度か結婚と離婚を繰り返している者もいるし、事実婚はしているがポリシーとして結婚はしていない者もいる。
ただ、大介のように三人で暮らしているというパターンは、さすがに少ない。
特にパートナーを決めず、好きなようにセックスをする関係などの方が、まだ分かりやすいとまで言われた。
そうなのかもしれないな、と大介は思う。
もっとも確かにこのニューヨークに拠点を置くチームでは、気にしない人間の方が多いようだった。
オープン戦期間中は、まだまだ選手はコンディションより、ストレスの発散を考える。
そこで酒を飲みながら話したりするのだが、大介は基本的には飲まない。
少しでも脳にダメージを負うことは避けたい。
特に今はオープン戦とはいえ、大介はルーキーなのだ。
序盤に爆発してアピールしておかなければ、ちょっとした不調で代えられる可能性はある。
「いや、ねーだろ」
紅白戦にオープン戦と、大介の活躍は誰もがはっきりと認めている。
ショートで強打者ということに懐疑的だった者も、大介のバッティングの飛距離には感服している。
むしろ体重もそれほどなかろうに、どうやって打っているのかが不思議なのだ。
「ボールの中心を、ほんの少し外す感じで、バットで切るんだよな」
大介はそう説明するが、通訳を介しているだけに、余計に分かりにくいものになっただろう。
この日、オープン戦におけるこの夜。
ようやく大介は、メトロズというチームに馴染んできたのであった。
翌日、メトロズとのオープン戦となるのは、ヒューストン・アストロノーツ。
日本からのマスコミが、怒涛のように追いかける、大介についてじっくりと見るつもりであった彼らは、大介が出場していないことを知って拍子抜けした。
この時期は確かにまだオープン戦であるが、調整には重要な時期である。
なぜベンチにすらいないのかと尋ねるヒューストンの選手たちは、予想外の返答を与えられた。
WBCの決勝戦を見るために、ロスに行っているのだと。
WBCの大会期間中であることは、大方は知っていた。
だがあれにはメジャーリーガーでもトップレベルの選手は、誰も出場していない。
かろうじて3Aの選手や若手の2Aの選手が、また別のアピールの場所として利用しているだけだ。
だがアメリカと違い、日本はちゃんとプロのリーグから選手を出している。
本気度がアメリカとは違うのだ。
そもそもアメリカは、自国の優勝決定戦をワールドシリーズなどと呼ぶように、マーケットがそもそも世界に向けられていながらも、国内でも完結している。
トップレベルのメジャーリーガーであれば、そんなところで怪我をしても意味がない。
そもそもWBCでの負傷などには保険的な契約が適応されなかった利と、何も出場する意味がないのだ。
世界中の国から、トップレベルの選手が集まってくるのがメジャーリーグだ。
だからこそ高い年俸が得られるのだと、選手たちは思っている。
もちろんここのところ、そんなことを言っていられないほど、日本に敗北していることも承知している。
だがそんな日本からさえ、トップの選手はMLBにやってくるのだ。
金の払いが多いところが、当然ながらレベルも高くなる。
それが資本主義的経済では当たり前のことである。
だからキューバの選手も亡命して、MLBに入ってきたりするのだ。
だが、あのリトルモンスターが気にしているのか。
チームの人間たちは、この日の試合ぐらいは見てみようか、という気になったのであった。
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