第67話 スプリングトレーニング
※ 100マイル=約161km/h
白石大介が、本当にやってきた。
日本向けのスカウトから大介の通訳とマネージャーとして職務転換されたウィリアム杉村は、MLBの舞台で見られる大介の姿を、既に頭の中で描いている。
その大介がいざキャンプに参加するぞとなった時、野球のことはしっかり考えていたが、英語を全く学んでいないのには困った。
もちろん試合の中では、様々な国から選手が訪れているMLBは、通訳も存在する。
だが咄嗟の判断や、コミュニケーションをしていく上では、ある程度の意思疎通は自分でやっていった方がいいのだ。
「んな複雑に考えんなって。イエス、ノー、OK、WHY! これだけ分かってたらなんとかなるだろ」
とんでもない楽天さ加減に、まあこれぐらい楽観的な方が、むしろ成功するのかもしれないな、となんとなく思ってしまう杉村である。
MLBとまではいかなくてもNPBや高校の強豪レベルでも、ほとんどの人間は早々に壁にぶつかる。
そこで折れてしまうか、単に今はまだ無理なだけだと前向きに思えるかで、その人間の限界は決まる。
今出来ないことが、明日も出来ないとは限らない。
そんな楽天的な性格と、絶対的な自信。
それが現実の地味なトレーニングと合わさって、天才と呼ばれる人間は誕生する。
誰もが何度かは、人生で壁にぶつかる。
そこが限界なのだと思うか、それともなんとかして向こうに行こうとするか、プロとアマのメンタルの違いは、決定的にはこれだけでしかない。
「やってることは同じ野球だろ? 前のやつのやってることを見てそのままするさ」
そう言って気軽にノックに並ぶ大介に、やはり大物なのか、と杉村は感じる。
わざわざ通訳のついた、ジャパニーズかコリアンかの小さな選手は、当然ながら全体の中でも目立っていた。
調べればすぐに分かるこの時代であっても、調べすらせずに知らないと言ってしまう人間はいる。
世界が狭いのだ。
そういう人間は世界の果てがすぐ近くにあるので、より遠くに行こうとは思わない。
だから足踏みをして、壁を越えることが出来ないし、想像もしない。
「チャイニーズじゃなくてジャパニーズか? あんな小さいのがどういう実績だ? ティーンエイジャーじゃないのか?」
「アジア人の年齢は分からないからな。ああいう体格の選手は、おそろしくスピードやバネがあるんだろうが」
「通訳までついてるなんて海外のリーグの選手だな。こっちにいるんだから」
「ちょっとどんなやつなのか聞いてみろよ」
「お前が聞けよ」
「いやお前が」
「いやいや」
訊いてくれれば普通に答えるのにな、と思う杉村である。
大介はノックを受けて、ファーストへ素早く送球。
「上手いな」
「ジャパニーズじゃないのか。ジャパニーズは守備が上手い選手が多いと思うが」
「有名なジャパニーズはほとんどピッチャーだろ」
「ここでノックを受けてるってことはフィールダー(野手)だな」
「あの身長でピッチャーは無理だろ」
「だけど肩は随分といいな」
大介はWBCで二回も優勝した日本の三番を打っていた。
これが西海岸のチームであれば、まだしも知名度は高かったかもしれない。
だがこの現状に、杉村は苦々しい想いを持つ。
MLBに挑もうとする人材、ここにいるのはドラフトで指名されたか、あるいはテストを受けて上がってきた選手だ。
それがこの程度の知識しか持っていない。
MLBの興行収入などは、ショービジネスとしては成功している。
選手の年俸も上がっているが現状維持で、マーケットが縮小するという気配は薄い。
だがMLBのファン層というのは、高年齢化してきている。
球団の一員としてはこんなことを言うべきではないのかもしれないが、MLBを単に稼ぐための場として見ていて、ベースボールを本当に愛してはいない。
そんなシステムにしたのは、まさにMLB機構や球団ではないかと、選手側の言い分もあるだろう。
シーズンごとにトレードやFAで球団を転々とするジャーニーマンがいる。
シーズンの途中でもトレードデッドラインでは、大きく戦力が動く。
それはまさにマネーゲーム的に、戦力である選手を移動すること。
一人の選手のピッチングやバッティングを、ずっと追いかけていくということが出来なくなっている。
キャリアアップのためには仕方がないのかもしれないが、寂しく思ってしまうのは仕方がない。
そんな現在のMLBに、大介ならば何か革命的な衝撃を与えられるのではないか。
もっともMLB自体が、衝撃は常に求めているのだが。
不勉強な若いメジャー当落線上の選手もいれば、既に大介にリスペクトを持っている選手もいる。
WBCで100マイルオーバーのボールをことごとくスタンドに叩き込み、現在ではトップクラスにまで成長したMLBのピッチャーも簡単に打ち砕いている。
WBCの開催していた時期は、MLBもまさにスプリングトレーニングの時期から、オープン戦に移る時。
確かに本気でやっているなら、なかなかトップクラスの出ていないWBCなど見ないのかもしれない。
ただ他の国がどうであるのか、気にする者もいる。
そしてむしろMLBがトップクラスの選手を出さないため、日本に負けるのを見ているのが嫌で、あえて見ない者もいる。
その結果が己の無知というものにつながる。
もちろん首脳陣にそんな無知な者はいないと言うか、これだけ期待されている選手が入ってくれば調べても当然だ。
大介の成績を見て、最初に彼らが思うことはほぼ共通している。
不正が存在しているのではないか、ということである。
具体的にはドーピング、そしてサイン盗みだ。
ただドーピングに関しては、WBCなどでしっかりと検査を受けている。
日本人選手というのはそのあたり、かなり潔癖なところがある。もちろん例外は常にいるが。
ノックや走塁の後は、いよいよ肝心のバッティングだ。
MLBではこの全体練習の時、シートバッティングを行う。
単純にマシンの球を打つというのは、個人練習だ。
もっとも個人練習も、自分でバッティングピッチャーを雇う人間もいるが。
「誰を投げさせる?」
「そうだな。どれぐらいスピードボールに対応できるか見たいな」
キャンプにはおよそ30人のピッチャーがいるわけだが、スピードだけなら100マイルを投げるピッチャーはそれなりにいる。
ただメジャーリーガーの中に、スピードだけの100マイルで通用するピッチャーはいない。
「チャベスでいいだろう。最近調子に乗ってるしな」
「去年2Aだったチャベスか」
弱冠19歳であるが、去年は一気にルーキーリーグから駆け上がって2Aの選手となったチャベス。
メキシコからの移民の子である彼は、今年はメジャーに上がってリリーフの一角として使われるだろうと言われている。
今も昔も、貧困層からの脱出のチャンスの一つは、スポーツによる成功だ。
球が速いというそれだけで、2Aまで上がってきたのは間違いなく才能である。
今年は3Aで始まるのではないかという話も、実際には3Aはメジャーとマイナーを行き来したりする選手がいたり、メジャーが調整に降りてくることがある。
なので下から急速に上がってくる選手は、3Aを飛ばす場合もあるのだ。
今年はメジャー契約を勝ち取る予定のチャベス。
ただメジャーの世界は甘くないということも知っておいた方がいい。
ついでに大介の実力も見ようという魂胆である。
やっとバッティングか、と大介は特注バットを手にバッターボックスに入る。
ここまでの練習の中で、一番勝手が違うなと感じたのは守備の練習だ。
むしろ甲子園をホームにしていた大介には、感覚が似ていた。
天然芝のグラウンドは、ボールの勢いが吸収され、日本に比べるとややイレギュラーする。
そもそもはただの空地でやっていたという伝統にのっとったわけでもなかろうが、MLBのグランド整備は、全体的に日本よりは雑なのかもしれない。
走塁も見せてそのダッシュ力には、やはり周囲も驚く。
足の速いアベレージヒッターかと、その体格を見ると思ってもおかしくはない。
「チャベスだ。去年は2Aで10勝してるが、今年はたぶんメジャーに上がって七回か八回に入る。102マイルを記録したこともある」
「へえ、コントロールは?」
「まあ、とりあえず当たるようなボールは投げない程度にはある」
「さよか」
大介の体格は、バッターボックスに入るとさらに小さく見える。
それは使っているバットが平均より10cmほども長いからであるが、マウンドのチャベスからすると投げにくいと思ってしまう。
貧困層出身である彼は、ハイスクールでいきなり登場したようなピッチャーだ。
大学進学の奨学金の話も出たが、それよりはすぐに稼ぐことを目的にドラフトから契約に至った。
契約金をもらった彼は、ルーキーの中ではかなり恵まれている環境でここにいる。
ただ恵まれていない間の環境で、大介のことを知らなかったことは不幸である。
イエローのアベレージヒッターに、俺の球が打てるか。
そう思って投げた100マイルの球に、大介はいつも通りの洗礼を浴びせた。
ライナー性の打球がほぼ放物線を描くことなく、そのままバックスクリーンへ激突。
破壊された破片が、パラパラと落ちてくる。
当たったら死ぬ打球に、蒼白になる者が多数だ。
大介の結んだ契約の中の一つ。
試合中や練習中にバッティングによって破壊した人・物は、全て球団がそれを補償する。
何を当たり前のことをという条文であるが、こういうことなのだ。
「チャベス! 次を投げろ!」
呆然としているチャベスに、コーチから声がかかる。
頭を振ったチャベスは、今度こそはとまたストレートを投げる。
今度はしっかり計測していた球は、101マイル。
大介の見えないスイングが、それをまたも簡単に弾き返した。
なんだか軌道がおかしいぞと思わせる打球は、先ほどとほぼ同じ場所に着弾。
スタジアムの注目が全て大介に集まっていく。
「なんだあれ……」
「なんだあれ……」
「なんだあれ……」
そして三球目は高めに外れたボールを打って、バックスクリーンを越えた場外弾となった。
コーチは真っ白になっているチャベスを慌てて降ろし、3A実績の長いベテランをマウンドに登らせる。
このショックが大きかったチャベスは、しばらく立ち直れずメジャーに昇格するのが遅れることとなる。
ベテランのアンダーソンは、チャベスの制球の甘さをしっかりと見ていた。
(日本人はメジャーの外角に弱い)
あとは日本人のバッターの特徴としては、綺麗な球に慣れすぎている。
綺麗な球というのは、はっきりとしたストレートや変化球だ。
メジャーでは100マイルを出しておいて、さらにそれがクセ球であることは間違いない。
だがとりあえずは、メジャーの日本よりボール一つ外に大きいという外角を攻めてみる。
スピードは衰えたが、この狙ったところに投げられるコマンドの高さで、まだメジャーにしがみついている。
そのアウトローのボールを、大介はまた真正面に弾き返した。
これまでとは違う、やや放物線を描いた打球は、またもバックスクリーンを直撃した。
ただ、今度は壊さなかった。
アウトローの球を、完全にセンターに打った。
インハイならばどうなのかと、コントロールして投げるアンダーソン。
大介はそのボールをしっかりと、懐に呼び込んでから打った。
ボールはまたもバックスクリーンを直撃した。
「本当に禁止薬物は使ってないのか?」
「いや、それ以前にあのバットはどうなんだ?」
打撃練習で全てスタンドに放り込んだ大介は、とりあえずストレートならこれでいいか、と及第点を与えておいた。
実際のところ変化球なども打てなければ意味がない。
MLBの中で一番NPBとピッチャーが違うのは、かなりの高速で大きく動くボールだと思っている。
実戦と言うかすぐにおとずれるオープン戦の中で、それはチェックするしかない。
そんな大介に、MLBではフィールドマネージャーと呼ばれる監督と、バッティングコーチが近付いてくる。
「ちょっとバットを見せてもらっていいか?」
「バット? ほいよ」
バッターの中には他人に自分のバットを触れさせるのを、極端に嫌う者もいる。
大介としては自分の見えるところならば問題ない。
そもそもバット引きの人間がいるのだから、他人に触らせないというのは不可能だ。
大介のバットが標準より長いのは、もちろん気がついていた。
それでも規定の範囲内であれば何も問題はない。
「重いな」
長さだけではなく、重さも違う。
「なぜこんな重いバットを使う?」
「コーチがなんでこんなに重いバットを使ってるんだって訊いてるけど」
「あ~、重さ? んなもん質量と速度の二乗じゃんか」
日本語で話した後、大介はひどく簡単に英語で説明した。
「ウエイト、アンド、スピード、イコール、パワー!」
思わず首を振るメトロズの首脳陣。
だがもちろん、バットを変えろなどという無茶は言わない。
結果が全てだ。
MLBの選手というのはピッチャーもバッターも、パワーを本来はロスしながらプレイしているフィジカルモンスターが多い。
そういった選手が単純なパワーロスで通じなくなってからが、コーチ陣の出番である。
大介の場合は、それとは問題のベクトルが全く違う。
ただホームランを打てる、飛距離を出せるのは理屈が分かった。
だが打率はどうなのか。
重いバットを全力で振るえば、確かにパワーで飛距離は出せるだろう。
だが普通ならばその分、三振も増えるはずだ。
大介の一打席あたりに換算して0.06ほど。
毎年100以上も三振するMLBのスラッガーに対して、大介は多い年でも50個。
これはスラッガーではなくアベレージヒッターの三振率だ。
その日の夜、大介のスイングスピードを見ていたコーチ陣は改めて驚いた。
確かにスラッガー並かそれ以上であり、さらにミートが圧倒的に違う。
レベルスイングに近いが、ボールに接触する寸前にはアッパースイングになりかけている。
ボールにバックスピンをかけて、飛距離を出すような弾道にしているのだ。
なるほど、ホームランが打てるのは分かった。
他の選手には真似できないだろうが。
ストレートにはやたらと強い。そのあたりは日本のバッターにはあまりないものである。
あとは変化球に対し、どういった対応が出来るのか。
日本人投手は変化球においては、MLBよりも多彩ですらあることが多い。
少なくとも変化球が一つ一級品だからこそ、日本人のピッチャーはMLBでも通用する。
だが大介はそんな、日本人のピッチャーを打ってきたのだ。
「まあオープン戦前の紅白戦でも、そのあたりは見せてもらうことが出来るか」
普通に今から調べても日本時代の映像は手に入るだろうに。
そのあたりはいまだに、日本のレベルを低く見ている、無意識の傲慢さを持つMLBの人間たちであった。
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