第66話 南へ

 スプリングトレーニングまでまだ一ヶ月以上ある一月、大介はニューヨークに移動した。

 日本でもそれなりに仕上げてきているが、本番はこれからだ。

 またこの期間は、生活をアメリカに合わせるための時間でもあった。

 ツインズはイリヤのつながりから、意外とアメリカでの知り合いが多い。

 そのツインズに引っ張られるように、大介はアメリカでの生活基盤を築いてきている。

 既にチームからは通訳もつけられているが、24時間体制のわけではない。

 用意されたマンションの周りは、ニューヨークでも当然ながら治安のいい場所であるが、そこでも銃を持ってきて乱射というのが、ありえなくはないのがニューヨークである。

 もっとも現在のニューヨークは、かなり銃の規制は厳しくなっているのだが。


 広いマンションに置く家具などを買って、ベビーシッターなども手配する。

 このあたりまで球団がやってくれると、契約の内容にはある。

 生活の全般をサポートしてくれているのだ。

(だけどなんだか、一人じゃ何も出来ないように思われてもいるような)

 日本にいたころはスーパースターでも、ママチャリで出かけていたのが大介である。

 

 ツインズもまた、あちこちに大介を引っ張っていく。

 トレーニングももちろんするが、とにかく必要なのは環境に慣れること。

 ただ高校を卒業して関西に移った時は、まず寮が存在した。

 そしてルーキーではあるが、既にその時点で大介はスーパースターであった。

 アメリカではほとんど全ての人間関係を、最初から築かなければいけない。


 ただ、完全に知人がいないというわけではない。

 イリヤがいるし、その知り合いのケイティなどもいる、

 それにこの時期には、織田がニューヨークに滞在している。

 理由としてはケイティがいることが多いからだが、他にもこちらに不動産物件などを持っていたりする。

 そんな織田は現在、ニューヨークからは離れたシカゴと契約している。

 だがそちらにも家はあるが、基本的にオフシーズンはニューヨークにいることが多い。

 大介のことはもちろん知っていて、あちらから会いにやってきた。




 現在の織田は、シカゴ・ブラックソックスに所属している。

 だがオフシーズンはニューヨークにいることが多く、こうやって気軽に会いに来ることが出来る。

「しかしまあ、ずいぶんとアンバランスな契約を結んだもんだなあ」

 織田が言うには長期の大型契約は、確かに選手にとってはありがたいものである。

 だが球団としても使わなければいけないサラリーが確定していれば、そこから逆算して他の選手に使えるサラリーが分かるという利点もある。


 織田はこちらでもアベレージヒッターとして、ほとんどが一番を打っている。

 そして守備位置もセンターだ。

 技術的なアドバイスをするには、大介の技術が自分とは違うので、あまり教えることも出来ない。

 ただMLBのピッチャーはその野球の開始時期にピッチング指導を最低限にしか教わらず、また自分で投げたいやり方で結果を出す者も多い。

 なのでタイミングの取り方が難しいピッチャーはいる、ということだった。


 間もなく始まるスプリングトレーニングでは、リーグは関係なく主に東西で、フロリダかアリゾナのキャンプに行くことになる。

 大介はメトロズなのでフロリダへ、織田はシカゴなのでアリゾナということになる。

 MLBのスーパースターは本当にお金持ちなので、この時期のためだけに家を持っている人間もいる。

 そしてまた家族を伴ってやってくる場合も多いらしい。

 はっきり言ってその内容は、日本のキャンプに比べればゆるい。

 だが自主練を、やる人間は本当にやる。


 アメリカは個人主義であるということが、ここにもはっきりと表れている。

 結果さえ出すなら、別にそのトレーニングをしてもしなくてもかまわない。

 だが怪我だけは困るというのが、首脳陣の考えだ。

 やれと言われてやるのではなく、自分で勝手にやる。

 そういうエゴイスティックなところがないと、アメリカでは通用しないことがあると言われた。


 あとは人種差別問題も、多少は関係する。

 フロリダは比較的人種差別があるため、用心はした方がいい。

 織田はそんなことを言ったが、あくまでも比較的という話だ。

 とにかく困るのは、生活習慣や価値観の違いであろう。

 そのあたりメンタルの強さではなく、柔軟さが問題となってくる。


 白富東で才能を開花させた大介は、日本時代も新人の頃から好き放題にしてきた。

 だがその好き放題が標準というのが、アメリカの社会である。

 自己責任という言葉が、本当に求められる社会だ。

 それでいてこの自由主義経済の世界では、どんどんと経済格差が広がっているが。


 織田の言葉は、こちらでの経験に基づく含蓄に満ちたものであった。

 大介が感じたのはやはり、野球どうこうよりも、アメリカという社会に慣れることだろう。

 アメリカという国自体には、WBCで来ている。

 だがどのようにして慣れていくかは、また別の問題だろう。


 そして織田が注意するのは、アンリトンルール。

 MLBにおける暗黙の掟というものだ。

 ある程度は大介も調べてきているので、それほどの問題はない。

 特に近年はこのアンリトンルールの中でも、デッドボールなどの怪我につながるものは、あまりされないようになってきている。

「ただお前の場合は、ホームランを打っていくからなあ」

 二者連続のホームランを打たれたピッチャーが、次の打者の初球に投げたストライクを打ってはいけない。

 このあたり大介はひっかかりそうである。


 


 ニューヨークは広大な都市であるだけに、場所によって治安はかなり違う。

 東京や大阪でもそうかもしれないが、普通に銃が出てくるのが恐ろしいところだ。

 ニューヨークでは銃の所持自体はかなり規制されていて、それだけでも日本人にとってはありがたい。

 もっとも車での交通が発達していると、都市の外からも色々と流れてはくる。


 大介はこちらでの生活に慣れながら、体の方を仕上げていく。

 だいたいツインズはどちらかが大介についてくるか、どちらもが大介についてくる。

 球団の用意してくれたマネージャーを伴い、球団のトレーニング施設を使っていく。

 また外部の施設も使って、様々な解析を行っていく。

 割と日本語の通じる人間がいて助かった。

 なおツインズはいつの間にか、普通に英語が喋れるようになっていた。

 英語の歌を歌っているうちに、自然と使えるようになっていたらしい。

 大介としては野球用語以外の英語は、極めて理解に乏しい。

 またMLBにおいては日本では使っていない用語も使っている。


 だがそれでも大介は、まずは体を仕上げていった。

 自分は野球をしに来たのだ。アメリカ人になるために来たのではない。

 それに会話も含む日常のことは、生活していたら勝手に分かるようになってくる。

 大介がニューヨークで感じたのは、人々の無関心である。

 日本にいた頃はそれこそライガースの地元なら、歩いていても普通に声をかけられたりしていた。

 東京の無関心さにも似ている気がするが、あちらはニューヨークよりも派手に顔が売れていた。

 なので久しぶりの、一般人に戻った感覚を堪能出来ている。


 あのスクープ記事以来、日本では東京でもそれなりに視線を感じたが、こちらではそんなこともない。

 ごく普通のアジア人として、ただそれでも両手に花を抱えて、あちこちを歩くことになる。

 大介は無理にすぐさま仕上げようとは思っていない。

 ツインズが誘ってくれば、普通に観光もしたりする。

 基本的に地下鉄は利用しない方がいいと言われたので、タクシーを使うことが多くなる。

 球団から手配されたマネージャーは運転手までしてくれるが、VIP待遇とは別に車ぐらいは買っておいた方がいいだろう。

 そう思っていたらまた織田から、熱烈なレクサス推しが入ったりもした。


 交通ルールが違うので、改めて免許をこちらでも使えるようにする。

 こういったことをしていくと休養日であっても、やることはたくさんある。




 そして大介はスプリングトレーニングが始まる前に、その場所であるフロリダ州ポートセントルーシーに向かう。

 この期間はもちろん球団もホテルを取っていないので、自腹である。

 なぜ先に来たかと言うと、バッテリー陣のキャンプは少し早めに始まるからだ。


 大介としてはこちらの一線級のピッチャーの球に目を慣らしたい。

 まあトレーニングに参加するならともかく、見物ぐらいはいいと許可が出た。

 さすがにその場合、ツインズは別行動である。

 しかし事前に調べてもらっていたが、メトロズのピッチャーは180cm以下の選手がいない。

 野手にしても一番小さくて175cmはあるので、大介が一番小さいことになる。

 もっともそれは事前に、メジャーリーガーの一覧などでも分かっていたことだが。

「フィートインチ表記とマイル表記がどうもしっくりこないな」

 大介にとってはその程度のものであったが。


 フロリダはこの季節であっても、既に昼の気温が20度を超えている。

 日本の沖縄でも似たような感覚にはなった。

 ただ日本と違って、地続きなのが違う。

 買ったばかりの車を運転し、親子四人で乗り込んだ。


 日焼けしたおっさんどもが闊歩する、この時期のフロリダ。

 おおよそ海岸沿いの場所に、スタジアムは存在する。

 IDを発行してもらって大介はスタジアムに入る。

「空が明るいな」

 野球をするための空気を感じる。

 バックネット裏の高いところから、大介は全容を見る。

 ピッチャーとキャッチャーはおおよそ30人ほどがいて、そのうちロースターに残るのは12~3人。

 まず大介は、自軍のピッチャーの能力を把握しなければいけない。


 実は現在メトロズには、一人日系人がいる。

 日系アメリカ人なので、特にもう東アジア系のアメリカ人としか言えないらしいが。

 日本語も喋れないので、大介としては同郷の縁も感じないだろうと思っている。

「なるほど」

 大介はまず、練習時間の短さに驚いた。

 午前中だけを調整して、あとは自由。

 それがアメリカ式のスタイルで、上に行きたいなら自分で何かをしろというものである。

 こういtったスタイルの違いが、能力以上に日本人の活躍できない原因となっているのかもしれない。




 大介はぼんやりと午前中は練習の様子を見て、午後は自分で勝手にトレーニングを始めた。

 もちろんトレーナーとは話した上であるが、付き添う通訳は呆れ顔である。

 日本人は勤勉で練習好き。

 メトロズにも過去に日本人は何人かいたが、やはりこいつも変わらないのか。

 それにしても運動量が多いが、さすがはショートということだ。

 もっともさすがに日本で残していたような、化け物のような数字は残せないだろうが。


 大介が考えていたのは、他の球団ならともかくメトロズには、直史は合わないだろうなということだ。

「どこもこんなもんですよ」

 そう言われてさらに、直史には忠告しておかないといけないな、と思う大介だ。

 とにかくMLBのピッチャーというのは、投げる数が少なすぎる。

 肩肘は消耗品と考えるらしいが、これが本当に合っているのかどうかは分からない。

 まだしも野手の方が、理解はしやすい。

 ただ投手と野手では、圧倒的に投手の方が、MLBで活躍した日本人は多い。


 織田に言われていたことを、大介は思い出す。

 MLBにおいては、ピッチャーとの勝負の間を、考えていかなければいけないと。

 五回か六回で、おおよそマウンドを降りることが多いMLBのピッチャー。

 つまりバッターとの対戦は、同じ投手とは一試合に二度程度のことが多い。

 またチーム数が倍以上もあるが、試合数にはそれほどの違いはない。

 それだけ一人のピッチャーと対戦する機会は少なくなる。


 早く対応することが肝心だ。

 シーズン中でも調子を落とせば、どんどんと入れ替わりがある。

 それはNPBでもそうだったが、MLBの場合はトレードを伴ったりもして、さらに対戦するピッチャーは多い。

 もちろん事前にピッチャーの情報は頭に入れておくが、NPBに比べれば実際に対戦して得られる情報が少なくなる。


 この当たり前の事実を知らされた時、初めて大介は思ったものだ。

 MLBでは下手をすれば、直史との対決が実現しないのではないか、と。

 日本と違ってMLBは、先発のローテを五人で回す。

 中四日がかなりある計算になるが、最近はリリーフ陣で回す日などを作って、基本は中五日にはなるようにしている。

 直史のピッチングスタイルは、おそらくNPBよりも、MLBの方にマッチしている。

 少ない球数で、しかもあまり力を入れすぎず、コンビネーションで打ち取っていく。

 100球以内で打ち取って、完投をする。

 今のMLBではトップのピッチャーでも、完投する回数など年に数度。

 最多勝のピッチャーが一度も完投しないということも、よくあるパターンなのだ。


 大介は実際の練習を目にしながらも、これほどモチベーションが上がらないとは思わなかった。

(レベルが違うとか、スケールが違うとか、そういう問題じゃないな、これは)

 同じ野球であっても、重視するところが全く違うのだ。

 価値観が違う人間の中で、プレイするということ。

 そちらの方がむしろ大変なのだろう。

「まあ、なんとかなるか」

 数日後に始まる野手も合流してのキャンプを前に、大介はいまいちノリきれない様子であった。



×××



 ※ 水島御大のご逝去に黙祷を。

   またヤンキース参加のマイナーに女性監督が誕生したとのことです。

   群雄伝投下しています。

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