第65話 ニューヨーク

 国際試合などでは良く感じることだが、周囲の人間がでかい。

 国際試合でなくても、アメリカ人は日本人よりでかい人間が多い。

 空港からニューヨークの都市部に向かうと、WBCで訪れた西海岸とは印象が違うな、と思えてくる。

 地中海性気候と温暖湿潤気候の違いであるが、あとはニューヨークの場合、新しい国であるアメリカの中でも、比較的古い街だということもあるだろう。


 まずはホテルに荷物を置いて、それから球団の担当者と会う。

 これは比較的あっさりめに終わり、翌日からの予定を告げられる。

 メディカルチェックを受けたあと、球団のGMをはじめとしたお偉いさんに会う。

 そして大介は交渉を待ちながら、ニューヨークを観光するというわけだ。

 交渉は数日をかけて、細かい部分までを決めていく。

 ただ大介の場合は、既にある程度の大枠は出来ているのだ。


 そんなに細かいところまで決めるのか、というのがMLBの契約である。

 逆に球団の方からも、大介に求めてくるものはある。

 有名なのだと大介ではないが、スプリングトレーニングまでに体重を減らして調整おく、などというものだ。

 大介は観光をしながらも、どうせならあの二人も連れてくるべきだったか、などと思うがそしたら子供の世話はどうするのか、という話になる。

 MLBではキャンプにも家族を連れてきていいらしい。

 もっともメジャー枠ならばといった話で、マイナーの選手は用意されたホテルも貧相なものになるそうな。

 これまでのMLB移籍した日本人選手は、記念受験的なものを除けば第一線級の選手が多いだけに、あまりそういった待遇は受けないようだが。


 大介の場合は当然、最初から40人枠の中には入っている。

 さらにその中から26人枠に入り、さらにスタメンにならなければいけないわけだ。

 こちらに来ている日本人メジャーリーガーも、オフには日本に帰っていることが多い。

 そして大介と同じくMLBに移籍する選手は、まだ下交渉がまとまっていない。

 こんなことならイリヤでもいてくれたらいいと思うのだが、彼女も年末までは日本に行っている。

 久しぶりにぼっち気分の大介である。


 そこで案内に、来年自分が試合をする球場に連れて行ってもらうように頼んだ。

 メトロズのフランチャイズであるシティスタジアムは、リーグ屈指の広さを誇り、ピッチャー有利の球場として知られている。

 風の影響もそこそこあって、それもホームランが出にくい原因の一つになっている。

 もっとも大介としても、ホームランの出にくい甲子園で散々に打ってきたのだ。

「左右非対称なのか」

 アメリカの球場としては珍しくもないが、ここもそうである。

 

 反対の方にも打てるが、基本は引っ張ることの方が多い大介にとっては、ありがたい部分もある。

 レフト方向に比べてライト方向の方が、やや狭いのだ。

 ただし右中間の奥行きは、左中間よりもわずかに広い。

 ライトのポール際に放り込んだら、一番打ちやすいであろう。

 収容人数は最大で45000人。

 今なら甲子園の方が観客数は多い。


 外野の観客席は段々になっていて、かなり高い位置にまである。

 場外ホームランを狙うなら、スコアボードの横を抜けていくボールを打たなければいけない。

 あるいはその高い場所にあるスタンドを、さらに上回る放物線を描く打球を打つか。

(場外までは飛ばせないかな)

 自分がその打席に立つイメージが湧いてくる大介である。




 交渉は順調に進んだ。

 根回しはやはり大切だ。それに大介の一年目はお試し価格という、二年目は強気の価格設定にはあちらも頷けるものがあったらしい。

 MLBにおいては選手側としては、長期の複数年契約を結びたがる選手が多い。

 だがこれによって不良債権化する選手も、また多いのだ。

 肉体を酷使するスポーツ選手というのは、故障して再起不能になることもある。

 その時のために大型契約を結びたがるというのも、選手側としては確かにあるだろう。

 だがフロント側からすると、そこまでの契約はリスクが高い。


 ただし球団にとっても、選手の年俸を計算出来るというメリットはある。

 より成績を伸ばして、契約の途中で新たな契約を結びなおすというオプトアウトというものもあるが、そこまでの大活躍をする選手は稀だ。

 大介のこの短期間の契約というのは、メトロズのフロントからすると、絶対的な自信の表れのように思える。

 二年目の金額は高いし、インセンティブもそれぞれ高いが、失敗したときにあっさり切れる契約というのはありがたい。

 そして怪我をしたときの二年目の契約の条件も、これはさすがにセーフティとして見ればいい。


 どこまでのコストとリスクを、球団側が考えるか。

 ただあまりにインセンティブが発生すると、それも年俸総額を押し上げてしまうのだが、さすがに想像以上の成績は残せないと考える球団の常識的な判断であった。

 それにしても、と球団本部の人間は考える。

 大介の体格で、どうしたらあれだけ飛ぶのか。

 スイングスピードは、基本的にはパワーである。

 確かに大介とそう変わらないスラッガーもいるが、それは身長での話。

 70kgそこそこしかない大介が、飛距離を出せるのがおかしい。

 もっとも体重が軽いからこそ、ショートという守備負荷の高いポジションを出来るのだろうが。


 交渉により三日間、大介が感じたのはつくづく、MLBのスター選手はVIPなのだなということである。

 もちろん大介は日本でもスーパースターであったが、高級外車に運転手付きというのは、初めての体験である。

 移動には野中がついてくることが多く、提供予定のマンションなども見せてくれた。

 これは偶然でもないのだが、イリヤがニューヨークでの拠点としているマンションというのも、すぐ近くに存在した。

 彼女は仕事場に住居部を設置して、そこで暮らしているのだが。


 大介はそこで、少し不思議に思っていたことを尋ねる。

 MLBはやたらと移籍が多いが、一人の選手を長くとどめておいた方が、ファンの人気は持続するのではないかと。

「確かにフランチャイズプレーヤーというのは、今でもいることはいる」

 野中は否定はしない。

「だがどんな選手でも晩年は衰え、年俸も見合わないようになる。すると放出されるのも無理はないし、ファンとしても次はどんな選手が来るのかとか、楽しみ方には色々あるんだ」

 なるほど、ファンの楽しみ方さえ違うのか。


 そこで野中は、大介に注意しておく。

「現在のメトロズはチーム再建中で、来年か再来年には優勝を目指していくチームになるだろうが、おそらくここにいられるのは七年前後だと思う」

 スーパースターが引退するときは、その年俸や名声を考えて、リーグでもトップクラスの人気チームに移籍することが多い。

 ただメトロズもニューヨークに本拠地があるだけに、資金力も豊富なある程度は人気のあるチームだ。

 メトロズでプレイした後、他の球団を一つほど経由して、また人気球団で引退、というのがスタープレーヤーのよくあるパターンだ。

 大介がチームに愛着があっても、なかなかそう一つのチームにいることが出来ないのが、現在のMLBと言えよう。

「じゃあラッキーズに次にFAで行くとか?」

「いやいやいや。レックスからタイタンズに行って、ファンが黙ってるわけないでしょ」

 そうかな、と大介はこれまで移籍していったライガースの人間が、だいたい幸せになっているのを知っている。


 そもあれこれで、アメリカでの話は終わった。

 次に来るのはスプリングトレーニングの時である。




 日本に戻った大介は、記者会見を開いてメトロズとの交渉に合意、入団が決定したことを発表した。

 一年目の600万ドルというのは、大介の実績から考えたら破格の安さだが、元々大介はインセンティブの鬼である。

 日本並の成績を収めれば、日本以上の高年俸となる。

 もちろん日本並の成績というのが、とんでもなく難しいことは確かなのだが。

 マスコミはここのところ失敗ばかりをしている。

 大介に対して厳しい質問は出来なかった。


 マンションの退去もしなければいけない。

 日本にはシーズンオフごとには戻ってくるだろうが、さすがに大阪にまでやってくることは少ないだろうし、いくら高額年俸でも賃貸料金はそれなりに高い。

 東京のマンションは日本での拠点とするので、荷物はそちらに持っていく。

 アメリカでの生活に必要な物は、大方はあちらで集めた方がいい。

 なおアメリカは生活まで大味なので、イリヤなどから日本から持っていった方がいい物なども聞いている。


 アメリカに向かうのは、来年の一月中旬。

 そこから本格的に体を作っていって、スプリングトレーニングに向かう。

 向こうに行ったら向こうに行ったで、書類の届けなどが必要になる。

 スポーツ選手ということで働くならば、ビザも特別なものになるのだ。

 もっともそのあたりのややこしいことは、ほとんど向こうの球団がやってくれるが。


 九年間も、ここにいたのだ。

 もちろんオフシーズンは関東に戻ったし、遠征で半分近くは他の場所に行った。

 だがそれでも、大介はここにいたのだ。

「引退の最後には必ずここに戻るって言ったけど、いきなり向こうで戦力外とか言われたら恥ずかしいな」

「大介君なら大丈夫だよ」

「私たちもついてるしね」

 同じ顔でニコニコと笑っている双子だが、大介はここ最近妊娠出産で大きくなった胸以外でも、なんとなく二人の見分けがつくようになってきた。

「まあ、なんとかなるか」

 三人でいれば大丈夫。ついでに赤ん坊が一人。

 愛車に乗り込んで三人は、甲子園を後にしたのであった。




 大介の日本におけるイメージというのは、かなり本人の実像とは離れたものである。

 高校時代の甲子園、場外ホームランに通算ホームラン記録更新。

 ワールドカップでは予告ホームランにMVP。

 プロに入ってからは毎年のように記録を更新し、通算記録はどんどんと過去の名選手に迫りつつある。

 九年間の間の、主な記録を見てみよう。


 レギュラーシーズン成績

 1524安打 575本塁打 1575打点 648盗塁 通算打率0.394 通算出塁率0.547 通算OPS1.495

 ポストシーズン成績

 85安打 30本塁打 64打点 34盗塁 通算打率0.574 通算出塁率0.682 通算OPS2.016


 え、何これ? 本当に人間? という声が聞こえてきそうである。

 特にポストシーズンの成績は、OPSが2を超えていて、普通に全打席出塁と同じぐらいの意味がある。

 上杉や直史によって、ポストシーズンの方が数字は悪くなっていると考えた人も多いだろう。

 だが実際にはポストシーズンの方が本気を出している。

 既にこの時点で、歴代の記録の多くを塗り替えている。


 そんな超人大介であるが、身内の中での立場はあまりよくない。

 再婚した母の家では、嫁が二人もいる男として、義理の姉妹からはかなり呆れられている。

 母の実家で祖母にはそれなりに対応してもらえたが、伯父一家も大介の女性関係に対しては好意的でないのは当たり前である。

 よって年末年始は、嫁の実家の方にやってきた。

 ここならばそれなりに放っておいてもらえるので、ありがたいものである。


 超人的なスポーツ選手も、その家庭においては普通の人間であることが多い。

 樋口のような日本各地に女がいるような男は、それほど多くはないのだ。

 人生を通算で見てみれば、むしろ大介は女性関係には潔癖に近い。

 そんな大介は大掃除の手伝いをしつつ、赤ん坊の面倒を見たりもしていた。

「なんか……うちの子、大きくないか?」

 大介の子供なのに、昇馬はかなり大きい気がする。

 この年齢の赤ん坊と言えば、数ヶ月の違いで大きさも変わるものだ。

 さすがに一歳ほど違う武史の息子には及ばないが、半年近く年齢差のある真琴より、昇馬の方が大きい気がする。

「生まれたときも大きかったからねえ」

「大介君のお父さんもお母さんもわりと大柄だったし、隔世遺伝かも」

 ツインズは平均とほぼ変わらないが、直史と武史も男性の平均よりはそれなりに大きい。


 身長のコンプレックスは、大介を長年悩ませていたものだ。

 息子がそれに悩まされないというなら、その方がいい。

 ただ、大介は知らなかった。

 己が自分の息子だけではなく、直史の娘である真琴からさえ、身長で抜かされてしまう未来を。

 どれだけ才能と金があっても、どうしようもないものはある。

 大介にとってのそれは、身長であるらしかった。




 年末年始は千葉のSBCにおいては自主トレを行った大介である。

 渡米までということで、昔なじみが色々とやってきた。

「まあアレクが既に行ってるから、白富東初のメジャーリーガーにはならなかったけどね」

 ジンはそんなことを言っていたが、そもそもアレクは高校生の時点で、野球傭兵のようなものだったと思う。

 西海岸なのであまり出会うこともないだろうが、試合になれば分からない。

 

「結局ガンはタイタンズ出ないんだな」

「一応先発ローテに入ってるからな。リリーフに回されるようなら考えるけど。だからFA権はそのままだ」

 岩崎もまた、国内のFA権は発生している。

 だが本多が抜けたことによって、先発ローテの一枚としては回される。

 リリーフを長年やってきたが、自分としては先発として働いた年の方が成績は良かった。

 それに統計的に見るなら、NPBでは先発投手の方が選手寿命は長い。

 もっともこれは先発をずっと回せた人間だからこそ、選手寿命も長くなったと言えなくもないのだが。


 岩崎、直史、大介、武史、鬼塚、孝司、哲平とあの夏を経験した中でここにいないのは、先輩選手と共に沖縄で自主キャンをしている淳ぐらいだ。

 白富東としてはアレクに続く第二号となるが、アレクもしっかり活躍しているようで何よりである。

 孝司などの世代からすると、悟なども誘ってもも良かったのだが、向こうが遠慮してきた。

 そんな遠慮などせず、色々なことを吸収すればいいと、この場では一人アマチュアのジンなどは思うのだが。


 白富東の成績はともかく、ジンが監督をする帝都姫路は、かなり戦力が整ってきている。

 直接の指導は禁止されているが、こういう場でジンがアドバイスを求めるのは、なんとかグレーの領分である。

「つーかここは設備はいいにしても、なんだかんだ寒いから、来年からハワイにでも拠点移さねえか?」

 大介はそんなことを言っているが、なんならどこかの国のウィンターリーグにもぐりこむという手段もあるのだ。

「お前、金銭感覚壊れてきてるぞ」

 直史の指摘に、難しい顔をする大介である。

「いや、お前は壊れてはないんだろうな。それだけの投資をして自分の体を鍛える余裕がある。俺たちはそこまで手が回らないんだな」

 うんうんと頷くのは、今年からライガースの正捕手となった孝司だ。

 契約更改で年俸はかなり増えたが、それでもまだ3000万円。

 プロの年俸は格差が大きくて、そしてそれが当たり前である。


 大介としては、自分は庶民派でいたいのだ。

 だがMLBに行くと球団側が、VIPとして選手を扱う。

 MLBにとって選手は商品なので、大切にするのは当たり前なのだ。

 ただし役に立たないとなったら、まさに物のように捨ててしまう。

「確かに金はな」

 うむむと腕を組んで悩む顔の大介。

 実際のところ彼の資産はツインズに運用されて、とんでもない金額になってきているのであった。


 そして数日後、まだスプリングトレーニングの開始まで、一ヶ月ほどあるその日、大介はアメリカに飛び立ったのであった。

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