第68話 隔離

 限度というものがある。

 監督やコーチ陣から呼ばれた大介は、クラブハウスの中で囲まれた。

「どうしてスコアボードを壊すんだ」

 ここで通訳が入ることで、ワンクッション置かれる。

 大介はへらへらと笑った。

「いや~、あれは壊したんじゃなくて壊れたんだ。もっと頑丈に作り直した方がいいな」

「それをそのまま伝えるんですか?」

「お願いします」

 頭痛を感じながらややマイルドに話した杉村だが、監督やコーチの顔が引きつるのを防ぐことは出来なかった。


 しばらく大介のシートバッティングは、完全にバッティングピッチャーがすることが決められた。

 場外レベルの当たりを何度もされては、プライドがズタズタになるというものだ。

 その程度で折れるなら、どうせ通用しないのではないかと思う。実際にライガース時代、大介のバッティングで心を折られた新人は多い。

 ただ、日本時代は既に、大介は別という基準があったのだ。

 このアメリカではまだ、そんなことはない。

 なので大介には打たれても仕方がないという認識が共有されるまでは、自チームのピッチャーは打つなと言われた。

 それでも紅白戦を開始すれば、またひどく打たれる選手は出てくるだろう。


 現在このキャンプに集まっているものは、既にレギュラーが確定している者もいるが、まだ実力は足りないながらもメジャーのレベルを体験させたいという者もいる。

 全ポジションで合計100人ほどいるが、どんどんとマイナーのキャンプに落としていって、最終的には40人にまでは絞る。

 その40人の中でもメジャーリーガーと言えるのは26人で、他はマイナーの試合に出ながら自分がメジャーに昇格するチャンスを待つ。

 ただし大介はそのバッティングだけで、もうスタメンを確保したと言っていいだろう。

 あとはショートのポジションを手に入れられるかが問題だ。


 ショートというポジションは、本当にMLBにおいては、ピッチャー以上の花形だ。

 ただそれはピッチャーというポジションの人気が、凋落していることもあるのであろう。

 かつては完投が当たり前だったピッチャーだが、実力の均衡により完投は難しくなった。

 今では六回まで投げたら上出来で、最多勝投手などでも一度の完投もないということさえある。

 このあたり日本はまだ、登板間隔を空けているため、完投数が多いほうなのだ。


 およそMLBは中四日か中五日、多くは現在中五日で先発を回している。

 完全に六人の先発をそろえて、中六日で投げさせている日本とは、基準が違う。

 リリーフ、特にセットアッパーとクローザーは日本よりも価値が高い。

 そしてよほどのことがない限り、球数は100球で厳密に制限されている。


 NPBでは中六日ということもあるが、130球前後を投げることもそれなりにあった。

 それでもNPBでも、先発の完投は減っていった。

 ただ直史のように、100球以内で完投をしてしまうピッチャーもいる。

 ……MLBにはもういないようだが。




 MLBの場合、キャンプの全体練習はおよそ午前中で終わってしまう。

 そこからもやる人間はいるし、やらない人間もいる。

 大介はだいたい、メトロズの戦力の基準は分かった。

 もちろんまだキャンプの始まったばかりの基準だが。

 既にかなり仕上げて、キャンプからのオープン戦で実戦感覚を取り戻す者もいる。

 おおよそバッターは、オフシーズンの間に目が速球についていかないようになって、そこの感覚を取り戻すのに時間がかかる。


 大介は自分の練習量が適切なのかどうか分からない。

 ただせっかくこんなぬくい場所に来て、青空の下でプレイをしないというのは間違っていると思う。

「スタジアムと練習相手ですか」

 杉村は大介の要望に、やる気のある人だなとは思った。

「確かにマイナーや大学のチームも、この時期に練習はしていますけど」

「シートバッティングやバッピのボールだけだと、どうしても変化球打ちがな。まあうちの嫁に投げてもらってもいいんだけど」

「野球経験があるんですね」

「大学までは男に混じってレギュラー取ってた」

 そこまでは知らなかった杉村である。


 杉村は色々と手配してくれたが、ピッチャーならともかくバッターは難しいらしい。

 なにしろピッチャーならば、すごいボールを打つ練習にはなる。

 だがバッターを抑える練習と言うのは、基本的にデータを元にして、その通りに投げるというのが情報戦だ。

 単純に凄いバッターと対戦しても、それだけでピッチャーが何かを得られることはない。

 そんなことはないだろうと大介は考えるのだが、ピッチャーの心を折るような練習をしてもらったら困るのだ。

 ただしグラウンドと、ボールなどの手配はしてくれた。

 ついでに球拾い要員もその辺の高校生などを見つけてきてくれて、ありがたものである。




 マウンドに女が立ち、それを打つのも6フィートはないバッター。

 ハイスクールの生徒のお遊びにして、球拾いの給料を出すのは変わっている。

 そう思ってなんとなく見ていただけのアルバイトは、大介の打球がほとんどライナーで、フェンスを越えてネットに突き刺さるのを見た。

 それがいくつも続いたが、外野から見ても明らかに変化球も投げている。

 普通にアジャストして、ライナーでネットにまで運んでいる。

 女の球だから、とは言っても逆に遅い球は、反発力がないので飛距離を出すのは難しい。

 なんだこのジャパニーズは、というのが感想であった。


 杉村もまた驚いていた。

(速いな)

 スピードガンなど持っていないが、80マイルぐらいは出ているのではないか。

 そしてコースも球種も、完全にサインなしで投げてきている。

 それをことごとくミートして、フェンスの向こうに叩き込んでいるのだ。


 30球ほどを投げて一度休憩。

 バイトの学生たちにもドリンクを渡し、傾向を考える。

 桜の投げたボールの中で、やはり一番飛距離を出せなかったのは、緩急のために使ったシンカーやカーブだ。

 それを話し合っていると、目の色を変えた学生たちが、色々と話しかけてくる。

「なんだって?」

「MLBのキャンプに来てる招待選手かって言われてますね」

「あ~、契約してるってことはもう、俺はメジャーでいいのかな?」

「厳密にはまだ試合には一度も出てないですけど、メジャー契約はしてますからね」

「そのあたりも説明してあげて」

 杉村との会話を、ぼんやりと聞き流す。

 日本のプロというあたりは聞こえたので、OH!という声も聞こえたりした。


 MLBのシーズンは日本と変わらず、また完全なオフシーズン自体はむしろ日本よりも長い。

 夏休みが三ヶ月ある国は違うな、と思ったものだが実際の試合日程を見ていると、また違った感想も出てくる。

 NPBはなんだかんだいって移動距離は短く、特に関東の球団などは普通に日帰りで試合をする。

 パはそれほどでもないだろうが、セはシーズン中であっても、かなり家庭での時間が作れるのだ。


 MLBは確かにこれまた、ある程度東海岸と西海岸にチームはそろっている。

 だがそれでも距離は全く日本とはスケールが違い、敵地の応援に行くのは難しい。

 家族との時間を増やすためには、シーズンオフを多くする必要がある。

 そのあたりが短めのキャンプに関係しているのでは、と大介は思った。


「白石さん、今度のWBCにも出るのかって聞かれてます」

「あ~、本当なら俺も出るはずだったんだけどなあ」

 こちらに来てから大介は、さすがに身の回りの支度で手一杯である。

 シーズンも始まってさえいないこの時期に、何か気になることなどはない。

 だがWBCに関しては大介も出場するつもりだったのだ。


 直史と同じチームになる、おそらく最後の機会だったろう。

 そう思うとやはり、あと一年日本にいれば、と思わないでもない。

 ただ直史がわざわざWBCに出場するのかとも思うが、自分のためではなく瑞希の取材のために、代表になることを考えるかもしれない。


 WBCにも出る予定だったが、FAになって今年で一年目と答えたら、また反応が返ってきたのだが、その中の一人がスマホで調べ始める。

 まあ普通に大介に関する記事が出てきて、驚いたりするわけだが。

 四割70本。

 いくらリーグのレベルに差があっても、頭のおかしい数字である。

「なんだかアドバイスしてくれって言ってますよ」

「へえ、野球やってんのか。別にいいけど、こっちはプロアマ規定ってないんだな」

 バットを渡して素振りをさせるが、やはりその重さに驚いたりしている。

 ちゃんとコントロールできるなら、重くて長いバットはいいのだが。

 大介の場合は材質が頑丈なので、やや細めにしているから、余計に重心がヘッドの方に入るのだろう。


 フライボール革命以降、確かにホームランの数は増えた。

 そしてそれがOPSの指標などでは、より勝利に貢献するのだと分析されている。

 だが大介は、ミートも忘れない。

 日本時代からスラッガーの割には、三振率が非常に低かったのだ。

 大介に影響されたのか、西郷なども三振は少なかったが、あれは大学時代に直史で変化球への対応力を磨いたからだろう。




 休憩が終わって、またフリーバッティングを始める。

 だが今度は、右にグラブをはめて左手で投げる。

(あれ? 服装は変わってないが……)

 杉村は桜と椿が入れ替わっていないことを確認した。

 それにさっきキャッチャーをしていた方も、左にミットをはめていたはずだ。

 つまり彼女は、両方の手で投げられるということなのか。

 そして実際に、左でもコントロールはしてくる。


 大介はその中で首を傾げると、右の打席に入ったりもした。

 そして大きな打球を打って、柵を越えていく。

 スイッチバッター。

 いや確かにそうだ、と過去のデータでは右打席で打っていた記録がある。

 さすがにMLBではスイッチしないとは思うが、右打席でもポコポコと打っていく。


 この人は、明らかに異常だ。

 杉村は確かに、大介は優れた選手なのだとは思う。

 だが優れているという言葉以上に、もっと適切な言葉があるだろう。

 そう、異常である。規格外である。

(日本人選手は確かに、これまでにもMLBに新たな風を吹き込んできたけど)

 大介の場合は風ではなく嵐になりそうであった。




 期待通りとか期待以上とかいう話ではない。

 あれはもう、非常識だ。

 それがメトロズ首脳陣の見解である。


 メディカルチェックはかなり厳密に行い、禁止薬物などでのドーピングもないとはっきりしている。

 そもそもビデオで解析してみれば、大介のやっていることは単純なパワーではなく、技術があってようやく可能になることだと分かるのだ。

 ピッチャーのボールをミートする瞬間のタッチ。

 それがあそこまでの飛距離を生み出す理由だ。


 ただ、体全体の筋肉を上手く連動させているのも確かだ。

 日本時代には明らかなボール球でも、それがボール一個程度であれば打ち、下手をしなくても高めならホームランにしている。

「一番それと分かりにくいのは、眼球の筋肉の収縮を助けるドーピングだったか」

「確かに白石のバッティングは異常だが、それ以外も見れば明らかに、あれは突然変異だよ」

「ミオスタチン肥大のようなものか?」

「それかどうかは分からないが、白石の反射速度が異常なことは確かだ」

 メトロズに対して送られてきた、大介に対する様々なデータ。

 その中で一つ明らかなのが、反射神経に関するものだ。


 MLBのトップ選手の、反射速度の平均。

 それは0.18秒となっている。

 MLBの平均にすると、0.20秒ぐらいか。

 それが大介の場合は0.14秒ほどであるのだ。


 これがどういうことかと言うと、単純に大介はぎりぎりまでボールを見て、そのくせ他のバッターよりも始動が早いということになる。

 またこれは別にバッティングだけではなく、走塁や守備にも影響している。

「最初はもう少し筋肉を増量するように言うつもりだったが……」

「おそらく必要ないでしょう。ドクターやトレーナーもそう言っています」

 諦めたように、バッティングコーチは言った。

「このデータは人間のものではない、と」

 ついに科学的に、人間ではないと言われてしまった大介である。




 既に高校時代に、セイバーは遺伝子レベルで筋肉の質などを調べている。

 そこで明らかになったのは、大介は瞬発力はおそらく父親から、そしてスタミナや耐久力は母親から遺伝しているというものだ。

 大介の母親は、特にスポーツで活躍したわけではないが、タフな看護師である。

 体力が生まれつき優れていたということなのだろう。


 また父親は同じくプロ野球の選手であった。

 才能はあったが事故により選手生命は絶たれている。

 今ではどうにか治療できたかもしれないが、当時としては不可能なことだった。

 この掛け合わせで、大介というモンスターが誕生した。

 体のボディバランスなどを見ても、たとえば体操競技などをやらせたら、やはり金メダルが取れるであろう身体能力だ。

 ただ体格がものを言う種目では、体重別でないと勝てないだろう。


 この反射神経と瞬発力を考えれば、たとえばボクシングなどをやらせたら、世界に手が届いたのかもしれない。

 ただどうやってもさすがに、NBAでは通用しなかっただろう。

「野球の世界に来てくれてありがとう、といったところか」

「それこそメトロズに来てくれてありがとうというところだな」

 苦笑しながらも、深刻にため息を吐く。


 大介はつまるところ、ナチュラルな素材が既にドーピングレベルなのだ。

 ただし生まれつきの肉体的な才能を言うならば、巨体の選手はそれだけで才能となる。

 そんなフィジカルモンスターに対して、大介の持っているのは、スピードとテクニック。

 そしてスタミナだ。


 MLBの長いシーズンは、NPBよりもはるかにハードな日程の162試合。

 その中で大介が耐久力が持つのか、心配はしていた。

 だがマネージャーなどの話を聞いていても、大介は良く食べて良く眠っている。

 そのパワーを維持するための、内蔵などの吸収機能も優れているのだ。

「紅白戦は、ホーム側に入れていいですね?」

「当然だ。ビジター側に入れてホームランを量産されては、投手陣がスランプに陥りかねない」

「何と言うか……確かに国際大会では人間離れしていましたが、日本にいてくれたままの方が、安心できたと言いますか」


 大介の契約は二年だ。

 もちろんメトロズからその延長を言い出すことは出来るが、他のチームがさらにいい条件を出してきたらどうなるのか。

 気の早いこととは分かっているが、他のチームに行った大介とは戦いたくない。

「まあ遺伝子的なことはともかく、テクニックでは弱点もあるでしょう。……四割打者などというのは、日本ででも今では彼以外に存在していないそうですが」

 またもため息が洩れる。


 白石大介。その見た目によらない、巨大な才能を持った存在。

 それはこの世界で最も大きなマーケットで、派手に暴れてくれそうである。

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