第56話 家族計画

 あまりにも開き直った記者会見という名の披露宴が終わり、マスコミの動きは鈍ったのは間違いない。

 ただこれで全てが終わるというものではないだろう。

 世の中にはただ幸福であるというだけで、それを憎む人間は多くいるものだ。

 ましてそこに少しでも叩ける要素があるなら、しつこく叩き続ける。

 なんとも非生産的なことであるが、これも人間の持つ業というものであるのかもしれない。


 周知されている関西のマンションから、大介一家三人は、東京へと避難してきていた。

 こちらの方がマスコミの数は多いが、マンションのセキュリティは芸能人などが多く居住しているため高く、何よりあまり知られていない。

 パソコンやスマホでネットのSNSなどの反応を見ている限り、大介たちを叩いている数は、会見前よりだいぶ減ったと思う。

 だが、もちろん0になっているわけではない。


 強烈な歪んだフェミニズムの持ち主が、ツインズのことをひどく誹謗中傷していたりしている。

 また全く名前の出ない匿名のBBSなどでは殺害を示唆するようなものまである。

 大介とツインズは問題ない。自分の身を守ることは出来る。

 問題はまだ赤ん坊の昇馬である。

 会見などで子供への悪影響などと言っていたが、それはあまり深刻には考えていない。

 どうせあと何人かは子供は作るつもりで、そうなれば兄弟で助け合っていけばいいのだから。


 ただ、突発的な暴力に関しては、やはり危険はあるだろう。

 また法律的な問題なども、色々と議論されている。

 事実上の一夫多妻は、当事者たちが問題にしなければ、成立してしまうのか。

 実のところこれは、社会通念上問題がある、などと判断される可能性はある。

 ただ逆に離婚して、自由恋愛としてしまえば、問題がなくなる。


「アメリカに来なさい」

 話の流れで一緒にいるイリヤがそう提案した。

 ちなみに脚本を書いた瑞希に直史、セイバーなどもやってきている。

 セイバーは他球団のフロント陣が接触しているということで、ちょっと危険な感じでもあるのだが。

「東京もそれなりにいいけど、ニューヨークの方がもっと過ごしやすいと思うわよ。あそこは本当に、人間をほうっておいてくれる街だから」

「メジャーかよ」

 大介としては、正直面倒くさい。

 確かにNPBの世界のピッチャーは、大方打ち砕いてしまった。

 まだこれから下から上がってくる者もいるだろうし、それとの対決を楽しむことも考えられる。

「でも来年は上杉選手がいませんし、再来年も復帰出来ているかは分かりませんね」

 色々とデータに目を通し、パソコンのキーを叩きながら、セイバーはそう言った。


 大介は考え込む。

 このいちいち派手な成績を残すスラッガーは、本質的には保守なのだ。

 国際戦でアメリカ相手にもキューバ相手にもプエルトリコにも、個人としては負けたことがないので挑むという意識がない。

 MLBの年俸は確かに魅力的であるが、それだけのために住み慣れた日本を離れるのも、いささかならず抵抗がある。

 だが、世界でまだ大介の対決していない高レベルピッチャーがいるのは、それこそMLBしかない。

「しゃーねーな。海外FAだ」

 案外決断の早い大介であった。


 大介の視線を受けて、ツインズはこくこくと頷く。

「もちろん一緒」

「もちのろん」

 慣れない環境で子供を育てるのは大変だと思うが、この二人は基本的な英会話は通じる。

 むしろ一方に通訳をしてもらわないと、大介の方が困る。

「問題は年俸になってくるわね」

 セイバーが色々と調べていたのは、その点であった。

「セイバーさん、俺も来年行くことになるんで、そっちもお願いします」

 直史の言葉に驚いた大介であるが、そういえばと約束していたことを思い出した。


 大介がMLBに行った場合、その翌年にはMLBに来ること。

 契約にポスティング関連で一筆入れたため、契約金を安くしたと言っていた。

「悪いな」

「約束は約束だ」

 弁護士は口約束でも、契約は守るのである。

「佐藤君はプロ入り前に行ったアナハイムを候補にしておくわ。でも白石君は……」

「ニューヨークのどちらかでいいでしょう?」

 イリヤはそう言ってくるのだが、セイバーとしては微妙なところなのだ。

「ニューヨークの二つか、少し離れてるけどフィラデルフィアか……」

 少しとは言うが、130kmほど距離は離れている。

「ニューヨークで何か問題があるの?」

「ラグジュアリータックスとペイロールの問題がね。そもそも白石君の年俸が既に大きすぎるのが問題なんだけど」

「それなら私がオーナー権を買ってもいいけど?」

 イリヤがまた無茶を言う。




 現在MLBの選手の年俸は、やや横ばいながらも上がり続けてはいる。

 最高の選手で一年換算4500万ドルほどだ。

 ポスティングではなく海外FA権での移籍となると、これだけの好成績選手が移籍する初めての例となる。

「ああ、そういえば私はアナハイム以外の球団との交渉に直接乗り出すことは出来ないから、エージェントを紹介しますね」

 ただそうやってFAとして出た場合、どういった契約を取れるだろうか。


 現在の大介の年俸は、インセンティブをつけると14億を超える。

 MLBにはこの金額を超える選手が50人以上は軽くいるが、海外からのFA移籍でこれだけの年俸を持っていた選手はいない。

 それもぴちぴちの27歳で、実績はまさに神と呼んでもいいものだ。

 現在のMLBから見た日本のリーグは、3Aよりもメジャーに近い、4Aとでもいうレベルのものだ。

 そこで三冠王を毎年取っている選手を獲得する。

 それなりの資金を用意しないといけない。

 しかし日本人投手と違い野手では、そこまでの年俸で契約した者はいない。

「年俸は低くてもいいから、インセンティブで同じぐらいの金額に出来ねえの?」

 大介はプロ二年目、歴代最高額の一億500万の年俸でサインした。

 だがインセンティブが多く設定してあり、それが年俸を上回ってしまった。

「MLBはサラリーキャップはないけど、似たようなものはあるから、なかなか白石君に見合ったインセンティブを付けられるか……」

「だから私がオーナーに加わるって」

 簡単そうに言うイリヤに、ため息をつくセイバーである。

 彼女にとってどうしても理解できないのが、イリヤの持つ影響力だ。


 セイバーが先ほどからぽちぽちと調べていたのは、MLB球団の総額年俸である。

 大介の場合は年齢的にも普通にMLBでFA扱いになることが出来る。普通なら複数年契約だ。

 ならば普通は選手からしたら嫌な、単年での契約でいいのか。

 一年だけなら、上手くやれば獲得出来るかもしれない。

「先に動いてもらうわ。MLBもストーブリーグに入っているし、ニューヨークのどちらかの球団か、フィラデルフィアに入れるように。たぶんニューヨークの弱いほうになると思うけど」

 そうは言うがセイバーは、もう何年も前から動いていたのだ。

 ただMLBのチーム構想は、毎年大きく変わる。

 ニューヨークかフィラデルフィア、あるいはボストン。

 ツインズがついていくからには、そのあたりの球団にしないといけないだろう。


 MLBはNPBとはスケールが違う。

 レベルが違うのではなく、スケールが違うのだ。

 年俸の額に、その長期契約。

 また年間では160試合以上をレギュラーシーズンで戦い、移動にチャーターした飛行機を使うため、とんでもない距離を移動する。

 そして連戦も10連戦20連戦などといったことが珍しくない。

 日本のプロ野球も年間143試合を行うタフネスが要求されるが、MLBはさらにそれを上回るものなのだ。


 だが、これで一つの区切りがついた。

 セイバーの考えていたことが、これでまた一つ達成される。

 ロードマップはまだまだ途中。

 しかし確実に、大きな一歩を踏み出した。

「あ、海外FAを私が斡旋していることとか、言ったらダメよ?」

「分かってますって」

 ライガースに九年いた。

 高校時代からの思い入れを含めれば、大介の魂は12年間、甲子園に囚われていたことになる。

 共に戦ったチームメイトとも別れることになる。

 だが、海の向こうには、まだ見ぬ強力なピッチャーがいるはずなのだ。


 大介の28歳のシーズンは、海の向こうで始まる。




 大介はもちろん渦中の人間であったが、ライガースはとにかく球団としては沈黙を貫いた。

 三人はあくまで個人としての立場を貫いたが、ライガースは社会的に知られた大企業をオーナーとする人気球団である。

 いくら世間の雰囲気が大介を許容する流れになってきても、会社としてはそれを認めるわけにはいかない。

 確かに世間的に地位や財産のある人間は、愛人を抱えていたりすることは珍しくない。

 だがそれを公表してしまうのとは話は別だ。


 本人のスタンスは分かったが、球団としてはどうするか。

 あくまでも恋愛関係は個人の問題である。

 そもそも球団経営に携わるレベルの人間だと、やはり愛人を囲っている人間などがいたりする。

 ただ大介のイメージをそのまま利用するのは難しい。

 企業や球団の経営者には人格は求められない。

 だが顔の出るスポーツ選手は、能力とは別に人格も、人気商売なので必要になってくる。


 大介のおかげでライガースもその親会社も、圧倒的な利益を得てきた。

 それがこの先も続くのか、まだすぐには分からないところである。

 ライガースはなんらかの処分をしないのか。

 そういうことを声高に叫ぶ、ノイジーマイノリティは確かに存在する。


 そしてこのスクープが、この時期に報道されてしまったのが致命的である。

 このタイミングと言うべきか。契約更改の前の時期だ。

 そして大介は、FA権を持っている。国内ではなく、海外FA権だ。

 ライガースが大介に対し、なんらかの処分や罰金を課そうとしても、ならばライガースから出てしまうという選択肢がある。

 ただ何も言わないのも、問題になるかもしれない。


「せめて去年だったらな……」

 誰かがぽつりと呟いた。


 大介は去年までなら、ポスティングで海外移籍という手段が使えた。

 球団に与えた迷惑などでやや年俸を落とすか、それが嫌ならポスティングでもしてくれという選択があったのだ。

 ポスティングをしていれば、球団は大介を売ることが出来た。

 しかし今年は既にFA権を獲得してしまっている。

 大介はどこにいようと自由だ。


 あの記者会見の影響もあり、大介のイメージはさほど落ちていないとも思える。

 ならば球団も完全に大介を擁護し、残留を決めてもらうのか。

 もっとも大介がこの騒動で、普通にFA権を行使すると決めたなら、止めることも出来ないだろう。

 頭のおかしな連中の、殺害予告は冗談っぽくも本気っぽくも、色々と出ているのは確かだ。


 まずは大介の意思を確認しなければいけない。

 それを託されてしまった金剛寺は、貧乏くじといえよう。




 避難していろと正式に言われていた大介が、関西ではなく実家でもなく、東京にいるのは金剛寺も初めて知らされた。

 そもそも今回のスクープは、どこから情報が洩れたのか、まだ分かっていないのだ。

 ただ大介の家はハウスキーパーやベビーシッターを使っていたこともあるし、またもっと言うなら役所の婚姻届から洩れた可能性さえある。

 どれだけ個人情報と言っても、完全に機械化がされているわけではないのだ。

 また身内にしても、全てを明らかにしないまでも、少しずつ情報が洩れていれば、それをつなげていたかもしれない。

 そんなわけで金剛寺は、初めて知らされた大介の東京の拠点にやってきた。

 たった一人で、尾行に気をつけながら。


 こちらもセキュリティのしっかりとしたマンションで、ソファに座った金剛寺は大介と向き合う。

 赤ん坊の甘ったるい匂いがして、本当にこいつも父親なんだな、と感慨深い思いになったりもした。

「球団としてはどういう対応をするんすか?」

「それがまだ決められなくてな。冗談なんだか本気なんだか、殺害予告まであったりするだろ」

 大介はあのスクープ以来、披露宴以外はほぼ人前に姿を現すことはなかった。

 そして関西のマンションには戻らず、東京に滞在している。


 金剛寺としては、大介の人気や人格などから、意外とそう大変なことにはならないのでは、とも思っている。

 だが球団がどういう処分をするかも、考えなくてはいけない。

「オジキ、俺、アメリカ行きますよ」

 だから大介のこの大前提があれば、そこから球団の方針も立てられるというわけだ。

「そうか」

 金剛寺はそう反応したが、実際にどう動けばいいのかは、現場のすることではない。


 大介はFAで海外に移籍する。

 元から大介に目をつけているメジャーの球団は、いくらでもいたのだ。

 それこそ三年目あたりから、将来的にメジャーでやるつもりはないのかと。

 ライガースからは柳本がかつて渡米しているため、そういったルートもある。

 ただしエージェントなどは、さすがにライガースが探すものではない。


「具体的にどこに行くとかは、さすがにまだ決まってないよな」

「だって宣言する前に交渉したらダメなんでしょ? まあエージェントには連絡取ってますけど」

「ほう、誰だ?」

「ドン野中さんです」

「またあの人か」

 日本人選手がメジャー挑戦となると、かなりの割合で名前が出てくるのがドン野中だ。

 金剛寺は遅咲きであったためメジャー挑戦を考えることもなかったが、他にも知っている人間が彼の差配でMLBに渡っている。

「じゃあ、こちらはそれを念頭に入れた上で、対応を考えるしかにな」

「うす。お騒がせしました」

「まあお前があそこまで開き直った人間だとは、さすがに俺も思っていなかったけどな」

 金剛寺の言葉に、やはり苦笑いの大介である。




 大介がライガースを去ることは決まった。

 球団としても大介をこのまま、残しておくリスクはあると思っていた。

 なので残るにしても去るにしても、そこをどう演出するかが問題だったのだ。

 大介の去就がしっかりと決まれば、球団も一番イメージを損なわない方向で調整してみる。


 主な話題はそれで終わったが、他にも話題はある。

「しかし、どこから洩れたんだ? 三年ほどは洩れていなかったようだし」

「まあどこからかなんて、今さら犯人探しをしても、仕方がないですけどね」

 こういうさっぱりとしたところは、やはり大介らしいのだ。


 ただ、金剛寺にお茶を出したりしたツインズは、ある程度のめぼしはつけていた。

 だが状況をこのように、むしろ望ましい発表とさせたことで、報復するかどうかは決めかねている。

 これは貸しにしておくべきだろう。

 たとえ確かな犯人と分かっても、今はそれで脅すようなことはしたくない。


 三人の関係性に気づきやすく、傍証を揃えることが出来、そしてさほどの見返りもなく、一つの新聞にだけ情報を提供する。

 そのやり口を見ていれば、だいたいは分かるというものだ。

 しかし分かっていてもなお、完全に敵にするのは惜しいというのが、二人の共通認識であった。

 万一にも間違っていたら、逆に大変なことになる。


 FA宣言まで、あと数日。

 今年のシーズンオフは、大きな騒動がまだまだ待ち構えていそうである。

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