第36話 至る

 残り二試合。

 大介のホームラン数は、69本のまま残り二試合である。

 余裕で超えるどころか、世界記録さえ上回るのではと言われていた。

 だが実際のところはこのような結果である。


 単純な力任せの勝負なら、ここから四打席連続ホームランでも打ってしまいそうな力を持つ大介。

 だが意外と言ってはなんだろうが、大介が一試合に複数のホームランを打つ確率はかなり低い。

 固め打ちではなく、ほどよくバラけて打っているのが、これまでの大介だ。

 それでも一試合に三本を打ったことはあるが、それも一度だけ。

 二度も打てば三打席以降は全て勝負を避けられるのも当然である。


 これは逆に言えば大介は、スランプらしいスランプがなく、あってもその期間が短いことを示す。

 三連戦の二戦目、レックスの先発は佐竹。

 これまでもしっかりと、大介にホームランを打たれている。

 基本的に樋口は、大介相手でも安易に逃げることはしない。

 ホームランを打たれても傷口が広がらない状況でしか、勝負をしないようにしているのだ。

 その樋口の方針は、他のチームもおおよそしている。

 よってホームラン数の割には、大介の打点はやや低い傾向にあるのだ。


 レックスはライガースに弱いが、それでも大介にホームランを打たれている数は、一番少ない。

 ただ、そういった事前のデータは全てフラグだったのかもしれない。

 一回の表、ツーアウトから佐竹の投げたスライダーを、大介はライトスタンドに持っていった。

 いつ出るか、本当に出るか、と思われていた70号は、かなりあっさりと達成されてしまったのであった。


 前人未到。ついにたどりついてしまった。

 そもそも大介は年間本塁打記録の、上位五位までを独占している。

 この年も加えて、六位までを大介が占めることとなる。

 10位まで広げても、8シーズンを大介。

 怪我で25試合を欠場したものを含めてさえ、常に50本以上。

 大介は今年が九年目の高卒選手。

 まだ27歳であるのだ。




 試合が一時中断され、地元開催でもないのに、おめでとうの横断幕が飾られる。そして花束を贈呈される。

 ずっとマウンドにいなければいけない佐竹は悲惨であるが。

 記録更新というが、その記録がそもそも、大介のものなのだ。

 しかしシーズン最多記録を超えた時にもあったが、こういうことは何度あっても嬉しいものである。

 この記録はおそらく、日本のプロ野球界が劇的な変化を遂げない限り、更新されることはないだろう。

 かつてのレギュラーシーズン試合数であった130試合の時点でも、大介の今年のホームランは67本。

 ここのところ三振も多く、やや不調ではあったと言えるだろう。

 それでも11試合で三本のホームランを打っていれば、充分に強打者だ。


 ベンチに戻ってきた大介は、チームメイトや首脳陣とさえハイタッチをしていく。

 本当に何度も、こいつは人間なのかと驚かされるベンチの者たち。

 この大介を封じるピッチャーまでがいる時点で、現在のNPBは人外魔境なのだろう。


 マウンドの佐竹は、さすがにしばし呆然としていた。

 膝元に食い込むスライダーは、自分でもキレがあると思ったのだ。

 だがマウンドのすぐ傍に、いつの間にか樋口が立っている。

「なかなかおいしい役どころだな」

「……70号ホームランが話題になるたびに、この映像が流れるのか……」

 樋口はそれ以上何も言わず、ただ傍に立っている。

 試合がここで、一時中断したのも良かったのかもしれない。

 佐竹がここからどう立て直すかは、かなりの見ものであろう。

 今年で国内FA権が発生する佐竹は、複数年契約をしていない。

 レックスは珍しくも右の主力投手が薄いので、絶対に必要なピッチャーだと樋口も思うのだが、詳しいことまでは聞いていないのだ。

 そんな佐竹なので、今年の成績がFAを宣言したら、注目されるのは当たり前のことである。




 立ち直った佐竹は、この一点だけでまたしばらく試合は続いていく、

 樋口としても佐竹に、この悪いイメージを抱いたまま、プレイオフに向かってほしくはない。

 意外といってはなんだが、佐竹はクライマックスシリーズに進むことや、日本シリーズに進むことに、人一倍執着している。

 樋口の見る限りにおいて、その理由はおそらく、高校野球での挫折になるのだろう。


 挫折というほどのものでもないと思うが、佐竹は甲子園に出場していない。

 卒業後には母校が初出場したのは知っている。

 チームを強くしていったのは自分だが、その果実を得られたのは後輩たち。

 そういう考えが、佐竹の試合でのモチベーションになっている。


 プロに来ればかなりあることなのだが、甲子園の思い出、という共通の話題がある。

 野球ばかりをしてきてプロになっているのだから、どうしても共通の思い出というのが、甲子園になったりはするのだ。

 大学野球における神宮などと比べても、甲子園を経験しているかどうかで、マウント合戦に近いようなものが発生する。

 ただこれは、甲子園に出場したかどうか、出場したとしてどこまで勝ち進んだか、ホームランを打ったかなどで、色々と話題の取っ掛かりになるのは確かなのだ。

 そして甲子園に行ってなくても、甲子園に行ってないのにプロに来れた俺はすごい、という逆マウントを取ることも出来たりする。


 ちなみにこのマウントをさせると、甲子園に五回全て出場した樋口は、ヒエラルキーのかなり上の方にいる。

 なんと言っても自らの逆転サヨナラホームランで、優勝を決めたのだから。

 ただ武史には負ける。

 出場五回は樋口も同じであるが、そのうちの四回が優勝。残る一つも準優勝。

 エースとして決勝を投げたこともあるし、四番としてホームランを打ったこともある。

 

 ライガースの選手は本拠地が甲子園であるので、甲子園の思い出は現在進行形で発生する。

 しかし高校野球とプロ野球では、やはり球場の使い方が違う。

 高校時代は試合をせかされていたよな、という思い出話が発生するのだ。

 ちなみに大介と真田の場合、仲がいいのか悪いのか、けっこう微妙なところである。

 大介に、甲子園史上唯一の場外ホームランを打たれたのが、一年の夏の真田であった。

 また大介の所属していた白富東に負けたことで、真田は優勝を四回は逃がしている。


 出場回数は、実は大介は四回なので、そこそこ負けていたりする。

 三年の春夏は連覇したが、そこまでは惜しいところで負けていたのだ。

 一年の夏は、出場すらしていない。

 それなのに甲子園での歴代ホームラン記録をぶっちぎりで持っていることが、あらゆるマウントを不可能にさせる。


 このマウント合戦は、大介に勝てるとしたら、上杉、直史、武史あたりになるのだろうか。

 真田は三大会連続準優勝などという珍妙な記録を残しているが、上杉は四大会連続だ。

 三年の夏などは、球数制限さえなければ、勝っていただろうと言われている。

 悲運のエースは、甲子園によく似合う。

 そういう点では、直史と武史の二人に、同じ時代で当たってしまった真田も、かなり悲運のエースになるのであろうが。




 試合自体は、レックスの勝利に終わった。

 だが大介は70本目のホームランを打った。

 そしてこの数試合で下がりつつあった打率も、また上がっている。

 ただ、現在は0.400であり、おそらく打率の更新は出来ない。

 しかし四割70本という数字は、それだけでもインパクトはあるだろう。


 どちらか片方なら、出来る人間は今後出てくる可能性が、無きにしも非ずと言っても間違いではないのではなかろうかと考える人がいてもおかしくない。

 だが両方は不可能だ。

 シーズンの序盤などは、200打点に届くのではなどとも言われていたが、結局ランナーのいるところでは、ことごとく勝負を避けられてきた。

 それでも167打点というのだから、数字がバグっていると言われても仕方がない。


 歩かされた数は、179回。

 これもまた己の記録を更新している。

 おそらくこのあたりが、野球というスポーツにおけるバッターの、記録の限界なのであろう。

 これ以上を打つならば、さらに敬遠が増えてくる。

 そして打率は上がっても、ホームランや打点は減ってしまう。

 フォアボールのペナルティが単に出塁である限り、これは永遠の問題になるのかもしれない。


 試合後、大介は取材陣に囲まれることになるが、今日は負け試合なのである。

 それに最終戦で、さらにまたホームランが出てくる可能性もある。

 全ては明日が終わってからだ。

 雨天順延の日程ではあったが、それでも数日は余裕がある。

 その間に記者会見などは行うと、試合中に金剛寺たちと話していた大介である。

 そんなことをしているから、肝心の試合に負けるのだ。

 これに負けたことによって、レックスの歴代最高勝率の記録は達成された。

 年間100勝したチームは、しかもぎりぎり100勝ではなく余裕で100勝のチームは、レックスが初めてであった。

 ちなみに年間100敗したチームというのも、存在しないわけではない。

 どこと言ってしまえば可哀想なので言わないが、調べたらすぐに分かることである。


 大介としては、最後の試合にも集中して挑みたい。

 ライガースは最終戦、先発はほとんど経験のない青山が、今年の初先発登板をする。

 登板間隔的には阿部あたりが投げてもいいのであるが、もう首脳陣の思考は、完全にプレイオフに向かってしまっている。

 ただ大介だけは、もう好きなだけ打ちなさいと言われたりもしているが。




 翌日、レギュラーシーズン最終戦。

 大介は二本のホームランを打った。

 そしてチームとしても勝利した。

 これで大介のホームラン数は、72本でペナントレース終了。

 143試合で72本。

 惜しくも世界記録には届かなかったが、143試合に出場して72本。

 途中で指の骨を折って、それで72本なのである。


 単純に計算すると、大介は二試合に一本は、確実にホームランを打っていることになる。

 この記録はまた、野球の盛んな国においては、色々と取りざたされることとなった。

 レベルの低いリーグでのホームランの数に意味はない、などと馬鹿なことを言う者もいるかもしれない。

 だが事実としてこの数字は、海の向こうのスカウトたちを、また動かすことになる。


 大介はこれまでも、代理人の接触は受けてきていた。

 だがやはり、海の向こうには魅力を感じなかった。

 それは大介の持つ本能、海の向こうに上杉や直史はいないという、そういう意識から発生している。


 そんなことよりも楽しみなのは、プレイオフである。

 まずはスターズと戦い、そしてレックスと戦う。

 今年はどのチームも主戦力に怪我人はおらず、全力で日本一を決める試合を行うことが出来る。

 純粋にその試合を楽しもう。

 また周囲は騒いでくるだろうが、自分はただ野球をやりたいだけなのだ。

 プロ入りして九年目。

 最も激しいポストシーズンの戦いが始まろうとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る