第37話 限界の先へ
野球のシステムの変遷により、現在ではもう達成出来ない記録というのは多い。
どちらかというとその記録は投手に多いのだが、バッティングでも不可能ではないか、と言われている記録はある。
そのうちの一つが、四割打者であった。
過去MLBにおいては存在した四割打者だが、NPBではない。
洗練され計算された現代野球では、何をどうやっても四割には届かない、というのが結論のはずであった。
だが大介がそれを覆してしまった。
プロ入り後のルーキーイヤーに今までの打率記録を更新し、いずれは、と思わせた。
そのいずれというのは、二年目であった。
六年目にはさらにそれを更新し、九年目にはまた更新するかと思われたが、最後の九月に失速。
最終的にはそれでも、0.402の高打率を残した。
リーグ二位の樋口の打率が0.346であることを考えれば、どれだけ突出した記録かは分かるだろう。
打率一位、安打二位、二塁打一位、本塁打一位(歴代一位)、打点一位、出塁率一位(歴代一位)、四球一位(歴代一位)、OPS一位(歴代一位)。
最多安打のタイトルも、今年の序盤には取るかと思われたし、打点も200を突破するのではと思われた。
事実シーズン序盤はそのペースであったのだが、179個も四球で歩かされては、さすがに無理がある。
それでもホームランの数は、人間の限界を超えた。
MLBにおいてバリー・ボンズが73本のホームランを打ったシーズン、153試合に出場して、打数は476であった。
対して大介は143試合に出場し、413打数。
つまり圧倒的に少ない機会で、ホームランを72本まで打ったのだ。
ちなみにボンズのOPSがキャリアハイを記録したのは、このホームランを打った年ではない。
あまりにも打ちすぎることから、ここから爆発的に四球の数が上がっていったのだ。
2004年は232の四球を記録し、そのうち敬遠が120と、大介の179四球をもはるかに上回る。
ただしリーグのピッチャーのレベルの差を考えないのならば、大介の長打力やOPSは既にボンズを超えている。
また実はボンズは、禁止薬物を使う以前は、かなりの盗塁も記録している。
トリプルスリーも達成していて、選手生活の中では700本塁打と500盗塁を達成しているのだ。
ルーキーイヤーから全ての年でトリプルスリーを達成している大介と比べれば、伝説の選手でもなんだか地味に見えてしまうのが不思議である。
九年目が終わった時点で通算記録は、ホームラン数は歴代三位、盗塁数は歴代二位となっている大介は、下手に長くやろうとしなければ、通算打率もトップのまま引退するであろうし、打点や安打も歴代一位になる可能性が高い。
今年の時点で名球会入りの2000本安打まで、500本を切っているのだから。
そんな大介はシーズン終了後に球団が記者会見を開き、色々とマスコミ勢から質問が飛ぶ。
もっとも三冠王も五冠王も、もう飽きてしまったので、今年はホームラン記録が話題となるが。
70本を超えるのではと言われて、やはり厳しいかと思われて、しっかり超えてきた。
それも72本という、おそらく二度と記録されない数字である。
大介自身でも、おそらく無理であろう。
ただ敬遠を含む四球の数は、さらに増えていくかもしれない。
まだ決まってはいないが、シーズンMVPはどうか、などという質問もあった。
だがこれに大介は苦笑する。
「さすがに今年はナオでしょ」
70本打ったのと、年間五回のパーフェクトとノーヒットノーラン。
大介は色々と記録を塗り替えたが、直史は一つ、今後も絶対に塗り替えられない記録を作った。
シーズン四球0の記録である。
無敗記録、マダックス、奪三振も普通ならタイトルレベルであり、投手五冠を達成してもおかしくない。
ただ歴代最高のWHIPやシーズン失点1などというのは、超人でも不可能な神レベルの偉業である。
「それでもクライマックスシリーズの結果次第では、どちらを選ぶか変わりそうかな」
あくまでもシーズンの成績で選ぶべきで、それならば優勝したレックスから出るのが当然である。
過去にはシーズン優勝した以外のチームから選ばれた例もある。
だがホームランと打率の記録を更新したとき、ルーキーの武史がシーズンMVPに選ばれた通り、基本的には優勝したチームのものだろう。
特別賞あたりは普通にもらえるだろうが。
今年の総括と、来年に向けてはどうか、などとも訊かれる。
だが大介としては、今年はまだ終わっていないし、来年のことはそれから考えるべきなのだ。
「結局シーズン中は一度もナオに勝ってないですからね」
直史と大介、どちらが選手として上か。
ポジションが違うので比べにくいとも言えるが、逆に対戦成績で見れば直史の圧勝である。
9打席9打数0安打2三振。
ヒット性の当たりなどもあったが、同じく超人ピッチャーである上杉相手には、16打数で5安打、ホームランも打っているのだ。
直史は、力だけの勝負はしない。
コンビネーションが基本であるし、精神的な死角を突いてもくる。
それにキャッチャーが樋口であった、という条件もついている。
しかし結果を見れば、大介の敗北としか言えない。
幸いにも雪辱のチャンスはある。
プレイオフにおいて、直史を打つ。
スターズに勝つのもそれなりに大変であるが、大介は常にプレイオフの方が、レギュラーシーズンより打撃成績がいい。
劇場型の選手である大介は、舞台が大きければ大きいほど、状況が劇的であれば劇的であるほど、その力を発揮する。
いわゆる主人公体質である。
それが通用しない直史は、かなり謎の分類になるのだろうが。
大介の意識がプレイオフに向いているとは、マスコミにもはっきりと伝わった。
それでもスポーツマスコミの中に、猥雑な質問をする者はいる。
『今オフに結婚の予定などはありますか?』
「いやまだオフじゃねーし、野球と関係ないじゃん」
完全に素で答える大介であるが、このあたり直史に比べると可愛げがあり、上杉に比べると隙がある。
ただマスコミもしぶとく巧妙だ。
『スポーツ選手として、日常をどのように過ごして生活を送っているか、関心のある人も多いと思います。私もそうですが』
「ああ、そういうことね」
そういう言い方をされるなら、分からないでもない。
大介は独身だと思われている。
本人は一言も結婚したと言っていないので、それも無理はない。
本当の身内にだけはある程度知らせてあるが、口が軽そうなところや、大介の選択を白い目で見そうなところには、最低限の報告しかしていない。
実際は結婚もしているし、既に子供もいる。
そろそろ二人目を作ってもいいかな、と思っていたりもする。
だがこの場では主に、自分の生活習慣について答える方がいいだろう。
「やはり野球を中心にしてますからね。家事だのは委託することも出来ますし、ある程度球団のマネージャーに相談してもいますので、衣食住は困ってませんよ。本当はずっと寮にいたかったんですけど」
実際のところはツインズを迎えるために、寮を出たのである。
大介の住んでいるのが、タワマンであることは知られている。
詮索のしがたい、完全にセキュリティがしっかりした、日常生活を脅かすものがない場所だ。
ちなみに購買したのではなく賃貸で、一般的なサラリーマンの月給ほどの家賃は払っている。
だがそれでも大介レベルの収入がある人間が住むには、安いほうだと言えるだろう。
場所が都市部から少し離れているからもあるが。
大介はその日常が話題になるような人間ではない。
一時期だけは競馬の馬主になって、成金のやりそうなことと言われたが、一頭だけ持った馬が大活躍したため、生まれながらの強運をさらに裏付けることとなった。
仕事も趣味も野球であるのが大介だ。
引退しても野球はやるだろうな、とは思っている。
おそらくコーチや監督などは、自分には合わない。
解説なども畑違いだ。アマチュアに教えるなら、自分でも出来ることはあるだろうが。
とりあえずの目標としておくのは、NPBの各種の記録でいいだろう。
シーズン記録に関しては、試合数の変遷により、達成が簡単になったものもある。
通算記録はあまり関心が湧かないが、あくまでも目先のものとしておけば、なんとかモチベーションを保てる。
だが、今の一番の関心ごとは違う。
まずはファーストステージの、上杉との対決。
今年はお互いに故障をして、満足にフル出場というわけにはいかなかった。
それで記録を更新してしまうあたり、大介は本当に異常なのだが。
シーズン終盤に上杉は、登板間隔を長めにした。
投手成績で直史を逆転できないと思ったのと、順位が確定したからだ。
そんな万全の上杉と、今度はこちらも万全の状態で対決する。
だがそれすらも、今年は前哨戦になる。
お互いが本気になって戦える舞台であれば、どうなるのか。
プロ入りしてからずっと、大介は考えていた。
プロ野球というのは、確かにプロの真剣勝負である。
だが同時に、観客に見せるための興行でもある。
プロレスは、真剣ではあるがリアルではない。
プロの世界というのは、特にこういったシーズンを通じた団体競技は、一つの試合で本気になりきれないものがある。
統計的に勝利して、優勝をすればいい。
そして優勝さえしていれば、クライマックスシリーズはかなり有利に戦える。
日本シリーズはアドバンテージはないが、それでも七試合を戦って日本一を決める。
結局どこがどれだけ本気の勝負なのかは、お互いのタイミング次第となる。
直史を相手に、レギュラーシーズンでは一度も打てていない大介。
高校時代の紅白戦から、直史は最終的な勝利のために、試合の中の一場面にはこだわらないようにしていた。
それがあえて、大介のために勝負してくれたのは、あの壮行試合であったろう。
結局アレが原因となって、逆に直史はまた、国際試合に出ることになったのだが。
先日あった、直史を含めたレックスの選手の合同記者会見では、直史は全力で日本シリーズに進出すると言っていた。
あれはつまり、本気で投げてくれるということだ。
ただしそのためには、大介も準備が必要だろう。
直史を本気にさせるための準備だ。
ファイナルステージは神宮球場で、お互いが勝ったほうが日本シリーズ出場という状態にしなければいけない。
直史はおそらく、第一戦に投げてくるだろう。
そこで勝てれば、それはそれでいい。
だがおそらくそこでもライガースは勝てず、アドバンテージを含めて一気に二敗となる。
そこから三回勝って、レックスは一度勝って、イーブンにしなければいけない。
両者共に後がない状態にしてから、本気で対決することにするのだ。
お互いがお互いを追い詰めあって、ようやく本当に本気で戦うことになる。
舞台を整えるのが大変だ。
それだけやってようやく、甲子園の決勝のような、あるいは甲子園を賭けた決勝のような、負けられない試合となる。
大介からするとそこまでやっても、まだ次の年があるな、と思ってしまうのだが。
しかし、直史と約束したのは、五年間である。
その五年間の間に、どれだけ自分の満足する試合をすることが出来るか。
(仕事にしたのは仕方ないけど、本当に本気になるのは難しいよな)
自分にとっては、一番能力を活かせる職業ではある。
そしてその中に、対決するのに相応しい相手もいる。
だがあの夏のような、本当に全てを賭けたような試合は、そうそう成立するものではない。
それでも楽しませるためには、とにかく打っていかなければいけないのだが。
今年のクライマックスシリーズファーストステージは、10月の5日から始まる。
舞台はスターズを迎えて甲子園で行うため、大介はマンションに帰っていた。
赤ん坊のいる空間というのは、独特の匂いがする。
ツインズはさすがに、二人がかりでも大変だという。
育児は二人ですると言っているが、実際のところ二人でもそれなりに大変らしい。
そこは大介も出張が多い仕事だけに、安易に手伝うとも言えない。
もっともいざという時には、口の堅いベビーシッターを使って休んだりもしているらしいが。
そのシッターと大介は、顔を合わせたこともない。
大介の息子である昇馬は、もうすぐ一歳になる。
直史のところの娘がそろそろ立って歩き始めるのに対して、こちらはまだ時間がかかりそうだ。
皮肉なことに日本シリーズに進むと、誕生日を祝うことが出来ない。
ファイナルステージで敗北すると、そこでシーズンは終わるのだが。
「なあ、こいつってでかいよな?」
昇馬は平均と比べて、だいぶ大きい赤ん坊だ。
大介は平均より小さいし、ツインズも平均程度なので、どちらかの祖父母に似たのかもしれない。
「大きいね」
「いいことだ」
大介としては、もし平均より大きくなれば、早々に自分の身長を超えられそうで、やや複雑なところはある。
「クライマックスシリーズ、ファイナルステージまで進んだら、実家に戻ってみたらどうだ?」
さすがに一歳児を、球場に連れて来いとは言わない。
だがどうせなら、他の家族と共に見たいだろう。
「あ~、でもお兄ちゃんが投げる時は、レックスの方を応援しそう」
「うちの場合は長男が強いからね」
かといって大介の実家の方は、事情を知らせていない家族もいる。
「あ、でもやっぱり東京には行こうかな」
「イリヤにも久しぶりに会いたいし」
「イリヤか。あいつそういや何してんだ?」
それはもう、色々としているのであるが。
クライマックスシリーズも日本シリーズも、関東で行うことは珍しくない。
大介は嫁と妻と息子の三人で、東京に向かわせるつもりだ。
そのためにはまず、ファーストステージを突破する必要はあるのだが。
おそらくスターズの第一戦は、上杉が先発してくる。
NPBにおいて代表的な名勝負を、今年もまたファンは期待しているはずだ。
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