第38話 破壊の衝動

 大介は誘われている。

 導かれているのではなく、もっと歪なものに、招かれているのだ。

 その舞台が神宮球場になるというのは、どうしても皮肉なものだとは思ってしまう。

 直史との対決は、ぜひ甲子園でつけたかったのだが。


 上杉を甘く見るつもりは全くない。

 だがそれでも今年は、直史との対決を望んでいる。

 シーズン中とプレイオフでは、明確にパフォーマンスが変わる大介。

 ある程度は意識しているが、シーズン中全てを全力で戦うのは無理がある。

 ただそれでも、元々直史などが相手であると、潜在能力のかなりの部分が解放されていると思うのだ。

 そこまでやって、まだ全然届いていない。


 レギュラーシーズンの日程を全て消化し、クライマックスシリーズを待つ。

 だがこのわずか数日の間も、しっかりと調整はしておく。

 第一戦に投げてくるのは、まず間違いなく上杉である。

 そこで果たして、何点を取れるであろうか。

 

 ライガースの第一戦は、真田が投げる。

 二点あればどうにか、といったところだろうか。

 上杉相手にプレイオフでは、取れたとしても一点。

 だがシーズン二位だったライガースにとっては、引き分けでもいいのだ。

 0勝0敗3分であれば、ファイナルステージに進めるのはライガース。

 1勝1敗1分でもライガースだ。

 星の数が同じであれば、二位のライガースが上に進む。

 ファイナルステージほどではないが、大きなアドバンテージだ。


 一点を取って、一点以内で守ってもらう。

 ライガースの投手陣と、スターズの打撃陣を比べれば、不可能なことではない。

 もっとも上杉から一点を取るのは、かなりの高難度ミッションだ。

 だが今年は、己が昂ぶっているのを大介は感じる。

 普通ならば対戦する相手が強くなれば、成績は下がる。

 それは本当に、普通なら、というものだ。大介は普通ではない。

 闘志を持つ限り、その力はまだまだ先がある。




 直史との対決で、大介は己の弱点を知った。

 抑えられたことが問題ではない。それは弱点ではなく、単純に力の差で敗北しただけだ。

 大介の本当の弱点。もっともこれは、他の人間にも共通したことであろう。

 らしくないことをすると調子を落とす。

 球数を増やすために削っていったが、それはスタイルに反していた。


 打つためにスタイルを変えるのはまだいい。

 だがとにかく相手を崩すために、自分のスタイルをそれ以上に崩してしまった。

 外に大きく外れたボール球などを、無理に打っていくのは大丈夫だが、カットだけをするようになると、調子を崩してしまう。

 自分のスタイルを持たないと、勝てないタイプの人間なのだ、大介は。

 逆に直史などは、全ての選択肢を自分のスタイルにしている気がする。


 上杉もまた、己のスタイルを持っている。

 それでも勝つためには、自分のピッチングの幅を広げている。

 大介もまた、バッティングに幅を持っている。

 ただカット戦法は、己に合っていなかっただけだ。


 その後にもあった実戦で、どうにか調子は取り戻した。

 上杉との対決はそれを完全にするためには、むしろ望ましい。

 甲子園における第一戦が始まる。




 大介と上杉の対決は、ロマンの世界である。

 高校時代ほんのわずかに、甲子園で両者の対決する可能性はあった。

 上杉が三年、大介が一年の夏である。

 だが大介の属する白富東が県大会の決勝で負けたため、それは実現しなかった。

 もっとも当時はまだ、大介の能力がここまで高くはなかったので、もし対決していたとしても、上杉が間違いなく勝ったであろう。

 同じような甲子園ロマンは、直史と大介の出身校が同じという投打の対決にもあるのだが、それは今年はシーズン中の一度だけ。

 来年以降に期待、といったところである。


 ライガースの大応援団による、応援旗が振られる。

 大歓声の中、第一戦は始まった。

 真田を相手に打席に立つスターズの上位打線。

 大介は己の守備で、バッターを殺す気迫で守備に就く。


 この試合のポイントは、どちらが先に先取点を取るかだ。

 一点の重さが、他の試合とは比べ物にならない。

 真田は今季防御率が一点台のピッチャーだ。

 17勝3敗。完投が八つあり、そのうちの二つが完封。

 間違いなく超エース球の成績を残しているが、それでも上杉相手では分が悪い。

 単純に勝利するためならば、エース級でも三番手の阿部を当てて、残りの二試合を真田と山田で取りにいくべきだろう。

 だがそこで合理性だけを持ち出すのならば、プロ野球は興行ではない。


 あるいは直史であれば、完全に効率と合理性だけで、この試合も終わらせてしまうかもしれない。

 だがこれはプレイオフなのだ。

 レギュラーシーズンのように淡々と勝利を積み重ねるのではなく、シーズンの終わりに相応しい、栄光の勝者を祝福しなければいけない。

 大介の成績がプレイオフで上がるのは、もちろん彼自身の集中力とも関係するが、相手チームのエースピッチャーが、露骨なボール球を投げにくいということも原因である。


 真田のピッチングは安定しており、初回は三者凡退。

 ショートへは打球も飛んでこず、平和な始まりである。

 そしてその裏、ライガースの攻撃。

 二者連続三振と、これまた安定の立ち上がり。

 フェアグラウンドに打球は飛ばなかったものの、バットにはちゃんと当たっていた。

 幸いと言うべきであろうか。


 ネクストバッターサークルから、大介は立ち上がった。

(170km/hは最初から出してきたか)

 大介を相手に世界最速を更新して以降、上杉はややピッチングに柔軟性を持たせている。

 160km/h台後半のストレートを主体として、ムービング系の球を多く使うのだ。

 それでも武史並の球速は出しているということで、そもそも基礎的な肉体能力が違うのだ。

 だがこの試合は、追い込んでから170km/hを出してきた。


 バッターボックスの中で大介は、マウンドの上杉を観察する。

(やっぱりマジだな)

 肩を痛めてしばし、戦線を離脱していた。

 だがシーズン終盤は、登板間隔をやや広げたが、順調に勝ち星を伸ばした。

 あの離脱がなければ、奪三振王は武史ではなかったかもしれない。

 その上杉が、大きく振りかぶって投げる。


 ドン! という衝撃は大砲の発射音にも似ていた。

 重そうな球だなと思ってみたら、173km/hと表示されていた。

 久しぶりの球速であるが、この舞台であれば当たり前だな、と大介の精神に動揺はない。

 ただ、球質が変化しているようには思える。


 二球目、これは変化する。

 手元で動くツーシームは、それほど大きな変化ではないが、ゾーンからわずかに外へ外れていく。

 大介は見送り、コールもボール。

 次当たりはあれが来るか、と期待する大介である。


 三球目、チェンジアップが投げられた。

 高速チェンジアップは、140km/h台の速球でありながら、回転も少なく失速し、緩急は充分につけてくる。

 これを大介は打てるかと思ったが、タイミングが合わずに見逃す。

 ゾーン内に入ってストライク。


 追い込まれた。

 そして遅い球の後は、速い球が来る。

 あえてそこの裏を書いて、変化させてくるかもしれない。

 だが上杉のチェンジアップの後ならば、ストレートが最も効果的だ。


 大介もストレートを狙っていた。

 上杉が投げてくるという確信があった。また上杉もストレートを活かすために、チェンジアップを使ったのだ。

 そしてその雄大なフォームから繰り出されるストレート。

 大介の見送ったそれは、175km/hの表示を叩き出していた。




 この大舞台で、世界最速タイを出してくる。

 上杉の劇場型体質には、大介でも敬意を表してしまいそうだ。

(なんかもっと速くねーか?)

 実際の速度は間違いないのだろうが、タイミングか回転か、それとも回転軸か、

 何かの理由があって、体感速度は速く感じる。

 以前に大介に対したのとは違い、コンビネーションの中で使ってきた。

 140km/hで沈むチェンジアップの後に、あのストレートがあるのでは、一打席目ではとても打てない。


 見送って軌道を追ったものの、他のバッターには打てないだろう。

 それに上杉も、多投は出来ないだろう。

 命まではともかく、さすがの鉄人上杉であっても、肩や肘、そして肉体を痛めつけながら投げているに違いない。

 西郷にも、あのピッチングをするのか。

 いや西郷は、ストレートには強い。あくまでも比較論だが、変化球で勝負した方がまだマシだ。


 ランナーが一人は出る必要がある。出来れば二人。

 大介がヒットでどうにか塁に出て、西郷に帰してもらう。おそらくこれが現状、最も確率の高い得点の仕方だ。

 あるいは誰かが大介の前にいるなら、それを打って帰すことも出来るのだが。


 二回の表が始まる。

 予想通りではあったが、投手戦になりそうである。




 思った通りの投手戦は、日本全国はおろか、ネット環境さえあれば世界のどこでも見ることが出来る。

 それをおとなしく東京の自宅マンションで見ているのが、セイバーであった。

 そのセイバーがネット通話で話しているのは一人や二人ではない。


 日本において野球賭博は禁止であるが、試合を観戦して他国で賭けるなら、それは別に違法でもなんでもない。

 特に巨大な資産を持つ富豪たちを集めた、このメンバー内においては。

 セイバーはこの数年、これで大きく稼がせてもらっている。

 大介は10億以上の年俸を払われているが、彼の出る試合で動く金銭は、それだけではない。


 今年はさらに大きく動く賭けがあった。

 直史がプロに入ったからだ。

 直史はもちろん、NPBの選手に食指を伸ばすMLBのスカウトからは注目されている。

 だがMLBの球団関係者以上に、先に世の中の富豪には知られている。

 負けないピッチャーとして。


 別に綺麗ごとをいうわけでもなく、セイバーはこういったものでの金銭の動きには敏感だ。

 彼女は基本的に、負けない勝負しかしない。負ける場合実は、それが他の大きな勝負であることが多い。

 直史の記録は野球をよく知る者にとっては、むしろそれだからこそ信じられないものであった。

 そして大介の記録も、散々に彼女を稼がせてくれた。

 使用する口座はタックスヘイブンを使っているため、脱税になるわけでもない。

 制度に欠陥があるなとは思うが、ちゃんと払うべき税金は払っているセイバーである。


 それに今度の動きは、本当に真っ当な商売である。

 MLBの球団の中で、どこが一番金を出せるのか。

 セイバー自身はレックスのフロントの一員であるが、彼女が経営権の一部を持つ会社は、MLBへの代理人を務めている。

 今年のMLB行きをはっきりと表明しているのは、タイタンズの本多。

 国際大会での成績や、日本での各種成績を見ても、大きな買い物になるであろう。

 同時に井口もMLB移籍を念頭に、間もなくFAを宣言するはずである。


 現状のシステムを見るに、NPB球団はポスティングを上手く利用し、選手で商売することを学んだほうがいい。

 ビジネス感覚に欠けたオーナーが、いまだに日本には多いのだ。

 プロ野球球団を持つのを、単なるブランドと思っている人間。

 逆にそれは、選手を上手く金に出来ない、馬鹿な人間にしてしまっている。




 セイバーは今のタイタンズには、全く貸し借りはない。

 むしろ日本のプロ野球にかかわろうとした時、足蹴にされたような、門前で塩をかけられたような感覚を持っている。

 なのでタイタンズから選手を移籍させるのには、全く躊躇していない。

 スターズとレックスには、色々と権益にかませてもらい、そして商売相手になった義理がある。

 ビジネスライクな関係というのは、相手が力を持っている限り、本当の意味でビジネスライクにはならないのだ。


 今年は海外FAの発生する本多や井口の他にも、ポスティングで移籍しようとしている選手が多い。

 本当ならば一番動かしたいのは上杉なのだが、彼は金では動かないし、MLBにも全く魅力を感じていない。

 だがそんな上杉にも、利用価値がある。

 それはNPBのレベルの物差しとなることだ。


 上杉には及ばないピッチャーや、上杉を打てないバッターが、どの程度の記録を残せるのか。

 特に分かりやすいのはセの選手で、これまでは上杉に比べて、どれぐらいの実力を持っているかが基準であった。

 だが今年は違う。

 上杉が故障した年に上回った武史はともかく、直史の成績は完全に異次元だ。

 またその経歴を見てみれば、異質さは際立つだろう。

 

 直史がほしいという球団は、シーズンの割と序盤から現れていた。

 だがその年齢や、契約の内容を考えると、簡単に手が出せるものではない。

 セイバーは直史の持つ特殊性も、しっかりと理解している。

 MLBからNPBへ、NPBからMLBへ。選手の移籍で彼女はどれだけ儲けただろうか。

 本当に必要なものは、そんなものではないのだが。




 投手戦は続いていくが、それ以上に観戦者を盛り上げるのは、大介と上杉の対決だ。

 人類最速のピッチャーと、それからホームランを打っているバッター。

 6フィートに全く届かないあの体格で、どうしてホームランが打てるのか。


 MLBは現在、実は人気がまたも翳っている。

 それは一つには、上杉の責任もあるのだ。

 国際試合において、ここのところ日本はまず負けることがない。

 MLBはそういった大会に選手を出さない。MLBのシーズンの方が、そんなものより大切だからだ。

 だがことごとく日本に負けて、上杉は打てず、大介には打たれる。

 またもうずいぶんと前になるが、直史にマダックスで敗北したのも苦い思い出だ。


 MLBには、本当にそんな価値があるのか。

 それが今の見方であり、大味なMLB、合理的過ぎるMLBを、楽しむファンが減っているとも言える。

 かつて野球大国であったにもかかわらず、自国のオリンピックで野球を競技として選ばなかったこと。

 それもまた、自国でアメリカ代表が、日本代表に負けることを避けたからではないか。

 MLBのトップ選手は、もはや出さないのではなく出せなくなっている。

 もしトップレベルの選手が出て、それでも日本に勝てないとしたら。

 単純に言って、MLBのブランド価値は、地に落ちるだろう。


 本当はMLBこそが、日本のスーパースターを欲している。

 MLB人気を高めると共に、逆にそのスーパースターを倒して、MLBこそが世界最強のリーグであることを証明するために。

 そしてその準備をしている球団は、いくつかあるのだ。

(東海岸と、西海岸。どちらがどう動くか)

 ビジネスをしているセイバーの顔は、とても輝いていた。

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