第39話 右と左

 現在のNPBにおいて最も強力なサウスポーは誰か。

 デビューから三年連続で20勝、沢村賞も取った武史が、第一候補である。

 ただ二番手に上がるのは、高校時代にライバルとも言われていた真田が多い。

 真田は今年、プロ八年目の序盤で、通算100勝を突破。

 上杉が異常な速度で勝ち星を増やしているが、真田もこのままいけば充分に、名球会入りの資格を得そうである。

 もっともそう言われていた選手が、途中で怪我で結局、170勝ぐらいで終わるのも珍しくない。


 強力な右腕は上杉一択であったのだが、直史が登場して、完全に本格派と技巧派の両巨頭となった。

 本格派右腕と、本格的技巧派の左腕。

 ストレートとスライダーの対決。

 スターズは左バッターがそれなりに多いので、今日の真田は絶好調である。


 上杉に勝ちたい。

 もちろんこれまで、真田はプレイオフで上杉に勝ったことがある。

 だが今年は、特別の中の特別だ。

 おそらくはライガースで戦う、最後のシーズン。

 資本的にも人気的にも、ライガースはいい球団で、いいチームだ。

 だが真田にとっては致命的な、一つの問題がある。

 大介と対戦できないことだ。


 


 真田の高校野球は、不完全燃焼に終わっている。

 お前が不完全なら、他の誰が完全燃焼なんだ、と言われそうではある。

 だが、大介も直史も、高校野球はやりきった。

 全国制覇、つまりあの年のわずか18人、最後まで負けずに終えたのである。

 ついでのようだが、国体も勝って四大会制覇を果たした。


 真田は甲子園で燃え尽きることが出来なかった。

 もちろんそれは、こんなところで終わらせるわけにはいかない。真田の将来はプロ入り後だと、木下監督が分かっていたからだが。

 それでもあと一歩届かなかったとは、ずっと思っている。


 甲子園をフランチャイズとする球団で、日本一には輝いた。

 それでも真田は、大介には勝っていない。

 大介からすると他のピッチャーと比べれば、真田は圧倒的に大介を封じていたピッチャーであるのだが。

 ついでに最後の夏も、今度は大介のいない白富東に敗北した。

 さらに今年は、直史がプロの世界に入ってきた。


 あいつがおかしかったのだ。

 大阪光陰の強力打線を相手に、結局一点も取られなかったピッチャー。

 実質的にナンバーワンでありながら、最後の夏以外にはエースナンバーを付けなかった。

 遡って調べれば、二年生の春からは、まともに点を取られていない。

 真田も相当の完封力を持つが、それでも直史とは比べ物にならない。

 そしてプロには行かずに、大学で破天荒なパフォーマンスを見せ付けた。

 直史のいた四年間、神宮の大学野球は、間違いなく黄金時代であった。


 高校時代の先輩であった竹中の所属するフェニックスか、あるいはチーム再建が整いつつあるジャガースか。

 パの球団で投げてみて、日本シリーズで対決するのも悪くないと思うのだ。

 もっとも真田の抜けたライガースが、レックスを破って日本シリーズに出てこれるかは、微妙なところだろうが。

(フェニックスか)

 チーム再建の目途が立ち、先発で使えるサウスポーをほしがっている。

 もっともフェニックスならずとも、真田レベルのサウスポーなら、どの球団でもほしいだろう。

(けどフェニックス、年俸が渋いとかも言われてるんだよな)

 五年連続最下位という暗黒時代から、この四年は四位と、明らかにチーム状態はよくなっている。

 FA宣言をしたとしても、フェニックスが名乗り出るかは分からない。

 いや、名乗り出てくる可能性は高いが、条件が果たしてどうなるか。




 真田のピッチングは、上杉に比べれば執念と責任感が足りなかったのだろう。

 スターズはこの第一戦で上杉が負ければ、そこでほぼファイナルステージ行きは断念となる。

 一時期の貧打時代とは、比べ物にならないぐらいに改善されたスターズ。

 外国人による補強も上手く行って、それなりの打線になっている。

 そこで中盤に入り、一発を打たれてしまう真田。

 これが今日、初めての被安打であった。


 切り替えて続くバッターを打ち取り、そして四回の裏。

 同じく三回まではパーフェクトに抑えていた上杉と、大介の第二ラウンドが始まる。

(さて、と)

 このイニングもまた、あっさりと毛利と大江を片付けた上杉。

 このままほうっておくと、クライマックスシリーズでパーフェクトをしかねない。

 とりあえずヒットを打って、それを消しておく。

 そんな考えはしない大介である。


 自分に求められているもの、そして自分自身も求めているものが、何か分かってきた。

 それは上杉も求めていることだ。


 本物の真剣勝負。

 プロであるからには、もちろん真剣ではあるのだ。

 だが上杉ほど別格の能力を持っていると、セーブした力でもほとんど相手を抑えてしまう。

 偶然やセーブのしすぎで時々失敗するが、それは当然挽回していく。

 たった一人の相手に、本気で投げなければいけない。

 多くの強打者が存在するプロの世界においても、上杉にとってほとんどが格下だ。


 大介は違う。

 数字の上では上杉が上回っているように見えるが、それでも大介ほど上杉から打てるバッターはいない。

 この一人のバッターをしとめるために、上杉は全力を出さないといけない。出してもいいのだ。

 ボールを受ける福沢としては、大変なことであるのだが。




 初球はカットボールが投げられた。

 上杉のカットは変化量はそれほどもなく、手元でわずかに変化するのみ。

 だがそれが効果的で、左打者のバットをへし折ることが多い。

 大介はそれを打った。

 根元に近い部分だが、体を上手く開いて、よりバットのミートポイントの近くへ。

 打球はライト方向、飛距離は充分だが、ポールを切れていく。


 まだ体の開きが早かった。

 ほんの0.001秒の違いで、結果は全く変わってくる。

(タイミングがシビアすぎるな)

 大介は体格に比較すると、とてつもないパワーを持っている。

 だがあくまでも体格に比べてであって、実際は技術で飛距離を出している。

 当たりそこないでのホームランというのは、ほとんどない大介だ。

 その大介に対する二球目。


 アウトローへのストレート。これは届く。

 ボールの球威に押し込まれて、切る感覚で打てなかった。

 それでも打球は充分に前に飛び、サードの横に着地する。

 サードベースに当たって、ファールグラウンドに転がっていく。

(くそ)

 173km/hのボールに対する反発力は、もちろんそれなりのものだ。

 ボールが転々と転がる間に、大介は二塁にまで進む。

 この日最初のヒットで、大介が二塁まで進んだ。

 ツーアウト二塁は、ヒット一本で一点が入る場面である。




 上杉と戦うのは、大介だけではない。

 ライガースの四番西郷もまた、球界屈指の強打者である。

 単純なパワーだけなら大介以上。

 しっかりミートしてヒットを打てば、大介なら帰って来れる可能性が高い。


 元はストレートには強い打者であった。

 桜島の速球打ちの練習は、単に速い球を打つというものではない。

 マシンのボールは基本的に、慣れてしまえば打てるのだ。

 それにプロ入り後は、誰を想定しているのか丸分かりの170km/hマシンでも、西郷は簡単に打てる。


 大介はマシンの球は打たない。

 目を慣らすことはしているが、マシンの球を打っていたら、マシンの球しか打てなくなる。

 それでも最近は設定を変える高性能のマシンがあるが、マシンにはマシンの限界がある。

 どうしても体が、そのタイミングに慣れてしまうのだ。


 上杉レベルが相手であると、本物の170km/hが相手となる。

 人間のボールはそれぞれ微妙に違っているので、球速が同じでも球質が違う。

 西郷もそれは分かっていて、ここで珍しくややフォームを小さくする。

 それでもとりあえず当たれば、飛んでいくのが西郷のパワーなのだ。


 上杉はそんな西郷に対して、チェンジアップで空振り三振。

 大介は二塁に残ったまま、四回の裏も終わる。




 一点差で勝負が決まりそうである。

 次の大介の打席で凡退したら、ほぼ決まりだろう。

 真田の失投が、やはり痛すぎる。

 真田もまたNPBレベルで化け物のピッチャーなのだが、それでもなかなか完封は出来ない。


 この一点差というのが、首脳陣としては微妙なのだ。

 もしも試合の趨勢が分かっているなら、エース級ピッチャーは少しでも消耗を抑えるため、降板させておく。

 スターズに総力戦で勝ったとしても、さらにその次にはレックス戦があるのだ。

 無理をしてスターズに勝っても、三本柱が一人欠ければ、勝てる確率はどっと下がる。

 だが一点差は大介のバットの一撃で追いつく点差だ。

 二位でシーズンを終えたライガースにとって、ファーストステージでの一分は一勝とほぼ同等の価値を持つ。

 追いついて引き分けにすれば、真田に無理をさせる価値はあるのだ。


 真田としても明らかな自分の失投に、思うことがないではない。

 キャッチャーとしてリードしていた孝司は、そもそもピッチャーというのはある程度失投もあると分かっている。

 それを打たれてしまえば、狙ったバッターを誉めるしかない。

(逆球だったし、俺の責任じゃないよな)

 プレイオフのマスクなど被ったことのない孝司は、こういったプレッシャーのかかる状況で、ピッチャーをリードするのは本当に久しぶりだ。

 そう、甲子園の最後の夏、決勝で敗者となって以来。

(でも、あの時に比べれば楽だよな)

 負けたら完全に終わりの、三年の夏。

 だがプロはまだまだ戦いは続いていく。

 もちろん負けすぎたら戦力外となるわけであるが。


 試合も進み、真田はホームランを含むわずか3安打にスターズを抑えている。

 あの一点がなければとは、本当にそう思う。

 孝司からすると真田は、二年連続で白富東の前に立ちふさがったエース。

 本当は三年連続なのだが、入学してからは二年である。

 甲子園の決勝が、三季連続で同一カードとなった。

 孝司が二年の夏には、正直敗北を覚悟すらしていた。


 白富東の化け物エースと、互角に戦っていた真田。

 それをそこそこ打ってくるのだから、やはりプロの世界というのは異常だ。

 それでもどうにか打ったり守ったりして、今年の年俸更改は楽しみな孝司である。




 一点差のまま、七回の裏がやってくる。

 これまで上杉が出したランナーは、ヒットの一人とエラーの一人の二人だけ。

 この回先頭の大介を抑えれば、四打席目は回ってこない可能性がある。

 ただし先頭打者であるので、ランナーとして出れば足で引っ掻き回してくる可能性も高い。


 上杉は基本的にランナーを出さないので、あまり牽制などは上手くない。

 全ての技術を一級品に磨いていた直史とは、まるで正反対の特化と言える。

 大介が塁に出れば、走ってくる可能性は高い。

 そしてそこまで球種を限定させたら、西郷ならばストレートも打ってくる可能性はある。


 この数年の上杉の失点するパターンは、上位打線やクリーンナップではなく、下位打線に打たれることの方が多い。

 年間に二桁もホームランを打たない選手から、ぽかりとやられてしまったというパターンもある。

 本当の意味で本気の上杉を打てる選手は、そうそうはいない。

 だが大介なら、本気の上杉でも打ってくる。


 そう考えていた孝司だが、ここの上杉は徹底的に本気のさらに上の上杉であった。

 初球から175km/hが出て、しかし大介はそれにバットを合わせてくる。

 レフト方向のファールグラウンドに、明らかに詰まった打球が流れていった。

 二打席目はインハイ、だろう。ベンチから見ていると、ほとんどボールは消えている感覚だが、福沢のミットの位置でコースは分かる。

 大介の打ったボールは、ほぼ真後ろへのファールとなった。


 キャッチャーとしては、それほど負けていると思ったことはない。

 だが孝司はトレードに出されて、福沢は正捕手となっている。

 ライガースではスタメンのマスクを被ることが多く、それは評価へともつながる。

 トレードされたことで成功したが、自身としてはトレードの候補にも上がらないぐらいに、必要な選手になりたかった。


「追い込まれたな」

 金剛寺はベンチの壁にもたれて、腕を組んでいる。

 遊び球なしで、上杉は勝負してくるのか。

 孝司の知っている上杉と福沢であれば、上杉が意思を通して勝負してくる。

 だが福沢なら、一球間を置いてくる。

 今の上杉がどの程度、福沢に判断を委ねているのか。


 三球目、外一杯の球は、ゾーンから逃げていった。

 ツーシームを投げて、それがボール球になる。

 上杉は福沢に、ある程度の信頼を置いているということだ。

(スターズの中では負けたが、スターズ相手には負けないぞ)

 このプレイオフ、孝司は福沢を超える実績を残す。




 追い込まれた後に、外角の逃げる球を投げてきた。

 普通のピッチャーの球であれば、ゾーンから外れていても打っていたであろう大介だ。

 だが上杉のボールは、あのコースなら打ってもファールになる。

 ボール球になれば、ピッチングのコンビネーションの幅も狭まっていく。

 もっとも投げる球が分かっていても、打てないのが上杉であるのだが。


 外に一球外した。

 キャッチャーのサインなのだろうが、それに上杉は同意している。

 もう一球外して、最後はストレートで来るだろうか。

 上手くアウトローにカーブなどを投げられたら大介は対応できないが、上杉にカーブはない。


 チェンジアップで緩急をつけてくるか。それともそのまま全力のストレートがくるか。

 大介は静かにその時を待つ。

(これは来るな)

 大介と上杉の間に成立する、勝負における呼吸。

 上杉はここで、全力を出すつもりだろう。


 ストレートが来る。

 分かっていたとしても、それを打てるのかどうか。

(打てなければ負ける!)

 投じられたのはインハイのストレート。

 大介のスイングは、腕を折りたたんでそれを打ちに行く。


 カッ、と音がした。

 福沢がマスクを外し、打球の方向を見る。

 ほぼ頭上に飛んだ、大きなキャッチャーフライ。

 回転がかかっていて、案外捕球に難しいそのボールを、福沢は追いかけてキャッチした。

(負けた)

 チームとしては負けていないが、大介は負けた。

 そしておそらく、チームとしても負ける。

(175km/hか)

 どうやらさすがの上杉でも、球速の限界はそこいららしい。

 直史が155km/hも投げないことを考えると、その異常さが分かる。


 ベンチに戻った大介は、バットをしまってグラブを手に取る。

 今日のここから先は、ほとんど消化試合だろう。

 西郷の打席であるが、今日の上杉相手では期待できない。

(強えーよ)

 届きそうではあったが、届かなかった。

 それがむしろ嬉しい大介である。




 クライマックスシリーズファーストステージ。

 甲子園を舞台にして行われた第一戦は、スターズが1-0の最少得点で勝利した。

 勝ち星がついたのは上杉で、完投完封。

 真田は七回までを投げて、10三振を奪っていた。


 上杉の奪った三振は20個で、ヒットは一本とエラーが一つで、大介の第四打席はまわってこなかった。

 あまりの超人っぷりに、大介としても呆れるしかない。

 それでもパーフェクトに抑えられることはなかった。

 このシリーズで、もう一度対戦することがあるかどうか。


 第二戦はスターズが誰を出してきても、ライガースの打撃力で粉砕する。

 そして第三戦、さすがに中一日登板はないだろうが、試合の終盤にリリーフで投げてくることは考えておくべきだろう、

 上杉と対決する機会は、今年はもうあと何度ぐらいであるのか。

(それでも今年は、ファイナルステージはもらう)

 レックスとの対決は、目標ではなく運命だと思う大介であった。

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