第51話 封じられた打線
不思議な因縁、と感じる者は多いのかもしれない。
だが実際のところ目指す先が同じであれば、充分にありうることだったのだ。
しかし目指している先が違うと分かって、それで残念に思ったものだが、やはりその道は交差した。
西郷はこれを運命のように感じたりすることもあったが、それはただの感傷にすぎないとも悟った。
より散文的に言ってしまえば、自分が運命と感じたそれは、ただのおまけであったのだ。
佐藤直史と、白石大介の対決のための。
おまけの方が喜ばれる玩具菓子でもない。
真実、ただのおまけだ。
世の中にはその圧倒的な才能、もしくは宿命のために、主人公のように自分を感じてしまう者がいる。
西郷はそこまでうぬぼれてはいなかったが、自分の人生は自分の力で切り開いていくものだと思っていた。
その中の一つの選択として、高卒から直接プロに行くのではなく、大学を経由することを選択した。
それは、直史と対決ではなく共闘する立場ではあったが、間違っていたとは思っていない。
最後の甲子園で、自分が思うものとは全く違う芸術を見せられた。
だからプロ志望ではない直史と対決するべく、大学進学を選んだのだ。
先に直史から進学先の予定を聞いておけば、他の六大学に行っただろう。
だが自分の成長のためには、同じチームで良かった。
西郷ならばホームラン記録を塗り替えるのではないか、と高校時代に言われていた。
圧倒的なパワーで、こすっただけでもスタンドまで飛ばしていく。
あまりにも飛ぶので、練習試合では木製バットを使っていたものだ。
大学野球は木製バットであったため、それにもすぐフィットした。
そして直史のピッチングを、味方の側から見るようになったのだ。
ワールドカップの時とは違い、長く同じチームで戦い、しかしながら思想が根本から違った。
樋口と二人、あの中では完全に異質だったのだ。
己たちはその圧倒的な実力で秩序を破壊し、そしてその破壊を正当化した。
勝利という結果でもって。
直史や樋口のようにしなければ、大学野球では結果を残せないのか。
あえて直史を外した試合では、逆転を許して敗北したりもした。
現実の前に、その常識を改めなければいけない人間は多かったろう。
これまでの野球はもう必要ないのだと。
それが直史の野球であった。
二度と交わらないと思っていた。
それがまさか、自分がプロとして充分に経験を積み、直史との差が縮まったであろう状態で、対戦することが出来るようになるとは。
しかしそれは完全に、勘違いだと思い知らされた。
差は確かに縮まっていたのかもしれない。
だがそれは、触れられるほどの距離には全く至っていなかった。
遅い変化球を使って、西郷に打たせる。
タイミングがずれてもそのパワーでどうにか飛ばそうとする。
しかし打球は内野ゴロで、そのまま西郷が一塁に至るまでもなくアウト。
野球マンガのモブキャラのように、雑に処理されてしまう。
おそらく神はこの舞台を、二人の主人公のためだけに用意した。
ただし物語というのは、主役だけで成立するものではない。
二人がロミオとジュリエットなら、せめてティボルトぐらいにはなれるのではないか。
そうも思った意外と誌的な西郷であるが、自分もまた群像の中の一人に過ぎないのか。
(諦めんど)
薩摩隼人は潔い。
しかし同時に、命がけで戦うことを最後まで諦めない。
回ってくるのは、おそらくあと一打席。
自分の打席において、大介が塁に出ていたとしたら、それを返すのが自分の役割だ。
今日はあまり三振を奪っていない。
その事実がどういう意味を持つのか、黒田には良く分からない。
クライマックスシリーズの第一戦、先発した直史は、22個の三振を奪った。
翌日の武史は18奪三振で、こちらはシーズン中の奪三振率を見れば、そうおかしくはない。
だが直史は、シーズン中はそこまでの三振を奪うことはない。
その代わりに武史に比べると、圧倒的に球数が少ない。
そんな直史が、武史以上に三振を取ったのだ。
つまりあれが、直史のフルパワーであると思えばいい。
あるいは三振を取るための、普段とは違うコンビネーションか。
(今日は少ないな)
この回までで、わずか三奪三振。
いつもの奪三振率は、12前後であったはず。
詳しくは憶えていないが、確実に登板したイニング数以上の三振は奪っていた。
今日の直史の奪三振が、こうも少ない理由。
一つには第一戦から、中四日で回復しきれていないか、スタミナを節約しているため。
もう一つは、恐ろしいことだ。
12回を一人で投げきるため、球数も体力の消耗も減らしているという判断だ。
直史ならば出来るのだろう。
しかしそれがパーフェクトで成されているというのはどうなのか。
ゴロを打たせれば内野を抜けていくこともあるだろうし、フライを打たせれば野手のいないところに落ちることもあるだろう。
打たせて取る形でノーヒットノーランやパーフェクトをするのは、相当の運も必要だ。
ならばそれをたやすく行っている直史は、神にさえ愛されているとでもいうのか。
もちろんそんなはずはない。
かなり疑わしいが、あれも人間のはずなのだ。
実際に黒田は、直史の敗北したところを見た。
己のスイングが後逸を誘発し、それによって甲子園への切符をつかんだのだ。
(それでもこんな化け物になるのか)
中学時代は一度も勝てなかった、とは何度も言われている。
それが創立100年を誇る有名進学校の、初めての甲子園行きの決勝で投げたのだ。
参考記録ではあるが、パーフェクトもしていた。
一度野球の道から離れて、あの天才でもブランクは厳しいだろうと話し合ったこともある。
だが大介と西郷は、そんなに甘いものではないと言っていた。
黒田としてみれば、それこそ逆に、ブランクがあるピッチャーが通用するほど、プロは甘くないと言いたいところであった。
結局正しかったのは、大介たちであったのだが。
黒田はこの回も、まともに打つことは出来なかった。
内野フライで凡退し、そのパーフェクト記録は続いていく。
(まさか本当にこのまま?)
少なくとも試合の半分は、既に過ぎていたのだ。
こういう試合があったな、と真田は己を客観視していた。
レギュラーシーズンの中で、最も神話的と言われたあの試合。
直史と上杉との投げ合いである。
剛の上杉に、柔の直史。
ぶつかり合った結果が、12回完投パーフェクトの引き分けであった。
この試合は引き分けたら、レックスの勝利と同様の意味を持つ。
ただ真田に出来ることも、決まっている。
ひたすら相手打線を封じ続けることだけだ。
そう考えて、この回先頭の浅野に向かったので、わずかに力んでしまった。
やや甘く入ったボールを、強振される。
鉄壁とも言える三遊間を、それでも抜けていく打球。
両チーム合わせての初ヒットは、四番の一打であった。
ここで集中力が途切れてしまうなら、真田も並の一流なのだ。
だが直史が化け物であることが知られれば知られるほど、それと互角近くで投げ合った真田の評価も、それなりに上がっていく。
直史がいなければ、武史がいなければ、上杉がいなければ。
真田は高校以来ずっと、ピッチャーとしては二番手以降の評価しか受けていない。
間違いなくリーグトップレベルのピッチャーであるのに。
塁に出た浅野を、バントで送るレックス。
長距離砲の五番が、いくら左とは言え、送りバントである。
(どうしても一点がほしいか)
真田にもよく気持ちは分かる。
ノーアウトのランナーを進めて、右打者で勝負。
分かるが、それを許さない。
六番の村岡を三振。これではランナーが進むことも出来ない。
七番も長距離砲だが、ここでも代打などは出してこない。
(振り回してくるバッターの方が、むしろこっちはありがたいからな)
真田の維持が、ノーアウトでランナーを出したこのイニングを抑える。
二つ目の三振で、ガッツポーズの真田。
パーフェクトが崩れても、この中盤のイニングであれば、むしろ当然と思うわけだ。
大介が抑えられているし、西郷も抑えられている。
だが両者共に、あっけなく三振を取られているわけではない。
直史は今日、完全に打たせて取るスタイルで投げている。
それならばどこかで、必ず内野の間を抜けていく。あるいは外野の間にふらふらと落ちるか。
それでもヒットにはならない。
(同じチームにいたこともあるあの二人でさえ、どうして打てないんだ)
真田はバットを持って、ネクストバッターズサークルに向かう。
六回の表、ここを三人で終わってしまえば、直史は打者二巡をパーフェクトだ。
さすがにそんな悪夢のようなことは起こらないだろう。
これまでのNPBの歴史において、プレイオフでパーフェクトを達成した者などいないのだ。
常識的に考えて、一本ぐらいは打たれる。
自分も打たれたのだから、あいつだって打たれる。
なのに打たれず、真田の打順が回ってきた。
(なら俺が打つ!)
レギュラーシーズン中は、無理なバッティングをしようとは思っていなかった。
下手に打って手が痺れたりしたら、ピッチングに影響が出るからだ。
だが、直史相手なら打てる球がある。
遅いが、複雑なパターンで曲がってくるカーブ。
あれならば真田もピッチングへの影響なく、しっかりと打つことが出来る。
(ピッチャーならピッチャーに打たれるのは嫌だろう?)
そんな真田に対して、直史は初球からスルーを投げてきた。
決め球に使えるし、見せ球にも使える。
だが真田は振らない。
(カーブだけを打つ。それ以外の球を打つのは俺の仕事じゃない)
一つ、外にストレートを投げる直史。
それもボール球だ。ゾーンに入っていても打たないが。
そしてその時が来た。
ストレートとの緩急差を活かしたカーブ。
ゆるいその球を、真田はあえて点で捉える。
内野の頭を越えた。
飛びすぎれば今度は外野フライになる。
だが外野フライが、常に外野の守備範囲に落ちるわけではない。
ぽてりと落ちたボールに、真田は充分な足の速さで一塁に到達。
ピッチャーであるか真田がガッツポーズをしたが、マウンド上の直史は全く表情を変えなかった。
一本のヒットから崩れる選手でないのは、直史も同じである。
ツーアウト一塁であるが、毛利は自分が何とか出れば、それは意味があると思っている。
大介の第四打席。
このまま延長に入っても、もちろん第四打席はやってくる。
レックスは打線の中軸である樋口がいないため、得点力が落ちている。
このまま0行進で延長というのは、充分に考えられる。
ライガースベンチは、既にその可能性を考え始めている。
もしも延長に突入した場合、真田にはどこまで投げさせるのか。
今日の調子はいい真田だ。
球数もまだそれほどはいっていない。
エースが投げ続けるのならば、こちらもエースで対抗するのか。
微妙なところである。
レックスのリリーフ陣とライガースのリリーフ陣を比べれば、確かにレックスの方が優れた数字を残している。
だがレックスは樋口の、支援魔法とでも言うべき強力なリードがない。
ただレギュラーシーズンで直史は、上杉と投げ合って12回をパーフェクトに抑えている。
スターズとライガースで、打線の破壊力が違う。
だからといって安易に、打線の爆発ばかりに期待するというのか。
それでは首脳陣として存在する意味がないだろう。
問題はレックスがどうするかではなく、ライガースがどうするかだ。
真田であればレックス打線を、完封することまでは可能だと思う。
それをどこまで引っ張るかが、問題となってくるだろう。
以前に故障をした時は、一時期リリーフに回ったこともあった真田は、その年にリリーフで八勝している。
それに打算と言うか黒い面から考えれば、今年で真田はFAを行使するつもりだろう。
意図的に壊すつもりはないが、ある程度の酷使には耐えてもらう。
限界まで投げてもらって、そこからリリーフにつなげる。
ただし真田の限界が来たのと同時に、点数を取られてしまうかもしれない。
ライガースは先攻なのである。
レックスに点を取られるというのは、九回以降はそのままサヨナラの意味であることが多いだろう。
六回の裏、真田は調子を上げてきたのか、八番の岸和田に九番の直史を、当たり前のように連続三振で抑え、先頭の西片にも凡打で、三者凡退に打ち取る。
自分がヒットを打ったことで、調子を上げてきているといっていいだろう。
打たれた直史の方は、お返しとばかりにムキになって振ってはこなかった。
冷静に考えて直史は、真田ほどの打撃力はない。
そして七回の表が来て、いよいよ大介の第三打席が回ってくる。
(ここで決める)
大介の勝負師としての感覚が、首のあたりでチリチリといっている。
あと二人ランナーが出て、四打席目が回ってくると思ってはいけない。
延長に突入して、四打席目が回ってくると思ってはいけない。
目の前で大江が、あっさりと内野ゴロに倒れた。
打たせて取るはずのピッチングをしていても、普通に10個は三振を奪う直史が、六回が終わって四奪三振。
この割合は明らかに少ないが、問題は球数である。
調子がいいときの直史は、本当に球数も少ない。
六回までを投げて64球というのは、直史にしてはやや多い。
だが判断には微妙な数字だ。
二打席目には、外野にまで持っていくことは出来た。
だが完全に捉えてはいない。わずかなミートのズレが、スタンドまで運ぶことを不可能にした。
しかしもう直史も、色々と手は尽くしているような気もする。
そう思わせておいて、まだ何かあるかもしれないのが直史であるが。
これが、最後の打席だ。
これが今シーズン最後の対決だ。
全てを燃やし尽くして、一点を奪う。
(て言うかレギュラーシーズンヒット一本なんて、プロに誘っておいた俺が情けなさ過ぎるだろ)
闘志は胸の奥に秘め、そしてマウンド上の直史を見る。
睥睨するかのような視線。
まさにピッチャーは、グラウンドの中の王様だ。
その中でも一番無茶苦茶なこのピッチャーを相手に、大介は一発を狙っていく。
(ただのヒットなら俺の負けだぞ)
追い込んでいくスタイルで、大介は直史に挑んでいく。
大観衆が、思わず応援を忘れて見入ってしまう。
奇妙な静寂の中で、最後の対決が始まった。
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