第50話 化け物になりそこなった男
一回の裏、西片と緒方を三振に取る三者凡退。
二回にも一つ三振を取って三者凡退。
真田は全力を出しているわけではないが、集中を高く保ってレックス打線を抑えている。
上位打線は上手くつながって、下位打線は大砲を置く。
外国人助っ人などの獲得が上手くいかなかった、レックスの今年のへんてこな打線である。
もっともMLBなどの、ホームランが打てなければバッターにあらず、という長打偏重も困ったものであるが。
左打者であれば、真田の敵ではない。
少なくとも大介であっても、左打席では勝率は低い。
しかもその大介は今は味方で、さらにバッテリーを組んでいるキャッチャーも元白富東である。
なんという不思議な因縁かと思うが、この世界で頂点を目指している限りは、こういったこともあるのだろう。
それにFAで移籍すれば、逆に自分以外の周囲がほとんど変わってしまうことになる。
だがそういったチーム力のバランスなどは全て忘れた上で、目の前の相手に勝ちたい。
真田の高校時代に、一度も栄光がなかった元凶。
佐藤兄弟のうち、特に兄の方だ。
甲子園でパーフェクトなどをされているが、真田はあの頃は、バッティングでもプロで通用すると思っていたのだ。
実際にセのチームのピッチャーの中では、かなり今でも打っている方だ。
打率は直史の七倍ほどはある。
そんな真田は、直史に対しては敵愾心が強い。
基本的に真田は、エース同士の投げ合いというものに、積極的であるのだ。
一点あればチームを勝たせる、というのが真田の矜持であったが、それを打ち砕いたのが直史だ。
もちろん直接打ったのは大介であるが、単純に投げ合いに負けたと言うより、向こうはパーフェクトに抑えてきたのだ。
それを上回るピッチングをして、打線陣を奮い立たせることが、真田には出来なかった。
相手が悪かった、と言えばそれまでだろうし、誰も真田を責めないだろうが。
世界史上ナンバーワンかもしれない上杉と対戦しても、負けるつもりでは投げないのが真田である。
それは直史に対しても同じなはずなのだが、どうしても上杉とは違う対抗心がある。
直接甲子園で戦ったからだろうか。
しかし他にも負けたチームはあるのだから、やはり直史が特別なのだ。
上杉は納得せざるをえない。あれは自分には到達できない肉体を持った人間だ。
つまるところ真田は、直史のようなフィジカル的に自分と大差がない人間に、負けていることが我慢ならないのだ。
嫉妬である。
だがそれを乗り越えようともしている。
三回の表、孝司と石井が制圧されて、ラストバッターの真田の打順が回ってくる。
高校時代に比べると、ピッチャーの自分はバッティングの練習時間が減り、直史は確実にレベルアップしている。
対戦したのはレギュラーシーズンでは一度だけだが、直史は大介と西郷を三打席目まで抑えて、マウンドを降りた。
真田との三打席目に、対戦する意味はないとでも言いたいがように。
真田もバッターとして、直史をどうしても打ちたいと思っているわけではない。
だが現状、誰かが打たなければ、ライガースは勝てないのだ。
引き分けたら日本シリーズに進むのはレックスになる。
他のピッチャーだったら馬鹿なと思うが、直史であれば延長まで無失点で投げぬきかねない。
自分もまた、一人のバッターとして、攻略に力をかけなければいけない。
肩に力の入った真田の様子を、金剛寺はしっかりと見ている。
ツーアウトであるし、ここから得点につなぐには難しいと分かっているが、真田に三振してこいとは言わない。
真田が直史に対して、ライバル心を持っているのは分かっている。
それがマイナスの方向に働けば問題だが、真田のような超一流の選手は、自分の感情の使い方を知っている。
向上心と単純に美しくいうには、あまりにも複雑な感情。
そう、執念とでも呼ぶべきものがなければ、限界を超えてはいけない。
ちなみに直史は限界ぎりぎりは攻めない人間だ。
効率と合理性だけを考えて、高校大学と野球をやってきた。
今もどんなコーチにも、自分の練習やトレーニングには口を出させない。
必要があったらこちらから聞くというスタイルで、だいたいは樋口の知識で事足りる。
真田に対する直史は、他のバッターと同じ存在だとは考えない。
感情的な要素が強いが、投手戦においてピッチャーがヒットを打ったりすると、チームがよりパワーマックスでかかってくることになる。
直史はそういったことはしないが、真田はするだろう。
だからここも慎重に、塁に出さないように投げなければいけない。
さらに言うならヒットはもっと悪い。
ヒットもフォアボールも、出塁は同じ、という考えがセイバーだ。
それは確かに成績を評価する時には、分かりやすいのかもしれない。
だが実戦においては、精密機械のような投手からフォアボールで塁に出るのは価値が高いし、打てないピッチャーからは打ってヒットで出るのは価値が高い。
それぞれ意味があるのだ。これを無視していれば、むしろそれは非現実的なことになる。
ホームコートアドバンテージなどと言われるように、応援が選手の能力を高めないとでも言うのか。
期待を背負ってプロ野球選手は、その打席に立つのではないか。
だから真田は、ちゃんと抑えなければいけない。
調子に乗った真田から点を取るのは、普段より弱体化しているレックス打線には、難しいものになるのは間違いない。
というわけで、ちゃんと勝負してみた。
ゾーンのぎりぎりからしっかりと入れて、難しい球には手を出させない。
追い込んでからは際どい球を一球投げて視点を誘導し、そこから最後はスローカーブで空振りを取る。
打てるエースを抑えることは、むしろ高校時代によくやっていたことだ。
三回までパーフェクトピッチング。
ただ真田も一人のランナーも出していないので、この裏にはどうにかしたいところだ。
一発があるプルヒッターの外国人など、真田が一番料理が上手いタイプだ。
そして次が八番の岸和田である。
バッティングも優れたキャッチャーとして、大学時代には鳴らしていたのだ。
右打者であるので、真田との相性も悪くないはずだ。
打線に樋口がいないことが、やはり響いている。
ここで打ったとしても、次はほぼ自動でアウトの直史だ。
岸和田は足が遅いので、ダブルプレイの可能性もある。
いやそもそも一番まで回っても、左の西片は真田と相性が悪い。
いやいや、それならさらに、二番の小此木が先頭打者になるように、どうにかして打って置いたほうがいいのか、
そんなことを考えていて、真田を打てるはずはない。
あっさりと内野ゴロで凡退し、次の直史は三振。
三回の裏が終わって、両投手パーフェクトピッチングである。
四回、ライガースの攻撃は、一番の毛利から。
いい打順である。これがまだ、一人もランナーが出ていないという事実を無視するなら。
大介はバットを持つと、ベンチの前で自分の打順を待つ。
おそらく、ツーアウトランナーなしで回ってくるだろう。
味方の打線を信じていないのではなく、直史の投球術を信じてしまっているだけだ。
ライガースにおいて九年目。
高卒野手としては早くから活躍し始めた毛利と、一年早く入ってきていた大江。
厄介なバッターと、面倒なバッターであるが、直史が打てるとは思えない。
万一打ってしまったら、ホームランではなくランナーを返すために、長打まででいいバッティングを求められる。
ケースバッティングが必要になる。
だがそれは逆に、大介にとっては打ちにくくなる。
そもそも長打というのは、強くボールを打つしかないのだ。
ヒットの延長にホームランがあるのか、ホームランの打ちそこないがヒットなのか。
大介にとってヒットはヒット、ホームランはホームランで、明確に分けるべきものだ。
何を打つか、大介は想定する。
前の打者が凡退していく中、狙い球は絞られていく。
直史が投げる中で、一番多い球種はカーブ。
ただしカーブにおいても、色々な種類を投げてくる。
だが、カーブだ。
カーブを狙って打つ。
狙いを悟られてはいけない。
どんな球にでも対処していくつもりで、力を抜いてバッターボックスに入る。
マウンド上の直史は、普段と変わらない無表情。
もしこれが、日本シリーズの胴上げ投手になっても、変わらないのだろうか。
(そんときゃ俺らが負けてるじゃねえか)
大介は殺気を隠しながら、直史と対峙する。
直史はおそらく、カーブで緩急をつけてくる。
チェンジアップも使えるのだが、カーブの方が変化量も大きいためお気に入りだ。
そもそもカーブとチェンジアップは、同じ緩急を取るためのボールでも、意味が全く違う。
チェンジアップはストレートなどと同じピッチトンネルで投げるから、その速度の差で幻惑するのだ。
直史の場合はそれに変化もかかっているので、だから打てない。
ただ大介は、チェンジアップであっても、懐に呼び込んで打つ自信はある。
初球、いきなりカーブで来るか。
そう狙っていた大介は、直史の体が沈んだのを見た。
アンダースロー。それはつまり――。
(フェザー!)
高校時代に苦し紛れに使っていた、羽がふわふわと落ちるようなカーブ。
狙っていたはずのカーブだが、大介は素早くボールに背を向けた。
ストライクがコールされたが、これは本当のゾーンを通っていたにしろ、大介のバッティング放棄に対する警告という意味もあるのだろう。
ここでこんなものを使うのか、と大介は呆れる。
プロ入りしてから一度も、直史はアンダースローは使ってなかったはずだ。
大介のためだけに、ずっと残しておいたのか、
それもわずか、一つのストライクカウントのために。
狙い通りのカーブなのに、それを打つことが出来なかった。
この初球で、大介は一気に追い詰められた気分になる。
だが冷静に考えれば、これは直史が切れる札を、どんどんと切っている状態だ。
ここで大介を抑えても、まだもう一打席ある。
それまでにあとどれだけの切り札があるというのか。
直史は魔球使いではない。
ただひたすら、コンビネーションが多いのと、心理洞察に長けている。
続くボールは、インコースのストレート。
やや遅かった。これこそまさにチェンジアップだ。
わずかに体を開いて打つのが早く、ボールはライト方向に飛んでいく。
ポールをずっと切れていく大きなファールだが、惜しくもなんともない。
ツーストライクと追い込まれた。
直史なら三球勝負もないではないが、大介相手にはもっとじっくりと組み立ててくる可能性もある。
(スプリットを投げて落としても、三振はしないぞ)
そしてシンカーならば、大介ならついていってカットするぐらいは出来る。
外の際どいところを突いてきて、最後には内で勝負か。
いや、それはあまりにも安易な読みだ。
カーブを打つ。それは変わらない。
あとはカットしていくだけだ。
そして直史が投げたのは、ストレートだった。
(速い!)
二球目に投げ込んだ内角とは違う、本当のストレート。
だが大介のスイングスピードなら、これは打てる。
打て!
そして飛んでいけ!
インパクトの瞬間、己の敗北を悟った。
ボールを切断する、あのホームランになるイメージがない。
事実打球は、それなりの高さでそれなりに遠くに飛んでいくが、風が吹いてもスタンドには入らないだろう。
ライトのエラーを期待して走ってはおくが、それも無駄であった。
かなり深いところ、タッチアップの犠飛であったら完璧であったが、もちろんランナーなどはいない。
スリーアウト。大介の二打席目が終わった。
三球勝負で負けた。
前のボールのストレートは遅かった。それにおそらく意図的に、スピンがかからないようにしてあった。
それでもレベルスイングから、大きなライトへの切れるフライは打つことが出来た。
そして最後は、MAX152km/hのストレートを、インハイに投げられた。
振り遅れではない。詰まったとも言えない。
自分がしとめそこなったのだ。
ベンチに戻った大介は、静かにバットをしまうと、グラブを持ってグラウンドに向かう。
ベンチの中の雰囲気は、だんだんと重苦しいものになっている。
真田は同じようにパーフェクトピッチングを続けているのだが、直史と真田では、この段階でのパーフェクトピッチングの意味が違う。
(そういや今の回は、球数も少なかったよな)
大介も三球でしとめられたが、大江も二球しか投げさせていない。
ベンチの中の直史を見る。
水分補給をするその姿は、別に疲れてもいなければ、笑みを浮かべてもいない。
試合を淡々と進めていくことに、全てを捧げているかのようだ。
(12回を引き分けでも、うちの負けなんだよな)
なんとしてでも、勝つしかないのだ。
その前の段階として、パーフェクトピッチングをどうにか崩さなければいけないが。
第一戦も大介のヒット一本だけだったのだ。
レギュラーシーズンから、本当にその一本だけ。
この試合が終われば、日本シリーズまでは四日間。
直史ならば回復してくるだろう。
それにいくらなんでも、直史だけで日本シリーズは勝てない。
(そんなことは考える意味はないけどな)
確実に回ってくる三打席目を、大介は待ち望む。
その時点で試合が動いていなければ、間違いなくレックスは、大介を封じようとしてくるだろう。
この回、真田もまた、レックスの打線を三人で終わらせた。
直史と違って、三振が多い組み立てだ。
この試合、勝たなければ意味がないと分かっている。
そのために力投しているのだ。
一発があれば動く。
五回の表、ライガースの先頭は西郷からである。
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