第44話 秘密

※ ファイナルステージ中は、基本東方編が本編、飛翔編が裏事情などになりますので、東方編を先に読むことをオススメします。




×××




 上杉の症状の詳細は、翌日には関東の大学病院にて精密検査がされ、すぐに結果が出てきた。

 右肩を動かす筋肉をつないでいる部分を腱板と呼ぶが、そことつながる棘上筋という筋肉が完全に断裂していた。

 もちろんこれでは、腕も持ち上がらない。

 手術をしてつなげた上で、それが定着するまで待って、そこからリハビリが開始される。

 スポーツ選手でなくとも、時々衝撃などで、あることなのだ、

 だがここまで見事に断裂していると、復帰云々の問題ではなくなる。


 くっつけること自体は問題ないのだ。

 それにおよそ三ヶ月かかりそこから普通の人間のように、肩が動かせるようになるまで、また三ヶ月のリハビリ。

 完全に筋力を失ったであろう状態から、腕を上げてボールを5mほど投げるところから開始する。そんなリハビリだ。

 投球動作で球が投げられるようになるには、おそらく九ヶ月から一年。

 ただし元の通りに投げられる可能性は、極めて低い。


 上杉という不世出の大投手の、選手生命は終わったのかもしれない。

 だがそれでも、やるべきことはやらなければいけない。

 監督や症状について聞いたトレーナー、そしてフロント陣が一室に集まる。

 起用法については、監督やここにはいないコーチに批難が集まる。

「わしのクビが必要でしょう。とりあえず後任やこの件が終われば切ってもらってけっこう」

 現在の監督である袴田は、潔くそう言った。

 確かに上杉に頼りすぎたのは自分だし、選手の管理も自分の責任だ。

 言いたいことは色々とあるが、それよりは先に上杉の治療方針をどうするかだ。

「それについてですが、実は一つ提案が入ってきています」

 フロントの編成部長が、なぜかそんなことを話し始めた。

「いや待て。どこの話か知らんが、昨日の今日で話が来ているのか? 洩れているのか?」

 上杉のことについては、選手の中にもまだ情報は広まっていないはずだ。

 だが、外部から接触があったのか?


 しかも編成部長に声がかかるというのが、よく分からない。

「エージェントのドン野中氏から、アメリカの最先端医療を試してみないかというものです」

 思わず顔を歪める者がいるのは、ドン野中の日米野球の移籍に関する影響力を知っているからだ。

「対価は?」

「いえ、それが何も」

「そんなわけはないだろう」

 フロント陣にとってドン野中は、確かに有能な代理人である。

 フロント陣がそう評価するということは、選手にしっかりと儲けさせるからだ。

 いい選手を格安で持ってくる、ということは滅多にしない。

 かなり高くてそこそこ活躍してくれる選手を、とにかくたくさんパイプを作っているのだ。


 必要な時には利用したいが、常につながっていたくはない。

 銭ゲバとフロント陣は言うが、それはあくまで彼らからの見方であって、選手にとっては確実に稼ぐチャンスを作ってくれる、素晴らしい代理人なのだ。

「どこから洩れたのかは、この際はいいだろう。だがアメリカの最先端医療だと?」

 新しいものは、大概が海の向こうからやってくる。

 そして国内で魔改造するのが、日本のお家芸だ。

 だがそれも、今の時点ではまだ新しすぎる。


 手術も含めて、治療はアメリカで行うことになるだろう。

 ただし幸いなことに、高額な治療であっても、上杉は資産を持っているし、球団からも資金は出る。

 たとえ復活の可能性が低くても、球団は絶対に出さないといけないのだ。

「そもそもチームドクターはなんと言っているんだ?」

「そちらとは全く別口です」

「それでは話にならん……とも言えないのか?」

 上杉は特別である。それは認めなければいけない。

 だが組織としては、本来のあるべき姿を出来るだけ守らないといけない。


 しかしこの場にいるGMは、優先順位を間違ってはいない。

「上杉選手を治療することを、第一に考えましょう。その別口できたという話も、ちゃんと持っていって精査してもらいます」

 上杉の商品価値というのは、その年俸分などというものではない。

 彼一人の動きで、年間1000億単位の金が動くのだ。

 単純に野球選手として優れているからではない。

 そのスター性は、一億以下の替えが利く選手とは違うのだ。

「ドクターのチーフは、どうせ治せないと言うでしょう。ただそれで済ませられないのが我々フロントです」

 その語る言葉は冷たく、しかしながら頼もしいものであった。

「上杉選手をこのまま引退させたら、我々全員のクビも切られると覚悟するように」

 そして復活へのドラマが始まる。




 おいしい仕事だな、と野中は思う。

 確かに話を通すために、自分の伝手は必要であった。

 しかし彼女であれば別口でも、普通に話を伝えることが出来たはずだ。

 もっとも他の誰かがもっと早くできるなら、任せてしまうのがセイバーのやり方だ。

 そのために金というものがあるのだ。


 上杉の治療は今までの日本には前例のない、新しい治療法となる。

 正確にはこれまでにも、似たようなことは行われてきた。

 だが超一流のスポーツ選手の、ここまでの怪我にそれを使うのは、確かに初めてなのだ。

 

 根回しをしなければいけない。

 もちろんスターズの人間には知られないように、面子を潰さないように。

 金だけで片がつくならいいが、専門分野の人間には、それだけでは足らないものがある。

「まあ日本の権威主義が、こういう時にはありがたいですけど」

 上杉の支持者には、政治家も大量にいるのだ。


 あとはどの段階で、上杉の故障を発表するかだ。

 それと肝心の外科手術は、やはりアメリカに行かなければいけない。

 別に日本に来てもらってもいいのだが、術後の経過やリハビリを考えては、アメリカで一年はいる必要があるだろう。

 来季は丸々絶望であるが、それでも未来に可能性は広がっている。

(せっかく治療してあげたんだから、感謝は形でしてもらいませんとね)

 セイバーは言葉にはしないが、小悪魔の微笑を浮かべていた。




 スポーツドクターの整形外科医は、それぞれに専門があったりする。

 もちろん全体的に見ることは出来るが、得意な分野が違うのだ。

 そもそもスポーツ選手の中でも、億を稼ぐようなトップ選手は、一人の医者の意見だけで治療方針が決まるものではない。

 筋肉を診るのが上手い者、腱や靭帯を診る者、そして骨を診る者など。

 神経まで診るのだから、一人では追いつかないというのが当然である。


 それらの全ての医師が、これはもうダメだな、という判断をした。

 もちろん日常生活を送れるように、普通に治療する必要はあるだろう。

 リハビリをすれば130km/h程度のストレートを、投げるまで回復するかもしれない。

 だがそういった希望を破壊するほどに、上杉の右肩の状態は悪かった。

 上杉が130km/hを投げて、誰が満足するのか。


 しかしそこに、別の話が絡んでくる。

 アメリカの最新治療と聞いて、確かにこれは治癒するまでは早いし確実だな、と思われた。これまでにこの分野ではなされたことがなかったが。

 だがどのみち、元の球速が戻らないという点では、同じく意味がないものだ。

 チームの医師団としての意見は統一される。

 だがそれでも球団は、その治療法を選択した。

 成功するか失敗するかではない。

 上杉がその治療を受けることが、既に目的となっているのだ。


 まずは手術のためにアメリカへ。

 しかしそのまま、治療とリハビリのために向こうに滞在することになる。

 奥さんに説明するのは大変だな、とGM自ら上杉の病室を訪れる。

 一人部屋で、完全に情報が洩れないVIPルームのはずだが、すでにどこかで情報は洩れていた。

「いえ、私も一緒に行きますよ?」

 明日美はごく普通にそう言った。

「旦那様のお世話をするのは、妻の務めです」

 小さな子供もいて大変だと思うのだが、明日美は完全にやる気である。


 上杉は周囲の人間に恵まれている。

 いや、多くの人間が彼のために力を尽くしたいと思ってしまうのか。

 ともあれ上杉復活計画は、誰の反対もなく動き出したのだ。

 ここからすぐに、アメリカに飛ぶことになる。

「クライマックスシリーズは、日本で見届けたかったものだがな」

 上杉が寂しそうに言ったのは、それぐらいであった。


 球団のフロント陣から首脳陣、選手から裏方まで、およそ全ての見舞いを受けてから、上杉は旅立つ。

 ごくわずかな復活の可能性を賭けて、海の向こうへと。

 かつてWBCやそれ以外でも、何度も訪れているアメリカ。

 だが今回のそれは、今までとは全く事情が違うものであった。




 上杉を動かしたら、スターズ全体が動いた。

 相変わらずとんでもない牽引力である。

 次に考えなければいけないことは、上杉の復活を祈ることではない。

 それはさすがに、セイバーの及ぶ範囲を超えている。


 新しい医療というが、まだ臨床例が少なすぎて、どれだけの効果が出るのかは分からない。

 治癒する速度が早くなるのだけは間違いないが、他に何があると言っていいのか。

 ただ治癒力の強化も、かなりの部分が見込まれる。

 大人よりも子供の方が、治癒が早いのと同じことだ。


 とりあえずそこはもう任せて、次の仕込みに入る。

 ただそれは、今後の展開次第であるのだが。

「順番的には、レックスが勝ってくれた方がいいんだけど」

「すごく優しい顔をして悪巧みするのやめなさい」

 早乙女にそう言われて、首を傾げるセイバーである。

「優しい顔?」

「まあいつも考えていることは一緒なのかもしれないけど」

「私はいつも、利益を出すことしか考えていませんよ? 違うのはそれが、短期的なものか長期的なものかというだけで」

 短期的なものは、誰にも分かりやすい。

 だが長期的なものは、短期的には色々な人間に不利益をもたらす。

 既得権益を破壊するものなどは、その分かりやすい例だ。


 基本的にセイバーは、既得権益というものは嫌いである。

 それは既に持っているものが、さらに自分の持つものを増やすか、減らないようにするために存在しているからだ。

 社会の流動性がなければ、そこに人類の革新は生まれにくくなる。

 もっとも資産というのは一気に使わなければ効果を発揮し得ないというのも、確かなことだ。

 セイバーが考えているのは、日本のプロ野球の経営の健全化。

 球団が赤字であっても、そのブランドイメージのためだけに、保有することを考える企業は多い。

「破壊と衝撃」

 楽しそうに陰謀をめぐらすセイバーは、いよいよ本格的に動く時が来たと感じていた。


 彼女が知っている、そして投げれるのを止めていることも、色々とある。

 動き出してしまえば、それはもう止まらないのだ。

「今はただ、ひたすらに勝負を楽しんでほしいわね」

 セイバーの見る中継において、レックスは第一戦を、完全にライガースより有利に進めていた。




 佐藤直史VS白石大介。

 このファイナルステージ第一試合の見所は、そこだけしかない。

 試合の勝敗は、先発ピッチャーの名前を見たときから、どうなるか既に分かっていた。

「完全に捨ててるよなあ」

「大原君、かなり気の毒だね」

 今日の練習は早上がりだと、選手たちに告げていそいそと帰宅したジンである。

 ちなみにライガースとスターズの第三戦も、練習は早めに切り上げた。


 それでいいのか高校野球監督、とツッコミが入るところかもしれないが、生徒たちもそれを見たがっていたので文句など出ない。

 甲子園を目指すようなチームの選手であっても、プロにまで進むのはせいぜい、学年に一人か二人。

 大学を経由してからなら、もう一人いるかどうか。

 甲子園を制覇したとしても、それでプロへの道が開けているとは限らない。

 プロのスカウトが見るのはチームの実績ではなく、選手の素質であるからだ。


 うちの監督は現役時代、甲子園を春夏連覇した。

 生徒たちにとって、それ以上の説得力はないのだ。

 加えて言うなら甲子園出場は四季連続で、タイタンズの岩崎や、レックスの佐藤兄弟のボールを受けていた。

 実際に監督に就任以来、色々と手を加えてはいる。

 そしてこの秋も、県大会ベスト4までは持っていったのだ。


 帝都姫路は帝都大系列であるが、東京の帝都一と違って、甲子園常連というわけではない。

 甲子園で必要な人材だと思ったら、帝都一の方が優先して特待生やスポーツ推薦で取っていくからだ。

 帝都姫路はそういったわけで、地元から動きたくないとか、なんらかのほかの理由、あるいは単純に能力不足の選手などが、チームを構成している。

 もっともそれでも、過去に何度か甲子園には行っている。


 ジンとしてもここで実績を上げて、帝都一の監督をという考えはあった。

 だが甲子園のある兵庫県でありながら、帝都姫路はそこへの道が遠い。

 それでもこの新チームは、とジンは思っている。

 高校野球というのは、実力差など簡単に覆るものである。

 およそ全体的に、体感七割の力があれば、ジャイアントキリングは起こせる。


 それに来年の新入生には、良さそうなものが入ってくるのだ。

 帝都一のスカウトが、見逃したわけではないが、スルーしたピッチャー。

 守備やバッティングはある程度練習でどうにかなるし、作戦は色々と考えている。

 だからそこに核となるエースが一人いれば、甲子園を目指せると思うのだ。


 甲子園でこの試合をやってくれてたらな、とジンは思うのだ。

 ライガースが勝ち上がってくれば、また日本シリーズで、甲子園で試合を行うことになるだろう。

 だがおそらく、今年はレックスが日本シリーズへ進む。

 そして当たり前のように、日本一になると思う。

「二打席目の樋口、どうかな」

「さっきは珍しいことしてたけどね」

「珍しいし、ちょっと今日はバッテリーの呼吸が合ってない気はするんだよな」

 ジンから見ても、樋口は優秀なキャッチャーだ。

 それが直史にあれだけ首を振られるというのは、相当に珍しい現象である。


 ただ、この試合の見所は、そこではない。

 直史と大介の対決、そこだけだ。

 初回に三点を取った時点で、試合自体は決まったようなものだ。

 だからあとは、両者の対決を見るだけなのだが。

「ナオもかなり、本気になってるよな」

「そりゃあまあ、大介が相手だからね」

 シーナはそう言うが、ジンから見るとシーズン中の直史は、かなり試行錯誤していたように思えるのだ。

 シーズン中の試合は、はっきり言って負けても取り返せる。

 そんな試合でさえ、直史は一つも落とさなかったわけだが。


 かつては同じチームで、二人と一緒に戦った投打の極み。

 その対戦が、世界中で見ることが出来る。

「あと四年間か」

 裏事情を知るジンは、それがもっと続けばいいのにな、とはさすがに思わずにはいられなかった。

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