第116話 エンターテイメント
人類は野球がなくても滅亡しない。
サッカーがなくても滅亡しないし、バスケットボールがなくても滅亡しない。
狩猟などの延長である競技はまた別かもしれないが、多くの競技の興行は、娯楽であり虚業である。
だがそれでもこれがなければ、悲しんだり苦しんだりする人間はいるだろう。
そしてこれを楽しみに、生きる糧とする者もいるだろう。
人間らしさというのは、こういうものを楽しめることをいうのかもしれない。
ならば野球は、ベースボールはどういう勝負をすればいいのか。
少なくともランナーのいない状況で、強打者を敬遠するというのは、ルール上は間違っていなくても、プロスポーツとしては間違っている。
青いことをいうならば、エンターテイメントはそのパフォーマンスを見せ付けるものだ。
力と力、技と技。
そこに戦術と戦術を持ち込み、強打者との対決を回避することが、どこまで許されるか。
それはファンが決めることだ。
誰かが切り開いてきた道を、最初は歩いていく。
その途上において、ほとんどの人間は力尽きていく。
何も死ぬわけではない。野球においては引退という選択肢になる。
だがほんのごくわずかな人間だけは、道の果てを切り開いていく。
お前の前に道はない。
お前の後に道が出来る。
大介のやっているのはそういうことだ。
ワールドシリーズ第二戦。
大介はこの日は、二番として打線の中に入っている。
一回の表にアストロノーツに一点を先制され、そして一番カーペンターが出塁。
ホームランが出たら早くも逆転という場面で、あちらのFMはどう出てくるか。
今日のメトロズの先発はスタントン。
18勝5敗の好成績を残しているが、防御率やWHIPなどの値がそれほど秀逸なわけではない。
アストロノーツのFMは勝負を選択する。
もちろんピッチャーが拒否することもあるが。
試合前から大介は、色々とマスコミに取り囲まれていた。
本人は全く気にしていなかたのだが、アメリカの野球マスコミは数値化が好きだ。
そして大介のホームランや打点の記録に、興奮するらしい。
どうせならプレイを見て興奮しろと思うが、大介もそれが作戦の上で大切なことは分かる。
ピッチャーの配球の研究などで、高校時代からジンが口やかましく言っていた。
基本的なことは効果的なことだ。
だからこそそこを外して、あるいはそこのど真ん中に、ピッチャーは投げてくることがある。
このあたりの駆け引きは、経験と直感によるしかない。
大介は随分とプロで鍛えられたと思っていたものだが、直史のど真ん中ストレートは打てなかったりした。
勝負してくるのかどうか。
現実的に考えれば、まともには勝負してこないだろうと思う。
今日の先発であるポーターは、サウスポーだ。
そして球種の中にはスライダーがある。
大介がサウスポーのフロントドア系スライド変化を苦手としていることは、一応知られている。
だが体を上手く開いてしまって、そこから打っていくこともあったりする。
(こいつ若いんだよな)
ポーターは23歳で、本格的にメジャーデビューをしたのは去年から。
なので映像などはそこそこ出回っているが、現在の完成形のスタイルの、配球データが不完全なのだ。
ただ、それはそれで面白い。
反射だけで打っていくのも、勝負の醍醐味の一つだ。
ポーターの第一球は、ほぼ真ん中あたりに。
だが大介の目は、その回転を捉えていた。
ツーシーム回転。懐に飛び込んでくる。
バットコントロールでそれを迎え打ったが、打球は上がりきらない。
ライトの頭上は越えたが、フェンス直撃にとどまる。
それでも俊足のカーペンターは、一気にホームにまで戻ってきた。
ホームランよりも大介にとっては、はるかに打つのが難しいスリーベース。
とりあえずポストシーズン打点を更新し、さてこれからという大介であった。
アストロノーツは過去に、MLB史上稀に見る不祥事を起こしている。
サイン盗みだ。
外野からキャッチャーのサインを観測し、それをベンチに教えてベンチから球種を知らせる。
だが実際のところ、これの対策はすぐに済んだ。
キャッチャーの構えたところと、投げるコースを変えただけだ。
これによって明らかに打者の成績が落ちて、それからサイン盗みが告発されて、一時期はMLBにおける最大の悪役チームとなったものだ。
だがそれはもう、今の選手には関係ない。
サイン盗みはともかくとして、それ以降もまた成績を上げてきている。
数年に一度はチームを解体して弱くなるが、数年内には確実に強くなってくる。
人事を一新してしまえば、チームのカラーも変わるというものだ。
大介としてはサイン盗むなどしなくても、おおよそピッチャーが何を投げるのかは分かる。
動体視力でリリースされる瞬間の握りを見るのだ。
もちろんピッチャーによっては体の開きが遅く、スピードとは関係なく打ちにくい者も多い。
だが単純なパワーピッチャーであれば、球種によって明らかにフォームが変わってしまう者もいる。
分かっていても打てないほどのボールを、投げればいいのだという論もある。
だが少なくとも大介は、分かっていれば必ず打てる。
(打ちすぎたか)
申告敬遠まではしないにしても、外で勝負してくる。
大介が外のボール球を広く打ってしまうため、ボール球でもストライク判定されてしまうことが多い。
NPBでも外国人選手に、ストライクゾーンが広がったということはあるが、大介にも似たようなことが起きている。
ただそれは大介が、ボール球でも相当数をホームランにしてしまったからだ。
この試合はどうやら、敵にも味方にもゾーンが広くなっているらしい。
大介のゾーンばかりを広げているわけではないので、それは公平だ。
あまりバッターのみが活躍するのも、それはそれでよくない。
MLBは過去に、多くのルール改正という名の改変で、ピッチャーの有利さをなくしていったということがある。
ピッチャーが今日のストライクゾーンは広いなと気づいてからは、点が入らなくなっていった。
ボール一個分と言うよりは、せいぜい半分程度だろう。
コントロールのいいピッチャーは、この隙を突いてこれる。
だが少なくともスタントンは、そういう細かいピッチャーではない。
今日のような試合こそ、モーニングには向いているのだ。
だが審判のその日の傾向など、試合前に分かるものではない。
ただMLB全体が、大介の試合はやや、ピッチャーを有利にすべきだと考えているのは分かる。
他のバッターには気の毒だが、あまりにも一人の成績が突出しすぎている。
20世紀以降のシーズンに限っても、打率が四割を超えた打者などというのは、10人もいないぐらいだ。
その伝説の領域に、大介は足を踏み入れているわけである。
この試合でもランナーがいなければ、素直にフォアボールを選んでランナーに出る。
そしてすかさず盗塁だ。
実は大介はポストシーズンに入ってから、一つの試合を除いて盗塁を成功させている。
MLBのピッチャーは、あくまでも投げるのが仕事。
そう考えているピッチャーからは、かなり盗むことは簡単だ。
ただキャッチャーは総じて、日本のキャッチャーよりも肩が強いだろう。
ピッチャーをやらせれば普通に150km/hが出せるキャッチャーがうようよといる。
それでもピッチャーのクイックが遅ければ、簡単に二塁までは走れる。
向こうがのんびり刺殺をキャッチャーに任せるなら、その間に三塁まで達することもある。
いくつかの条件は必要だが、むしろ三盗はサウスポーからの方がしやすかったりする。
今日はそこまではやらないが、リードを大きく取ってピッチャーに投げにくくさせた。
おかげでホームにまで帰ってこられる。
そして延長にまで試合は延びて、アストロノーツには悪夢の展開がやってきた。
3-3のスコアで、ワンナウト満塁。
バッターボックスには五打席目の大介が入っている。
敬遠したら当然、押し出しで逆転サヨナラというものだ。
これは楽だな、と大介は考える。
満塁であるのだから、とにかく外野の奥にさえ運べば、それでもう一点が入る。
やや深めに外野が守っているのは、それより前でも後でも、どうせ間に合わないことが分かっているからだろう。
ここでピッチャーに求められるのは三振だ。
内野フライでもいいが、ゴロですらあまり良くない。
もっともゴロならば、ダブルプレイという可能性も出てくるが。
投げられたボールは、フォーシームストレート。
球速、ホップ量、そのあたりを考えると当たり前のボールだ。
大介はそれを、素直に打った。
打球は伸びていくが、スタンドまでは行かずに失速する。
だがフェンス際で、送球のために助走を取ることも出来ない。
「お仕事終了」
キャッチしたセンターが必死で投げるが、代走を送られた三塁ランナーは、余裕でホームに戻ってきた。
メトロズが二連勝し、地元は大きく盛り上がることになる。
ヒューストンはテキサス州最大の都市であり、アメリカでも有数の工業・科学都市だ。
経済の規模でもニューヨークに次ぐレベルであり、あとは石油が取れたりもする。
NASAのジョンソン宇宙センターがあることでも知られ、宇宙に近い街、ということも言えようか。
スポーツもNFLにNBAのチームが存在し、盛んな街であると言っていいだろう。
シーズンが終われば観光でもしようかな、と思える。
緯度が違うので当たり前だが、この季節になってもヒューストンは暖かい。
暑さには強い大介としては、ニューヨークよりもこちらの方が、動きやすいとも言える。
どうせなら優勝は地元で、と考えたこともあるが、勝てるときに勝っておかないといけない。
興行的には最終戦まで、あるいはせめてニューヨークに戻るまで引き伸ばしたほうが盛り上がるのだろうが、それで手を抜くわけにもいかない。
ただアストロノーツも、大介と勝負したり歩かせたりして、その脅威は分かってきているはずだ。
実際の対戦経験から、どういった対策を採ってくるのか。
試合になってみないと、それは分からないものだ。
大介はやたらと歩かされて、そして多くの盗塁を行っているが、疲れてはいない。
日程的に移動日にちゃんと休めるというのが、パフォーマンスを最大限に発揮するのに役立っている。
ただ、こちらにツインズは連れてこれていない。
椿はいまだに毎日リハビリを行っているし、桜は三人の子供の世話で手一杯だ。
活発な昇馬と、まだ乳飲み子の里紗と伊里野を連れて、こんなところまで応援しにくることは難しい。
まだこれから、いくらでもチャンスはある。
大介はそう考えているが、30もチームのあるMLBにおいては、優勝する確立はNPBよりも少ない。
ただトレードやFA移籍は日本よりも活発なので、チームの移動はしやすい。
しかし強いチームでも、最後まで勝ち抜いて優勝できるが。
そこは大介一人ではどうにもならないところだ。
真夏になるとメタクソ暑くなるというヒューストンであるが、10月には野球をやるには丁度いいぐらいだ。
それに真夏の暑さにしても、甲子園ほどではないだろう。
日本の場合は単純に暑いのではなく、湿度が高い。
なのでよりその環境が苛酷になる。
甲子園のマウンドなど、体感では50℃を超えているのではないかとも思う。
あそこで投げたから強いのかな、と大介は思うことがある。
上杉や直史、そして真田といったあたり。
もちろん甲子園に出場できなかったピッチャーも、たくさんプロには入ってきている。
だがあの舞台は、高校三年間の間だけの輝き。
ライガースの選手たちは、その残滓を味わうことが出来ているが。
ヒューストンの本拠地アストロスタジアムは、特徴のある球場が多いMLBの中でも、かなり特徴的だ。
開閉式の天井があるという点では、日本にも同じようなものはある。
だがこの球場の外野の形が、かなり独特なのだ。
アメリカのスタジアムは左右非対称が当たり前。
その中でもかなり、このスタジアムは右打者に有利の形になっている。
歴史的建造物が隣接しているため、外野は左翼が右翼に比べて浅く、左中間にもふくらみがない。
ただしその分、フェンスは左翼側が高い。
ポールぎりぎりのホームランをライトに打ったら、ジャンプ力のある選手ならホームランを掴み取れるな、とも思えた。
まあ弾丸ライナーで運ぶなら、大介にとってはむしろ打ちやすいものだ。
観客収容数は四万ちょいと、それほど多くもない。
このポストシーズンには、当然のように満員になっている。
アウェイでの対戦なので、当然ながらメトロズが先攻となる。
ここでチームはまたしても、大介を一番バッターに持ってきた。
ピッチャーにとっても己の調子を確かめたい先頭打者。
それが大介と当たるというのは、いきなりの試練である。
ポストシーズンに入ってからの大介は、打率が0.571に出塁率が0.745と化け物と言うよりは異次元の数字を残している。
OPSが2を超えているというのが、もう冗談よりもひどい現実だ。
来年のシーズンまでに、なんとか対処は見つかるのだろうか。
(大きく外してくるか、当ててもいいぐらいの内角に投げてくるか、どっちかな)
意図的なビーンボールを防ぐために、大介はエルボーガードを着けている。
本当ならば防具は付けないほうが、感覚は鋭くなる。
だが大介の圧倒的な動体視力と反射神経をもってしても、回避とバットでの弾き返しだけでは、無理がある。
体の真ん中あたりに投げられれば、もう防具でガードするしかない。
それでもエルボーガードぐらいにするのが、大介の余裕の表れであるのか。
初球からいきなり、内角どころか当たるコースに投げてきた。
待ち構えていた大介は、それをバットで弾き返した。
ファールグラウンドに飛ばしたので、向こうはストライクカウントを一つ得したことになる。
次は外に投げてくるのかな、と想像がつかないわけではない。
報復打球の考えも頭に浮かぶが、これはそんなショーをするよりも、一点が大事な決戦だ。
狙えるようなボールが投げられれば、ジャストミートしてやる。
それでスタンドまで運ぶのが、大介にとってのポストシーズンでの報復打球だ。
ビーンボールででも、相手の指などを折れば、大介の成績を下げることは出来る。
こんな小柄なバッターに対して、そこまでをやるのかという屈辱。
だが下手なプライドを持っても、意味がないことは分かっている。
外に投げて、次にはまた内角。
この厳しいコースによって、どうにかバッティングの爆発を防ぐ。
結果的に歩かせることになれば、それは仕方がない。
そう思って投げた、外に外れたストレート。
大介はヘッドを走らせて、そのボール球を叩いた。
回転のかかった打球は、レフト方向へと曲がっていく。
だがポールを巻いて、ホームランになった。
先頭打者ホームラン。
メトロズはまたも、この試合での主導権を握りにきたのであった。
大介に好きに打たせたら負ける。
それは分かっていたはずである。
ただ大介の対応力を、甘く見たのが失敗だ。
二打席目以降はかなり、あからさまなフォアボールが多い。
ただ申告敬遠はしてこない。
その謎は四打席目に分かった。
二打席目に三打席目と、外に外してきたバッテリー。
だがこの四打席目では、内角にしっかりと入れてきた。
逃げるピッチングで意識を外に向けさせて、それからの内角球。
集中力が落ちていたら、これはさすがに打てないだろう。
確かにこれは、大介も予想していなかった。
試合自体が既に、メトロズの大量リードになっているということもある。
塁に出たらどうするかということを、ずっと考えていてしまった。
内野ゴロでアウトになって、しかしそれでも試合の趨勢は決している。
最終回にはメトロズは、それでも油断せずにランドルフを持ってくる。
四連勝して、ワールドシリーズをあっさりと終わらせていいものだろうか。
大介はそんな、余計なことまで考えていてしまったのだ。
そういった気の緩みを、あちらには突かれたのか。
あと一勝なのに、その一勝が遠く感じる。
試合自体は7-2でメトロズが勝利。
ワールドチャンピオンまで、あと一勝となった。
だがその最後の一歩が、難しいのがワールドシリーズ。
地元でのシャンパンファイトを防ぐため、ここからアストロノーツの反撃が開始される。
×××
※ 群雄伝先行公開版 投下しています。
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