第75話 ハリケーン

 野球における最大の華はホームランである。

 スタンドに入ったボールを観客が追いかけ、打ったバッターはゆっくりとベースを一周する。

 個人による最大の攻撃、ホームラン。

 ただこの日のシャークスとの試合で大介が放ったホームランは、少し勝手が違っていた。


 シャークスタジアムもまた左右非対称の球場で、わずかながらライトの方向が狭い。

 そのため左の引っ張る打者は、わずかだがホームランを打ちやすいことは確かだ。

 そしてレフト方向に打ちさえすれば、場外ホームランさえありうる。


 大介の打球の弾道であると、さすがにライトの場外へ持っていくことは難しい。

 スタジアムの打席は二段式になっており、それを越える角度をつけると、パワーが充分には伝わらないからだ。

 あまり信じてもらえないかもしれないが、大介にも限界はある。

 二階席にホームランを打った小さなその姿を見れば、絶対に誰も信じないだろうが。


 シャークスとの第一戦、メトロズはこの後もホームランを連発する。

 合計六発のホームランで13点を奪い、完全に勢いをつかんだ。

 大介はホームランこそ最初の打席のみであったが、残りの打席もライナー性の打球を打っていった。

 そしてそのうちの二つはほぼ野手の正面を襲ったが、他に二本は単打とフェンス直撃。

 ホームラン以外でもその打球は、直撃したら人を殺すものだろう。


 試合後にディバッツ監督は涼しい顔をした大介を褒め称えたが、大介としては拍子抜けである。

 それほど強くはない、と事前には聞いていた。

 だがこの程度であれば、はっきり「弱い」と言ってくれた方が、弱いものいじめだと最初から分かった上で楽しめたのに。

 大介は弱いものいじめは嫌いだが、世間的には強者であるマッチョどもを蹂躙するのは、控えめに言わなくても大好きである。




 試合後にロッカールームに戻る大介に対して、マスコミたちが集中する。

「だから俺はまだ英語わかんねえんだって!」

 通訳を呼んでインタビューが始まるが、正直に言ったら舌禍になりそうな質問しかしてこない。

 大介は正直者であるが、思ったことの全てを言うような人間でもない。

 それにシャークスのこの試合には確かに失望したが、第三戦ではエースクラスのピッチャーとやっと勝負することが出来る。

 ネイチャーズのエースクラスからも、二本のホームランを打っていることは忘れているらしい大介だ。

 楽しくない記憶なので忘れたのだろう。


 出来るだけ表現をマイルドにした上で、インタビューに答えなければいけない。

 大介はデッドボールでも平気で回避するが、それをヒットにすることまでは出来ても、ホームランにすることは難しいのだ。

「開幕からこれで四試合連続ホームランですが、ルーキーの記録更新は期待できるでしょうか」

 杉村の翻訳に対して、大介はまだ答える必要を持たない。

 だが何かを言っておく必要があるのだろう。

「始まりは派手だけど、まだ本当に始まったばかりだから、まだ期待しない方がいい、って感じで言っておいて」

 杉村は意外そうな顔をして、記者に向けて返答した。


 他にもいくつもの質問があったが、大介は調子に乗ったりはしない。

 日本人らしくビッグマウスはなく、現実を冷静に受け止めている。

 ここで下手にいい気になれば、むしろ与しやすいだろう。

 杉村は大介と知り合って半年近くになるが、基本的には楽天的な大介が、実は慎重なのを知っている。


 より正しく言葉を使うなら、慎重と言うよりは謙虚なのだ。

 格下の相手を見下すことなく、そして格上の選手にはリスペクトを欠かさない。

 それで萎縮するわけでもないし、手加減するわけでもない。

 NPBにおいても大介がある程度の注意をしていたのは、上杉と直史を除けば、ほんの数人だろう。

 その数人にはまだまだ若い選手もいて、その成長を待って打ち砕いていくのもよかったろうが。


 上杉相手には互角かやや分が悪い。

 そして直史には完全に敗北している。

 そんな大介が慢心している余裕はないのだ。




 対シャークス三連戦においては、二戦目も大介はホームランを打った。

 打率は五割をオーバーし、打点も盗塁も稼いでいる。

 下手に歩かせてしまっても、他のホームランバッターと違って走ってくる。

 その盗塁の成功率が高い。


 MLBにおいては、そしてNPBにおいても、大介はまず打力が評価された。

 将来的に守備負担が厳しい年齢になれば、その肩を活かすために外野やサードへのコンバートもあるかと言われていた。

 だが少なくともこの数試合、普通なら確実にヒットになる打球を、ショートゴロで殺している。

 走る力も、そして投げる力もトップクラス。

 打力以外の点にもフォーカスが当たっていく。


 そしてシャークスとの第六戦、ようやく向こうもエースのローテが回ってきた。

 まだ若いため年俸は低いが、シャークスの中ではトップレベルのピッチャー。

 オースティンは現在24歳。99マイルの直球とツーシームの速球に、チェンジアップとカットボールを投げてくる。

 基本的には打たせて取るタイプだが、チェンジアップがなかなか厄介だそうな。

 昨年は弱小シャークスにいながらも防御率ランキングに入り、サイ・ヤング賞投票でも票が入った。

 だが、メトロズも中五日でエースのモーニングの二戦目。

 それなりのロースコアの立ち上がりを期待する。


 これまでに比べて、明らかに観客の入りがいい。

 平日なのになんでだ、とも思うがやはりエースが出る試合にはファンが来るということなのだろう。

 あとは大介のホームランが、話題になってきてもいる。

 開幕から五試合連続のホームラン。

 それもとてもホームランが打てるとは思えない、小柄で細い体格から打つのだ。


 


 メトロズの初回の攻撃は、このオースティンの様子を見るのについやされた。

 際どいアウトローへの出し入れで、難しいバッターシュミットも抑える。

 そして大介の打順が回ってくる。


 オースティンはシャークス投手陣の先発の中では、唯一勝ち星が計算出来るピッチャーだ。

 もっとも監督はともかくフロントとしては、強い相手にはある程度負けてもいい。

 今年も最下位かそれに近い順位となり、ドラフトで早い順位で指名をするのだ。

 そしてトップレベルのプロスペクトを、またチームとして確保する。

 他にもトレードなどで上手く若い戦力が積み重なり、そして育成も順調になれば、一気にトレードで戦力を確保し、優勝を狙っていく。

 そんな年にはシーズンの終盤、一気に集客力が高まることがあるのだ。


 オースティンとしては、球団の思惑などどうでもいい。

 シャークスは自分のキャリアの始まりであるが、飛躍する場所ではないと考えている。

 彼にとって重要なのは、来年のオフのFAだ。

 あるいはそれまでに、トレードの可能性もないではないが。


 今年と来年、勝ち星や負け星は、あまりMLBでは関係ない。

 防御率はそれに比べればまだ重要視されるが、評価の仕方はそうではないのだ。

 WHIPでさえも、ある程度はバックの守備力に期待せざるをえない。

 そんな中で評価されやすいのは、四球を出さないコントロールと、いざという時に三振が取れる能力。

 そのあたりは確実に、ピッチャー一人の能力と言える。


 NPBであれば打たれる原因は、キャッチャーにもかなりあると思われる。

 だがMLBではキャッチャーのリードは、NPBほど大きなものではない。

 球種などはベンチかピッチャーがサインを出すことが多い。

 大介に対して、初球から得意のツーシームを投げ込むオースティン。

 サウスポーの彼にとっては、大介の内角を攻める、危険な配球だ。


 まだボーナスタイムなんだな、と大介は納得した。

 大介のデータを取るために、かなりのピッチャーが勝負を挑んでくる。

 オースティンの球種などについても、大介は事前にある程度は頭に入れていた。

 だがツーシームがそれなりに曲がるのに、これだけのスピードで変化するとは。


 オースティンはストレートを基本として、ツーシームとカットボールで凡退を誘う。

 時折はチェンジアップを投げるが、緩急よりは手元で動かすことを重視する。

 それが150km/h台の後半を安定して投げてこられるのだから、厄介なピッチャーには違いない。

「タケの方が上だけどな」

 内角に入ったツーシームを、大介は叩いた。

 六試合連続となるホームランが、ライトスタンドに突き刺さった。




 メトロズはチームとしては開幕から六連勝。

 そして大介は六試合で七本、毎試合ホームランを打っている。

 当たり前の話だが、ホームランダービーではトップ。

 そしてMLBの記録がいきなり見えてくる。


 MLBの連続試合本塁打記録は、八試合連続である。

 まだデータが集まっておらず、そしてシーズン序盤であるため比較的勝負してくる今が、この記録を作るのには最大のチャンスかもしれない。

 試合後の記者会見においても、記者たちの目がぎらついてきた。

 元々大介は注目はされていたのだ。

 かつてのワールドカップにおいて、予告ホームランなどを打った規格外の小さなスラッガー。

 単に長打が打てるというだけではなく、高いアベレージも残せる。

 その両方がほどほどではなく、両方共に規格外。

 トラッシュトークではないにしろ、そろそろ挑戦的な言葉が出てきてもいいころだ。

 ただ日本人選手は、野球に関してかかなり謙遜した言動が多い。

 大介もここまで、あまり挑発するような物言いはしていない。


 今日の試合は単純に、大介にとっては不満であった。

 最初の打席こそジャストミートしてホームランを打てたものの、チェンジアップを混ぜられると、フルスイングが難しくなった。

 それでもヒットは一本打てたのだが、これが最初の打席からだったらどうなったのか。

 今はまだ大介を甘く見ているのか、初回の打席でホームランを打たれることが多い。


 二打席目以降も打っていったが、上手く内野の頭を抜けた一本はあったものの、残りは平凡な外野フライになった。

 掬い上げすぎて、まだ加減がわかっていない。

 やはり野手のいないグラウンドに打つよりも、スタンドまで運んでしまう方が、確実に点も入るしいいことだ。


 通訳を挟んでいるというのは、いいことなのだろうなと大介は思う。

 無茶な質問をしてくるプレスも、中にはいるのだという。

 だが杉村がマイルドに質問を変えてくれるし、大介にも答えるのに時間がかけられる。

 それでも答える中に、これだけはと思うものがないわけではない。

「貴方がここまでホームランを量産できる原因はなんだと思いますか?」

 それはもちろん、まだMLBのピッチャーが、大介を甘く見ているからだろう。

 今日対戦したオースティンなどは、日本でもそうはいないレベルのピッチャーであった。

「それは第一に、俺の体が小さいこと」

 散々に小さい小さいと言われてきて、大介も全く気にしていないわけではないのだ。

「俺の体があまりにも小さいから、ピッチャーは油断して投げてくるし、油断してなくても逃げることが出来ない。恥ずかしいから」

 MLBは同じ四大スポーツの中では、NBAに比べるとまだ身長は重要ではない。

 だがそれでもホームランバッターは、普通に185cmぐらいはあるのだ。


 ダビデとゴリアテ。

 かつて他の身長差対決に使われた言葉だが、まさに大介の身長と体重は、軽量級のものなのだ。

 筋肉=パワーであり、そのためには骨格と体重が必要になる。

 だが大介は明らかに、何か違う基準でバッティングをしている。

 これまでのMLBのバッターには、存在していなかった何か。

 その秘密を、多くの人間が知りたがっている。


 だが、それはまだ先の話だ。

 今の大介は、まだ目の前の打席一つずつに、集中して打っていくだけだ。

 まだ慣れていない。MLBの怖さなどを、まだ感じていない。

 オープン戦とは違った空気の中で、大介は戦っている。

 だがまだ、これがメジャーだという意識がないのだ。




 記者会見は特に事件もなく終わった。

 大介はホームランを打って打って打ち続けていながら、満足はしていないように見える。

 日本人は感情表現が苦手だというが、これもそうなのか。

 チームメイトやスタッフからしても、大介の打撃能力は異常だと思えているのだが。


 ただこれで、明日はいよいよニューヨークに移動する。

 そしてようやくの地元開催なのだ。

 アウェイでのカードが二つ続いたのは、むしろ良かったのかもしれない。

 大介がこれだけ打って、ニューヨークのファンは、地元でどれだけのホームランが打てるのかを期待している。

 期待値を存分に上げてからの方が、集客には有利だろう。

 フロントなどはそんなことを考えている。


 ニューヨーク。オープン戦ではなく、アウェイでの試合でもない。

 本当の意味でのスタートは、ここから始まるのかもしれない。




※ プロスペクト……若手の有望株、あるいは才能。中でも特に期待されているもの。

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