第124話 完成

 四番のシュレンプ。今年の地区優勝、さらにその後のポストシーズンのために取ってきた、重要な戦力。

 今年のオフにはFAとなる、現在36歳の男。

 おそらくメトロズは、もう来年は契約をしない。

 あるいは大介が完全に封じられて、敗北しようとしているこの試合で打てたなら、GMの判断も変わったかもしれないが。


 結局は完全に、直史に封じられてしまった。

 もっともそれは彼一人の責任ではない。

 一番多くの打席が回ってくるはずの、一番対戦成績の豊富な大介。

 それが打てなかったことが、一番大きい。


 五番のペレス。こちらもベテラン。

 契約はあと二年残っているので、まだ来年も活躍が見込める。

 どちらかというと、安定した守備力のサードという印象の方が強い。

 だがこの試合では全く活躍がなかった。

 やはりメジャーリーガーは打てなければいけない。


 凡退してくる味方を見ながら、大介は来季のことを考えていた。

 GMはどれぐらい補強をして、メトロズの力を保つだろう。

 21世紀以降の戦力均衡によって、ワールドシリーズを連覇したチームはない。

 だからこそ来年も優勝できれば、メトロズは王朝を築いたと言えるのではないか。


 このオフにはシュミットと大介、そしてペレスあたりを打線の軸にして、チームを再構築していくのだろう。

 ピッチャーの中にはまだ来年も契約が残っている選手は多いが、半分ぐらいは単年や、FA権を持って出て行くことになるだろう。

 FA権をまだ持っていない若手でも、トレードされてコロコロと移籍する。

 それがMLBの常識と言えど、寂しいところはあるものだ。

 だが、考えようによっては、寂しいどころではないのかもしれない。

 ともに戦った相手と、今度は対戦することになる。

 広い空は、必ず他の球場へもつながっている。




 八回の裏も、メトロズのランナーは出なかった。

 ここで大介は、ある程度の覚悟が出来た。

 もしも直史がランナーを出して大介と四打席目の勝負をするなら、それはこのイニングにしたろう。

 九回の裏にランナーを出せば、それは大介の同点弾が出る可能性がある。

 チームの勝敗に直結せず、大介と四度目の勝負をするなら、ここで一人ランナーを出して調整しないといけない。

(まあ、仕方がないか)

 大介としては、あくまでもこれはお祭り騒ぎ。

 セイバーによって仕組まれたお祭り騒ぎだ。


 メトロズはセイバーによって準備された、直史の力をより劇的に見せるための生贄だ。

 そもそもオーナーがこんな試合をOKするには、ごく少数、特に一人の意見によって、エキシビションマッチを組めるチームを用意する必要があった。

 大介としてもメトロズはいいチームだったが、セイバーにとっても都合のいいチームだったのだ。

 日米野球対決というと、それこそベーブ・ルースの時代にまで遡るが、沢村は確かにアメリカチームに健闘したが、1-0で負けた試合の話だけが語られ、実際には他の試合では打たれまくっている。

 ここから何試合もしたら、という仮定は出てくるだろう。

 だがパーフェクトをやられたチームが、次に戦って一本か二本のヒットを打って、それが自慢になるだろうか。


 完璧に勝つ必要があったのだ。

 それこそパーフェクトに。

 一点でも取られていたら、いくらでも言い訳が立つ。

 もっともそんな全ての言い訳を、大介は否定するだろう。


 九回の表、レックスの追加点はなかったが、その裏になるともうそういう段階ではない。

 なんとかしてヒットの一本ぐらいはと、ベンチの中がお通夜になっている。

 必死で打とうとしていたのが、もはや嘘のようだ。

 なるほど、現実逃避とはこういうものなのだな、と大介は納得した。

 

 来年からはアメリカに来る直史を相手に、再戦での勝利を目指す大介。

 だがそれを知らないチームメイトは、おそらく悪夢として忘れようとしているのだろう。

 教えてやろうかと思ったが、こういうことを知らせるのは何か駄目だった気もする。

 なのでひたすら、蹂躙されていく様子を見続ける。




 七番まではスタメンがバッターボックスに入り、無残に散っていく。

 そこからの二人は、代打が出て行く。

 そういわば一人でも出たら自分の打席があるのだな、と大介は思い出す。

 本気になった直史が、ここで油断してランナーを出すなどということはありえない。

 絶対などないはずの野球でも、直史は絶対を現出する。


 一番大介にとってショックが大きいのは、八番が何かの間違いで出塁し、四打席目が回ってくるとドキドキしたところで、ダブルプレイ試合終了だろう。

 おそらくそんなことになったら、しばらく立ち上がれない。

 ただそれは杞憂であり、八番も単純にアウトになった。

 そしてラストバッターに出された代打。

 一応大介はバットを持って、ネクストバッターズサークルにオンデッキである。


 試合が終われば、親戚で集まって色々と話すこともあるか。

 それ以前に敗北に関する、マスコミからの取材攻勢がすごいだろうが。

 エキシビジョンマッチの特別ボーナス10万ドル。

 メジャーリーガーたちのプライドを考えれば、高い勉強代と言えるだろう。

 だが大介にとっては、MLBのボールを使った直史相手に、ちゃんと経験を積めたのだ。それで金までもらっていれば、得しかない。


 目の前でスリーアウト目。

 試合はあっさりと終了した。

 大介の見つめる直史は、マウンドの上で陽炎のように佇んでいた。




 試合後の記者会見は大荒れになった。

 そうなることは試合の終盤には、もう分かっていたことだった。

 大袈裟だな、と大介は思った。

 直史ならばこれぐらい、やってもおかしくないのだ。


 メトロズの打線陣は、不機嫌と言うよりはもっと、とてつもない畏怖すべき何かに出会ってしまったような顔をしている。

 そしてそれは別に、選手たちだけではない。

 その中でもシュレンプなどは、どうにか口を開いたものだ。

『ポストシーズンが終わって、確かに少しは気が緩んでいた。ただポストシーズンのテンションを保っていたとしても、打てたかどうかは自信がない』

 下手に言い訳にならない程度の、巧妙な言い回し。

 ため息をつくように、言葉を漏らした。


 大介に対しては、日本時代のデータを持っていれば、質問の仕方も変わる。

『まあ俺の場合、日本時代から直史に負けるのは慣れてるから』

 むしろ嬉しそうに、大介は言ったものだ。

『全然衰えていなかった。俺も成長したと思っていたけど、さらにその上を行っていた』

 かなり英語も喋れるようになった大介だが、ここは通訳を使ってくる。

 下手な言い回しをすると、慣用句になって違う意味になることもある。

 なので大介は、基本的には通訳を通す。


 直史はこれまでに、何度となく大記録を達成してきた。

 その中には大介が味方として、プレイしてきたこともある。

 パーフェクトを、ちょっと難しいかなという程度で達成する。

 そんなピッチャーは、今までにいなかったろう。

 そもそも統計的におかしいのだ。

 打球というのは飛べば、それなりに野手のいないところに飛ぶ。

 その方向を厳密にコントロールすることなど、ピッチャーには出来ないことだと信じられている。

 それは運が良かったのだ、などと直史は言うが。


 彼がMLBに来たらどうなるか、という質問も出た。

 裏事情を知っているはずもないだろうに、なんとも的確すぎる質問だ。

『それはまた今日とは別の話だ』

 ここは強調しておきたいメジャーリーガーたちである。

『シーズンの中の一試合と、エキシビションとして調整できる一試合。日本側の方がポストシーズンが終わっていたのは先だから、その分もしっかりと調整できただろうからな』

 間違ってはいないが間違っている。


 ともあれマスコミの質問にはきついものが多かった。

 それに苦渋の表情を浮かべるチームメイトを見るたび、大介は笑いをこらえようとしてこらえきれなかったが。




 死んだようにぼんやりとハワイで過ごすメトロズの選手がいれば、あるいはもう早々に本土に帰ってしまう者もいる。

 家族持ちであるとこの11月の時期には、そうそう都合よく呼べないこともあるのだ。

 ニューヨークに家族が住んでいる人間はまだいい。

 半年だの一年だのの契約で、本来の居住地が違う選手は、ここから代理人と会って、家族の所へ戻ったりもする。


 ニコニコと笑っているセイバーと会ったのは、ビーチに出る前だ。

 彼女は大介に、忠告をしにきたのだ。

「契約を破棄して、いい条件の契約を結ぼうとしてくるかもしれませんが、サインをしてはいけませんよ」

 アメリカに大介を追い込んだのはセイバーであるが、そこから先はちゃんとサポートをする。

 椿の件に関しては、さすがにガードの手が及ばなかったわけだが。


 大介の来季の契約は、1800万ドルを出したらメトロズが契約できることになっている。

 またこれに加えて、インセンティブも発生する。

 メトロズがこの金額を出さないのなら、大介には他の球団と結ぶことが出来る。

 ただ当初メトロズがこの契約で構わないとしたのは、大介が1800万ドルなどという契約に見合った成績は出せず、ほどほどのところに収まると思っていたからだ。

 逆に考えると1800万ドルにインセンティブで大介と契約できるのは、とてもお徳である。

 だがメトロズはこの契約をすら、上回って新しい契約を出してくるかもしれない。


 たとえば五年で一億ドルでさらにインセンティブ。

 年に換算すると2000万ドルで、今の契約よりも高いように思える。

 だがセイバーからすると大介の年俸の適正は価値は、最低でも年換算4000万ドル。

 やはりメトロズに残りたいと思っても、今年は1800万ドルで契約し、来年のオフに長期契約を結ぶべきだ。

 他のメジャーリーガーなら、怪我のリスクを考えて、2000万ドルは安いにしても2500万ドルぐらいで納得してしまうかもしれない。


 ただ、大介の考えは違う。

 日本時代から大介は、契約は毎年ごとに更新していた。

 そして毎年上がっていったわけであるが、複数年契約はモチベーションを下げる。

 実際のところメジャーリーガーは、複数年契約を結んだ上で、オプトアウト条項を付ける。

 これは選手の側から、契約を破棄して新しい契約を結べるようにするというものだ。

 これによって最低でもいくらという金額が保証され、さらなる活躍をすれば、また新しく契約を結べる。

 いいことばかりのようであるが、大介からするとこれは、安全策を立てすぎという感覚なのだ。


 単に生きていくだけなら、もう充分に金はある。

 だから大介はここからは、生きていくことに意味を見出すために、野球をしていかなければいけない。

 そのために必要なことはストイックさだ。

 まあ性欲に関してはかなりの大介なのであるが、それは別である。

 大介はもうこの世界に、己の爪痕を残したいと思う人間になっている。


 人間がこの世に何を残すか。

 ただの生物であれば、それは遺伝子として残していく。

 そしてもう一つは、人々の記憶に残っていくということだ。

 ただの人間であれば、それを記憶するものは少ないだろう。

 しかし肉体や感情、そして知性でそれを表現すれば、影響は深く長く残り、あるいはその歴史を変えてしまう。


 それは名誉欲よりもさらに大きなものだ。

 人類の歴史を変えるということ。

 それはいい方向ばかりではなく、悪い方向にもありえる。

 しかし人間によっては、何も残さないよりは、悪名でも後世に残したいと思う破滅願望の持ち主は多い。




 ハワイでのんびりしたら一度ニューヨークに戻り、セレモニーに参加してから、そこからまた日本へ帰ることになる。

 基本的には実家に戻ることになるが、またマスコミに追い回されるかもしれない。

 もっともこのエキシビションマッチのおかげで、その矛先の多くは直史の方に向かうか。

 ツインズなどは冬にもかかわらず、北海道に行きたいと言っていた。

 ワールドチャンピオンになった直後に、色々と知り合いからのメールがあった。

 その中には懐かしの、サンカンオーの牧場からのものもあったのだ。


 寒い冬に、わざわざこれまた寒い北海道に行く。

 足元が悪いだろうから椿は心配だが、それよりもさらに子供たちをどうするか。

 まあそれはいくらでも、人を雇えばいいといったところか。

(なんか人を雇って何かをしてもらうのが、自然なことになってるな)

 日本時代、特に寮にいた頃は、なんでも自分でやっていたものだが。

 ただ契約に関しても育児に関しても、自分ひとりでやるのは効率が悪いことは確かだ。

 そう思いながらビーチに出て、佐藤一家と合流するのだが。


 昇馬は真琴と一緒に、武史を使って遊んでいる。

 振り回されて投げ飛ばされるのが、どうやらとても楽しいらしい。

 真琴の方がふんふんと武史の体を登っていくのが、なんとも活動的なものである。

 あれは絶対に叔母に似たのだ。

 昇馬はどうかな、と思うと首を傾げるところであるが。

 実際のところは真琴が大きすぎるだけで、昇馬も平均よりはかなり大きく活発である。

 

 のんびりとビーチで並ぶ大介と直史であるが、よく考えればすごい光景なのかもしれない。

 本人たちにとってみれば、単に家族がそろっているだけなのだが。

 武史のところは来れなくて残念だったなというところだが、この冬にはヨーロッパに行くらしい。

 恵美理の方の親戚は、ヨーロッパに多い。

 それにイリヤの実家も訪れるらしい。


 あとは直史が言うに、武史は恵美理の方の家に、改めて養子になろうかということも考えているらしい。

 あちらは一人娘であるし、そういう話も出てくるのかな、とは大介も思った。

 ただそれを言うなら、瑞希だって一人娘であるし、直史は引退すれば義父の後を継ぐようなものだ。

 瑞希が少し離れているので言えることだが、やはり男の子をもう一人早く、と親戚には言われるらしい。

「つーわけでお前のところでぽんぽん男の子生まれたら、一人ぐらい養子にもらうかもしれん」

「そう簡単にやってもいいものなのか?」

「お前のところは別に、継承していかないといけない墓とかはないだろ?」

「それはまあ。ああ、あの山もお前のか」

「それそれ」


 直史は金持ちになったし、今後の数年でさらに稼ぐだろう。

 だが資産を維持していくには、やはり会社でもしないとどうにもならないそうだ。

 なんともスーパースターには似合わない、世知辛い話である。

「うちもアメリカの生活に慣れたら、もう一人ぐらいは頑張りたいんだけどなあ」

 直史は気が抜けた顔で、そんなことを言っていた。


 彼はこれから日本に帰れば、本格的にポスティングなどで周囲が騒がしくなるだろう。

 涼しい顔してエロエロであることは、大介は知っている。

 友人のそんな話などは、あまり知りたくもなかったものだが。

(そういやあんな話をしたのもイリヤだったか)

 あの奇妙な貞操観念を持った女は、かなりの悪影響を周囲に与えていたと思う。性倫理の面では間違いなく。


 とろけるようなまどろみが、強い陽射しを上書きしてくる。

 メトロズの他のメンバーはともかく、大介だけは本気で、このエキシビションマッチに挑んでいた。

 それでももちろん公式戦の、色々なものがかかった状態とは、メンタル的には違ったのかもしれないが。

(スプリングトレーニングまで、あまり体を緩ませるわけにはいかないよな)

 むしろここからさらに鍛えて、今度こそ互角以上に戦えるようにならないといけない。

 そうでもしないと友人の五年を奪ってしまった自分が、かっこ悪すぎるではないか。

 そう考える大介は本能のレベルで、冬眠前の熊のような空気をまとっているのであった。

 俺たちの戦いはこれからだ。

 そう言ってしまっても、実は全く間違いではない。

 舞台が整えば整うほど、大きな力を出すのが大介だ。

 そして逆に、どれだけ舞台が大きくでも、全く変わらずに結果を残してしまうのが直史だ。

 いや、大きな結果を残すという点では、直史もまた劇場型の人間ではあるのか。


 本当の決戦は、実はまだ準備段階にすら入っていなかった。

 多くの人間がそれを知るまでには、もうわずかな時間しか残っていなかったのだが。



  四章 了  最終章 契約 につづく

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