第19話 踏まれた麦

 今季のライガースは一試合あたり、平均で五点以上を取る超攻撃的なチームである。

 そのライガースを相手に直史は、二試合で16と三分の一イニングを投げて、一人のランナーも出さなかった。

 一点も失点しなかったのではない。一人のランナーすら出さなかったのだ。

 今年のライガースは平均得点が5.1で平均失点が3.1と、素晴らしい成績である。

 だがレックスも平均得点が4の平均失点が2.2とこれまた素晴らしい数字だ。

 首位を走るレックスを相手に、直接対決ではセ・リーグで唯一勝ち越している。

 

 プレイオフの直接対決になれば、レックス自慢の投手陣を、ライガースの自慢の打線が破壊すると、そんなことを言われたりしていた。

 だが前の試合から続けて、全く打てていない。

 三冠王が見逃し三振など、いいところが全く見えていない。

 実のところ打ち取ったレックスバッテリーこそが、次の策を考えるために必死なわけであるが。


 マスコミは敗北した側からも、コメントは取らなければいけない。

 特に大介は、三冠王でもあるし、二打席目のど真ん中見逃し三振がある。

 決して傲慢でもなく、むしろその偉業に比べれば謙虚な大介であるが、ここぞとばかりに質問をしてくるマスコミには、さすがに腹が立つ。

 他人の粗探しが好きなマスコミというのはたくさんいるし、そういった粗探しを楽しむ読者もいる。

 かといって何も言わなければ言わないで、叩いてくるのがマスコミだ。

「今日は完敗だった。もう次の試合のことしか考えない」

 考えた末にそんな短いコメントを残し、マスコミをシャットアウトする大介であった。


 大介は上杉に比べれば、その人間性まで崇拝しているファンや関係者は少ない。

 上杉を叩けば反撃は厳しいが、大介の方はまだ叩きやすい。

 もちろん関西でそんなことをしようものなら、日本で一番過激なライガースファンが黙ってはいない。

 ホテルに戻っても、敗北を洗い流すなどと言って、夜の街に消えていく選手は多い。

 明日も試合だろうに、どう考えているのか。


 予告先発は、レックスは佐竹だ。

 現時点で14勝2敗の、超エース格のピッチャー。

 直史のせいで他の全員、かろうじて武史だけは存在感があるが、おおよそは脇役となってしまっている。

 金原に吉村あたりも相当のピッチャーであるし、先発には若手が多いレックスである。

 いやそもそも、ほぼ全戦力が若手の中に、西片のようなベテランが入って、バランスを取っていると言っていいのか。


 レックスは今年は、間違いなく野球史に残る伝説を築き上げると、シーズン序盤から既に思われていた。

 だがそれに待ったをかけるように、ライガースが対抗してくる。

 レックスの鉄壁ローテ陣に、穴を空けていく。

 その残った最後の一枚が、直史であったのだ。

 食らうどころか、逆に食われた。

 ライガースの選手のメンタルはズタボロだ。




 逆境は人を強くする。

 刺激に慣れかけていた大介にとっては、この巨大な壁は、自分を成長させるための逆境だ。

 だがさすがに大介も、すぐにこれをどうこう出来るとは思わない。

 まさか直史と自分にここまでの差があるとは思わなかった。

(滾るぜ)

 それでも逆に闘争心の湧き上がるところが、大介たるゆえんである。

 

 パーフェクトを食らった翌日にも、また試合はやってくる。

 昨日の興奮の余韻が消えないのか、レックス側の応援スタンドは、レックスの旗が多く振られている。

 ライガースベンチはお通夜の雰囲気で、西郷さえも重苦しく沈黙している。

 こういう時、金剛寺は選手経験こそ豊富だが、監督としてはまだ若さを晒してしまう。

 ただパーフェクトをされた次の日のミーティングで、選手たちの士気を回復させる指揮官など、そうそうはいないだろう。


 毛利は珍しくボール球を振って三振し、大江のバットも力なく内野フライ。

 大介の打順が回ってきて、ネクストバッターズサークルから立ち上がる。

 不甲斐ない、と思う。

 それは昨日の自分に対しての怒りであり、今のチームメイトに対する怒り。

 まだシーズンは40試合も残っているのに、今から戦意喪失か。

 直史はこれをこそ狙ったのだと、どうして分からないのか。


 いや、やはり自分に腹が立つ。

 西郷も同じチームで三年間を共にしたが、それでも一番分かっているのは自分だ。

 直史は、勝つためのピッチングをする。

 運にも見放されたあの高二の春。

 あれから直史はとてつもなく冷徹に、自分を調整していった。

 それからは試合に負けた姿を見たことがない。


 上杉は高校時代、勝負に勝って試合に負けた、とはよく言われた。

 直史は逆に、勝負には負けても試合には全て勝ってきた。

 もっとも後半は、試合にも勝負にも完全に勝つようになっていたが。




 それはもういい。

 直史と当たって絶望を植え付けられていくのは、今後は他のチームである。

 踏みつけられたライガースは、もう立ち上がるしかない。

 立ち上がれる選手だけで戦っていくしかない。


 毛利と大江があっさりと凡退し、レックスのバッテリーは調子に乗っているだろう。

 樋口はそういった油断はしないかもしれないが、今の大介相手なら、さすがに力押しをしてくるか。

 予想しているのは、初球アウトローへのボール。

 そこに投げられたストレートを、大介は渾身の力で弾き返した。


 神宮はホームランが出やすい球場である。

 ただしネットがあるため、神奈川スタジアムと比べると、場外にまでは至りにくい。

 だがこの日の大介は、アウトローを遠心力最大のバットで引っ張った。


 左バッターが、外の球を、ライトへ。

 幾つかの無茶苦茶な要素が重なって、ボールは大砲の弾のようにライト方向へ飛び、スタンドを越え、ネットを越えた。

「やべ、飛ばしすぎた」

 数秒の静寂があり、大歓声が上がる。

 55号ホームランによって、ライガースが先制。

 だが敵も味方もどうでもよくなるような、超特大の一発だった。


 神宮はホームランが出やすい球場だが、ネットがある。特にレフト側には高いネットがあり、事実上そこにダイレクトで当たれば場外と言える。

 大介の打球は、ライト側のネットを越えていった。

 単純な飛距離だけでは不可能な、完全無欠のホームラン。

 また大介ネットを作らなければいけないのだろうか。


 この日、大介は残りの三打席を、全て敬遠された。

 だが起爆剤は、見事にその役割を果たした。

 緊迫した試合ながらも、最終的にはライガースが一点差で勝利。

 猛獣打線が目を覚ました。




 パーフェクトはやりすぎだろう、とレックスの選手も思ったものである。

 しかしそこから完全には屈服せずに、立ち上がる者がいた。

 樋口は反省した。

 いくら気配がなかったとはいえ、大介に初球からストライクを取りにいってはいけない。


 遠心力が一番働く外角とは言え、それを引っ張ってホームランにする。

 ゴルフスイングに近いのでは、と樋口も思ったものだ。

 この試合はもう、大介とは勝負しなかった。

 それでもライガースは、士気を回復した。


 第三戦は、レックスも油断が消えた。

 そもそもライガース相手には、いまだに負け越している事実は変わらないのである。

 金原が先発した試合は、それなりの投手戦になった。

 その中で大介は、またもホームランを打った。


 敬遠があったので、連続打席とはならない。

 だが、三打数連続ホームランとなる。

 この試合は残る二打席を避けられた。

 連続打数記録の日本タイまで、あと一本である。

 ただし試合は負けた。

 レックスも取られた以上に点を取って、大介の二本のソロホームラン以外にも、三点を取られながら六点を取った。


 この日、他の球場でも一つの記録が作られた。

 カップスとのスターズ三連戦目にて、上杉勝也が22奪三振を奪い、パーフェクトを達成したのである。

 一年に二人のパーフェクト達成投手の出現。

 ピッチャーの伝説が作られまくる裏で、大介は勝負された二打席で、両方をスタンドに放り込む。

 まだまだ試合数が残っている中で、57号ホームラン。

 打率は四割五分にまで上昇した。




 直史の大記録をきっかけに、超人どもが自重を捨て始めた。

 だがそういった超人バトルは横に置いて、現実のシーズンを戦っていかなければいけない、凡人たちは多くいる。

 ライガースは本拠地に帰ってきた。

 しかしこの頃、甲子園は高校野球の大会が開幕。

 視聴率がそちらに取られる中で、プロ野球の話題も埋もれない。

 ライガースが対決するのは、上杉にパーフェクト負けを食らったばかりのカップス。

 おそらくもう今年は、まともに試合も出来ないのでは、と思えるぐらいの意気消沈具合である。


 甲子園が使えない中、大阪ドームでのこの試合。

 ライガースの先発は真田であり、両チームの士気のさを考えると、ほぼ勝利は確定していると言っていい。

 真田が抑えたその初回の裏に、大介はまた、ボール球をレフトに叩き込んだ。

 最上段に飛び込んだソロホームランは、一発でピッチャーの戦意を折るものであった。

 四打数連続ホームラン。

 ついに日本記録に並んだ大介であった。


 二戦目はもっとひどかった。

 初回から前にランナーがいるということもあったが、いきなり敬遠。

 この日は四打席ノーヒットというか、一度もバットを振る機会が回ってこなかった。

 甲子園から出張してきたファンが大ブーイングを上げるが、今年はもう最下位が決定しているかのようなカップスは、勘弁してあげてほしい。

 塁に出た大介は前がいるので盗塁も出来ず、しかし西郷のバッティングでホームは踏みと、記録の更新は翌日に持ち越すこととなる。


 連敗した三戦目、カップスは完全に戦意を失っていた。

 大介は二回打てるチャンスが回ってきて、そこで怒りのままにバットを振った。

 二回とも打球は遠慮なく、ドーム最上段に突き刺さった。

 六打数連続のホームラン記録を更新し、まだ30試合以上が残っているにも関わらず、ホームラン数は60本に到達した。


 次に行われたNAGOYANドームでのフェニックス戦において、大介は第一打席から三打席連続で勝負を避けられる。

 そして四打席目、ゾーンのボールをミートしそこない、ようやくこの連続ホームラン記録は止まったのであった。




 元々NAGOYANドームはホームランの出にくい球場である。

 ここでの三試合で、大介はホームランを打てなかった。

 ようやく怒りが収まったのか、と対戦する相手チームは安心したものである。

 カップスのピッチャーたちは生贄となったのだ。


 レックスの方が微妙に怪我人が出たりなどもして、一時期ほどの圧倒的な勝率は止まっている。

 ただしそれでも、七割以上の勝率を維持している。

 ライガースはそれに追いつきたいところだが、やはり投手陣はレックスに比べると薄い。

 取られた以上に取るという意識は、大介の大爆発によって戻ってはきていた。

 だがおそらくこのままプレイオフに進んでも、今度はレックスには勝てない。


 現在のライガースの主力先発は、真田、山田、阿部の三枚が強力で、大原、村上、オニールなどが安定している。

 レックスの先発は、故障離脱の者を含めると、直史、武史、佐竹、金原が強力で、吉村や古沢も安定している。

 そしてリリーフ陣であると、明らかにレックスの方が上だ。

 豊田、利根、鴨池のTTKで勝った試合が11試合あり、特に鴨池のクローザーとしての安定感は抜群である。 

 ライガースのリリーフ陣も平均よりは上だが、鴨池の37セーブというのは、セのクローザーの中でもナンバーワンだ。


 来年以降なら、投手力は低下する可能性が高いのだ。

 今のレックスの主力は、多くが20代後半で、FA権が発生する選手が多い。

 そこで全ての選手を引き止めるのは、さすがに難しいと思うのだ。

 チームが圧倒的に強く、優勝しようとしている。

 それに伴って選手たちの成績もアップし、それを正しく査定しなければいけない。


 レックスの球団運営は、ライガースに比べると利益は大きくない。

 いや、大きくなかったと言うべきか。

 武史が入団してリーグ優勝を連続するころから、内部抗争でグダグダのタイタンズから、乗り換えたファンもいたらしい。

 そこで収益はアップしているのだが、金原や佐竹など、普通ならどんどんと年俸が上がっていくはずだ。

 金原はプロ入り数年は一軍登板は少なかったが、今年で国内FA権が発生する。

 今までは行使していなかった吉村も、どう動くかは不明である。

 リリーフの中では今年の最優秀中継ぎ投手になりそうな豊田、また先発では佐竹も来年にはFAになるし、四番の浅野もそうである。

 今年のオフによい条件が提示できなければ、レックスはチームの再構築をしなければいけなくなる。


 もっともそれはライガースも同じで、全くその気配を見せていない大介はともかく、真田や大江、黒田といったあたりはFA宣言をしてもおかしくない。

 しかし今のライガースは、大介に超高額年俸を払っていながら、球団経営には余裕があるので、金で解決出来るならどうにかなるのだ。

 ただ真田あたりはタイトルを取りやすい、パのチームに移りたいと考えてもおかしくないが。

 充分に高額年俸の真田だが、パに行けばもっともらえる可能性は、きわめて高い。

 ピッチャーとして上杉や武史、そして直史と競争する必要がなくなるからだ。




 フェニックスとの三連戦終了後、次はドームでタイタンズとの対戦となる。

 レックスと対決して、珍しくも勝ち越したタイタンズであるが、まだチームがまとまったというイメージはない。

 選手個人の個人技、長打や奪三振などで、力だけで勝っている印象だ。

 今のライガースは、直史にパーフェクトをやられた腹いせとでも言うのか、逆に打線が奮起している。

 そして大介も、ホームランをとにかく狙いまくる。


 太陽の出ている間は、甲子園に人々が熱狂する夏。

 だが今年はプロ野球も、数十年に一度とでも言えるほど、圧倒的な記録のラッシュが続いている。

 今年のプロ野球を見ないなら、もう野球の面白さは分からないだろう。

 SSコンビがそろったプロ野球は、ここまでもとんでもないことになるのだ。

 この先にもまだ、エース同士の投げあいに、ピッチャーとバッターの対決など、見所は多いはずだ。

 同時代に生きていることを、プロ野球ファンは感謝するべきであろう。


 ちなみにこの数年、男の子につける名前で「大介」が高い順位を誇っているのは、大介の活躍の影響によるものだろう。

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