第20話 貫け

 大介が打ちすぎると、とにかく外で勝負、という傾向が強くなる。

 デッドボールのコースでも、体を開いて普通にヒットにしてしまうのが大介だ。

 その外のボールも、半分外した程度では、腕を伸ばした状態からでも打ってくる。

 さすがにそんなスイングでは、スタンドまでボールを持っていくことは出来ない。

 ランナーなしで、そんな外のボールで勝負する。

 こんなピッチャーの姿に、ファンが失望するのは当然だろう。


 勝負を避けられすぎて、ホームランと打点の伸びが悪い。

 特に打点は、ランナーがいる時は歩かせてくるか、露骨に逃げてくるので、なかなか伸びない。

 ただそんな中、打率は0.45近辺を推移する。

 そして歩かされるということは、当然ながら出塁率も上がる。

 ヒットの数よりも、四球の数の方が多くなってしまった。

 そして出塁率が、七割を超えた。


 そこまでして勝負を避ける必要があるのか。

 充分にあるのだ。大介はここのところ、長打率が10割を超えている。

 ただ歩かせても盗塁をしてくるので、よほどに自信のあるバッテリー以外は、フォアボールが二塁打になってしまう。

 既に二塁にランナーがいれば、盗塁の機会も限られてくるが。

 もっとも大介としては、ランナーに気を取られて、西郷への配球が単純になれば、それだけでも十分なのだ。


 カップスを三タテにしたあと、フェニックスとタイタンズに勝ち越して、次はスターズとの対決。

 ライガースの先発は阿部、そしてスターズは上杉が投げるローテであった。




 上杉は鷹揚で、誰かに粘着するような、そういうタイプではない。

 だが誰に対しても敵愾心を抱かないような、あっさりとしたタイプでもない。

 直史のパーフェクトに呼応したように、二日後に達成したパーフェクト。

 これで現在のNPBには、キャリアで二度以上のパーフェクトを達成したピッチャーが、二人いることになる。


 せめてリーグが違えば、バッターにとっては楽だったのだ。

 だがこの二人に加えて、世代を代表するエース級が、他にも存在している。

 高校時代には直史に対抗して、白富東を押さえ続けた真田。

 その真田の最後の夏も、大阪光陰の優勝を阻んだ武史。

 スペックを言うならば、ライガースの若手である阿部も、160km/h台を連発する能力を持っている。


 甲子園期間中なので、舞台は大阪ドームにて行われる。

 上杉は一つ前の試合は、ライガースのような打撃力はないが、確実に得点を取ってくるレックス。

 ヒット一本と四球一つで、完封してしまっていた。

 そしてその前が、カップスを相手としたパーフェクトピッチング。

 同じパーフェクトでも、奪三振率が直史とは、圧倒的に違う。


 上杉の達成したパーフェクトと、直史の達成したパーフェクトは、これまたはっきり言ってしまえば、対戦した打線の難易とが全く違う。

 史上最強レベルのバッターを擁する超強力打線相手に、達成したパーフェクトである。

 上杉は傲慢ではないが、己の力を誇示することを避けるわけでもない。

 ライガースの打線を相手に、パーフェクトをするつもりでは投げてくるのでは、と思われていた。


 上杉にとってライバルと言えるのは、おそらく大介だけであった。

 しかしそれも、単純にライバルと言うには、上杉の方がチーム力で劣っている。

 力と力の真っ向勝負。

 どちらが勝ったとしても、それは気持ちのいい勝負であったはずだ。


 直史は違う。

 延長12回で、お互いが相手の打線を完全に封じてしまった、真なるパーフェクトゲーム。

 武史のほぼ上位互換のスペックを持つ上杉にとっては、生まれて初めての、自分とは異なりながらも、自分に匹敵するピッチャー。

 あるいはそれ以上の。

 プロ入りしてからもう、167イニングも失点していない。

 上杉の持っていた日本記録を、ダブルスコアで抜き去っている。


 大学時代も公式戦や準公式戦では、一度も失点をしたことがなかった。

 このままどこまでその記録を伸ばしていくのか、空恐ろしいものがある。

 だが自分と投げ合うならば、お互いに無失点で相手のチームを抑えていくだろう。

 滾る上杉が対決する、大介を擁するライガース。

 今日もまた上杉は、試合を制圧しにかかる。




 ツーアウトから初回の打席を迎えることは、相手が上杉であればいつも通りのことである。

 しかしそんな大介がバッターボックスに入ったとき、上杉は武者震いを覚えた。

 大介もまた、同じなのだ。

 直史に完全に制圧されながらも、なお滾っている。

 いや、完敗したからこそ、より滾っていると言うべきか。


 今日の大介とまともに対戦するのは、リスクが高い。

 この数試合を見ていても、大介のバッティングには珍しく波のようなものがあるが、その高いところでは、完全にホームランを打っている。

 上杉ならば、何を考えるのか。

 キャッチャー福沢の出すサインに、上杉は首を振る。

 そこまで首を振っていては、何を投げるか分かってしまうだろうに。


 この初回、ツーアウトランナーなしから、タイムを取って福沢はマウンドに向かった。

 頭脳派である福沢は、チームの大エースに対しても、変な遠慮はしない。

 上杉にはそれだけの度量があると信じているからだ。

「上杉さん、勝負に行くのは、肩が暖まってからにしましょう」

 第一打席の上杉では、まだボールの勢いが完全ではない。

「二打席目からなら、何も文句はないですから」

 福沢の言葉に、上杉はまんじりともしない目をしていたが、軽く頷く。

「すまん、気を遣わせたな」

 太い笑みを浮かべる上杉に、福沢はほっとしてキャッチャーボックスに戻る。


 大介は自分と上杉との間にあった、他者が割り込んではいけな部分に、福沢が触れたのを感じた。

 力と力、最も心躍る戦いに、水を差したのだ。

 だがそれも、野球であろう

 大介への第一打席、上杉はアウトローとインハイを使って、球をわずかに動かしてくる。

 そして最後には決め球の高速チェンジアップ。

 しかしこの配球を、大介は完全に読んでいた。


 フルカウントから下に外れたボールで、大介はフォアボールを選ぶ。

 一塁に到達してから、あれだけ低い球でも、打ったほうが良かったかな、とは思った。

(俺たちとの勝負を、上手く邪魔するやつだよな)

 福沢はさすが、甲子園優勝キャッチャーと言えるだろう。

 もっともあの年の大阪光陰は、蓮池の活躍の方が大きかっただろうが。


 大介と上杉の勝負は、まだ場が出来上がっていない。

 それは大介もなんとなく感じていたことだ。

(どこかで必ず、勝負するための状況が出てくる)

 そう思いつつも一回の攻撃は、両者共に無得点で終わるのであった。




 ピッチャーはとんでもない化け物が、数人出現した。

 だがバッターは大介に比べると、小物と言える者が多い。

 織田やアレクが、パ・リーグのチームだったということもあるだろう。

 また西郷が同じチームなため、大介の打撃成績を援護してしまっているということもある。


 勝負強さの鬼のような樋口も、本質はキャッチャーと言っていい。

 大介とどう戦うかによって、ピッチャーの価値は決まるとさえ言える。


 試合自体は、スターズの方が先制した。

 本日の先発の阿部は、直史のパーフェクト時の対戦投手だけに、ある程度あの空気にあてられている。

 前の試合は一応勝ったが、普段よりは数字が落ちていた。

 この試合も、油断してはいけない上杉の打席に、長打を打たれて二点を許したのだった。


 追いかける展開になったライガース。

 スターズが本気で勝つつもりなら、大介は敬遠するなり、ボール球で勝負すればいい。

 だが首脳陣もそんな指示は出せないし、上杉が逃げることなどはありえない。

 このあたり勝てると考えて勝負する直史と、勝ち負けではなく全力の勝負をする上杉では、結果は同じでも行程が違う。


 第二打席、大介との勝負。

 福沢はもう、ここでは野暮なことはしない。

 今の上杉を止めることは、キャッチャーでも不可能な。

 どれだけキャッチャーがサインを出しても、それを投げるのはピッチャーなのだ。

 そしてここで大介を止めることには、もっと先に意味があるとも分かっている。


 プレイオフになれば短期決戦になって、上杉がほぼ間違いなく一勝を上げる。

 それだけではなく普段から、他のチームも含めて全打線を、魂から折ってしまうことが必要なのだ。

 折れないのは、まずこのライガース。

 そして上杉と投げ合って、引き分けに持ち込めるピッチャーがいるレックスの二つ。

 だがライガースの方は、この大介さえ折ってしまえば、他のバッターの脅威度はそれに引き連れて落ちていく。


 初球、ほぼど真ん中のストレートを、大介は見送った。

 上杉の最速、174km/hのストレートが、福沢のミットの中の親指をえぐった。

 下手をすればキャッチャーの手を破壊してしまうほどの、上杉の全力ストレート。

 ここのところはライガース、特に大介以外の相手には、あまり使わない全力のストレートだ。


 二球目、ほぼ同じコースから、わずかに浮いたストレート。

 大介のスイングは、ボールには当たったが、前に飛ぶことはなく真後ろへ。

 つまりタイミングは合っていて、ホップ成分が予想以上だったということだ。

 単純に同じボールなら、修正して今度は打たれる。

 だが新しいボールをもらった上杉は、そのボールをくるくると回していた。


 カウントとしては、ツーストライク。

 ボール球を振らせることも出来るし、チェンジアップを外して、緩急を使ってもいい。

 だがその選択が出来ないところが、上杉の弱点なのだろう。

 もっともそれが弱点となるのは、大介と対戦する時ぐらいか。

 どちらもが、とんでもない怪物。

 そして三球目、運命のストレート。

 わずかにバットに掠ったボールは、福沢のミットに収まっていた。

 球速表示には、175km/h。

 世界記録更新の球は、最も相応しい相手に対して投げられたのであった。




 あんな球が打てるはずがない。

 プロであっても、そう思うのは仕方のないことだ。

 だが大介に続く西郷は、173km/hのストレートを打った。

 フェンス直撃の打球に、上杉のノーヒットノーランが消える。

 そしてその打球は、折れかけたライガースの打線を、かろうじて支えるものであった。


 怪物は一人ではない。

 鈍足ながらもセカンドまで走った西郷であるが、それに続く者は出てこない。

 MLBから速球に強いバッターを連れてきても、上杉には対応できない。

 西郷は塁に残してスリーアウトになったが、これであと一人誰かが出れば、大介に四打席目が回ってくる。


 スコアも2-0のまま、動くことはない。

 何かの拍子にでもランナーが出て大介に回れば、ホームランで同点になってもおかしくない。

 大介も上杉も、完全に夏の暑さの中、最高に熱くなっている。

 おそらく今年最高の、力と力の勝負。

 七回の先頭打者として、大介の打順が回ってきた。


 打てるのか、などとは大介は考えない。

 上杉はもう大介相手には、ストレートしか投げてこない。

 球速のことなど、頭から消してしまえ。

 どのみち光よりは遅いのだから、リリースの瞬間に判断すればいい。


 大介の背中が、熱気で揺らいで見えた。

 そしてマウンド上の上杉も、その姿は巨大に見える。

 上杉は確かに身長190cmにもなる巨体の持ち主であるが、NPBの世界なら他にいないというほどでもない。

 その上杉が頭一つも小さい大介に対しては、限界以上の力で投げる。

 そうでもしなければ、大介には勝てないという事実。

 この二人が正面からぶつかれば、そこにはとんでもない破壊のエネルギーが発生する。


 さて、どう勝負してくるか。

 大介はそう考えたが、愚問である。

 今の上杉は徹底的に、力で大介を抑えてくる。

 自分では最高のボールを投げたであろうに、大介はわずかに当ててきた。

 福沢が「何かが焦げた匂いがした」と言ったほどの、スイングスピードとの激突。


 バレルゾーンで捉えようなどと思っても、とても打てるものではない。

 大介のように究極のレベルスイングで、全てのパワーをボールに叩きつけるしかない。

 下手をすれば、打った腕の方の骨が折れかねない。

 ミスショットをしたら、本当にその可能性もある。


 たとえ打たれたとしても、バットを破壊する。

 上杉はそのつもりで、指先に全力を込める。


 普段よりもさらに、ことさらゆっくりとしたフォーム。

 それに対して大介は、呼吸を完全に止める。

 頭の中に響くのは、心臓の音が他の外部の音を締め出し、激しく鳴り響くそれ。

 だがそれすらも、消える。

 投げられた球を打った。

 打球は斜め上に飛んで、飛んで、飛んで、鉄骨にぶち当たった。


 ライト方向の、看板のさらに上。

 ドームでなければ場外であったろう、とんでもない飛距離と速度と軌道。

 観客に当たれば、おそらく死人が出ていたであろう。

 175km/hが出ていた。

 それを大介は打った。

 これによって、この試合では大介に四打席目が回ってくることになった。

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