第21話 代償

 ※ 今回は東方編の重大なネタバレがあるので、あちらの48話を先にお読みください。




×××




 本気で投げた球を、ホームランにされた。

 間違いなく生涯で、最高のボール。

 それでもまだ、対応してくる選手はいるのか。

 いや、こいつだけだろう。


 上杉はその後の選手をしっかり打ち取ると、ベンチに戻って反省する。

 遠慮がちな福沢を見て、苦笑するばかりであった。

「力だけでは抑えられんな」

 気づいてくれてホッとする福沢である。

「ストレート一辺倒だったから、さすがに厳しいですよ」

「次の打席は、お前のリードに任せる」

 上杉としては、これが福沢を認めたという意思表示であった。

 それを聞いた福沢は嬉しそうに頷いたが、上杉としてもこれ以上の無茶は避けたかった。

(さすがに限界か)

 右肩が悲鳴を上げているのが、自分でも分かった。


 これまでの最高速を、更新したスピード。

 大介との対戦で高ぶり、それぐらいの力は出るだろうと思われた。

 人間の限界というのは、まだ先があった。

 しかもそれを打つ者さえいるのだ。

 人間の可能性は、まだまだ先がある。




 ホームを踏んでベンチに戻ってきた大介は、べしべしと手荒な歓迎を受けた。

 だが打ったバットを回収してきてもらえば、その顔が引きつっていく。

 おそらくミートをした箇所で、縦にぽっきり。

 そして握っていたグリップ部分も、ぽっきりと折れていた。


 上杉のフルパワーと、大介のフルパワー。

 それが激突した結果、バットが完全に――壊れていた。

 これは折れたではなく、壊れたと称すべきだろう。

 あの打球も、おそらくドームでなければ、200mぐらいは飛んだのではないだろうか。

 激突するまで全く、失速して落ちる気配を見せなかった。


 失敗だ。

(ほんとに人間かよ、くそ)

 似たようなことを思われていると、大介は気づいていない。

 それよりはもっと、自分の方が重傷であった。

 右手の小指の感覚がない。

 バットを折るほどのエネルギーが、あそこで発生していたのだ。

 わずかなミートの感触のために、バッティンググローブを使わない大介。

 だがさすがにこれは、考え直した方がいいのかもしれない。


 単に痺れているだけなら、後で戻るだろう。

 だが折れているなら、それは控えめに言ってもまずいのだ。

 右手はボールを投げる手だ。

 いや、左手であっても、守備のためには必要だったが。

(次の打席は右で打つしかないか)

 大介のスイングの重要な点は、その右手の小指の握りによる。

 最後のインパクトの瞬間に握りこまないと、ボールは飛んでいかない。

 その小指が麻痺しているのだから、右打席で打つしかない。

 そしてもちろん、右打席では上杉は打てない。

(折れてたらまずいな)

 ショートから正確に送球するのは、大変に困難であるとしか言いようがない。


 仕方がないか、と大介は金剛寺に話を通す。

 小指はその間にも、赤く膨れていた。

 ただの打撲ではこうはならない。

 即刻医務室送りになる大介は、骨折と診断された。

 他のピッチャーが相手であれば、右打席で打つことは出来る。

 だが上杉相手には、絶対に無理だ。その判断は金剛寺も同じだ。

 ならばショートは代えなければいけない。


 大介の交代がアナウンスされ、球場内はざわめきに満ちる。

 その間にも大介は、病院に送られていくのであった。




 175km/hを投げて、175km/hを打って、ホームランにして、骨折する。

 なんとも派手なことをした上杉と大介であった。

 上杉も右肩の違和感を訴え、ローテを外れることになる。

 両者が主力を潰しあう、あまりにもひどい痛み分けであった。


 試合自体は2-1でスターズが勝利した。

 福沢のコンビネーション通りに投げた上杉は、ヒットまでは許しても、追加点は与えない。

 肩の違和感を訴えたのさえ、試合が終わってからであったのだ。


 東西のスポーツ新聞で、この両者の力と力の対決は、今年一番の勝負だとされた。

 直史と上杉の投げあいも、直史による蹂躙的なパーフェクトも、今年一番の勝負ではなかったのか。

 とにかくマスコミというのは、大げさな言葉を使いやすい。

 だが大介が骨折し、上杉もしばらくローテから離れるとなれば、確かに力と力のぶつかり合いは、今年一番の破壊力であったとは言えよう。


 残り28試合で、大介が離脱。

 ライガースは完全に、レックスに追いつくことは不可能になった、ように思えた。

 対スターズの20回戦。

 大介の名前は、スターティングメンバーの中にあった。

 ただしショートではなく、ファーストとして。

 ファーストの西郷が押し出されて、サードへ。

 そして黒田はベンチスタートといった具合である。


 右手小指の骨折は、完全にぽっきりといった亀裂骨折で、短くても二週間は治るのにかかるというものであった。

 大介ならば一週間だろうが、その間でさえ、大介は試合を休むつもりはなかった。

 練習においては右手は添える程度にして、左手で強く引くことで、バットをスイングする。

「いけそうだな」

 クラッチヒッターとして、まだも右打席に立つ大介であった。




 ガンガンに冷やしておいたが、それでも膨れ上がった右手の小指。

 右打席に入っているので、引き手で打つタイプの大介なら、どうにか打てるのだろうか。

 それでも最後に、右手で押し込む必要はあるだろう。

 異常な高さの打率を下げる、良い機会である。


 大介が確実に首位打者を取り、しかもその打率を大きく更新させるなら、普通に休んでいればいい。

 現在の時点で規定打席には到達し、ホームラン数も打点数も、三冠はほぼ確実な数字。

 だがそれで満足しないところが、大介なのである。

 別に連続試合出場記録がかかっているとか、そういう理由もない。

 ただ、右で打てると思ったからこそ、試合に出てしまうのが大介なのである。


 せめてパ・リーグならDHで守備が必要なかった。

 だがファーストの守備に穴が空く可能性を考えても、大介を右打席で打線に入れる必要があったのか。

 ただスターズは、確かに混乱した。

 骨折と発表された大介が、その日の夜の試合には出ているのだから。

(いくらなんでも指を骨折していて、しかも反対の打席なんだぞ)

 単にスランプの時などは、右打席で打ってもいた。

 肋骨に罅が入っていても、打てるバッターではあった。

 だがさすがに押し手の指を折っていて、ホームランなどが打てるのか。


 骨折はその治癒にも段階があり、折れてすぐは周辺の組織や毛細血管が切れて、骨折部位が膨らむ。

 これだけでミートが上手くいかなくなることは明らかである。

 骨が治るよりは先に、周辺の膨張はなくなるが、それでも痛い。

 骨折とは骨が折れるだけでなく、その周辺の肉体もダメージを受けているからだ。


 右手の薬指と小指を、まとめてテーピングで固定する。

 一応投げてみるに、投げられないことはない。

 だが送球の動作で、血液が指の先端に流れて、これが痛い。

 投げる一瞬だけを我慢すればいいのだが、それでも無茶である。




 実際の打席においては、ボールにバットが当たった瞬間、右手は離す。

 左手だけでボールを飛ばすわけで、しっかりと外野までは飛んでいった。

 外野の頭越えはしなくても、コースが良ければヒットにはなる当たり。

 これで一打席はフォアボールを選び、出塁することに成功。

 だが内角を上手く打てずに、三振となる。

 さすがに指の骨折なら、バットコントロールにも影響が出るのだ。


 確かに片手だけでヒットを打つような選手は、過去にもいた。

 だが大介の場合は利き手の右手小指の骨折で、反対の打席に入っているのだ。

 チームはこれで三連敗、ゲーム差を縮めてきたレックスとの差も、負ければもちろん縮まらない。

 いくらなんでも少しは休ませとという声が出てきた、スターズとの第三戦。

 大介は片手でホームランを打って、そういった声を黙らせた。


 ベンチに戻ってくると、チームメイトは呆れた顔を隠さない。

「本当に骨、折れてんのか?」

 そう言われても二日前には、倍ほどの太さに膨れ上がっていた右手の小指である。

 今もまだ腫れは引いていないが、バットを押すことにさほどの問題はない。

 気合があれば、怪我も治る。

 単純に大介の治癒力が高いだけであるが、このあたりの体質の特殊さも、化け物扱いされる理由ではある。


 ライガースはこの試合を勝利して、連敗を3でストップ。

 そしてしばらくの間、ファーストを守りながらも大介は、普通の四番打者程度の成績を残していくのであった。




 スターズとの三連戦の後は、またも神宮での三連戦。

 ただしこのカードには、直史の登板予定はない。

 代わりと言ってはなんだが、第一戦の先発は武史。

 こいつがチームで二番目のピッチャーというあたり、レックスの投手事情は完全におかしい。

 対するライガースは、エース真田。

 ピッチャーの能力はともかく、現在はライガースの打撃力がかなり落ちている。

 対するレックスは、士気が高くなっている。

 前回の対決では、三連戦の最初に直史からパーフェクトを食らって、負け越している。

 今度もまた、という気持ちは強いはずだ。


 カードのピッチャーのローテは、もし予定通りであれば、二試合目が山田と吉村、三試合目が村上と青砥になる。

 ただしレックスは古川が戻ってくるようなので、三試合目に先発する可能性は高い。

 八月に入ってからレックスは、やや勝率が落ちていた。

 じわりとではあるが、ライガースがゲーム差を詰めていたのだ。

 しかし先日の試合で、ついに直史の記録が途絶えたのち、むしろチームが奮起している。


 シーズンを通しての選手のメンタルコントロールは、本当に大変なものだ。

 夏場ということもあり、バイオリズムの上下も考えれば、監督は調子の悪い選手を控えに回して休ませ、試したい選手を投入する必要もある。

 苦しい夏場の試合だからこそ、勝ってゲーム差を詰める隙が出てくる。

 だがそのためにこちらの選手の調子を落とせば、それはシーズン終盤やプレイオフに響いてしまうだろう。

 これが上手く出来る選手が、超一流なのだ。

 大介などは例年であれば、むしろ夏にこそ活躍する。

 それがなくても、不調の時でさえ他のチームの主力級には打つ。

 だが今年はさすがに、怪我の状態から考えて、絶対的な信頼は得られないだろう。




 東京にやってきたライガースの面々は、神宮にて練習を行う。

 大介はやはり右打席のまま、それでもバッティングピッチャーの球なら、スタンドにまでは放り込む。

 バットコントロールという言葉があるが、大介の場合はボディコントロールが優れているのだろう。

 だから左打者のくせに、右で打ってもホームランが狙える。

 そして捕球や送球においても、エラーが少ないのだ。


 試合前はこれぐらいかな、と休んでいたところにやってきたのは、本日のレックスの先発である武史であった。

「うす」

「よお」

 世間には秘密の義理の兄弟は、和やかな雰囲気の中で話した。

「右手、そんなんで大丈夫なんすか?」

「大丈夫じゃないぞ。だから手加減してくれたら嬉しい」

「またまたご冗談を」

 大介は右手を、バットコントロールに使っている。

 振り切るのは左手だけで、それでホームランを打ったのだ。


 油断出来る相手ではないが、心配するのも本当のことである。

「まだけっこう膨れてますか?」

「まあな。短くても二週間とか言われてるけど、前に骨折一日で治ったし」

「それとはまた違うでしょうに」

 ワールドカップにて大介は、肋骨を折りながらも右の打席に入って、ホームランを打っている。

 それとは別に不調の時は、やはり右打席で打ってしまったりする。

「俺はともかく、ナオの方はどうなんだ?」

「気にしてないですよ。どうせ無失点記録なんて、いつかは途切れるものでしょうし」

「でもまさか、ホームランが出るとは思ってなかったなあ」

「アレ以来ケントさん、三試合連続ホームランですからね。かなり責任を感じてますよ」

「樋口はなあ」

 大介としても、厄介な相手だとは思っているのだ。


 だが、大介が問題とするのは、直史の次の登板予定だ。

「次、スターズ戦の第一戦に投げてくるのかな」

「その予定ではありますけどね」

 ローテ通りであれば、次の登板はスターズとの22回戦。

 そしてこれまた予定通りなら、スターズは上杉が投げてくるはずであった。


 前回の対決では、両者一人のランナーも許さない、12回パーフェクトのピッチングで引き分けに終わった。

 究極と至高のパーフェクト対決、などと言われたものである。

 両者の調子が普段通りであれば、同じ事態が出現してもおかしくはない。

 むしろそれをファンは期待していた。

 だが直史の調子が落ちているのは間違いないし、上杉の方は一時離脱となってしまった。


 肩の違和感と言われていたが、大介が自分の交代後の試合を見る限り、あの試合の大介との対決以降に、ストレートが170km/hを超えることがなかった。

 もちろんそれでも充分に速球派の投手であるが、普段に比べれば物足りない。

 右肩に違和感ということで登録抹消であるが、大介が骨折したのであるから、上杉にもダメージがあってもおかしくはない。


 上杉、直史、大介と、化け物三人が、調子を落としたり、故障したりしている。

 ならばもう一人怪物級の選手がいる、レックスが有利であるのか。

 武史としても普段の大介ならともかく、明らかにスペックが落ちている大介なら、そうそう負けないとは思える。

 こんな時にしか、正面から戦えないのは情けないが。


 レックスが三連勝し、ライガースが三連敗したことにより、両者のゲーム差はまたも、4.5ゲーム差と開いている。

 だが今年のカードは、九月に両者の直接対決が、九試合も残っている。

 極端な話九ゲーム差があっても、そこまではマジックが点灯しない。

 よほど両チームの対決で終盤を盛り上げたかったのだろうが、いくらなんでもやりすぎである。


 対してレックスの場合、九月にはスターズとの対戦が、一試合しか残っていない。

 エース同士の投げ合いが、スターズはレックスが中五日で投げているため、成立しにくいということはあるが、そのあたりも考えて、こんな日程にしてあるのか。

 どちらにしろ、今年のペナントレースは、最後までもつれこみそうだ。

 これは大介にとってと言うか、バッターにとっては有利なのだ。

 タイトル争いのために、無駄に敬遠などが重なることがないので。

 ただし大介の場合は、他のチームからは、どんどんと敬遠されるかもしれないが。


 右打席で打つしかない今の時点で、どれだけホームランを打つことが出来るか。

 おかしな話であるが、それが今年の大介の、レコード更新につながっていくのかもしれない。

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