第91話 ザ・モンスター

 リック・フィッシャーは怪我などをしなければ、将来の野球殿堂入りは間違いないだろうと言われるトローリーズのエースである。

 勝ち星や防御率も確かに良い成績を残しており、サイ・ヤング賞を二回も取っている右腕の30歳。

 ただ持っている球種や球速などでは、なかなかそのすごさが理解されにくい。

 球速も速いが最速が100マイルなので、高速化が著しい現在のMLBにおいては、それほど突出した存在でもない。


 ただ、大介は一試合を通して見て、相当に地味だがひどく素晴らしい、このピッチャーの価値が分かる。

 もっともその価値が分かることと、大介に通じることは別の話である。

「本当はもう少し球速出るんじゃねえの?」

 映像を見ていて、大介はそう思った。

 実は二年前に、102マイルを記録している。

 だが球速にはそこまでこだわらず、カットボールを機軸としたコンビネーションを重視しているらしい。

 実際に投げるボールの40%はカットボールだ。


 MLBはその性質上、分析するピッチャーはどうしても、同じリーグの同じチームの選手が優先になってしまう。

 なのでこれまでは、一試合を通してフィッシャーのピッチングを見ていなかった。

「フィッシャーの優れているところは、スタイルの使い分けだって言われている」

 スコアラーの言葉を、さすがに杉村がしっかりと翻訳してくる。

「ランナーのいるとき、いないとき、バッターの性質、そういった状況を判断して、投げてくるボールの組み立てを考えてくるんだ」

「しかも時々、そのパターンを外してくるんだな?」

「そうさ。それに同じ変化球でも、微妙に変化が違ってくる。だからゴロが多くなるんだ」

「今どきのフライボール革命の中でも、それでもゴロを打たせるのか」

 その投球技術は相当に高いということだ。


 基本的には全てホームランを狙ってバレルで打って、フライ性の打球にする。

 三振を恐れずに、遠くへ飛ばすことを考えるのだ。

 華麗にヒットを打ち分けるより、その方が得点への貢献度は高い。

 そう言われても、大介の頭の中にあるのは、根本が高校野球である。


 今ではもう高校野球のレベルでさえ、体を作ってバットを振って、ホームラン狙いをよしとする傾向にある。

 だが日本の高校野球レベルだと、それでは埋もれてしまうタイプの選手がいる。

 それに高校生の段階から、負荷をかけて栄養を摂って体作りをするのは、まだ時期的に早いこともあるのだ。

 大学生になって、さらに社会人になってからようやく、体がしっかりとしてくる人間もいる。

 むしろそれぐらいになってようやく、骨の硬さがしっかりとしてくる。


 単純に筋肉だけをつけても、骨の硬さなどは鍛えられるものではない。

 本当に体が出来るのは、25歳前後。

 大介の場合は筋肉の量が基本的に少ないのと、生来の柔軟性などから、高校時代にほぼフルスペックに到達したのだ。

 それでもプロに入ってからも、微妙にマイナーチェンジなどは続けている。

 MLBはNPBに比べると、MLBデビューがかなり遅い年齢になる。

 それはマイナーの壁の厚さもあるだろうが、肉体の完成を待ってから、この舞台に上がってくるというのも要因の一つなのかもしれない。


 そんなことを思いながらも、大介はフィッシャーの投球を一通り見た。

 そしておそらく、これなら打てるだろうと判断する。

「球は速いけど、それ以外は劣化したナオだな」

 その評価が正しいかは、これからの試合の結果による。




 昨日の試合で期待通りに大介がホームランを打ったので、今日もスタジアムは満員だ。

 本場のアメリカでも野球の人気は落ちているというが、大介はそうは思わない。

 確かに観客動員数は、徐々に落ちている。それは単純に事実だ。

 だがそれはこれまで、MLBに大介がいなかったからである。


 今日の大介は三番に入っている。

 フィッシャーのピッチングのスタイルからして、ホームランよりもある程度ランナーがたまりやすい勝負になると判断したからだ。

 出塁率の高いカーペンターとシュミットを前に置く。

 大介の役割は、その二人をホームに帰すことだ。


 ただもちろん、そう上手くはいかないのも分かっている。

 カーペンターもシュミットも、内野ゴロで打ち取られた。

 ツーアウトランナーなしで大介の打順。

 あるいはこんな状況でも、敬遠をしてくるかな、と思ったりもした。


 しかし今日もまた、メトロズはある程度の点は取られることを覚悟している。

 今日は普段リリーフをしているピッチャーの継投で、試合を終わらせる日。

 大量失点はないだろうが、ロースコアで終わるとも思えない試合なのだ。

(だからまあ、一打席目は勝負してくるだろ)

 そう予想していた大介の膝元、ゾーンぎりぎりにカットボールが入った。

 これは確かに、素晴らしいコントロールと言えよう。


 ストレートでコントロールをつけるのは、ある程度どのピッチャーも考えるものである。

 好きなコースに好きなように投げるというものだ。

 だが実はプロのピッチャーでも、ストレートはほとんどアウトローの出し入れしかしないピッチャーもいたりする。

 カーブは緩急をつけるのが目的だから、ゾーンに入れるか外すかだけ。

 ただフィッシャーはカットボールで、低めの好きなところに入れてくるらしい。


 右打者に対して有効な、スライダーをあまり投げてこないのは助かる。

 だがシュート変化するチェンジアップを、全く変わらないフォームから投げてくる。

 大介はそれをカットしたが、すぐさまツーストライクまで追い込まれてしまった。


 カットボールが、またも膝元に入ってくる。

 その軌道が頭に入っていた大介は、バットを出した。

 だが腰の回転が上手くはまらず、ゆるいサードライナー。

 キャッチされてしまって、第一打席はフィッシャーの勝利である。




 メトロズが常にリードされる展開となった。

 正確に言うと、ほとんどフィッシャーを打てない。

 大介の二打席目も、フィッシャーの球はカットボールを掬い上げたが、平凡なレフトフライ。

 膝元に入ってくる球なのに、左方向に打ち返してしまっている。


 変化がわずかずつ違うのが分かる。

 そしてコースも、ボール一個分を平気で出し入れしている。

 左バッターへの、膝元へのコントロール。

 大介としては、一番ホームランが狙いにくい。


 その間にトローリーズは、着々と点を重ねていた。

 七点差がついたところの、六回でフィッシャーは降板。

 本日は被安打0で与四球0の、素晴らしいピッチングであった。

 もっとも大介の三打席目が回ってきたら、どうなっていたか分からないが。


 残り三イニングで七点差は、諦めてしまう点数だろうか。

 大介は少なくともそう思わない。

 七回には代わったばかりのピッチャーからヒットを打って、得点への道を切り開く。

 盗塁もしっかりと決めて、盗塁王への道を着々と歩んでいく。

 その回と八回と、メトロズはホームランも出て、二点を返した。

 そして九回はノーアウト一二塁という場面で、大介の打順が回ってきた。


 ここでホームランを打てば、7-5となってノーアウトからまた攻撃となる。

 二点差となればトローリーズは勝ちパターンのリリーフを出してくるだろうが、果たしてちゃんと準備は出来ているのか。

 今から急に準備をしているなら、むしろそこはチャンスとなる。

 そんな打つ気満々の大介は、相手の監督が申告敬遠をする姿を見た。


 九回の表、ノーアウト一二塁から申告敬遠なのか。

 満塁ホームランが出れば一気に一点差に詰め寄ってしまう。

 そして四番は普通にホームランバッターだ。

 二三塁ならまだ分かるが、それでも大介をランナーに出していいのか。


 結果としては、これで良かった。

 クローザーのフィデル・ゴンザレスが登場する。大介もぜひ打ってみたいと思っていたピッチャーだ。

 MAXで103マイルを投げてくるのに加え、クローザーとしては球種が多い。

 だからこそ打ってしまえば、ダメージは大きいのだ。

 しかし力んだ後ろの打者は内野ゴロを打ってしまい、なんとトリプルプレイ。

 一気に試合は終わってしまった。


 ノーアウト満塁から登板して、一人を片付けて試合を終わらせてしまった。

 どこまでが意図したものかは分からないが、クローザーとしては完璧な仕事であった。




 第三戦目からは、メトロズもある程度力のあるピッチャーが回ってくる。

 先発のモーニングは、今年のメトロズの打線構成から、勝ち星が付きやすく負け星が消えやすいようになっている。

 ここまで10先発して7勝0敗。

 大量点差でさっさと変わった試合もあるが、クオリティスタートは五回。

 クオリティスタートに明確に失敗したのは二回だけである。


 また彼の投げた試合は、最終的な結果は9勝1敗。

 メトロズの打線の破壊力があってこそのものだが、立派な数字を残している。

 この試合も六回を投げて、二失点で降板。

 そしてここまでに、メトロズ打線は五点を取っていた。


 NPBのやっている野球に比べると、MLBの野球は駒の使い方がはっきりした、ボードゲームのように思えてくる。

 この三試合目も、ある程度の失点を計算して、それ以上に打線の攻撃力を考える。

 リリーフにしてもリードしているときとビハインドのときとで、投げるピッチャーは変わる。

 今日は前の二試合、使っていなかった勝ちパターンのリリーフピッチャーが投げていく。

 点は取られたが、それでも最終的には7-4で勝利。

 そして次の試合も、メトロズが勝利。

 だがこの試合は珍しく接戦で、リリーフ陣に勝ち星がついたのであった。


 大介は改めて過去の試合を見てみたが、メトロズはおそらく、接戦に弱い。

 接戦で負けている試合が多いわけではないが、勝つにしろ負けるにしろ、点差がかなり開いているのだ。

 57試合が終わった時点で、一点差で決まった試合は八試合。

 そしてそのうちの五試合で、敗北している。


 競り合いで弱いというのは、かなりチームとして、致命的な欠陥だ。

 この競り合いというのは単に点差だけではなく、試合の途中の競り合った展開でも弱くなることが考えられる。

 勢いに任せて打線が爆発すれば強いが、なかなかそんな試合ばかりではないだろう。

 特に今は大介にかなり勝負にきているが、ポストシーズンになればもっとシビアな判断をしてくる。

 

 七月末のトレードデッドラインまでに、どういった補強をしてくるのか。

 確実にリリーフピッチャーが必要になる。

 当然ながらトレードという扱いだろう。マイナーから上がってくるピッチャーに、重要な場面でのリリーフを任せられるわけがない。


 ただ、今は先発陣の中から、ウィッツが故障者リスト入りしている。

 それに勝率自体はかなり高いので、いくらかの敗北の可能性を考えても、リリーフピッチャーを試す余裕はあるのかもしれない。




 西地区最強のトローリーズとの対戦を、二勝二敗の五分で終わることが出来た。

 そして次の相手は、やはり西地区のアリゾナ・スネークス。

 当然のように連戦となる。

 アリゾナ州フェニックスの、岩砂漠っぽい地域にある球団で、フェニックスは工業の盛んな都市である。

 球団としての歴史は若く、リーグ拡張に伴い1998年に誕生した球団だ。

 設立からわずか四年で、ワールドシリーズを優勝していたりもするが、この10年では地区優勝もしていない。

 トローリーズに比べれば、今年の戦力もだいぶさほど強力ではない。


 去年の成績はほぼ五割であり、チームは再建期にあると言っていいのだろう。

 生え抜きの選手に、ベテランでも安い選手をそろえて、数年後には躍進を狙うという、他のチームにもあるパターンだ。

 そしてこういうチームは、大介とも勝負をしてきやすい。


 第一戦は今季二番目の大量得点となる、12点を取っての勝利。

 そして大介も五打席勝負してもらえて、ホームランを一本打った。

 ここからまだ二試合が行われるのだが、このタイミングで五月が終了。

 プレイヤー・オブ・ザ・マンスがまた選ばれる。




 大介の成績は脅威の四月に比べれば、だいぶおとなしいものになっていた。

 四月は131打席、五月は130打席とほとんど変わらないので、比較もしやすい。


 打率 0.467 → 0.389

 出塁率 0.565 → 0.554

 長打率 1.187 → 0.937

 OPS 1.752 → 1.491

 安打 50 → 37

 得点 42 → 44

 打点 53 → 38

 本塁打 22 → 13

 盗塁 15 → 19

 四死球 24 → 35

 三振 8 → 5


 うむ、だいぶおとなしくなっている。

 比較すれば一目瞭然である。

 ちなみに打数が107から95に減っているのも、注目すべき点であろう。


 明らかに歩かされることが多くなってしまい、そのくせ出塁率はむしろ下がった。

 なんでだろう?

 とにかく歩かせた方が、間違いなくOPSは下がると相手は判断したのだろう。

 そしてそれは正解らしい。

 おそらくボール球を無理に打ちにいっているからだろう。そのくせ三振の数は減っているが。

 ランナーを帰すのではなく、自分がランナーとなって帰ってくる傾向が見られる。

 得点もだが盗塁の数が伸びているからだ。

 

 現実逃避はこれぐらいにして、アメリカのベースボール関係者一同が頭を抱えた。

 史上最高の化け物が、史上二番目の化け物になった程度の変化しかない。

 なお二ヶ月のトータルでは、まだまだ化け物の中の化け物である。


 打率 0.431 出塁率 0.559 OPS 1.629

 打点 91 本塁打 35 盗塁34 


 二ヶ月が終わった時点、試合数にして58試合を消化した時点である。

「確か、年間で40ホームランと40盗塁をした選手は、歴史上四人しかいなかったな?」

 メトロズのオーナーコールは、GMのビーンズと話し合っていた。

「二ヶ月でもう30-30をクリアしてるんだが? それと打率がまだ四割あるんだが?」

 ビーンズはまあまあ、と手を前に出す。

「まだ慌てるような時期じゃありません」

「ほとんど払わなくていいはずのインセンティブをどうするんだ!」

「大丈夫、まだ二ヶ月ですし、確実に成績は落ちています。それに五月の成績を維持したとしたら……」

 計算したビーンズは、やはり強張った笑みを浮かべた。

「1120万ドルです……」

「四月分の成績を考えれば、もっと上になるな? それにこれだけ打っていれば、シルバースラッガー賞やMVP、ファーストチームなども当然選ばれるぞ!」

 それぞれのインセンティブを考えていけば、1500万ドルにはなる。


 チームにはペイロールという、年俸総額がある程度決められていて、普通ならインセンティブもその中に収まるはずなのだ。

 多くてもまあ、300万ドル程度かなと思っていた。

 まさか日本での怪物的数字を、MLBでも平気で残すとは。

「怪我をしたりする可能性もありますし」

「何も問題が起こらないほうが嬉しいはずだな?」

 これに関してはもう、ビーンズの目算が外れたことを、認めないわけにはいかない。


 ビーンズは考える。

 この事態の収拾をどうすればいいか。

 そんなものは不可能だ。もちろんこれから大介が、急激に成績を悪化させていく可能性も、ないわけではないのだが。

「オーナー」

 ビーンズは腹を決めた。

「ワールドチャンピオンを狙いましょう」

 このビーンズの言葉の意味を、コールも正しく理解した。

「補強か?」

 ビーンズは頷く。


 本格的に戦力が充実し、ワールドチャンピオンを狙えるのは来年。そう思っていた。

 だが現在のチームの勝率や、チームの戦力を考えるに、補強さえしっかりすれば、既に充分その可能性はある。

 むしろ今年こそを、なんとかワールドチャンピオンに持っていくべきだ。

 そしたら当初の予定通り、来年も狙える。

 戦力均衡の名の下に、連覇がなくなってしまったMLB。

 だが、これは大きなチャンスだ。


 コールはソファにどっかりと座り、う~むと考えた。

「分かっているとは思うが、まだ動かせないぞ」

「はい。ただ他のチームより早く、七月の上旬から動いていきたいと思います」

 それは早ければ早いほど、かかる金も多いということだ。

 だがトレードデッドラインのぎりぎりでは、取りたい選手も限られてしまう。


 今のメトロズに必要なのは、安定したリリーフ陣。

 そしてこれらのポジションは、負けが込んで優勝を諦めたチームは、比較的簡単に手放しやすい。

「狙ってみるか」

 そう呟いたコールの眼光は、ビーンズよりもはるかに鋭いものになる。


 唾を飲み込んで、ビーンズは頷く。

「幸いと言ってはなんですが、観客動員数も大きく増えていますから」

「それはこちらの領分だが、動かせる金は増えているはずだと言いたいのだろう?」

「はい。チャンスです」

 目を閉じたコールは、しばし黙考する。

「絶対条件は、シライシが無事に七月を迎えていること」

「承知しています」

 そしてメトロズの男たちは、駒をそろえるための事前準備に入った。



×××


 ※ 現在話し合われている新たな協定で、ナ・リーグにもDH制を導入とか一巡目ドラフトを入札とか、FAの優先ドラフトの変更とか、かなり大きな変化がありそうです。

 当作品は基本サザエさん時空にいながら、問題になりそうなところだけは良いとこどりをしていく所存です。ただ面白そうな変更があれば、普通に取り入れていくとは思います。また実は、将来的に行われそうだがまだ行われていない制度も、少し入れていたりはします。そのあたりは進行次第でまたここに取り上げるかもしれません。

 ……試合数削減とかは記録が作れなくなるので困りますけどね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る