第90話 日米の名称の違い

 珍しくも真っ当な三振をしてベンチに戻ってきた大介は、憮然とした表情であった。

「どういったボールだ?」

 一番バッターの大介に、監督が尋ねてくる。

 それに対して大介はしばし考えたが、適当な言葉を探した。

「ノット シンカー ノット スプリッター ノット ツーシーム」

 そう、あの球はどういう投げ方をしているかはともかく、特徴としては間違いない。

「イッツ スプリーム」

 ダルビッシュの開発したと言われる変化球。

 回転数が少なく、落差があってシュートの変化をする。

 投げ方はともかく、あのスピードが出ているのは、まさにそれである。


 ちなみにスプリームと言われても、だいたいのメジャーリーガーはツーシームの一種だと考える。

 またMLBではツーシームと高速シンカーの区別がついておらず、両者をツーシームとして扱ったりシンカーと扱ったりする。

 本来ツーシームというのは、あくまでもボールの握りを示すはずなのだが。

 日本でもスプリットとフォークの違いはあいまいだが、MLBだっていい加減なものであるのだ。


 バッターにとって大事なのは、球種ではない。

 実際にその球がどう変化するかということだ。

 今日は二番のカーペンターも、そのボールで三振となった。

 さすがは本多と言いたいところだが、この調子で三振を狙っていくなら、それは球数も増えるであろう。


 そして右打者のシュミットに対しては、普通にフォークを投げてきた。

 それも投げれるんじゃん、と大介は心の中で叫んだ。

 本多としては珍しいが、情報を色々とごまかしている。




 トローリーズの打線は、上手くつながっている。

 毎年地区優勝までは狙えるレベルの戦力をそろえているので、今のメトロズよりは全体の戦力がかなり高い。

 元々勝率で圧倒的なトップにいるメトロズは、ここで無理をするつもりはない。

 監督は戦力の維持を考えて、勝つ試合と負ける試合を冷静に計算する。

 もっともそれも広言しては士気に関わるので、全ての試合は勝ちにいく姿勢を見せる。

 心の中では、怪我だけはするなど祈りながら。


 先発のマクレガーは、初回から失点していったが、試合が完全に壊れることはない。

 ただしメトロズの打線は、本多によって完全に封じられている。

 あのスプリームとストレート、そしてフォークを混ぜられたら厄介だ。

 ただし三振を取るのにこだわっているのか、そこそこ球数は嵩んでいく。


 大介はプロレベルではピッチャーをしたことがないので、ピッチャーの運用法はあまり分からない。

 だが球数が多くなれば、後ろのリリーフへの負担が増える。

 その意味では直史などは、先発にプラスしてリリーフがもう一枚増えたぐらいの価値がある。

(NPBでは本多さんも、かなり完投してたけどな)

 130球ぐらいは、普通に投げていたのだ。

 NPBとMLBでは、登板間隔も球数の意味も、かなり変わってくる。


 直史は完全にいつも省エネピッチングをしているが、武史などもある程度は省エネをしている。

 それはMLBペースの登板間隔でありながら、130球以上の完投をしていた、上杉が一番常人離れしていたであろう。

 直史は配球と技術で勝負する。

 上杉は完全に、パワーとタフネスで勝負する。

 どちらが上かはともかく、今のシーズンで投げているのは直史の方だ。

 15回をパーフェクトで投げ抜いて、その翌日に完封する。それが高校時代の直史であった。

 去年の日本シリーズは、中三日、中二日、連投で投げぬいたのが直史だ。

 九日間で34イニングに投げ、それも最後は連投で18イニング。

 さらに最終戦はパーフェクトというおまけ付きだ。 

 本多が多少の進化をしてようと、大介にとっての脅威度はさほど変わらない。


 三回の表、ツーアウトランナーなしで、大介の打順が回ってきた。

 フォアボール一つのノーヒットピッチングを続けている本多だが、球数はかなり多くなっている。

 ただスプリームはかなり効果的ではある。

 速くて大きく鋭く変化するボールなど、打ちにくいのは当たり前だ。

 いっそのことスイングで追いかけず、空振りしてしまった方がいい。


 大介としてもまだ、あのボールに対する確実な攻略法は考えていない。

 ぶっちゃけると高速シンカーと考えていいのだ。

 ただそれがストレートとほぼ同じスピードなため、対処が難しい。

 実際にバッターボックスで、何球か見ないと見極められない。


 今年のトローリーズとの対戦は、この四連戦の他には三連戦だけ。

 その時に対戦するかどうかは分からないが、攻略法は考えておかないといけない。

 それに地区優勝をしたら、高い確率でトローリーズとは当たる。

 そこでならば本多は、球数が多少多くなろうと投げるだろう。

 リリーフとして登板してきたとき、打てなかったらそこで終わる可能性すらある。


 この試合は、最悪捨ててもいい。

 いや、そもそも2-0で負けている今、たとえ逆転してもまた、点を取られる可能性が高い。

 トローリーズのリリーフ陣は、メトロズよりも上。

 大介もMLBの、長丁場での戦い方が分かってきた気がする。




 初打席は、変形シンカーをウイニングショットに、大介から三振を奪うことが出来た。

 大介は日本時代、平均して年に25回ぐらいしか、三振をしないバッターだった。

 本多もその中の一つを奪ったことはある。

 だが年に60本以上のホームランを打って、三振がその半分以下。

 今のフルスイングでホームランを狙うのが主流の中、それこそが大介の最大の異質な点であったのかもしれない。


 この二打席目を、どうやって戦うか。

 MLBの球に投げるために、色々とNPB時代には使わないボールを試していた。

 ツーシームの握りで少しだけ抜くように投げると、スピードがあるのに落ちる球になった。

 これを使うことによって、空振りが取れている。

 だが分析するに肘に負担がかかりやすい球のため、あまり投げない方がいい。


 ホームランを打たれても一点。

 計算だけをするならば、くさいところをついて歩かせてもいい。

 だが本多はこの大観衆の中で、大介相手に逃げるということなど考えていない。

(勝負だぞ)

 ベンチからも敬遠の指示などは出てこない。


 初球を何から入るか。

 それよりは、大介は変形シンカーを狙ってくるか。

 大介の性格を考えるに、あの難しい球を打ちたいと思っているだろう。

 本多としても決め球に、変形シンカーを持ってくるのは間違っていないと思う。

(お前の弱点は、一つだけある)

 大介のバッティングを分析して、本多が日本時代に理解したこと。

 もっともその弱点を突くのは、ほとんどのピッチャーにとっては不可能なことだが。

(四番的な思考を持っていて、難しい球を打ちたがるということだ)

 雑魚のピッチャーであれば、無造作に打ってしまうのだが。


 内角の厳しいボールを、大介は二球見逃した。

 打とうと思えば打てたかもしれないが、優先順位が違う。

 試合に勝てる可能性が低いならば、本多の変化球を見極める方が優先。

 ツーストライクといくらでもボール球を投げられるこの状況、本多が使ってくるだろうボールは、ゾーンから外れていくあのシンカーだろう。

(どういう握りとリリースしてるんだか、そこのところ分からないけどな)

 変化の仕方さえ見極めれば、そこで打てる。

 ただ本多はそんな大介の思考を読んで、あっさりとツーストライクを取ってきた。

(この人も高校時代から比べると、賢くなったよなあ)

 そんな失礼なことを思いつつ、大介は勝負の球を待つ。


 本多の投げた、第三球。

 外角におおよそコントロールされたその球は、一応はゾーン内。

 大介はそれを打ちにいくが、このスピードで変化するのか。

 みゅいん、と斜め下に変化する。

 大介も腰を落として追っていくが、バットは届かない。

 三球三振。

 大介がMLBにやってきて以来、レギュラーシーズンで一試合に二度の三振を喫するのは、これが初めてのことであった。




 ほとんどのNPBの選手は、MLBにやってきたらNPB時代よりも成績を落とす。

 まあどこかの二刀流のような、おかしな人間もいないわけではないが。

 あれは人類認定フィクション存在としていいだろう。


 大介の場合は、より勝負してくれる相手が多いため、今のところはNPB時代よりも高い成績を残している。

 だがNPB時代も、一ヶ月ぐらいを切り取ってみれば、このぐらいの成績になったことはあるのだ。

 そして本多も他の要素は色々と落ちている部分もあるが、短いイニングで投げるのには、MLBの方が合っているのかもしれない。

(あの人ひょっとして、こっちならクローザーが合ってるんじゃないか?)

 五回ツーアウトから、大介の第三打席が回ってくる。

 本多の球数からいって、このイニングで交代だろう。

 スコアは5-0と、攻撃力には定評のあるメトロズが、完全に抑えられていた。


 大介の上の世代は、打撃ならパワーの西郷、バランスの実城。ピッチングなら隙のない玉縄と、それぞれに評価されている選手がいた。

 だが本多は投打の総合力では、一番優れていたと言っていい。

 NPBではピッチャーに専念していたが、セ・リーグなので上杉と同じく年に数本は、ホームランも打っていた。

 入団当初はピッチャーとしての調子が上がらず、野手転向も考慮されたことがある。

 

 そんな本多がピッチャーとして、MLBの舞台に立っている。

 5-0とおそらく、今日で四勝目がつくだろう。

 ただ完投は無理だ。本人がどう言っても、チームが許可しない。

(こっからどうしていくかな)

 本多のスプリームに対応していくか、それとも素直に他の球を打っていくか。

 新しい決め球を身につけたピッチャーから、それを打ってしまうというのは、長期的に見ればいいことだろう。

(ただ現実的に、あれをホームランにするのは難しいなあ)

 大介の場合、前の二打席の三振は、ボールを追いかけてしまった。

 単純に逃げていくボールなら、腰の回転だけでホームランにしてしまえる大介だが、おそらくこれは難しい。


 本多はかなり、ノリで投げるピッチャーだ。

 地区的なことを考えれば、メトロズがこれを攻略するのは、おそらくポストシーズンに入ってからでいい。

 だがトローリーズ全体の力を考えると、ここいらでダメージを与えておきたいとも考える。

 そもそも根本的に、大介はあの球を打っておきたい。


 この三打席目も、本多は勝負をしてくるだろう。

 点差もあってランナーはおらず、ホームランを打たれても問題がない。

 ただ勝負のために、あの球をさらに投げてくるかは疑問だ。

 既に二打席大介から三振を奪い、有効性は確かめてある。

 ならば球筋を見させるために、さらに投げてくることは考えにくい。


 ということで、打ってみた。

 内角の、上手く沈むボール球のフォーク。

 レフト方向に高く上がってそのまま伸びて、スタンド中段に落下する。

「またつまらぬ球を打ってしまった」

 ぽつりと呟いて、大介はベースを一周するのであった。




 ホームランを打たれたのをタイミングとして、トローリーズはピッチャーを交代する。

 メトロズに比べれば防御率などの指標のいいリリーフ陣だが、今日はメトロズのリリーフ陣がいい働きをしてくれる。

 他の打線も打って、5-3とスコアは変わって最終回へ。

 トローリーズは守護神フィデル・ゴンザレスを投入する。

 この前の第四打席で、大介はボール気味の球を打ってタイムリーで一点を取っていた。

 だがもう少し狙いをつけて、ホームランを打っていれば。

 一点差と二点差では、クローザーの受けるプレッシャーはかなり違う。

「ゴンザレスは打っておきたかったんだけどな」

 MLBの中でもおよそ、五指に入るクローザー。

 MAXが165km/hともなる右腕であり、コントロールもよく球種も多い。

 先発タイプではないかとその球種を見れば思うのだが、スタミナのないピッチャーなのだ。

 本多を打てなかった分、これを打っておきたかった。

 クローザーであるからには、残る三試合で対決する機会はある。

 だがピッチャーとの対決は対戦経験が多ければ多いほど、バッターが有利になっていくというデータもある。


 メトロズも二点差であれば、一応はまだ諦めてはいない。

 代打を出していくが、ゴンザレスを攻略することは無理であった。

 5-3のままランナーも出さず、トローリーズが第一戦を勝利である。




 本多の新しい変化球は、確かにすごいことはすごかった。

 おそらく今後の対戦でも、大介相手には有効だ。

 ただ、攻略の糸口らしきものは普通に存在する。


 打ってみたいなとは思いつつ、大介のホテルに戻ると、明日の対戦相手のことを考える。

 メトロズはこの第二戦、先発を休めるためにショートリリーフで投げていく考えでいる。

 それに対してトローリーズは、エースのリック・フィッシャー。

 ここまで5勝0敗のトローリーズのエースだ。


 情報に関してはもう、充分にそろっている。

 ただその事前のデータだけなら、大介は打てるはずなのだ。

 MLBのピッチャーの平均から見ても、確かにいいピッチャーではあるかもしれないが、エースと言うには各種球種の組み合わせが平凡だ。

 ただそのボールのスピンレートがかなり高い。

 おそらく球速以上にキレがあるのだろうなとは、大介ならずとも気づいているはずである。


 先のことをずっと考えると、メトロズは地区優勝でなければ、ワイルドカードでポストシーズンに出られる可能性が高いと思う。

 その時にはおそらく、またトローリーズと対戦する可能性は高い。

 今度は五戦か七戦の、先に勝ち越した方が勝ちあがる方式だ。

 その中では当然、お互いにエースクラスのピッチャーは使っていく。


(監督もGMも、気づいてないはずはないよな)

 自分の成績を第一に考える大介でさえ気づいているのだ。

 今のメトロズには投手陣にかなりの弱点がある。

 先発はそれほど強力というわけではないが、普通にエースクラスのピッチャーはそれなりにそろっている。

 リリーフ陣は弱点だが、そのリリーフ陣も勝ちパターンのときだけではなく、ビハインドのときのリリーフ陣も問題だ。


 メトロズの勝利投手は、多くは先発についている。

 いいことではないかと思うかもしれないが、ビハインドのときにピッチャー交代をすると、そこから逆転している試合が少ないのだ。

 それにセットアッパーとクローザーも、ホールドやセーブに失敗していることがある。


 今のメトロズは、先発が投げている間に打線が一気に点を取り、そのまま先発の勝ち星を守るというパターンが多いのだ。

 リリーフ陣が相手を封じるよりも、打線がさらなる追加点を取って、勝ち星がリリーフに移行しないようにしている。

 トローリーズのエースフィッシャーに比べて、メトロズのエースモーニングは7勝0敗となっている。

 だが防御率を見れば完全に、フィッシャーの方が優れているのだ。

(下から引っ張ってくるにしても、限度はあるだろうしなあ)

 おそらく杉村やツインズが説明した、リリーフ陣の強化を七月にはやってくるのだろう。

(選手のレンタル移籍にもちょっと似てるかもしれないな)

 ただそのあたりのことは、もっとチームのお偉いさんが考えることだ。


 とりあえず大介がやらなければいけないのは、フィッシャーに負け星をつけること。

 地区優勝を争う相手ではないが、トローリーズがポストシーズンに出てくる可能性はかなり高い。

 そのときのためにも、メトロズはトローリーズの投手陣を、どうにか攻略しておかなければいけない。

 かなり運用思考の違いはあるが、色々なピッチャーを楽しめるのに、わくわくとしている大介であった。



×××



 ※ 作中でも言及していますが、アメリカには基本フォークという球種は存在せず、スプリッターで統一されています。また変化球に関しては、重荷ファストシンキングボールとブレーキングボールの二つに分かれているようです。前者はツーシームやカット、後者はカーブなどですね。

 またこれとは別にチェンジオブペースという言葉があり、これが緩急を意味しているようです。チェンジアップはもちろんですが、カーブもまた緩急をつけるための球と捉えられていたりします。またスプリットのはずがシンカーであったり、シンカーがツーシームであったりと、いい加減な表記になっていたりもします。

 ただこれは日本にしても、フォークとピッチャーは言っていても、シンカーだろうと言われたりして、むしろそうやってバッターの思考を誘導しようとしているのかもしれません。

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