第53話 衝撃の日
※ 時系列的に東方編81話の後になります。ネタバレを含みますので、今回は必ずあちらから先にお読みください。
×××
レギュラーシーズン143試合のあとに、ポストシーズンのプレイオフがあり、それも日本シリーズ進出のリーグ代表を決めるところまでが終わった。
おそらく昨日の試合を見ていた人間は、興奮でなかなか寝付けなかったろう。
勝者も敗者も、完全燃焼をし尽くしたはずだ。
勝者は浮かれて酔っ払って眠り、敗者は悔しくて眠れなかった者もいるかもしれない。
最大でもあと七試合で、今年のシーズンも終わる。
対戦は大京レックス対埼玉ジャガース。
今年はパの球場から日本シリーズは開始される。
本拠地神宮で優勝をしたいのなら、五試合目までに決める必要がある。
ただしそういったことを全て忘れて、この朝だけは直史もゆっくりと過ごした。
あれから街に繰り出して日本シリーズ進出を祝う集団の中で、直史は酒を飲んでいない。
酒に強い直史であるが、あの試合は最後まで頭をよく使った。
眠くなる前にタクシーで寮に戻り、日付が変わる前には就寝。
ちなみに当然のことだが、クライマックスシリーズのMVPは直史となった。
起床して食堂に下りていくと、若手が集まって新聞などを見ている。
随分と真剣に見ているなと直史が歩み寄ると、厳しい表情が迎えてくれた。
「何かあったのか?」
普通に昨日の試合が、一面になっていると思ったのだが。
「ナオさん、これって本当なんですか?」
そう尋ねてきたのは、小此木ではない。珍しくも早起きしていないようだが、それも仕方がないだろう。
飲めないのだから一緒に助け出してやろうかとも思ったのだが、本人が楽しそうにしていたのだ。
新聞の一面は、昨日の試合の記事ではない。
全く関連がないわけではないが、スポーツ新聞にあるまじき、日本シリーズ進出以外の記事を一面にしていた。
『白石既婚! 芸能人姉妹二人と三人の爛れた関係!?』
ここでか。
いつかはばれるんじゃないかな、とは思っていた。
よくもまあここまで、ばれなかったなとも思っていた。
ため息をついた直史は、新聞の記事をしっかりと追っていく。
個人情報にアクセスできる人間がいないと、知りえない情報が載っている。
もっともこの関係を知る者は、そこそこいないわけではない。
だが口の軽い者には、知られていないはずなのだ。
それでも知っている者は、全容ではないにしても、10人以上は知っている。
ツインズはいまだに芸能活動を行っていたりもするので、そちらの方にも知っている者はいるのだ。
だから情報は、流そうと思えばいつでも流せたはずだ。
「タイミングが良すぎる」
あれだけの熱戦があった、その翌日にこの記事。
既に情報自体は知られていて、あとは公開のタイミングだけを計っていたということだろう。
ライガースが勝てば、おそらくは日本シリーズ後に発表になったのかもしれない。
ただレックスが勝って大介の体が空いたため、大々的に報道されるようになったということか。
スクープをしたのは一紙だけで、他は全て昨日の試合を一面にしている。
その中でこれは、さぞ目立ったことだろう。
「スポーツ新聞にも芸能欄はあるからなあ」
これからのことを考えると、頭が痛くなってくる直史である。
周囲の人間は、直史が何か言うことを期待している。
しっかりS-twins、つまり直史の妹たちとも書いてある。
三人が一緒に住んでいることは事実だし、一方と結婚していることも事実だし、既に子供がいることも事実だ。
だが三人が肉体関係にあるかどうかは、さすがに分かっていないはずだ。直史もたぶんそうだろうとは思うが、断言は出来ないのだし。
すっとぼければいいだけだし、そもそもこの情報の出所が怪しい。
個人情報保護法に完全に抵触している可能性は高い。
ただ違法だろうとなんだろうと、ある程度は人気商売の大介が、こういうイメージをつけられるのは問題だ。
事実かどうかさえ問題ではない。
世間にこんな話が出た時点で、大介のクリーンなイメージは台無しなのだ。
おそらく記者会見なりがなされるだろうが、そこでどう対応するのだろうか。
視線を集めながらも自室に戻り、まだホテルにいるであろう大介に、電話をかける。
ワンコールで出た。
『おーす。新聞の件か?」
「ああ。そっちはどんな感じなんだ?」
『ホテルの前にマスコミ勢ぞろいだな。まあ先に監督とかがやってきてるけど』
「どういう対応をする? 俺の方にもマスコミはくると思うが」
『俺個人で判断することじゃないだろ。二人も実はここにいる』
なるほど、と言えばいいのだろうか。
負けはしたが、昨晩はお楽しみだったのか。
桜と椿のうち、一方は弁護士でもある。
もう一方は財務担当で、もう一方が法務担当だ。
ただしこれは法律がどうとかではなく、イメージの問題だ。
法的に言えば、肉体関係がある不倫でも、それは民法の範囲内である。
関係者が問題にしていないなら、別にどうということもない。
問題はだから、これがスクープであり、大介を叩く材料になっているということだ。
大介の世間的なイメージは「いくつになっても野球小僧」というものだ。
多少は天然だったり怒りっぽいところもあるが、自信と実績に守られて、雑音が届くことはない。
浪費家と言えそうなのは馬主になったことぐらいで、車も時計もスーツも、道楽と言えるものがない。
成績を掲げて先輩選手やスタッフに横柄な態度を取ることもなく、後輩にも慕われていると聞く。
だがこれは別だ。
野球とは全く違った、それなりに謎めいていたプライバシーの暴露。
ツインズとの仲自体は、それなりに報道されてもいたものだ。
オープンすぎる関係であったため、そもそも高校時代からツインズがくっついていたため、スクープでもなんでもない。
ただ結婚と隠し子、実際は別に隠してはいないのだが、重婚もどきの正妻と愛人となる三人での生活は、大介であってもダメージになるだろう。
二人の兄ということで、直史や武史にもマスコミは訪れることだろう。
ただ、今は日本シリーズを控えた大切な時期だ。
「タイミングが妙だな」
『一応俺が敗退するまでは我慢してたってことじゃないか?』
「それもそうなんだが……」
こういったスキャンダルについて、ある程度暗黙の了解というか、遠慮というのもはある。
シーズン中、試合中には出さずに、ライガース敗退後に出したのがそれだ。
しかしこれほどの大きなスキャンダルを、抑えておくことが出来たのか。
(スキャンダル……マスコミ関係……あの人か?)
直史は誰が抑えていたのか心当たりがあるが、どのみちいつかは知られていた可能性が高い。
それはともかく、今は大介がどう対処するかだ。
もっともそれは大介が言ったとおり、自分一人で判断することでもないだろう。
ツインズは頭脳と口と暴力で、物事を通してしまうことが出来る。
「話し合うなら出来れば、二人とも連れて行った方がいいな」
『そのつもりだよ』
大介の傍には、二人がいる。その点で何か助言をしたりすることなどはない。
おそらくマスコミはこちらにも来るだろう。その対応が問題か。
「あとはあいつか」
いささか考えの浅いところがある武史に、電話をかける直史。
出ないので恵美理の方にかければ、ちゃんとつながった。
一紙のみが独占ですっぱ抜いたこれは、どうして今さらとも思うが、やっぱり出たか、とも思えるものだった。
直史としては他にも、事情を知っている人間、特に肉親には先に連絡をしておく。
まだテレビなどでは報じられないが、昼には話題になることは当たり前だろう。
武史に続き、両親祖父母に伝えた後、直史が電話をかけたのはセイバーであった。
おそらく電話を待っていたのだろう。ワンコールで取ってきた。
「おはようございます。セイバーさん、新聞は見ましたか?」
『見てはいませんが知っていましたよ』
「やっぱり今まで、セイバーさんが止めておいてくれたんですね?」
『さすがにクライマックスシリーズの間に、こういう雑音は封じておきたかったですしね』
「どうせなら日本シリーズの終わるまで止めておいてほしかったですけど」
ただセイバーでも、ここまでが限界だったのだろう。
スクープを一日でも早く報道したいというのは、マスコミにとって当然の感情だ。
それを止めるためにセイバーが使った手段は、かなり際どいものがあってもおかしくはない。
善後策を考えるなら、セイバーも力になってくれるだろう。
「これからどうすればいいと思います?」
『それは白石君たちが考えることですが、佐藤君も他人事ではないですからね』
ツインズは直史の妹である。
そして大介は親友だ。
絶対にマスコミは、大介の方で一段落したら、直史の方にもやってくるだろう。
その前に問題点をまとめ、自分の立場も考えないといけない。
大介と双子の関係は、不倫である。
法律的には姦通という言葉を使う。婚外性交渉ともいう。
民法で定められたものであり、旧刑法と違い刑事罰はない。
実は大介たちの場合、三者全員が完全に合意しているので、道義的な責任などは求めにくい。
恋愛の一つの形であり、三人が一緒に住んでいるということが、その証である。
もっとも子供たちが大きくなれば、そのあたりは問題になる。
アメリカだったら子供が親を訴えたりするのかもしれない。
ただこれで罰則があるのかどうかとなると、そんなものはない。
桜か椿の結婚している方が、夫である大介と自分の姉か妹を、訴えることは出来る。
だがそれは可能であるというだけで、そんなことをするつもりは全くない。
そもそも大介を共有することは、二人の意思であったのだ。
問題は法律の上にはない。
ただ不祥事と捉えられることは間違いない。
マスコミやネットでのバッシングは強烈なものになる可能性がある。
人間は強く届かない者が弱った時に、叩くのが好きな生き物だ。
直史としては、親友と妹たちを守る権利がある。
『開き直ったほうがいいかもしれませんね』
セイバーはアメリカ育ちなだけに、そんな関係もありだと割り切っている。
アメリカにおけるセクシャルタブーは、どんどんと打破していくべきものだという風潮がある。
だが同時にキリスト教的貞操観念があるため、それに強烈に反発する保守勢力もある。
セイバーはどちらも理解できるが、現実的に考えればどっちつかずの立場になるしかないとも思っている。
彼女自身がそもそも、セクシャルマイノリティであるのだ。
『これから起こるのは、まずはこの記事だけを見た一般人の暴走ですね。まあ単純に記事だけを見れば、うらやまけしからんといったところでしょうか』
「まあ、そうですね」
うらやまけしからんとは、まさにその通りなのだろう。
『そしてそれからバラエティなどで、有識者が叩いていくといったところでしょう。まあ白石君はクリーンなイメージがあったし、結婚している事実も隠してましたから、叩く論調になるのは間違いないでしょう』
「すると、どうしたらいいと思います?」
『さっさと記者会見でも開いて、開き直った態度を取るべきです。だいたいこういう時マスコミは男を叩きますが、白石君に積極的に関与していたのは、妹さんたちですから』
「余計に炎上しませんか?」
『炎上させないために、強い影響力を持っている人間から、メッセージを出すべきでしょうね。佐藤君もその一人ですが』
「強い影響力……」
これはセイバーのような、社会的な地位を持つ人間という意味ではない。
一般大衆向けに、メッセージを届ける力がある者だ。
「イリヤ?」
『そうですね。事実関係を明確にし、三者がちゃんと合意した関係だと示した上で、イリヤのような既に知っている人間が発信してもいいですし、実際の肉親である佐藤君が話すのもいいでしょう』
「ぶっちゃけあの二人を引き取ってくれて、俺はものすごく感謝してるんですけどね」
『そう、既に肉親の間では、ちゃんと話が済んでいるということを発信するべきですね』
なるほど。日本シリーズ前にややこしい。
それからセイバーは、主に芸能人から、そういう形の恋愛があってもいいじゃないか、という発言をしそうな者にアプローチすると言った。
セイバーにとっては今の大介は赤の他人だが、それでも知り合い以上の関係性はある。
芸能界を見てみれば、いくらでももっとショッキングなスキャンダルを抱えている者がいる。
それに比べたらたいしたことはない。
『あとは上杉選手……まあアメリカにいますが、SNSなどで発信をお願いしてもいいでしょう』
「でもあの人って嫁一筋じゃありません?」
『彼のお父さんは普通に愛人がいますよ? まあ政治家の家庭ですので普通ですけど』
さらっと爆弾発言をするセイバーである。彼女は不倫や愛人などに対して、嫌悪感などは持たない。そもそも男性が恋愛の対象にはならないからだ。
大介の周辺にいる人間が味方すれば、いずれ状況は落ち着くだろう。
『ただ、問題はあります。球団的にこのスキャンダルをどう捉えるかですね』
ああ、それがあったか、と直史は今さらに思い至った。
プロ野球というのは人気商売である。
大介のこれは、法律上の不貞行為かどうかはともかく、多数派からは叩かれるものだろう。
直史もあの三人の関係はあれでいいと思うが、世間がそれをよしとしてしまうのも、問題のうちだとは思う。
球団から大介に、どういう処罰が下されるのか。
球団のイメージを損なうのではないか。
『まあ、そこは最終的な手段がありますけどね』
「確か選手の不倫などで、球団が選手をイメージダウンを理由に訴えた例とかはないですよね?」
『児童への猥褻で追放になった選手も後に復帰していたりしますので、刑事事件でもなく三者も合意の状況では、せいぜい謹慎とかにする程度かもしれませんが、ライガースはそれも出来ません』
確かに大介の人気は圧倒的だが、何も処分をせずに済ませることが可能なのか。
『白石君は今年、海外FA権を取得しますね』
「あ」
それは、確かにそうである。
アメリカのメジャーリーガーには大介など全く比べ物にならないほどの、とんでもない犯罪を犯している選手がいる。
それに本音はどうであれ、建前としてはアメリカ社会は、自由恋愛を尊重している。
愛人をたくさん抱えたプロスポーツ選手、また何人もの元妻に養育費を払っている選手。
詳しくは知らないが、二人だけと事実婚をしている大介は、アメリカの中でも特に都市部の球団などでは、それほど問題視されないかもしれない。
大介が日本から一時退避する理由は、他にもある。
上杉が負傷して、来年は絶望というニュースは、ようやく届いてきている。
直史が上杉の立場で大介の相手を務めるのかと言うと、直史は契約を結んでいる。
大介がもしもメジャーに行けば、レックスはその翌年に直史にポスティングを認める。
直史も大介との対決のために、アメリカに渡らなければいけなくなる。
「めんどくせー」
思わず直史はそう言ってしまった。
保守的で郷土愛の強い直史は、アメリカになぞ行きたくはない。
年俸は高くなるのかもしれないが、日本を離れたくはないのである。
だが、大介とは約束してしまった。
そしてここまで状況が整っていれば、直史も疑いたくなる。
「ひょっとしてセイバーさんの差し金ですか?」
『私が期待していたのは、いずれ白石君をアメリカに連れて行くことぐらいですね。佐藤君が今からプロに来るのも、上杉選手が故障するのも、私の力の及ぶところではありません』
確かに色々と、偶然の要素が揃いすぎている。
『ただ白石君の記事が出るのを止めていたのは私です』
そこは白状してしまうのか。
あるいは情報を流したのも、セイバーなのではないか。
ただそれを口にしてしまうと、今後のセイバーとの関係が崩れる。
ただの優しいお姉さんではないのだ、セイバーは。
「すると来年、俺が行く球団もある程度決めてあったりするんですか?」
『アナハイムはどうです? 治安もいい西海岸ですし、何より親しみがあるでしょう?』
「そのためにあそこでテストを……」
どこまでが計算されたものだったのか。もちろん直史の娘に生まれつきの病気などを、植え付けることは不可能であるが。
NPBの中の、最も強大な戦力を、セイバーは手のひらの上で転がすことになる。
全く、とんでもない極悪人である。
とても小悪魔などというレベルではない。
現在はレックスのフロントにいるが、ポスティングで直史を高く売れるなら、レックスもこのオフに、佐竹などに複数年契約を提示して引きとめることが出来るだろう。
「今で計画の何%ぐらい完成してますか?」
『まだまだ半分ぐらいですね』
セイバーの冷静な声を、どうしても憎みきれない直史。
どうやら今年の本当の決戦は、日本シリーズを終えた後にありそうである。
一章 了 二章 海の彼方へ へ続く
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