三章 10年目 メジャーリーグ

第73話 開幕

 大介は自分のストイックさに理由をつけない。

 下手に理由をつけると、ついやした力や時間に、それだけの成果を求めてしまうからだ。

 世の中で努力とか鍛錬とか呼ばれるものは、やって当たり前のもの。

 そう思っている大介は、オープン戦の成績で、自分がどのように見られてきているのか、あまり分かっていなかった。


「リトルジャイアントとかリトルモンスターとかリトルデビルとか、とにかく頭にリトルを付けるのやめろ!」

 言いたいことは分かるが、言ってもどうしようもないことである。

 他にも色々と呼ばれてはいるが、ハリケーン・ダイとかダイ・ザ・クラッシャーとかは穏当な方かもしれない。

 だがそんな取材の数々に、大介はまだあまり応じない。

 せめて一ヶ月ほどしてから、その結果を見てインタビューに来てほしいと言うのだ。


 野球は成績を収めるスポーツだ。

 年俸は数字によって決められ、それはおおよそ正しい評価となる。

 ただ、大介は金のためだけに野球をやっているわけではない。

 もちろん金は生活のためひ必要であるが、地位や名声にも興味がない。

 ひたすらに、自分自身が野球をやりたい。

 そう思うからこそ、舞台を移してアメリカまで来ている。


 思えば大介の最初の欲求は、上杉に勝ちたいと思ったことだった。

 そして再戦は果たしたし、中には勝った試合もある。

 だが上杉との対戦は、とてつもなく楽しいのだ。

 自分の命を削るような、そんな感覚が上杉との間にはある。

 直史は、またそれとはちょっと違うのだが。




 そんな大介にとって、アメリカでの最初の公式戦。

 いや、MLBでの最初の公式戦と言った方がいいのか。

 舞台はワシントン・ネイチャーズの本拠地、ネイチャーズ・パーク。最大収容人数は、およそ4万人強。

 始球式を行うのは、なんと市長であったりする。

 建設して最初のこけら落としのシーズンは、開幕戦に大統領が始球式をしたものだ。

 21世紀になってから建設された、それなりに新しい球場である。


 戦闘機が空を舞い、巨大な星条旗と一緒にアメリカ国家が歌われる。

 オープン戦でもそれなりに客は入っていたが、大都市の開幕だけあって、客席の埋まり具合は比べ物にならない。

 ただMLBの場合、レギュラーシーズンの普通の試合は、よほど集客力があるチーム以外は、かなり空席が目立つ。

 今日の場合は開幕ともあって、ほぼ満席に見える。

「まあお前さんのおかげもあるんだろうけどな」

 日本人で、身長が小さなスラッガーがいる。

 これはまだオープン戦の時から、かなりの話題にはなっていた。

 小さなホームランバッターというのは、それだけでも話題にはなるものだが、バックスクリーンを破壊するほどとなると、そうもいるはずはない。

 名前を呼ばれてラインに立てば、隣の選手との身長差が際立つ。

 これを見て笑う観客もいるが、大介としては特に目立つリアクションなどはしない。


 これまでの成績は、しょせんはオープン戦。

 本当のメジャーリーグというのはここからだ。


「しっかし何度見ても変な感覚なんだよな」

 大介が呟くのは、この球場に対してである。

 日本の野球場は、まず左右対称に作ってあるが、アメリカの球場はかつて原っぱでプレイしていた名残とかいう理屈で、左右は非対称になっていることが多い。

 このネイチャーズ・パークもそれで、左中間がやや深くなっている。

 またモニターの位置も違い、正面よりは右に存在する。

 このあたりの理屈がさっぱり分からないのだ。


 野球などと違いサッカーなどは、国際的に大きさが決められている。

 またアメリカではヨーロッパと違い、競馬場などは全て反時計回りのコースであったりする。

 競馬はサラブレッドの能力測定の面があるからと言われるが、なぜ野球では非対称を好むのか分からない。

 おそらくどこかに深刻な理由があるのだろうが、とりあえず大介にはどうでもいい。


 ライト方向に打てば、ホームランは打ちやすい。

 つまり大介にとっては引っ張る球だ。

 もっともここは左方向にも、ちゃんとホームランを打てることを証明してもいい。

 オープン戦はゾーン内で勝負することが多いためか、引っ張って結果を出してきたのである。




 セレモニーのあと、いよいよ試合開始である。

 先攻はメトロズだが、肝心のこのメトロズの戦力とはどんなものなのか。

 MLBのシステムというかチーム分けについて、まずは見ていくべきであろう。

 日本と同じく二リーグ制で、交流戦などもある。

 そしてリーグごとに、東・中・西と地区が分かれている。

 シーズン中はまずこの地区優勝を狙う。

 そして優勝しなかった二位のチームの中で、一番勝率の高いチームが選ばれ、四チームでクライマックスシリーズのようなトーナメントを行う。

 ここから勝ち上ったチームが、アメリカン・リーグとナショナル・リーグのチャンピオンとなり、この両者の対決がワールド・シリーズとなる。


 全30チームが六つの地区に分かれていて、メトロズはその中でナショナルリーグの東地区に属する。

 略してNL東地区と称されることがある。

 昨年の順位は地区四位と、強くはなさそうに思える。

 確かにチーム数が5でその中の四位なのだから、下から数えた方が早い。

 だがここにはメジャーリーグにおける、戦力均衡の問題がかかってくるのだ。


 MLB機構全体の思考として言えるのは、一つのチームに戦力が集まりすぎることなく、毎年ある程度の混戦を期待している。

 FAやドラフトの完全ウェーバー制、トレードによる若手の獲得などにより、金のない球団でも、ポストシーズンのプレイオフに出られるような仕組みになっている。

 このシステムの中で、チームは主に二つのタイプに分かれる。

 毎年ある程度強く、そして時に優勝を狙うチームと、弱い期間がしばらく続いたあと、一年か二年ほど強くなって、優勝を狙うタイプだ。

 メトロズは前者である。

 確かに去年は勝率が五割を切っていたが、それでも圧倒的な負け越しというわけではない。

 ベテラン、FA、若手有望株を上手く集めて、今年か来年、もしくは再来年には、優勝が狙えるチーム作りをしている。


 もちろん大介もその中の1ピースであるのだが、オープン戦で打ちまくった大介を見て、フロントはさらに一人の選手を開幕前にトレードで獲得した。

 出塁率の高い巧打の選手シュミットであり、彼を二番に置くことで、大介を三番に置くようにしたのだ。

 ちなみに先頭打者のカーペンターも出塁率の高いタイプで、オープン戦では大介の前を打っていた。


 セイバー・メトリクス的に言えば、バッターは全員がホームランを打てて、ホームランを狙っていくのが一番いい、という容赦のない統計の結果が出る。

 だがそれはあくまで統計であって、一つ一つの場面にそれが正しいとされるわけではない。

 また守備力重視のポジションや、ユーティリティプレイヤーなども存在するため、アベレージヒッターは重要である。

 しかし現在は打率のアベレージより、出塁率が重要とも評価されている。

 結果的にはOPSが最高であるべしとなるのだ。


 この統計にも穴はある。いくらでもある。

 一人の個人成績だけならば、確かにそれが一番なのかもしれない。

 だがチームの中の打線として考えた場合、本当に効率的に点を取るにはどうすればいいのか。

 そのあたりの采配が、監督の面目躍如となる場面だろう。




 メトロズの一番はセンターを守るカーペンター。

 打率よりも出塁を重視し、選球眼に優れたセンター。

 対するワシントンの先発はエースのシューメイカー。100マイルを投げる剛速球投手であり、スライダーも高速で、さらにカーブを使う。

 一時期廃れたカーブが復権しているのが、フライボール革命以降の世界である。

(オープン戦では当たってないんだよな)

 ネイチャーズとは何試合かしたが、シューメイカーは短いイニングを投げただけであった。

 まさか大介との対戦から逃げたわけでもないだろうが。


 逃げたわけではないが、回避したことは確かだ。

 大介がMLBに慣れようとしていたように、他球団も大介に対するデータを集めていたのだ。

 現在のところ、明確に弱点と呼べる部分がない。

 強いて言えばサウスポーの変化の多いスライダーには、上手く対応できていないということだろうか。

 だがそれも外に逃げていく場合は、普通に打ってしまう。

 

 先頭のカーペンターはフライを打たせてしとめたものの、続くシュミットは期待通りにフォアボールを選んで塁に出る。

 そして大介の打順である。

(さて、盗塁とかはするのかな)

 ベンチからはサインは出ない。シュミットもかなりの俊足なのだが、ネイチャーズのキャッチャーハドソンの肩を警戒しているのだろう。

 MLBに来て大介は、確かにフィジカルとそこから発生するパワーが、NPBよりは平均的に上だとは感じている。

 ただ盗塁を阻止するという意識は、あまりないように見える。


 MLBにおいては盗塁は、その成功率を考えれば、あまりする必要はないとも言われる。

 また送りバントなども、統計的に見ればただでワンナウトを与える以上、その効果は疑問視される。

 だがそれらのことも、状況によって異なるのだ。

 監督の判断により、盗塁などもしていく場合はある。


 サインは出ない。

 オープン戦で打ちまくった大介に、この場面は託している。

(出来ればスライダーを見ておきたかったけど、初球から勝負してきそうだしな)

 敵地での開幕戦である以上、エースのシューメイカーもかなりの気合を入れてマウンドに登っているはずだ。

 初球から自信のあるストレートを投げ込んでくるかもしれない。


 投げ込んできた。

(高い)

 が、構わずに打ってしまう。

 レベルスイングの打球は、まっすぐにライトスタンドに飛んでいった。

 スタンドに入った打球を見届けて、大介はベースを回る。

 ここで派手に喜ぶと、次にぶつけられるのがアメリカ流らしい。

 何をどう理屈付けても、デッドボールを意識的にするということは、大介の価値観からは悪である。


 そんなわけで相手を下手に怒らせないよう、静かにダイヤモンドを一周してきた。

 ベンチにおいてハイタッチで迎えられるが、公式戦初打席を初本塁打というのは、もうチームメイトにとっては驚くべきことではないらしい。

「ここからどんどん打っていくんだろう?」

 少しずつ英語にも慣れてきた大介だが、まだベンチの中では通訳がしっかりとついている。

「あと一本ぐらいは打っておきたいな」

 大介の意欲的な発言に、ベンチの中の空気は明るくなっていった。




 大介はこの試合において、鮮烈なデビューを飾った。

 最後にはほぼ意識的なフォアボールで、対決を避けられたぐらいである。

 四打数四安打でホームラン二本。

 打点も四と盗塁までして、チームも9-5で勝利。

 あまり大差がついてしまうと、せっかく盗塁をしてもスコアにつけられないとか。

 そのあたりMLBはいい加減なところがあるのかもしれない。


 第二戦第三戦と、ネイチャーズ相手の三連戦が続く。

 この時点ではMLBの相手チームは、まだまだ大介を甘く見ていたと考えていいだろう。

 三試合連続のホームランで、盗塁も記録。

 メトロズはこの打撃に触発されたのか、ネイチャーズをスイープで三連勝した。


 去年は地区二位だったネイチャーズは、今年はやや戦力が落ちている。

 それを別にしてもなお、このスタートダッシュは素晴らしいものであった。

 首脳陣は集まって、この三連勝を喜ぶ。

 勝てた理由の一つに、大介の打撃があるのは間違いない。

「600万ドルは安い買い物だったな」

「まあ、最初の勢いがいい選手は、いないことはない」

「ただ三振が一つもないのはいいことだ」


 11打数で三振が0というのは、確かにすごい。

 三振とはボールをバットに当てることが出来ない、野手の守備力を必要としないアウトである。

 大介は最低でもバットには当てるし、際どいところはカットしていく。

 そして明らかに外されたボールを見逃して、しっかりと塁に出る。


 ここまでは問題のない活躍だ。

 だがここからが、MLBの過酷なスケジュールが始まる。

 明日は飛行機でマイアミまで飛び、その日の夜には試合。

 日本のリーグとは比べ物にならない、とんでもない移動距離だ。

 そして対決するのはマイアミ・シャークスであり、またもニューヨークへ飛んで、そこでネイチャーズを相手にやっと地元フランチャイズの開幕戦を行う。


 世間的には失敗したと見られる日本人選手でも、実際のところMLBの内部では評価の高かった選手というのはいるのだ。

 だが日本のリーグとアメリカのリーグでは、明らかにシーズンの意識が違う。

 それに序盤の今はまだいいが、終盤になってくると天候で潰れた試合を消化するため、10連戦などが普通に行われるわけだ。

 このあたりの過酷さで、日本人選手は調整に失敗することが多いらしい。

 たとえば日本人選手でも成功して者は、体格に優れて体力の豊富なタイプが多いように思える。

 大介はそれとは違うタイプの選手だ。


 ニューヨークは多国籍な都市である。

 それにリーグは違うが球団が二つあるため、少しでも観客を集めるため、スター選手は必要だ。

 資金の豊富なラッキーズに比べると、メトロズはやや厳しいものがある。

 だが大介が毎日のように打ってくれれば、それだけ観客数も増えてくる気はする。

 もっともそこまで考えるのは、フロントの仕事であり現場の仕事ではない。


 現場で考えるのは、まず次のマイアミでの試合も勝つこと。

 マイアミは現在チーム再建中で、完全に主力を放出している。

 なので今のメトロズなら、かなりのいい勝負は出来そうなのだ。

 なんといっても、去年もまだ地区最下位であったのがマイアミなのだから。


 スプリングトレーニングの場所に選ばれてはいるが、肝心のチーム自体は弱い。

 それがマイアミ・シャークスというチームなのだ。




 最初の三戦は、まず問題のない内容であったと大介は思う。

 だがオープン戦はお気楽だった周囲の選手が、シーズンに入るとさっさと眠りに就き、移動に備えるというのが意外だった。

「日本と同じような期間に、日本より15試合も多く試合をするんだから、消耗は激しいんですよ」

 杉村の説明に、大介も納得しないわけではないのだ。


 NPBにおいてもセ・リーグのライガースに所属していた大介は、飛行機での移動というものがあまり経験がない。

 特に関東周辺だと、タイタンズ、レックス、スターズの三つは、特にホテルの移動もなく連続して戦えることが多かった。

 メジャーリーガーは練習をしない、という話は聞いていた。

 だがそれは正確ではなく、休養の時間を作っておかないと、とてもシーズンには体がもたないということなのだろう。


 直史はWBCで散々に煽っていたが、大介も球団や選手がWBCに出たがらない理由は分かってきた。

 これだけたくさん試合をするのだから、体力は出来るだけ温存しておいた方がいい。

 特に回復力が怪しくなってきたベテランに、その傾向が見えるのだ。

 MLBが世界最高のリーグかどうかは、まだ大介は実感できていない。

 だがタフなリーグかどうかと問われれば、確かにNPBはよほど楽だと思える。


 大介は眠りに就く。

 まず最初のカードはスイープしたが、長いシリーズは始まったばかり。

 大介の新たな舞台での活躍は、始まったばかりなのだ。

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