第77話 約束

 野球の華であるホームラン。

 観客の頭の上を通り過ぎて、スタンドの中に放り込まれる。

 セイバーメトリクスによって得点の確率などを調べていくと、ホームラン狙いは派手なだけではなく理に適った攻撃だとは分かっていく。

 だが人間どうしても向き不向きがあるわけだから、無理にホームランを狙うのは良くない。


 大介は常々、守る野手のいないスタンドに放り込めば、絶対にアウトにならないからホームランはいいのだ、と言っている。

 狙ってホームランをそこまで打てるのは、お前ぐらいだと言われもする。

 だが西郷なども基本的に、狙いは全てホームラン。

 それが難しいときには、仕方がないからヒットを打っていた。


 大介の理屈を補強する、もう一つの前提がある。

 それはホームランに関しては、他の味方の助けが一切なくとも、点を取ることが出来るというもの。

 いやそれはお前だけだ、と言ってはいけない。

 大介は事実やってしまっているのだから。




 ニューヨークは無関心の街である。

 だが同時に、巨大な才能がひしめく街でもある。

 大介は一日の休みとなったこの日、美術館などを回りながら、それなりに楽しんでいた。

「治安とかどうなんだ?」

「いいところはいいし、悪いところは悪い」

「ニューヨークは基本的に銃がないからね」

 ほぼ完全に銃規制がされているニューヨークだが、別にアメリカ各地からの道路に関所が設けられているわけでもない。

 日本にいた頃は、かなりのバトルをしていたツインズであるが、さすがに銃で撃たれたら死ぬ。

 それに今は桜が妊娠中とあって、下手に危険には近寄らない方がいい。


 遠征という名の出張が多い大介は、二人が普段は何をしているのかは、あまり知らない。

 ただ時々見せられる、自分の預金や資産がどんどん増えていくのだけは知っていた。

「アメリカの方が基本的には、お金を稼ぐのは簡単だしね」

「セイバーさんと組んで企業買収とかしてみたい」

「いいけどなあ」

 この二人が仲良く色々やっていると、勝手に世界のフィクサーになっていそうな気がして怖い。

 セイバーも絡んでいるとなおさらだ。


 実は同じマンションには、イリヤも住んでいる。

 セキュリティがしっかりしている場所ということで、イリヤの住んでいるところが空いていたので、ツインズが選んだと言った方が正しいが。

 ニューヨークは奇妙な多様性に富んでいる。

 だが同時にその多様性を圧迫しようという認識も、禁止されてはいない。

 大介としては日本語が通じないだけで、かなり面倒ではある。

 だが野球に関することだけならば、一ヶ月もあればそこそこ分かるようにもなってくる。


 実際のところ、試合の中で聞き間違えた、と言ってしまって勝手に打ってしまえるのは助かる。

 おいおいと突っ込まれる可能性もあるが、大介はそういったところは図太い。

 絶対的な自信が、その精神を支えている。

 だがそれが過信になることは恐れている。




 活動をかなり制限しているイリヤの部屋を訪れると、ケイティが息子と一緒にいたりした。

 セレブなやつらだと大介は思うが、自分ももうその一員であるという自覚はない。

 イリヤは妊娠したなどと言っていたが、特にまだ目立った様子もない。

「父親って誰なんだ?」

 遠慮もなくズバッと大介は質問したが、イリヤは少し首を傾げる。

「私の子供だということ以外、どうでもいいことでしょう?」

「まあ金があって人がいれば、子供はどうとでも育つかもしれないけどな」

 大介もまた、強い父親の姿を知らずに幼少期を育った。

 ただいてくれたというだけでも、それなりにありがたかったかな、と今では思えるようになっている。


 イリヤとしては、確かに父親がいないことがどういうことになるか、未来が見えないとは思っている。

 だが彼女には別に、肉親がもういないわけではない。

 ただクラシックの世界から離れた時に、かなり疎遠になっているだけだが。

「つーかケイティは織田さんとはどうなってんだ」

 熱愛報道などは、一時日本でも記事になっていた。

 ケイティはそれに関しては、肩をすくめるだけである。

「彼はベースボールのことが大切で、私は音楽のことが大切だった。恋愛は出来ても家族になるのは難しかったのよね」

 そうは言うが子供まで作っているのだから、あるていどの愛情は確かにあったのだろう。


 子供の親権自体は、完全に彼女が持っているらしい。

 そもそも結婚することなく、子供を産んでいるのだ。

 アメリカの俳優やミュージシャンは頻繁にくっついたり離れたりするが、織田もそれに振り回されたということか。

「でも彼が引退してゆっくりすごせるようになったら、一緒に暮らしてもいいかも」

 そのぐらいには思っているということか。


 イリヤはまだ目立たないお腹を触りながら、大介に話しかける。

「ねえ、もし私が早くに死んだりしたら、この子のこと頼める?」

「お前、病気か何かなのか?」

「そうじゃないけど、もし何かあったときは、任せるのが一番確実そうだから」

 イリヤが何を予感しているのか分からない。

 だがこいつが普通に死ぬことはないだろうな、とは大介は思った。

「あたしはいいよ」

「あたしもだよ」

「じゃあ多数決でOKってことになるか」

「イリヤ、私のことを頼ってくれてもいいのに」

「ケイティは自分の子供で手一杯でしょ」


 確かにそうではあるが、イリヤとしても色々と考えていることはあるのだ。

「お前、病気でもないし、クスリとかもやってないんだよな?」

「ミュージシャンとしては不思議なくらい健全よ」

「でも死ぬかもしれないってのか?」

「ええ」

 イリヤは自分の財産を、色々なことに運用している。

 財団を作ってそこで管理している分もあるため、全てが自分の財産というわけでもない。

 金目当てではなく、それでいて面白がって育ててくれそうな人間は、そうそういるものではない。


 大介のような人間には理解出来ないだろう。

 イリヤはもうずっと前から、自分の寿命がどんどん削れて行くのを感じている。

 これは別に病気などではないのは、普通に精密検査を受けて分かっている。

 ただ感じるのだ。

 自分の生命は、音楽をつくるために存在した。

 そして一人の人間が生み出す限界に、もうかなり近付いているのだと。

 それがなくなった時、それが自分の死期だ。


 大介のような生命力の塊のような人間には分からないだろう。

 だがイリヤが持っている異能は、これと引き換えに与えられたもののような気がする。

「じゃあ遺言書にはそう書いておくわ」

「遺言書って、こんな若いうちに作るものでもないだろ」

「そんなこともないわ。私がいつどうやって死ぬかなんて、本当に分からないものだし」

 そう言ってイリヤは、愛おしそうに自分の腹を撫でた。

「少しでも長く、この子と一緒に生きたいとは思うけど」

 この不吉な予言は、おそらく当たるのだろう。

 イリヤにはどこか、超常の力を感じる。

 だがそれに唯々諾々と従うのも、大介としては理解出来ないが。


 他の者が持たないものを、持ってしまった。

 だから世界は充分に、その算盤を合わせようとしてくる。

「それでもしこの子が音楽をやりたがったら、ケイティかエミリーに先生になってもらいたいの」

「私は構わないわよ」

「あたしたちも教えられるよ」

「二人がかりだしね」

「貴方たちは凡人だからダメ」

 まさかツインズを凡人と言うとは。

「エミリーって恵美理さんのことだよな? 彼女は自分のことを凡人って言ってたけど」

「表現者としてはともかく、ちゃんと学ぶべき段階を知っている人だから」

 結局イリヤの恵美理に対する評価は、そんなものなのか。


 


 イリヤの言葉は、おそらく成就してしまうのだろう。

 オカルトの世界に生きている彼女を、大介は理解出来ない。

 だが過去を見れば、彼女に何かが起こるのを、察知しているのは分かった。


 一緒に食事までしてから、大介たちは自分の部屋に戻った。

 四人で暮らすには広いこの場所も、年末までには五人目が誕生する。

 家族が増えていく感覚は不思議だが、大介はイリやのことが気になっていた。

「お前ら、イリヤのこと出来れば助けてやれよ」

 少なくともこの二人がいれば、おおよその危機からは逃れられるはずだ。


 ツインズは頷いたが、一方は身重であるため、それにも限界はあるだろう。

「それと、腹ん中の子供の父親、お前らも知らないのか?」

「意外と織田さんあたりかも」

「なんてね」

 本人たちも、それはないと考えているようだが。


 妊娠の発覚から逆算すれば、妊娠したのはスプリングトレーニング前のことだろう。

 イリヤはかなりのこだわりやなので、自分の子供の父親にも、こだわって選択をするような気がする。

 だがそんな時期を考えるなら、やはりある程度は妥協して遺伝子を選んだのか。

 少なくとも自分ではないよな、と大介は思うのだが、ちょっと不安にはならないでもない。


 大介は自分では避妊をしていない。

 子供は出来てもいいし、そのために稼いでいるのだ。

 だがイリヤは大介に対しては、むしろ苦手としていた。

 彼女の中のインスピレーションを、一発で破壊してしまうのが大介だ。

 イリヤがそもそも日本で長く活動していたのは、直史たちが日本にいたからなのだ。

 だからほしがるとすれば、あの二人の遺伝子なのだろうが、直史はそういったことは許さないだろうし、武史に関してはそれで家庭内が一時期気まずくなっている。

 そもそも時期として、イリヤが日本に行っていたとは聞かない。

 彼女が何を基準にしているのか、大介にはいまいち謎なのである。




 一日の休養を経て、というかなんだかんだ言ってある程度はトレーニングはしていたのだが、またも試合に戻ってくる。

 今日の試合でホームランが出れば、大介の連続試合ホームラン記録は、歴代タイに並ぶ。

 いつかはやるんじゃないか、とはかなり言われていた。

 だが一年目の頭からやるとは、さすがに思っていなかった。

 大介としても相手が持っているデータが少なく、そしていささか舐めている今が、一番ホームランは稼ぎやすい。

 もっとも対戦相手のネイチャーズとは、オープン戦を除いたとしても、これがもう五試合目。

 まともな思考の首脳陣であれば、そろそろ対戦を回避して、試合の勝利を目指してくると思うのだが。


 シャークスと違ってネイチャーズは、今年も優勝を狙える戦力がそろっている。

 だがそれだけに、シーズン序盤は徹底的に、大介の弱点を調べに来るかもしれない。

 弱点なんてあったっけ、と思うのは日本の大介を知る者である。

 無理やり配球の中で、弱点を作り出すのが正しい。

 だが大介のようにポンポンと打ってしまうバッターが出ると、どうしても最初は弱点を探すのだ。


 基本的に日本人選手は、メジャーのスピードにはなかなか付いて来れない。

 だが大介は100マイルなど投げて当然というピッチャーと対決してきた。

 もちろん単純に、スピードが全てではない。

 またメジャーのストライクゾーンは、外側にボール一個ほどずれているとも言われる。

 しかし大介は日本で、外角のボール球でもホームランにしてしまっていた。


 大介の使っているバットは、やや細く長く、完全にホームランバッター用の物。

 これを使うからこそ、外角でも左側に、ホームランが打てる。

 もっとも大介としては、内角に投げてもらうのが、一番楽なのだが。




 それよりも大介が気になるのは、MLBにおける投手交代の早さだ。

 中四日か中五日で投げるために、その分一日あたりの球数を少なくなるように計算している。

 一日当たり100球でマウンドを降りるイメージ。

 もしくは年間で3000球などとも言われているが、単純に球数だけでは計算出来ないものもある。

 ただほとんどの試合で六回までに、ピッチャーは交代してしまう。

 基本的に七回以降は、一イニングずつを三人のリリーフで回すのが基本なのだ。


 今までに知らないピッチャーから、改めて打たないといけない。

 MLBはチーム数が多く、選手の新陳代謝も激しい。

 それだけに一人のピッチャーを、何イニングもかけて悠長に攻略している暇がない。

 対戦する機会が、とにかく日本とは違うのだ。

 なのでその打席で粘って、球種を引き出さなければいけない。

 そして見切れば、一球で勝負を決める。


 この日の大介は先発ピッチャーからは、ヒットが打てていない。

 それほど特筆すべきものではなかったのだが、シンカーが思ったよりも大きく曲がった。

 ミートまでは持っていけても、それをスタンドに運ぶことが出来なかった。

 外野フライ二つで、やっとホームラン記録も途切れるか、とどこかホッとした思いで見ている者もいるだろう。


 得点もネイチャーズがリードして、そして七回に入る。

 ここからは勝利の方程式的に、一イニングずるピッチャーを代えていく。

 勝ちパターンのピッチャーは、基本的に三振が取れることと、フォアボールを出さないことが重視される。

 あとは当然ながら先発よりも小さな防御率や、球速も速いピッチャーである可能性が高い。


 ただ、昨日も投げたピッチャーである。

 もっとも大介とは対戦していないが。

 先発と違ってリリーフピッチャーは、使える変化球が少ないことが多い。

 大介が知っているこのピッチャーは、カットボールとチェンジアップが持ち球だ。

 特にストレートとカットボールを投げることが多く、そのカットボールの変化に幅がある。


 どちらかに絞れば、打てない球ではない。

 そして大介はどちらかというと、変化球の決め球の方を打ちにいきたい。

 ツーストライクまではストレートを狙う。

 だが追い込まれれば、そこでカットボールを狙う。


 右腕から投げ込まれるカットボール。

 それはゾーンの真ん中あたりから、懐に飛び込むように変化する。

 腕を折りたたんだ大介は、そのまま変化していく球を追いかける。

 打球に上手く角度がつくようにして、思いっきり振りぬいた。


 普段とは違って、かなり放物線に近い弾道の打球。

 だが大介には、確信が持てた当たりであった。

(これで今日も、ノルマ達成)

 小さくガッツポーズをして、ベースを一周する大介。

 これで連続試合本塁打記録を、開幕からの試合で打って、並んだことになる。

 明日も打てば、新記録。

 数々の記録を破壊してきた大介に、それに対するプレッシャーはない。

(でも試合に勝たないとなあ)

 そう思った大介であるが、ここからメトロズは奮起して、ネイチャーズに追いつく。

 最後は延長に入って、珍しく大介が普通に打ったゴロで、走者がホームに帰りサヨナラを記録した。


 これで、残り一試合。

 ニューヨークの夜に熱いニュースが流れていく。

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