第78話 狙い打ち
誰かいいかげんにどうにかしろ。
そう思っているのはMLBの他のチームであったろう。
6フィートには遠く及ばない小柄なバッターが、打率五割をキープしつつ、開幕から毎試合ホームランを打っている。
これはもうどうにしかして止めなければいけないだろう。
本当にドーピングをしていないのか、何度も検査は入っている。
完全にシロ。それはWBCの時から変わっていない。
さすがにどこかでホームランは止まるだろうと思われていた。
だが思われている間に、連続ホームラン記録は八試合とタイ記録に並んだ。
地元のニューヨークは、日本から来た小さなスーパーマンに、大興奮である。
特に大介は、子供からの人気が高かった。
大きな巨人たちが、そのパワーを使って繰り広げるベースボール。
その中で活躍する大介は、ニンジャのようであったのだ。
だが全米的に見れば、これに対しては苛立つような声の方が多い。
理由としてはただ一つだろう。
大介が東洋系、つまりイエローであるからだ。
人種差別問題は、いまだにアメリカにおいては根深い。
むしろ新たな人種差別問題は、継続中であるとしか言えない。
アメリカの文化は先住民を抹殺して白人が作った。
そしてそれに対する黒人の、長い叫びが対抗するというのが社会構造であった。
ここにラテン系なども入ってくるが、特に差別というか危険視されるのが、アラブ系と東洋系である。
政治的な問題が、主にこの差別の原因だ。
アメリカは自由と平等の国ではない。
自由と平等を、常に唱え続けなければいけない社会なのだ。
人生に対しては積極的でないといけないという、ポジティブな方向の同調圧力。
これにストレスを感じている人間は、実のところ少なくはないのだ。
この日の第一打席も、大介に投げられたのは明らかなビーンボールであった。
さすがにあからさますぎるボール球に、大介も完全には回避出来ない。
プロテクターで弾いてデッドボール。
さほど痛くはなかったが、当てても謝らないMLBの常識にはやはり腹が立つ。
謝るというのはわざと当てたのを認めるのだ、とかいう理屈らしいが、大介としてはこのあたりは完全に許容できない。
意思の問題ではなく当ててしまったら、謝るのが普通だろうと思うのだ。
むしろ日本の方が、この件に関しては世界的に少数派だとも言われるが、失敗したら謝る。
これが出来ない人間に、大介は珍しく嫌悪感を抱いてしまう。
そんな感情を処理せずに、第二打席に入ってしまった。
デッドボールの後は、踏み込むのは難しい。
アウトコースに投げられたストレートを、大介は踏み込んでミートする。
ホームランを全く狙わない、復讐の一打。
打球はピッチャーライナーとなり、その頭部を直撃した。
ボールはショートが処理してアウトになったが、ピッチャーは起き上がれない。
担架が運ばれてきて、ピッチャーはグラウンドから離脱。
リリーフピッチャーが出てきて、そのまま試合は進行する。
ベンチの中の大介に対する視線が、畏怖したようなものになっている。
「白石さん、まさかわざと狙ったわけじゃないですよね?」
杉村が誰かの通訳ではなく、自分の言葉として確認してくる。
大介はもちろん不機嫌であった。
「ピッチャー返しって反則だったっけか? 少なくとも日本の野球じゃ基本の一つだったけど」
「あんたマジか……」
何をいまさら。既に一度やっているではないか。
大介としてはこの世界、やられたらやり返すものだと分かってきた。
ただ後悔らしきものがないわけではない。
あの球は素直にレフト方向に打っておけば、ホームランに出来たのだ。
記録というものにさほどこだわる大介ではないが、打てるボールならホームランを打っておくのが大介の心情にもしっくりする。
別に当てられたところで、本来なら怒る大介ではないのだ。
守備に入ったとき、杉村は念のために、監督であるディバッツに報告しておく。
なんだが告げ口のようではあるが、大介のやったことはルールにもスポーツマンシップにも反していない。
そもそもそんな狙ってミート出来る人間が、ほとんどいないというだけで。
「日本ではそんなに気が短かったか?」
「おそらくアメリカとの違いに苛立っているのでは?」
実は苛立っているのは、自分に対してであった。
日本にいた頃はデッドボールのコースでも、避けるか打つかで当たらないようにしていた大介だ。
九年間の選手生活で、受けたデッドボールはわずかに二度。
他は全て回避するか、打ち返してきたのだ。
ストレートを明らかに当てに来た。
別に大介は悪いことはしていない。ただホームランを遠慮なく打っていただけである。
ただ日本時代はルーキーの時も、高校時代の積み重ねがあった。
そういう前歴が、大介を守っていてくれたのだ。
当てられたら当て返す。
報復打球はさすがに、当たっても死なないところに当てるほど、器用には打てない。
さすがに頭を狙われたわけでもないのに、頭に打ち返したのは悪かったかな、と頭を冷やす大介。
だが第三打席と第四打席もピッチャー返しのセンター返しとなり、ついに連続ホームラン記録は途切れたのであった。
だが試合には勝利した。
そして運ばれたピッチャーは脳震盪で二週間ほど休んだが、しばらく制球に困難をきたし、マイナーで今年は終えることになる。
ロッカールームに戻ってきた大介の肩を、チームメイトがバシバシと叩いた。
なにやら喋りかけてくるが、使われている単語が良く分からず、おまけに速い。
「お杉さん! お杉さん!」
通訳を呼んで内容を聞いてみれば、ビーンボールの後に徹底してピッチャー返しをしたのが痛快であったらしい。
「わー、野球って紳士のスポーツなんだなー」
棒読み口調で呆れた大介だが、謝ることはないにしても、見舞いには行くつもりだ。
幸いなことに次は一日空いて、またホームでのゲームになるのだ。
大介の打球はビジョンを何度も破壊してきたが、よくもまあこれまでは死人がでなかったものである。
ついかっとなってやってしまったが、こういうことはやり始めたらきりがない。
幸いにも試合には勝てたことだし、もうこれで忘れよう。
「ホームラン記録を捨ててまでやり返したのが偉いって言われてるよ」
「忘れてたんだよ」
試合後のインタビューで言及されるまで、本気で忘れていた大介である。
勝ち越しのヒットを打っていた大介は、当然ながら色々と質問を受けていたが、最後の一言にはかなり危険なことを言った。
「野球はもちろん技術を競うスポーツだが、メンタルやテクニックの問題以外でも、相手に怪我を負わせてしまうことがあるかもしれないスポーツだ」
あからさまに危険なスライディングは禁止になったが、それでもクロスプレイはある。
「デッドボールで負傷するのはつまらないことだし、また偶然にも私の打球でピッチャーを退場させてしまったのは、もちろんわざとではないが残念なことだ」
かなりマイルドに翻訳しているのが杉村の苦悩である。
「お互いに、ボールを当てるのは未熟だと思わなければいけない。投げるほうも、打つほうも」
いや、普通狙って打球を当てることは出来ない。
この言葉をチームメイトは、全体の報復として受け取った。
つまりうちのバッターに当てたら、ピッチャーに当てられても文句はないよな、というものだ。
さすがに報復死球でも、あからさまにピッチャーにやるのは憚られている。
だが今後は相手のピッチャーが当ててきたら、大介のピッチャー返しを恐れなければいけない。
そこまでやるつもりはなかった大介だが、そう誤解されていた。
それにこの誤解は、悪いことでもないと思う杉村だ。
どの世界においても、それが勝負の世界であれば、一つだけは真実がある。
それは「舐められたら終わり」というものだ。
大介はその体格からも、舐められる要素が多くなっている。
手が届きにくい外角へのボールを活かすために、あえて内角を先に攻める。
今後は大介に対しては、そういった組み立ては使いにくくなったであろう。
翌日、大介は謝罪ではないが、見舞いのためにネイチャーズのピッチャーを見舞った。
頭蓋骨骨折などの重傷ではないが、脳震盪を起こした場合は、一日は様子を見られるのだ。
休日であるため杉村を同行はさせず、ツインズのうちの椿を通訳代わりに連れて行った大介である。
死を予感させたほどのバッターが見舞いに来て、びびるのは当然の相手ピッチャー。
「野球をしていれば投げ損なって死球を与えることもあるし、打った球が偶然ピッチャーを目がけて飛ぶこともある。仕方のないことさ」
大介としてはそう言っただけなのだが、椿がそれに補足した。
「ちなみにうちの夫は日本時代、三回もホームランでスクリーンを壊してるの。幸いにもこれまで怪我人は出していなかったけど、貴方も大丈夫そうで本当に良かった」
これでバッターの内角を、しばらくは攻められないようになってしまった。
大介も椿が何か、余計なことを付け加えていることには気づいたが、人を脅すということに関しては、嫁の能力を高く評価している大介である。
見舞いを終えるとそこから、スタジアムへ練習に参加しに向かう。
次の試合は、少し特殊なものになるのだ。
MLBは二つのリーグからなっている。アメリカン・リーグとナショナル・リーグだ。
それぞれのリーグに15チームずつ所属していて、普段は同じリーグ内での試合が組まれる。
だが15チームずつということは、必ずそこからあぶれるチームが一つはあり、そこはもう一方のリーグのチームと対戦することとなる。
これをインターリーグと呼ぶが、次に対戦するミネソタ・ダブルスは、本来はメトロズとは異なるアメリカンリーグのチームである。
このシティーズとの試合を二試合ホームで行って、翌日にはアトランタへ移動し、その夜には試合を行う。
ニューヨークからアトランタへの移動距離は、ニューヨークとマイアミに比べれば、さすがに短い。
そして実はアトランタ・ブレイバーズと大介は、オープン戦のほんの序盤に対戦したきりである。
カード自体は開幕直前もあったのだが、その時大介は許可をもらって、WBCの決勝を見に行っていた。
なのでブレイバーズは大介の情報を、あまり更新できていない状態で対決することとなる。
だがまずはそれより、ダブルスとの試合である。
ミネソタ・ダブルスはミネソタ州の球団で、アメリカンリーグ中地区のチームである。
ニューヨークまでの距離は、ニューヨークからアトランタへの距離より、さらに長い。
なんだかんだ言いながら、MLBの球団は現在、その国土の東半分により多くのチームが集まっている。
ミネソタならばまだしもデトロイトなどは、明らかに東よりのチームだが、区割りとしては中地区のリームである。
それこそメトロズは、ダブルスとはオープン戦でも当たっていない。
キャンプ地は同じフロリダなのだが、対戦がないものはないのだから仕方がない。
ダブルスは昨年、地区二位でワイルドカードでのポストシーズン進出もなかった。
勝率も五割を切っていた。だが今年あたりは、かなり戦力が整ってきている。
ワールドシリーズで対戦するなら、まずはここで手の内を見ておきたいところだろう。
だがそこまで勝ちあがれるか、まだ明らかになる段階ではない。
メトロズはここに、エースであるモーニングとオットーを先発させる予告をしている。
MLBは基本的に、カードごとに予告先発をするのだ。
オープン戦を戦い開幕から少し経過したが、大介ははいまだに、MLBの感覚が身に付いていない。
ホームランを打てるとか打てないとかではなく、選手起用や打席における考え方などが、やはり日本におけるものとは違うのだ。
ヒットとフォアボールなら、ヒットを打っていくのが大介であった。
だがMLBにおいては、むしろフォアボールの方がいいという考え方までしている者もいる。
それは一つには、ピッチャーの球数を増やし、さらにコントロールの乱れも露呈させるものだからだ。
打率を軽視するわけではないが、出塁率と長打率を足したOPSを、より重視する。
大介の目から見てもシュミットなどは、もっと打てるバッターの気がする。
だがそこは小ざかしく、あるいは慎重に、FA権が取れるまではより確実な数字を積み重ねていくのだ。
あとは大介は野手なのであまり関係しないが、ブルペンの管理がかなりしっかりしている。
球数が多くなったり、あるいは序盤で崩れてしまうと、すぐにピッチャーを交代させる。
ブルペンの管理をピッチングコーチに任せて、監督は他の部分で色々と動く。
もっとも大介に対しては、ほとんど自由に打たせてくれるが。
大介がやはり違和感を拭えないのは、試合の日程だ。
シーズン序盤でそれほどの過密日程ではないのだが、移動日がばらばらであったり、カードの途中で休みがあったりする。
オープン戦と違って選手たちも、翌日に試合があればさっさと休む者が多い。
体調管理もプロの仕事、と考えている者が多いのだろう。
マイナーから上がってきた若手は、体力に任せてそれなりに夜も遅いようだが。
さて、オープン戦でも当たっていなかったダブルスとの試合であるが、メトロズは一勝一敗で終えた。
チームとしてはともかく、大介はこの二試合でも、打点までは取れたがホームランは打っていない。
これまで対戦していなかったピッチャーが相手だから、というのは理由にならない。
やはりネイチャーズ戦で、執拗に無理なピッチャー返しをした影響があるのだろう。
ライナー性の打球が、フェンスを越える角度には飛んでいかなかった。
またピッチャーもそろそろ、外のボール球を多く投げるようになってきた。
大介のピッチャー返しが、それほど効果があったということなのかもしれない。
だがこれでは、効果がありすぎだ。
アトランタに向かって到着したら、その日の夜にはもう試合。
今のところ大介は、元からの体力でこの移動の頻繁さに適応している。
だがそのうちどこかで、少し休む必要は出てくるかもしれない。
MLBは162試合行われるが、全試合に出場する選手は、かなり少ない。
主力となる選手であっても、ある程度は休むものなのだ。
そしてポストシーズンに備えていく。
打率は残しているが、ホームランが出ない。
三試合出ないだけで、何をスランプぶっているのかと、ツッコミが来るかもしれない。
だが問題はダブルスは早くも、大介を避けるようなピッチングをしてきたということだ。
いくらなんでも早すぎるが、これがMLBのやり方だというのか。
もしもそうだとしたら、MLBよりもよほど、NPBの方が対戦の機会は多かった。
そしてコーチ陣も、ボール球を振るなと大介に言ってくるのだ。
外側に広いと言われているMLBのストライクゾーン。
そこからさらにボール球となると、大介でもなかなか打てるものではない。
まさかこれが、そうそう続くものでもないだろう。
だが大介は敵地にて、また色々と考えなければいけないことが起こってくるのであった。
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